復活編2-2<ですごっど★らいふ>
――で、結局僕は死んだの?
朝食を摂り終え、池袋の街を当てもなく彷徨いながら尋ねる。
(霊智の人生は終わったが、生命としての霊智はどうだろうな)
――そう……なんだ。
その身体はより一層軽く、瞳の色はより虚ろになっていた。
自らの死への決意がこうも容易く翻るものか、と、そこにまた精神の乖離を見たのかもしれない。
――ええと、じゃあさっき言ってた教際死神協会ってのはなんなの?
(死神ならば所属して当然の組織だ。勿論協会本部は冥府に在るから実体の無い吾でも容易に行き来できる)
――じゃあ死神最強の怜悧はそこの会長さんなの?
(ふふん、そう見えるか?)
――ああ、ごめん。
(あやまるな! そもそも死神には基本的にカースト制度が導入されていないからな。一宗教に一種いるかいないかなわけだし。地位的な上下関係は特に無い。仕事の作戦上の形式的なものが偶にある程度だ)
聞く限り、まるでそのコミュニティはある種の会社のようだった。
いや労働組合と言った方が良いのかな?
――怜悧は僕に取り憑いたんだよね、じゃあ僕を操れるの?
(霊智の意思に背いて霊智の身体をどうこうすることはできない。だが吾の意志で霊蝶装填と言って霊智の身体に吾の魂を流し込むことはできる。その間は吾が霊智の身体の制御を全て担うことになる)
――つまり怜悧が実体化して僕が霊化するってことで大丈夫?
(ああ、その通りだ)
――つかぬことを聞くけど肉体以外はどうなるの?
(それは問題無い。吾の時は吾の、霊智の時は霊智の装備だ)
最悪のケースは免れたけどそれはそれで問題かな……。
聞きたいだけ聞いた後、まだ聞くことは無いかと必死に考えている辺り、僕はやはり典型的コミュ症なのだろう。会話が下手なのだ。
十時を過ぎ、続々と商店がシャッターを上げて騒がしくなる。
この時間に学ランを着て街を彷徨いていると多少目立つので僕は怜悧に一つ提案する。
――怜悧、君のその装備について、いや、服装についてなんだけど……。
怜悧の纏う黒い外套は明らかに脆弱そうで思わず言い直してしまった。
(ああ、コレか、コイツは黎明の鴉羽衣と言ってな。凄いんだ。私自身、コイツの印象が強過ぎて黎羽と呼ばれる程だ。それでこの黎明の鴉羽衣はな――)
怜悧は自身唯一のオシャレを褒められたと思ったのか、その場でくるくると回って、辺りに雪のような煤を飛ばす。
――いや、その外套の下に着るものを探さないか?
(お? うむ。別に構わんが?)
そこまで言われても怜悧は自分の服装の異常性に気づかない。
まともに視認されることがない代償なのか、周囲に溶け込むことができないことはきっと僕も怜悧も同じなのだろう。
適当にデパートの店内を物色しつつ、怜悧に好きなように記憶させる。
僕もランジェリーショップの横を素通りするくらいならできる。
怜悧が下着をそれとして認識するかはわからなないけど。
――どうかな? だいたい覚えられた?
人気の無い階段の踊り場に置かれていたベンチに腰掛けてそう尋ねる。
(うむ。トレースは完了した。こんな感じでどうだ?)
霊化した怜悧が僕の前に立ち、黎明の鴉羽衣を脱ぎ飛ばす。
相変わらず辺りに粒子のように撒き散る煤は何故か地に着く前に消えてしまう。
――うん。良いね。これなら自由に僕を使ってくれていいよ。
僕の判断基準は怜悧が実際に僕の身体を使う際に猥褻物陳列罪で通報されるかどうかだけなので大した感想を述べなかった。
まるで自分が臓器移植する相手を見定めるような、そんな気分だった。
(本当か! そうかそうか……)
だが、実際は肩の出たゴシックワンピースという師走半ばの服装としては些か露出度が高く、靴は履きたくないとのことで、長い素足でペタペタと冷たい床を踏み鳴らす様は少しばかり薄気味悪かった。
僕の身体を貸した途端、怜悧の白髪と相まって悪目立ちすること間違いないだろう。
そんなことは避けたかったのだが、そもそも僕のものさしが世間のセンスに見合ったものとも限らない。
何故なら、僕自身自らを平均化して生きることが不得意な人間だったから。
自分の服も気にしない人間が他所様のファッションに口出しできるはずもない。
結局学ランで昼間の池袋の街を歩くことに対して抵抗は無くなり、商店街をダラダラと散策していると怜悧が学ランの袖を軽く引っ張って僕の足を止めた。
――ん、どうしたの?
