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煉獄ノ陽炎―復活編―  作者: 王加王非
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復活編3-2<楽観的な天使の落下>

 その夜、霊智は記憶の片隅に有った赤羽のことを再度調べようと、倉庫から分厚い図鑑を引っ張りだした。それを二階の自室に持って行くと、

(クフフ、クフフフフフ、ぬぬ……プッ、クハハハハハハハハハ!!)

 ホラーゲーをクリアしてしまったのか、僕の書棚に積まれた漫画に嵌っている怜悧の笑い声をB.G.M.にして、赤い死神――赤羽について書かれたページを開いた。

 ――怜悧、ひとつ訊きたいんだけど、いいかな?

(んあ、なんだ、どうした?)

 肌蹴たローブなど全く気に留めずにベッドに寝転がる怜悧は、目線一つくれずに応答する。

 ――その、赤羽についてなんだけど……。

(なんだ。夕刻黒いのが言っていたことか)

 ――うん、もう一度改めて調べ直そうと思って。

(おう。それは良い心掛けだ、復讐熱心で何より。と言ってもこの前話した以上の情報は無いのだが……)

 ――頼むよ、どんな些細なことでも良いんだ。

(うぅむ)

 ゆっくりと首肯するように考えこむ怜悧は、やがて勢い良く顔を上げる。

(彼奴の望み、というか主義のようなものなら、わかるぞ)

 ――是非教えてくれ。

(赤羽が協会の定めた掟――死神儀礼を破り、こっちの世界でお尋ね者であるというのはこの前話したな)

 ――うん。

(それでだ。赤羽のその罪状というのが……差別殺人だったのだ)

 話の内容からか声のトーンは落としつつも、未だに漫画の頁を捲る怜悧の手は止まらない。

 僕は怜悧の言葉を噛み締めつつも疑問を残す。

 ――殺人って普通、差別的じゃないの?

(いいや、それは人間の普通であって、死神の普通じゃない。まあ逆に言えば異常な人間ならするだろう……無差別大量殺人)

 次いで怜悧は独り言のように言った。

(――なんとなく)

 えっ?

(そう、なんとなくなのだ。そこに私怨が有っても良いし、無くても良い。計画的でも衝動的でも良い。

 ただし、理想や主義を、又は実利の算段を内包してはならない)

 意味も無く天井を仰いで思考を巡らしてみるが、怪訝な顔のまま首を怜悧の方に向けた。

 ――いまいち違いが分からないんだけど。

(そう言われてみれば、そうだな。うぅむ……。私もそこまで深く考えたことは無かったからな)

 そこでふと、怜悧は漫画を閉じて身を起こす。

 暫し俯き、表情が前髪の影で隠れる。

 そして、ゆっくりと首を捻り、視線を僕に向け、何かを暗唱するかの如く呟いた。



(死神は、殺す先に何かを求めてはならない)



 それが自分の葬った者への最低限の敬意である。とでも言うように。

 シリアルキラー。

 それが、いや、それだけが死神を死神足らしめる言葉だった。

 一瞬だけ、僕の部屋が世界と隔離されたように、凍てつき張りついた。

 死神の道徳に人間の倫理が口を挟める余地など有るわけもなく、僕はそれを理解もせず共感もせず、ただ知ることに留める。

 しかし、排除や抵抗もまた人間の道徳を捨てた僕の選択肢には無かった。


(そんなことより、霊智)

 勝手に寛いでいた割には、丁寧に漫画を本棚に仕舞いつつ、いつもの明るさを取り戻した怜悧は唐突に話題を変えた。

(来るぞ)

 ――ん? いつ、どこから? どこに? 何が?

 僕は怜悧の緊迫感と説明が大幅に欠如した言葉に付き合って適当に応答した。

(今、空から、ここに、天――)

 合わせるべきではなかった。

 慌てるべきだった。

「ぐぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ガガンッ!!

