第01話 鎧
暗く、熱気が篭もった部屋の中に、金属を叩く音が響く。炉には黄金の輝きを放ちながら燃えている炎があり、その前には髭面の筋肉だるま、この鍛冶工房の親方が一心不乱に金槌を振るっていた。
振るわれる金槌は常人では動かすことができないくらい巨大であったが、親方は全身の筋肉を盛り上がらせ片腕で振るい続ける。
そこに余人が入り込む隙間は無く、見た者全てが息を呑んで立ちつくす雰囲気を発していた。
『しくしくしくしく……』
「……」
『しくしくしくしくしくしくしくしく……』
「…………」
『しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく……』
「だぁー! やかましい! 静かにしていろ!」
無心になって打ち続け頭の中に響く声を無視していた親方だったが、遂に我慢ができなくなり巨大金槌を声の発生源、床に置かれた銀色の鎧に投げつけた。
金槌は唸りを上げて鎧に激突する。普通であれば鎧が破壊されて終わりである。しかし、鎧は巨大な質量がぶつかったのにも関わらず微動だにせず、衝突した金槌も運動量を失ったかのように停止し、そのまま床に落ちた。
『うわっ! 危ないじゃないですか親方。俺でなければ死んでますよ!?』
「だったら良いじゃねえか」
『……確かに』
鎧は僅かに光りながら浮き上がると、一緒に金槌を浮き上がらせて親方に持っていく。それを片手で受け取った親方は仕上げを行い、鎧に向き直る。
「別に約束を破られることなんざ、いつものことじゃねえか。お前も十分堪能したんだから気にするな」
『でも、毎日毎日丁寧に磨いてくれたのに……』
「女なんてそんなものだ。だいいち、今までだって全部お前の片思いじゃねえか。取られたくなかったら告白してみろ」
親方はにべもない。既に毎回の恒例行事になっているので、相手にしたくないのである。
この鎧、神銀という希少金属を用い、原初の炎にて鍛えられた、性能だけなら親方の最高傑作と言って良い品だ。無駄な装飾などは一切入らず、実用一点張りの無骨な形状。そして胸部中央には黒い宝石が填め込まれていて、男性らしい力強さを感じさせていた。
上半身を守るだけの形状であるにも関わらず、防御力場で全身を覆い巨大な竜の一撃すら無効化できる能力を持つ。当然魔法も無効化する。
但し、どうみても男性用なのにも関わらず、装備者は女性限定。しかも恋人がおらず、懸想する相手もおらず、キスすらしたことがない女性限定。見た目が良ければ尚良し。
そんな性癖を持った意思が宿ってしまったため、半ば呪われた防具と化していた。もちろん意図して作ったわけではなく、同様な品を作ることにも成功していない。
売っても失恋すると勝手に戻ってくるため、今ではきちんと説明し、高価な魔法契約を取り交わしてから売っている有様だ。それでも売れるのだから、性能だけは恐ろしく高いのである。
鎧は親方の周囲を飛びながら、懇願するように明滅する。
『親方……』
「俺を見ても怖がらず、尽くしてくれる嫁を連れて来てくれたら考えてやろう」
『そんな無理難題、不可能じゃないですか』
「なら諦めろ。俺は諦めているぞ。そら、とっとと商品として陳列されていろ」
髭面筋肉だるまな親方の見た目はとても恐ろしい。夜に女性が見れば悲鳴を上げ、子供が見れば気絶する。故に、夜は絶対に外出しないことにしている。
親方は鎧を掴んで鍛冶場を出ると、表の店舗に入る。
「きちんとこいつを見張っていろ! 仕事ができねえなら叩き出すぞ!」
「も、申し訳……きゃ」
『うわっ、危ない』
乱暴だが腕は確かなため、食うに困らないだけの客は来る。親方は店先にいる小柄な見習いに向けて鎧を放り投げると、また鍛冶場へ戻っていった。
「また怒られちゃった。駄目ですよ鎧さん、ここから動いちゃ」
『ごめんね。悲しくなると、生まれた場所に行きたくなるんだよね。あ、そこ良い……』
見習いは布を使って、丁寧に鎧を拭いていく。鎧の声が聞こえるのは親方だけなので会話になっていないが、鎧は気にしない。見習いも鎧が変なのは知っているので、動いたり点滅しても気にしない。
「親方に嫌われたら、炉に放り込みますからね」
『……気をつけます』
