復活編2-1<ですごっど★らいふ>
ですごっと☆らいふ
(霊智、吾に今を見せてはくれぬか)
再度僕から幽体離脱した怜悧は、屋上の縁に幽然と立ち、下界を見下ろしながらそんなことを言い出した。
僕もそれに倣って首を回し、照りつける朝日を必死に反射するビル群を見渡す。
先ほどと変わらず、『死』自体を恐れていない僕は高所という舞台に恐怖は感じなかった。
ただ、朝日を弾くビルの根本の隙間を縫うように蠢きだしたとても小さな何かに僕の心は僅かに躍った。
――いいよ、案内するよ、今を。
刈谷霊智という人間が自殺した日。
当人――つまり僕は学校を無断欠席した。
早朝の都心に向かってくるラッシュに対して逆らうように地下鉄のホームで電車を待つ。
(ふふ、以前から思っていたのだが、この地下鉄という移動手段はカッコイイな)
――そうかな?
(そうだとも。このジメっとした空気は嵐の前兆を彷彿させ、更にこの冥界にでも続いていそうな禍々しいトンネルにはワクワクしてしまう)
やがて電車がホームに滑り込んできて、雑に利かせた暖房の空気が吹き荒ぶ。
怜悧はにぃ、と笑ってその風に漆黒のローブをはためかせる。
(うむコシュタ・バワーのようだ。こいつの終点は地獄か、将又その先のアガルタか?)
――池袋だよ。
吊り革を握る死神の姿は実に滑稽だった。
神とてある程度の物理法則には従ってくれているようだ。
池袋の地上に出た僕らは怜悧の強い希望で大手ファストフードチェーン店アクドメルドにて朝食を摂ることにした。
僕も早起きした割に何も食べていないのでお腹が空いていた。
――怜悧、死神はご飯なんか食べるの?
(死神にもよるが、まあ基本的に食事そのものは娯楽や嗜好品だな。しかして中には、リンゴしか食べられないものもいるらしいぞ)
怜悧が燥ぎながら指差すハンバーガーは十時半までは頼めないので、適当に注文して代金を支払い、トレイを持って二階に上る。
テーブル席に座ろうとしたが、やっぱり窓際のカウンター席へ向かう。
(ん? どうした?)
その逡巡を見られていたのか、怜悧は不思議そうに聞いてくる。
――怜悧が他人に見えないからといって、僕がテーブル席に着くことには何の抵抗も無いんだ。朝食の時間帯にしては店内も空いている方だし何の問題も無い。増して怜悧との会話に声は要らないから僕が独りごちつつ朝食を摂る必要も無い。ただ、怜悧はどうやって食事を摂るの?
(こうひょいっと)
怜悧がトレイの上のマフィンを掴み上げ、包みを剥がす。
――そうだね。ポルターガイストだね。
しかし、これは飽くまで僕視点であり、周囲からすればマフィンが独りでに宙に浮いたように見える。
正に心霊現象である。
例え感情が摩耗し羞恥心を覚えない僕であっても、悪目立ちすることの損得勘定くらいはできる。
(むぅ、それでは吾は食べられないではないか)
怜悧はゆっくりとトレイにザラザラしたマフィンを戻す。なんでこれってザラザラしてるんだろう? そういうものなのかな? などと門外不出な疑問を抱きつつ剥れた怜悧を宥める。
――ふてくされないでよ。その為にカウンターにしてあげたんだ。ほら僕の中に入って、そこじゃ見える。
怜悧は怪訝そうに眉を潜めながらも大人しく霊化を解く。
世間に対して無知な辺りは僕も大概なつもりでいたが、なんだかさっきまでの死神の威厳や風格からすれば、今の怜悧には拍子抜けしてしまう。
――ほら。
(なっ! 霊智、貴様正気か?)
