計画的犯行
この時間の営業フロアは戦場のごとく電話の音が鳴り響いている。電話の合間の縫って、
「多々良く~ん、この紙に書いてあるあれなんだけど、これっていつも通り、ああいう風にしておけばいいんだよね、ファイルに入れて、書類を……」
「そうです。部長に印鑑頂いてから、経理に原紙を書類送ってください。そのときに控えの紙は上から三番目の引き出しの中の、あ行で始まるファイルの中に会社名があるので、そこに一時保存をお願いします。原紙が経理から書類が返ってきたら、また呼んでください。その時に対応します」
「さっすが多々良くん、なんでもよく知ってるぅ~」
「いえいえ……」
「多々良く~ん、面倒なんだけどお願いしてもいいかなっ?」
「はい、さっきメール見ました。見積書の件ですか?」
「そうそう! 話が速くて助かるわ~。そういうことで、メールに載ってた5件のうち、課長が担当の下側4件、お願いしてもいいかな? 価格設定とか課長の前だと自信なくって私」
「了解しました。出来上がったら……さんのボックスに入れて、メール入れておくので確認お願いします」
「ありがとぉ~、ほんっと助かるわぁ~、私あの課長苦手なんだヨネ、たまにボディタッチがあったりして、もぅなんていうか、そう、苦手なの、しかも話長いし~?」
「人の好き嫌いは誰にでもありますからね。とりあえず見積もりの件は作成しますので、よろしくお願いします」
「多々良く~ん、お酒飲んでる~?」
「はい。結構いただいてます」
「そっか~全然酔ってるように見えないから~」
「ほんとほんと、お酒強いんだね~多々良くん」
「いえいえ、強くはないので粗相しないようにしずかにしてるんですよ」
「あはは、セクハラとかするようになっちゃだめだよ~?」
「いや~多々良くんホントすごいよね~、仕事もできるし指示も的確だし、なんでも知ってるし」「ホントホント、わかんないことあればとりあえず聞いちゃえって感じだよね」「あと面倒なこととかも大体やってくれるし、ほんとわけわかんないけどすごいよねー」「そうそう、しかもうちの部長や課長みたいにお酒飲んでもセクハラしないし」「あはっ、それ確かにわかる~、そういうのないよね~、ホント真面目でいい子だよね~」「…………」「……」
土曜の昼過ぎ。時計の長針は下の方を向いていて。待つこと三十二分。電車の遅れと、さらに一本乗りミスったため、志藤さんはかなり遅れてやってきた。
「あ、多々良くん、ごめんね遅れて、結構待ったでしょ」
「あぁ、志藤さん、大丈夫? 電車遅れてただけなんだから気にしないでよ、それに全然待ってないよ? メール早めにくれたから、俺もちょっと家でゆっくりできたし」
「そっか、よかった。あ、予約したお店のことなんだけど、私、実際に行ったことないから、あんまり美味しくないかもしれないんだけど……メニューも見たことないし」
「え? あぁ、気にしないで、嫌いな物って俺あんまりないから大丈夫。」
「そうなんだ~」
「志藤さんは嫌いな食べ物ってあるの?」
「うん、ネギが嫌いで」
「ネギ?」
「だからネギネギした料理とかは苦手なんですよね」
「へぇ~」
「あ、でもラーメンのネギとかは大丈夫ですよ」
歩いていて。
「私、ディズニーシーってきらいなんだ」
「どうして?」
「なんか、隙間が空いてて落ち着かない感じだから」
「なるほどー、じゃあ行くならランドのほうがいいの?」
「うん。そうだねー賑やかだし、そっちの方が好きかな」
女性物の財布売り場にて。
「あ、この財布、いいなぁ……」
「新しいの買いたいの?」
「ううん、そういうわけじゃないけど」
「あ、今使ってるのって、PRADAじゃん……」
ブランドには疎いが、それでも十分に高級品だと俺にも分かる。