 怜悧の声は僕の視界と共に、段々と高く大きくなる絶叫と爆風に掻き消された。

 得体の知れない何かが刈谷家の天井を貫いたのだ。

 視界と足場が揺らぎ僕はそのまま、為す術なく崩落していく二階の床から一階に落下した。

 幸か不幸か、僕の部屋の真下はリビングで、僕が落ちたのはソファの上だった。

 ――痛い。

 首に手を当てながらゆっくりと顔を上げる。

 暗闇の中、辺り一面を覆う塵や埃で視界は悪く、些かスタイリッシュ過ぎるリフォームのお陰でできた吹き抜けの天井に揺れる蛍光灯を仰ぐ。

 蛍光灯のすぐ横に開いた人が一人通れるかどうかというくらいの大穴と、その先に望む東京の汚れた星空に眉根を寄せる。

 ――おーい、怜悧ー。

 すると、二階から死人のような白い手がひらひらと揺れるのが見えた。

 どうやら、ベッドは落ちて来なかったみたいだ。

(吾のことは良い。それより己の心配をせよ)

 白い手は僕に向かって人差し指を伸ばしていた。その指は僕ではなく、同じく一階にいる侵入者を指していると悟り、そのまま視線を周囲の暗闇に向ける。

「けほっけほっ」

「――ッ!」

 声のした方を注視する。

 すると、その音源は霊智の思っていたよりも遥かに近かった。

「なっ」

「っぁ!」

 僕が見たのは僕自身の真下。

 そう、ソファには先客が居たのだ。

 塵埃で台無しになった綺麗な見覚えのある金髪。

 怜悧とは違い健康的な白い肌。

 恐怖に微かな恍惚が混じった表情で視線を彼女の胸元に注ぐ。

 屋根も天井も貫いた月明かりに照らされる羽毛が舞い散る中、そこには偶然か必然か、僕の手が置かれていた。

「――白峰さん?」

 突然飛来した少女であり、ソファの先客であり、目に溢れんばかりの涙を湛えながら僕にマウントポジションを取られている彼女は、昨日、玄川蓮香と共に僕の通う白楼高校に転校してきた白峰菊理その人であった。

「こここ、こんなつもりじゃなかったんです。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。ちゃ、ちゃんと全部弁償するんで、ゆゆゆ、許してください。ふぇええ」

 嗚咽歔欷と同時に、捲くし立てるような謝罪と懇願を繰り返す白峰を見て、僕は漸く理性を取り戻す。

「ごっ、ごめん!!」

 勢い良く白峰の上から飛び退き弁明しようと試みるが、白峰の頬を滴り落ちる涙と嗚咽の混じる震えた声の前には意味を成さなかった。

 とにかく泣き止んでもらおうと、先ずは一階の電気を点け、それに驚いてまた一層泣き出してしまった白峰と家の中の惨状に頭を悩ませながら、死んだ心の奥底で鈍り切ったはずの感情の一欠片、焦燥感だけが僕を走らせる。

(うわー、計画通りってか?)

「ちょっと黙ってて!」

「ひっ! ごめんなさい」

「え? あ、ごめん。違う、白峰さんじゃ」

(フフフ)

 無意識に鳴らしていた僕の歯軋りに白峰の涙は暫し流れた――。


(天使攻略法も吾なりに考えてはいたんだが、まさか特攻してくるとは思わなかった。それどころか、その天使を一瞬で制圧して恫喝する霊智の手際には脱帽せざるを得ぬな。フィクションには有るまじき先手必勝の体現者だ)

 ――どうすればいいのさ。

 一、二階を貫通して落下した少女はソファの上で完全に怯えきっており、僕は散らばった木片で足場の無くなったリビングのドアに寄り掛かりつつ両手で頭を抱える。

 抜け落ちなかった部分の床に遮られ、二階の自室の電気がまるでスポットライトのように白峰だけを照らしている。

(戦闘になれば吾が出る。しかし、それ以外は霊智に任せるぞ)