振り向いた先で怜悧が何かを凝視していた。
その瞳は、それを忌み嫌うようでありながらどこか羨望も入り混じった複雑な色をしていた。
(こ、この武器庫には寄らんのか?)
僕の視線に気づいた怜悧は正気を取り戻してそう言った。
――え、いや、寄っても良いけど、ここは……その……武器庫じゃないよ?
(何を言っている。吾を騙そうとしても無駄だぞ、この視界いっぱいに広がる鈍色の世界を武器庫と言わずしてなんと言おう)
怜悧の言っている意味がよくわからなかった。
視線の先を辿れば、確かに光沢のあるどこかメタリックな商品が陳列されている。
しかし、それは僕の瞳には兵器としては映らない。
ただの電化製品である。
――ああ、そうか。怜悧、君は百年前からずっと捕まってたんだっけ?
(ん。ああそうだな、故にこのチカチカした兵器群の目覚ましい進歩が眩しくて堪らぬ)
――一応言っておくと、これらは兵器なんかじゃないよ。そこに並んでいる物の多くはさっき怜悧が言っていたように僕ら人間の生活の利便性を上げることを目的として開発されているわけで……まあ、捉え方によっては軍事産業の副産物なのかもしれないけどね。
僕の言葉を無視して怜悧が袖を強く引っ張るのでとりあえず店内に入ることにした。
(つまりこれらに殺傷能力は無いのか?)
――無いと言えば嘘になるけど、少なくとも人を殺すために規格された商品はここには並んでないはずだよ。
(ふぅむ)
そのまま僕を引き摺るように怜悧は怪訝な顔で店内を見て回った。
(霊智、これはなんなのだ?)
その声に振り向くと、怜悧の手に二、三のコードを引き伸ばすスマートフォンが握られていた。
通りかかったバイト店員の目が点になっている。
――触るな。掴むな。持ち上げるな。
(むぅ、すまない……)
――それは電話だよ、用途は様々だけどね。
(ほぅ、最新型自家用無線機か)
――自家用じゃなくて個人用だし、無線機とはまた別物だよ。
(なんと! こんなちんまい無線機を一家に一台では無く一人に一台だとでも言うのか!)
怜悧はその場を飛び退く程の驚愕を示し、もはや僕の言動の方が信用を欠き始めている。
それを察して一つ提案する。
自分が開発したわけでもない文明の利器を見せびらかして僕が説明を加える事で神を気取るのはあまりいいものじゃない。
僕はジャパニメーションなどと褒められて、製作関係者でもない癖に大量消費に自惚れる奴らとは違うのだ。
――ここ百年の兵器が見たいならいっそ図書館か本屋にでも行こうか?
探したことはないが見つけられるだろうと提案したが、しかし、怜悧の反応はあまりよくなかった。
口元を歪め、米噛みにピンと伸ばした人差し指を押し当てる。
(いや、書物庫は好かん。彼処は情報量が多過ぎて却って面倒なのだ)
――そういうものなのか。じゃあここで怜悧が納得するまで物色していこう。
(おぉお、じゃあ触っ――)
――それはダメ。
(むぅ)
その後、待つこと待つこと三時間、怜悧は複雑な表情のまま店内を回り続けた。
結局、いつもより早起きした僕が強い眠気に襲われ、その後どこに寄ることもなく再度地下鉄に揺られながら中野に向かった。
昼過ぎの車内は空いていたので睡魔に従ってシートに腰掛ける。
その時、何気なく怜悧が吊り革を掴もうとするのを見て尋ねてみた。
――今の怜悧は物に触れることができるんだよね?