「え、うん、お財布だけはね。ブランド品ってあんまり興味とかないんだけどね。でも高いから悩んでるんだ」
興味ないのか……。
「へー、どれくらいするの」
「い、一カ月の家賃くらい……かな」
「まじか! でも毎週買うわけじゃないんだし、たまにはいいんじゃない?」
「そっか! そうだよね……」
時間はすでに夜九時を過ぎていた。
「志藤さん、今日はそろそろかえったほうがいいんじゃない?」
「あ……うん、そうだね」
駅について。
「今日はありがとう」
「うん、またね」
こうして、俺のデートというか優雅な休日は終わった。来週からまた一ヶ月くらい、戦いの日々が始まるのかと思うと、少し名残惜しい。
約一ヶ月後。メールにて。
「志藤さん、今度の土曜日あいてる?」
「うん、あいてますよー」
「じゃあどこか行こうか」
「うん!」
一か月の時を経て、再度デートの約束を取り付けた。
「ふぅ……」
金曜夜、十一時三十二分。予定より二十八分早い帰宅に、俺は翌日の予定を、記憶の中で手繰りつつ、スーツを折り目正しくハンガーにかけ、酔い覚ましに水をペットボトル一本分くらい一気に飲み、風呂場へ直行する。スーツに煙草と酒と、飲み会で食べたお好み焼きのソースの匂いが付いているので、きちんと消臭スプレーをかけるのも忘れない。
頭をごしごし洗いながら。シャンプーが眼に入って少し染みる。
今日は二次会の前に、女性陣をうまく逃がせたけれど、その半面自分が捕まったのが大きかったなと思う。でもまぁ、社内接待と社内好感度に一点プラス出来たと思えば、それはそれで仕方ないか。失われた約二時間分の二次会で、見積書のひとつ二つは余裕で作れただろうが、保身も捨てるわけにはいかない。客先には一日待ってもらうことになりそうだが、まぁあそこの資材はザルだから、価格も納期も適当で大丈夫だろう。値下げ要求に対しては、下げてあげることで相手の心象もよくしたいから、少し高めに価格設定して……。
シャンプーを洗い流し、ボディソープに手を伸ばす。
よし、とりあえずあの面倒な客にはメールだけ送っておこう。先に行ってしまったもん勝ちみたいなところはあるから、提示して釘を刺して、そのうえで譲歩して妥協したように見せよう。そうすれば相手は勝ち誇った感で注文書を送りつけてくるだろう。自分たちが実際には、市場価格の三倍の価格で取引されていることも知らずに。まったく、無知って怖いぜ。
お風呂上がり。PCを二台起動する。一台は会社のもので仕事用、もう一台は自宅のもの。会社のパソコンのほうが起動が速くていらつくが、ネットにつないでメールのチェックをする。メールボックスの起動が遅い。会社で指定されたソフトはのろのろしていて肝心のスペックを生かし切れていないと思うけど、総務にそんなことは言えない。
さて、明日は志藤さんとのデートの日だったな。ああやばい、前メモった情報、頭に叩き込まなきゃ。嫌いなのはディズニーランドだっけシーだっけ? やばい、やばい、ぜんぜん記憶にない。えっと、メモは……デスクトップに残しておいたはず。えっと家族構成、姉が一人でもう結婚してる。で、その子供だから姪が今一歳半。最近の趣味は特にないから酒。ブランド物は財布だけで、ほかは興味なし。ここまでは記憶にあるところ。あ、ここからだ。ディズニーはランドが好きなのか。理由はえっと、賑やかだから。オーケー記憶した。……そういえばその時の会話の記憶が戻ってきた気がする……一か月前か。社内だしそれくらいの時間を開けるのが安全策だろうな。あまり妙な噂がたってもいやだし。それと……嫌いな食べ物、ネギ。でもラーメンのネギは大丈夫。
明日の予約しておいたランチのメニューをインターネットで見直す。ネギ料理、なし。完璧。というかネギだけの料理ってあるのか?ないんじゃないのか? あ、冷奴の上に乗せるな。あれがダメなのか?