ハンバーガーの包装を剥いで僕の口の前で止める。
一応僕なりに考えた最善策だったわけだが、死神様は不服があるらしい。
――君が来たいと言ったんだろう。嫌なら僕が全部食べるよ。
(い、嫌ではないが……中々やりおるな)
――ん? それともあれなの? 咀嚼中はまだそこに留まるの? それは困るな。
クラゲやクリオネの捕食風景が微かに脳裏を過った。
(待てぃ! 流石にそんなグロテスクなことにはならんわ)
――じゃあほら。
どれだけの美貌であろうとも僕が怜悧を異性として見ることはない。
人として認識していないのだから当然だ。
しかし、数ある神話の中でも神への対応がここまで理性的な例はそうないだろう。
理由はもう一つある。
僕が死んでいても咲夜が死んでいても、僕は永遠に咲夜のものだ。
だから、他の人に何か思うということは絶対に無い。
(むむぅ……しょ、承知した)
怜悧はどこか腑に落ちないまま、白い頬を少し赤らめつつ口を開ける。
(あ、あーん…………むぐむぐ。んん! んまい! 霊智、これは美味いぞ!)
――それは良かったよ。
食事で笑みを零す人を久々に見た気がする。
まあ人じゃないんだけど。
(ぁむぁむ……。 ところで霊智。吾に聞きたいことがあるなら今のうちに聞いておけ)
――そのつもりだよ。んー、じゃあまず、怜悧はどうして実体を失ったの?
(ぁむぁむ、いきなりそれか……)
憑依された動機の信憑性が欲しいからこれは是非とも知っておきたい。
僕が無条件に信じるのは咲夜のみ。
その咲夜曰く、『何人も何事も信じることなかれ』。
考え事が好きな咲夜はいつもそんなことを言いながら、嗜虐的な笑みを浮かべてミステリー小説を後ろから読んでいた。
未だに僕はあの読み方の面白さがわからない。
(ぁむぁむ、まあいいだろう。吾が実体を捧げた理由は話したか?)
いいや、聞いてないよ。
(ぁむぁむ、じゃあ先ずはそれからだな)
これだけは譲れないと怜悧は身を乗り出して、一本しかないストローに口をつけてコーラを飲む。
(ぷはっ、吾はとにかく強くなりたかった。死神として、全てを殺せる力が欲しかった。なぜかなんて無粋なことは訊いてくれるなよ?)
――どうして?
間髪入れずに質問してしまった。脳内会話はイマイチ原理が解らないため中々難しい。
それでも、怜悧は特に気分を害された様子もなく、寧ろ早口でそれに答えてくれた。
(別に特定の殺したい相手なんてものはいないが、死神にとって殺すということは仕事であり生活だ。その仕事や生活に対して向上心を持つことに何も可笑しなことはないだろう? 霊智達人間だって生活の利便性を高めようと文明の利器を日進月歩開発し続けているじゃないか)
――でも死神にとっての殺しは、そもそもがただ一方的な殺戮じゃないの?
(ぁむぁむ、人間に対してはその認識で間違いない。しかし死神は人間によって創造、否、想像された存在であるが、その影響範囲が人間だけというわけはないだろう。原則として死神は死を司る神だぞ。まさか現し世に人間しか生命体がいないとは霊智も考えてはいまい)
――まさかラーテルやプラナリアと格闘する術を磨くためなの?
生物一個体の最強とは防御力と再生力が全てであり、この二つを越える物理的な最強生命体は存在しないと思う。
とかなんとか咲夜に教えられたどうでも良い話のせいで、僕の中の動物界のパワーバランスは一般的なそれとは異なっている。
(ぁむぁむ。何だそれは? まあいい。死神は神だ。その効果範囲が人間に留まらず生きとし生けるもの全てに適応されるのであれば、同じ理屈でその効果範囲が現し世に留まる理由もないのだ。故に、吾々は神だって殺す)
――ふーん。大変そうだね。
一寸の虫にも五分の魂とか言うし、逆説的に神様は沢山魂持っていて大変そう。
それにしても虫にも五分って少なくない? もうちょっとあると想うんだけど。
なんて思ったけれども、この五分って長さだからね。
打率とかの何割何分何厘の方の五分じゃないからね。
というわけで、一寸の内に五分も魂が占めているとかヤバイ。
三センチメートルの虫の魂が一・五センチメートルとかでかいよ、どうしよう。
などと咲夜譲りのどうでもいい思考がさっきから後を絶たない。
(なんとも他人行儀極まりないな)
――だって怜悧は人ですらないしね。
感情の起伏が乏しくなるとこうもどうでもいい事ばかり考えてしまうものなのだろうか。
怜悧がマフィンを食べ終えたので、僕も自分の分の包みを剥がし始める。
(まあ、そこでだ。吾も偶には神を殺さねばならない時がある)
そう言われてもなんだか判然としないので強引に自分の尺度に合わせてみる。
――掃除当番みたいなものかな。
空いた片手でポテトを掴み怜悧に差し出すと、犬のように飛びついてくる。
(ぁむぁむ、うむ。これも美味いな。その掃除当番が如何ほどのものか知らんがまあそんな感じだ。しかし、人間と違って神を殺すのは中々どうして手が折れる)
――なんとなくは分かるよ。僕らもゴキブリ殺すのと人殺すのじゃ話が違うもんね。
(ぁむぁむ……仮にも自らをゴキブリと表現するか。まあでも確かにそういうことだ。同格相手の殺人行為は一方的とは限らん。返り討ちに合う者だって少なくはない)
――うん。まあ大体怜悧が強くなりたかった理由は解ったよ。でもさ。
怜悧にあげようかと思ったポテトをそのまま自分の口に放った。
(なっ!? むぅぅ)
――でも、強さを求めることと怜悧が実体を失うこととがどう繋がるのさ?