(ああ、そうだ。でも霊智が動かすなと言ったからあまり触ってないぞ?)
――いやいや、そういうことじゃなくってね。
ただ周りから視えていない透明人げ……透明死神ってだけなら、怜悧が実体を求める必要は無いんじゃないかと思うんだけど……寧ろそっちの方が怜悧としては便利なんじゃないの?
実はこの質問も怜悧が僕に取り憑いた動機の信憑性を確認するためのものだったが、僕の疑り深さに全く気づいた様子を見せないまま、怜悧は暢気に返す。
(そうは言うが、霊化した吾が触れられるのは命も魂も持ち得ない物だけだ。それに不可視ということは、視認できないということであり、確認できないということであり、確信できないということであり、存在しないということだ。神とて信じてもらえねば何もできない。見えざる神とて名声を博せねばやがて寂れる)
なんとなくではあったが、怜悧の言いたいことが少しは解るような気がした。
人は根拠も無く何かを信じることはできない。
健全な精神で有れば、崇拝するに値するだけの何かを見聞きして初めて入信するのだろう。
例えそれが疑念であっても、たった一握りの可能性が伝わればそこから精神の侵蝕が始まる。
(故に吾がこうしてこのトライアングルに触れられるのも、霊智が吾を認識してくれているからなのだぞ。吾があまり霊智の側を離れられないのもそういう理由からだ)
怜悧は空いた手で鼻の下を擦りながら嬉しそうに告げる。
だが、その奥にまたどこか虚しさを感じさせる表情を見せる。
僕はそれとなく話題を変えた。
――ほら、空いてるんだから、怜悧も座りなよ。それとも死神は全く疲れないの?
(霊化していれば霊智とて肉体的疲労は感じないぞ。人間においても座り続ければ寿命が縮むようだし……されど、怜悧の隣というのであるなら吝かではないな)
言うが早いか、怜悧は僕の肩に密着するようにして座った。
肩に怜悧自身の実在しない肩を擦り寄せてくる。
服を通すことで僅かに感じる怜悧の熱と重みはとても朧気で、その時の怜悧はまるで繊細な一人の少女だった。
新中野駅から地上に出て、ビルの隙間風に背を強く叩かれながら幹線道路を一つ曲がれば、もうそこは閑静な住宅街だ。
乾いた空を貫く日差しは温かかいが、十二月の日は既に傾いており、住居の塀の影では全くその恩恵を得られない。
家の前の公園で僕は無意識に立ち止まっていた。
あの一件から半年間、一度も足を踏み入れていない例の公園である。
中央に在るベンチを眺めながら、心中呟く。
――怜悧、アイツをこの手で殺すことはできないのかな?
(フフ、まあできないこともないぞ。吾が赤羽をダルマにして、霊智がその首を跳ねればいいんだからな)
反応を確かめるように言われた言葉に、何かをこらえて強い語気を帯びて口を衝いて出る。
「――僕が首を飛ばす前に、死なないだろうな」
人は希望と絶望の塩梅次第で活力を得る。
絶望の果てに諦観し、並々ならぬ決意をした今朝の僕には申し訳ないが、不確かなものに全部奪われたのだ。
ならば、不確かなものにも頼りたくなる。
例えこれが蜘蛛の糸だろうとも、その糸を手繰り寄せて天を堕してみせる。
無表情のままベンチを見ていると視界がぼやけた。
それを怜悧は見逃してくれなかったのだろう。
にぃ、と白い歯を見せて僕の顔を覗きこむようにして立つ。
(吾に任せろ。その呪い、この刈谷怜悧がしっかと聞き届けた)
目元から零れ落ちる寸前、彼女の白く細い人差し指がその雫をすぅっと弾いた――。
怪物と戦うには僕自身怪物となれば怪物を倒せるのだろうか。
深淵を覗き、深淵に覗かれたとして、結局深淵の中に何かを見つけることはできるのだろうか。