えっと、メモの続き……帰りは半蔵門線だから、渋谷近辺で夕食だと一本で帰れるって話だし、そうしよう。夕食は適当に渋谷に移動しよう。そうだ、大体の帰宅時間って何時だったっけ。
過去の飲み会後の志藤さんの帰宅時間一覧、エクセルのシートをチェックする。
二次会ある場合はそれ以前、十時ごろ、九時台のケースはないから、九時半が〆るのにねらいどころかな。あ、でも十一時半の時もある……あぁ、これはあの面倒くさかったときか。あの時は明らかに顔が不服そうな感じだったから、やっぱり解散時間は九時半から十時の間かな。
今まで集めた志藤さんのデータを頭に叩き込みなおし、情報の漏れ、抜けが無いよう頭の中でしばし反芻、要所要所の時間についても確認しなおし、時計を見ると十二時三十分を少し回ったところ。
準備おっけー、あとは目覚ましをセットして眠るだけ、お疲れ様今日の自分。頑張れよ明日の自分。うまくいくことを祈っているよ。志藤さんという城の陥落までの距離は、すごい勢いで詰まっているはず。この日々の並々ならぬ努力と情報収集によって、彼女の中の俺の印象もいいことだろう。他の凡俗な人間に比べて、天と地の差ほどもあるくらいに。
灯りを消し、休息に入った。
待ち合わせには少し早いが、駅に到着した俺は喫茶店で本でも読んでいる。
途端、電話が鳴った。画面を見るとメールも届いていたが気付かなかったのには多少の失態、もちろんワンコールで出る。
「あ、もしもし? 志藤さん?」
「あ、多々良君、あのね、出口間違っちゃって……迷ってます……ごめんなさい」
「えっ、あっ、落ち着いてっ」
隣に座っているオヤジに舌打ちされる。対面に座っていたおばさんに睨まれる。こっち見んな、急用なんだ。「えっと、今すぐ行くから動かないでね」マフラーと読みかけの本をひっつかみ、飲みかけのコーヒーを店員に押し付け駆け足に外に出て、点滅している信号を渡る。物語の中であこがれたお姫様のお迎えも、現実となると焦る。そしてなんてだるいんだろうと思った。
「あ、あのねっ、待ち合わせしようって言ってた駅ビル一階の喫茶店なんだけど、駅ビルが無いのっ」
だめだ、言っていることの意味がわからない。俺はさっきコーヒーを半分以上店員に押し付けてきたばかりなのだが。
俺は周辺の駅の出口を見渡す。
「えっと……そうだな、今地上だよね、何が見える? ドトールある? それとも銀行とか、4車線の大通りとか」
「ええっと……あ! 反対側にも地下鉄からの出口がある! あと今いるところの建物のなかに、○○○っていう会社が入ってる!」
そうか、どこだろう。住んでる人間だってそうそうわからないのではないだろうか、間の説明では。
「わかった、じゃあ動かないでね、今迎えに行くから」
電話をきってスマホで会社名を入力し、その間に地下鉄の出口で、遠いほうへ向けて走る。やれやれ、とんだお姫様だ。スマホの検索が終了し、脳内マップと一致。とすればこのあたりにいるはずだが……いた、横断歩道の向かい側か。って、おい、動くなって言ったじゃん、どこ行くんだよ、まてまて、赤信号で動けないんだからそっち行くな、そっちは待ち合わせ予定地からも逆だし。
信号が青になった俺は猛ダッシュする。後ろを振り向かない志藤さんの3メートル手前で呼吸を整える。1,2,3,4,5,6,7,8,9,10.よし。左肩をいやらしくない感じで、指先だけでつつく。
「志藤さんっ、お待たせっ」
「え……、あ、多々良くん! ごめんね出口間違っちゃって……完全に迷っちゃってた。ちなみに待ち合わせ場所ってどっちだったの?」
すごく驚いた表情でこちらの目を見る志藤さんに、うん、いいなと思った。
「ううん、気にしないでいいよー、えっと、あっちの、後ろの方」
「そっか~」
「よし、じゃあとりあえず移動しますか」
そうしてお姫様の救出に成功した。現実世界って、なんて面倒臭いのだろう。でもまぁ、この一件で探し当てた俺の点数が一点上がったと、前向きに考えようと思った。口が裂けても待ち合わせ場所くらいググってこいよとは言えない。
「今日はありがとうね」
「うん、また誘うね」
そうして別れた後、電車の中でメールを作成する。なるべくそっけなく、でも次につながるような感じで作り上げるのは難しい。