割と彼女の御機嫌はこれが左右するようなので次のポテトは怜悧の口に入れてあげる。
(やた。ぁむぁむ。それは今話そうとしてたところだ!! 吾は色々頑張ってとりあえず死神最強にはなったのだが、所詮は死神最強なのだ)
全階級制覇には程遠いってことだろうか。ボクシングのフライ級チャンプであってもルール無用情け無用のストリートファイトじゃ勝てないというのは耳にしたことがある。
真偽の程は定かではないが。
(ちぅー、ぷはっ。吾が目指したものは、やるかどうかは別としてやろうと思えばなんでもできる立場――デスサイズなのだ)
権力に目が眩んだのか。
(ぁむぁむ。さっきから霊智は吾を馬鹿にしていないか? まあいい。それで吾が目をつけたのが収穫機だ。収穫機は吾等死神の証であり必需品と言っても良い大事な商売道具だ。まあ形が違うものや稀に持っていない者もいるにはいるが……それはともかくとしてだ。その死神の力の権化である収穫機をより強力にし、尚且つ無駄を省けば無敵になれるのではなかろうか、吾はそう思ったのだ)
――まさかとは思うけど、その無駄って……。
(ぁむ。そう、実体だ。肉体など、どうせ仕事が比較的楽な現し世でしか使わぬからな。大したことはないと思ってしまったのだ。お陰様で人殺しは一々取り憑くか事故で殺さねばならなくてな、コスパ最悪なのだ)
レストランで出てくる料理をこれなら家でも作れると言って結局一回か二回しか作らなくて、材料無駄になっちゃったみたいな、そんな有る有る話のノリでサラっと凄いことを言われた気がした。
第一、怜悧にとっても死活問題ではないのか。
――今更で申し訳ない限りなんだけど、怜悧ってもしかして?
(なに、心配は要らん。なんたって吾は強いからな。恐れるものなど何もない)
先代に軽々と捕まえられた理由を威風堂々たる彼女の生き方で説明してくれたような気がした。
尖りに尖った生き方だが、死神にさえ夢や野望が有るのだと知って僕はなんだか羨ましいと思った。
――頼もしい限りだよ。
何も恐れるものの無い生活はどんなものだろうか、更にそうなんとなく考えを巡らせつつ、その時不意に口を閉ざした怜悧が気になった。
いつの間にか隣の席で窓の向こう側、通勤通学のラッシュで賑わう池袋の交差点をぼんやりと眺めていた。外を気にしているというよりはどこか憂鬱な表情だった。
校舎の屋上にいる時も、地下鉄に乗っている時もこんな凛とした表情をしていたから、どうやらこの遠い目は癖らしい。
猫とかが何もない天井の角を見つめてたりするフェレンゲルシュター……あぁ、あれは嘘か。
だが、とてもじゃないがファーストフード店でテンションを上げる女子の醸し出す雰囲気ではなかった。
黙ってさえいれば深窓の令嬢的キャラ位置でクラスの人気者になれたであろう。
そう思うほど、怜悧の憂鬱な表情が様になっていた。
まあ学校なんか無いんだろうけど。