 ――まあ確かに今のところ彼女から敵意は感じないけど問題はそこじゃない気がするよ。

「あ、あのぉ」

 大きめのクッションでどうにか僕の視線から逃れようとして身を隠すが、寧ろ際どい体勢になってしまっているセーラー服姿の白峰が恐る恐る口を開く。

「あの、あたし。 白峰菊理と言いまふ!」

「え? ああ、うん、知ってる……けど?」

「うぁぅあ……」

 困惑する僕を見て自分の言動の可笑しさに気づいたらしい白峰は、頬を紅く染め、目を泳がせながらまた黙りこくってしまった。

「――それで?」

 今度はこちらから探り探り声を掛けてみる。

「ふぁ、はい!」

「それで、白峰さんはどうしてここに落ち、訪ね、降っ……落ちて来たの?」

 言葉を慎重に選ぼうとしたが、直ぐにそれが意味を成さないことを悟り、止めた。

「はぅえぅ、そ、そそそそれはですね……」

 白峰の言い淀む返答が、知らない、分からないから来る類ではないと判断し、思い切って釘を刺した。

「――空から女の子が降ってくるなんて、天からのプレゼントかな?」

 その時僕が湛えた微笑は、仮面のように冷たく尖っていた。作り笑いなのだから当然である。

「そうですか……私が天使であることは既に御存知なのですね……」

 白峰は一瞬の瞠目の後、証拠を抑えられて観念した犯人のように口を開く。

「刈谷君、あなたに宿る神格蝶魂について……折り入ってご相談が……」

 ――まあそうなるだろうね。

 顔を覆う冷徹な微笑はもう消えていた。

 心無い人間は別に悪人面が得意というわけでもない。

 第一、この三白眼は生まれつきだ。

「刈谷君の取り憑く神格蝶魂の幽波を過去のデータと照合した結果、酷似する者が一名見つかりました。その名は……三千世界九天の夾雑、踊る死神、黒死舞踏‐Black Death Dancer‐」

 重々しい白峰の声に促されるように視線をゆっくり二階に向ける。

「またの名を……クロニクス=ルリッド」

 ――クロニクス=ルリッド。

 復唱するように心の内で吐いたその名は彼女に届く。

(ふふっ……そんな学名で私を呼んでくれるな霊智、主に余所余所しくされると悲しいぞ)

 シクシクと空々しい演技が添えられた。

 怜悧の飄々とした態度に何も返せずにいると、彼女は呆れるきように言葉を継ぐ。

(安心しろ。我が名は刈谷怜悧、霊智がくれた名、ただそれだけだ)

 彼女の、いや、怜悧の言葉に一瞬戸惑ったが、直ぐにその言葉を噛み締めて返す。

 ――まあ、名付けた憶えは無いんだけどね。

 きっとこれは僕なりの照れ隠しなのだろう。

(霊智が許可し、認可し、承認し、承諾し、許諾して、私に授けてくた名だ)

 ――そうかい。

「――それでそのクロニクスとやらに何の用?」

 猫撫で声で本題に戻る。その声を追うが如く、二階に向けた首をもたげて白峰に睥睨するような視線を注ぐ。

 今僕の顔に張り付くこの作り笑いは無意識でやっているのかもしれない。

 怜悧のお陰で僅かに取り戻した感情も肉体との乖離が著しいな。

「忌々しきその魂を、こちらに引き渡しては頂けませんか?」

 上目遣いで訴えてくる白峰の言葉に部屋の空気は張り詰め、時計の針が減速する。

 白峰のその姿は一見下手に出ているように見えるが、その内に秘める気迫に僕も少し気圧される。

「嫌だ……と言ったら?」

 しかし、気を張って嗜虐的かつ好戦的な笑みを湛えて返す。

「天使の言の葉は主が言の葉そのもの、断ることは――」

「断固、拒否させもらうよ」

 白峰の言葉を遮り、口角を上げて答える。

「ッ――そうですか。残念です」

 本当に落ち込んだように、白峰は弱々しい声を吐きながら下を向く。

 彼女は自身と周囲を照らす明かりのせいで、きっと僕の姿ははっきりと見えていないのだろう。

 だからこそ、僕にははっきりと見えた、白峰の顔つきが豹変するのが。

「しかし、そう応えられたなら致し方有りません。正義に犠牲はツキモノです……」

 微かに揺れる前髪で作った影の向こうの眼光がしっかりと僕を捉えるのを感じた。

 そして、白峰は今までと声音を変えて叫ぶ。

「死をもって、主の贄と成り糧と成れ!」

 その叫びに伴い白峰の元に空気が押し寄せるように下降気流が発生する。

 風穴の空いた屋根の真上にヘリコプターでも停滞飛行させているのかと思うほどの、極地的かつ強力な空気の流れに白峰は怯むこと無くただ両手を広げ、天を仰ぐ。

(光束解除するってことは吾の出番だな。霊智)

 ――そうみたいだね、承認。

「色即是空」

 窓や戸が軋り家具が倒れる中、怜悧の小さく何かを呟いたのが聞こえた。


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