某日夜。大学時代の友人たちと酒の席にて。
「……っていう感じの女の子なんだけど、超可愛いんだよね~」
「マジか―、趣味って変わるんだなっ」と友人の一人がいえば、
「お前さぁ、今の話聞くと、なんでそんな何も考えてなさそうな奴が好きなの? 前はもっと自分より頭のいい女が好みだったじゃん」と、続けてみんなが同じことを言う。
「ああ、だって何も考えてなさそうで、幸せそうでよくない?」と、まことに本音で自分でも最低だと思うような一言をひねり出す。表向き俺はそういうキャラで通してはいないのだ。
「そりゃ、まぁ、そうかもしれないけど」
「なんかさー、頭のいい人といると疲れちゃってさー、もう無理っ。やっぱり少しほわほわして、何も考えてない感じの子のほうが絶対いいよ。見てて幸せになるし」好きかって俺が言えるのは、この世界の中で非常に限られた場だけだ。それ以外では自分を完璧に演じ続けることが求められ、それを自覚しているから演じ続ける。
「そんなもんかね……お前も変ったなぁ、まぁ彼女になったら紹介しろよ」
「それはできないな」きっぱりと友人の下心を断って、その日の飲み会は盛況のうちに終わった。役割を演じるのは義務ではないが、欠かせないことだということの確信はあった。俺はいつだって誰かの一手先を読んで動けるように努めている。
グラスに注がれたワインを一気に飲み干す。
それは全然酔いが足りないから。午後二十三時ごろ、私は一日を完全に演じ終え、無事帰宅した。もう少し、酔える程度に酒を飲んでみたいが、いつ足をすくわれるかと思うとぞっとするので、飲み会中の私は大抵シラフだ。最近多々良とかいうあの男からの頻繁に来る誘いが若干うざいが、先行投資と思って初回の会計を払ったことが幸いした。前回の食事の後、女の子に払ってもらったという負い目を感じた彼に、次はいくらかおごってくれるだろうと思っていたが、まさか全額おごってくれるとは思わなかった。しかも料理はそこそこ美味しかったし。
それにしても待ち合わせに数分遅れていき、場所も微妙に外れた場所だが、探し当てられそうな場所をチョイス、演出するのには苦労した。二十分前に駅に着き、駅の周りを探索し終えて、地形を頭に把握し、待ち合わせ場所と称した喫茶店の中に彼がいることを確認して、別の出口へ歩き、時間にして三分ほど時間に遅れてメールを入れることで、焦らす演出を加えてから電話をいれる。予想通り、ワンコールで電話に出る彼。わざとわけのわからないことを言ってみたが、それでも見つけてきて、こいつ若干しぶといなと思った。予定では十分くらい遅れて出会い、待ち合わせ場所から外れてしまったために予約してあったお店に間に合わなくなり、その場をどうやって撮り仕切るのか見たいところではあったのだが、その目論見は成功しなかった。次はもう少し念を入れてセッティングしようと思った。
ほんと、どの男だってかまわないのだけれども、必死になる姿が見れると優越感に浸れる私って、なんて悪魔なんだろうと思う。ま、せいぜいこれからも楽しませてよね、多々良くん。あ、メールだ。
「こんばんは、今日はありがとう 次は○○か○○に行けたらいいなとか考えてます 開いてる日があったら教えてね また誘います」
いやぁ、まったく、次は何してくれるのか今から楽しみだわ~と思いつつ、返信を書く。
「こちらこそ楽しかったょ! ○○か○○か~私あんまり言ったことないから連れて行ってね! あ、次は遅刻しないようにするからっ、ごめんねっ」
と、約束を取り付けることはせずに、スカスカな内容を打って返信せずに保存する。焦らされて二通目を送れない男の気持ちなんて手に取るように分かるんだよ、ふふふ……どれくらい待たせてやろうかな、2日は長いから、明日の夕方でいいや。
パソコンの画面を見つめる。私はエクセルのシートに並んだ男たちの名前から多々良というセルを探し出し、告白されるまでの予想期間を三カ月から一カ月に前倒しした。チェックメイトまでは、もう少しかかりそうだ。
ギャンブルと同じで、捕まえられそうで捕まえられないから、余計に欲が沸き立つというものなのを、どこで、私は知ってしまったんだろう。手のひらで人を転がすこの快楽は、一度知ってしまったら二度と忘れられない、どこぞの美酒の味にも勝る。