優しい笑顔で冗談のように言っているが、それが本気の発言であると鎧は直感で理解している。故に、通常は積極的に逆らわない。
鎧はここに親方の嫁候補が居ることを知っている。でも、言わない。今言えば、確実に破局を迎えることは確実なのだ。
実はこの見習い、悪漢に襲われていたところを親方に助けられ、そのときの力強さに心を一撃で射抜かれた、ちょっと世間と感覚がずれている恋する乙女なのである。そうして恋心の赴くままに行動し、一緒に居たいがために男と偽って弟子入りしたのだ。
そして頑固一徹な親方は、今知れば確実に放り出す。だから、言わない。鎧は一途な女性の味方なのである。
ちなみに見習いは、男の子の服を着て長い髪を結んで服の中に隠しているだけなので、普通の人なら女の子と見ただけで分かる。しかし、大雑把な親方は男にしては華奢だろうが、顔立ちが整っていようが、体つきが丸みを帯びていようが、首に女物の宝石付きチョーカーをしていようが、耳が尖っていようが、本人が男と言ったのだから気にしない。
そのため、今のところ女の子だとばれる気配は全くなかった。
「はぁ、うまく行かないなぁ……」
『男は胃袋を掴むと良いらしいよ。早く食事を作らせてもらえるようになると良いね』
聞こえない声で励ましながら、鎧は今度こそおとなしく展示されたのだった。
そして、遂に鎧を欲しがる女性客がやってきた。
「うーん、本当に良いのか? こいつは呪われている分安いが、大金であることに変わりはないぞ」
「はい。今回の大遠征では、多くの犠牲が予想されます。そんなところで回復役が最初に倒れるわけには行かないのです」
『俺は呪われてないです。大丈夫ですよお嬢さん。私があなたの柔肌に傷ひとつ付けず、必ず生還させることを約束します』
道行けば十人中十人は振り返る清楚な雰囲気を放つ美人神官を前にして、鎧の興奮は最高潮である。そのため声が聞こえる親方は小さくため息をつくと、移動して契約書をテーブルに広げた。
「そんじゃあ、注意事項を説明するぞ。まず、あんたは生娘か?」
「……はい」
いきなりな質問に美人神官は真っ赤になって俯くが、親方は気にしない。
「恋人が居たり、懸想する相手が居たり、接吻をしたことは?」
「……ありません。あの、これは何の質問なのですか?」
『す、素晴らしい! 親方、絶対に売ってください!』
真っ赤になりながらも、怒らない。その優しさに鎧の興奮は青天井になっている。
「もちろん注意事項だ。あの鎧はな、さっき言ったことを破ると、単なる重い鎧になる。それどころか一線を越えると勝手に戻ってくる。この鎧を使うには、さっきの条件に加えて毎日愛情を込めて磨くなどして大切に扱わないと性能が落ちるんだ」
「そう、なのですか?」
「ああ、力を発揮しているときは淡く輝いているが、性能が落ちると輝きが弱くなり、明滅し始め、最後には消えてただの鎧になる。それでも普通の鎧よりは高性能だが、女には重過ぎる。戦場でそうなれば、身動きできずに死ぬだけだ」
「あのう、戦場で色恋沙汰など起きるでしょうか」
素朴な疑問にも、親方は動じない。
「別にあれには判別機能はないんだ。だから、嘘はつける。まあ、今までも戻ってきた鎧に血がついていたときがあったから、死んだのだろう。あらかじめ言っておくぞ。絶対に鎧に対して嘘をつくな。今ここに鎧がある意味を、良く考えるんだな」
「……良く、分かりました。気を付けます」
『親方、過去の傷を抉らないでくださいよ。ぐれますよ?』
鎧がやさぐれても、親方は無視する。売って利益に変えるほうが大切なのである。
「先程の注意事項を厳守すること。鎧を手放さないこと。不要になったら無料で返却すること。この鎧に関することで起きたことの責任は全て背負うこと。こちらに被害があった場合、対処に伴う損金を言い値で支払うこと。この契約は鎧を中心として結ばれる。もしあんたが死んで、関係者が迷惑をかけてきた場合、そいつにも契約は適用される。契約を故意に破った場合は命で贖ってもらう。この条件を了承できるなら、売ってやろう。なに、注意事項を破らなければ問題は無い」
「そう、ですね。……はい、分かりました」
美人神官は厳しい契約内容に購入を迷ったが、鎧がなければ生還が難しくなると予想されるため、条件を呑んで金を支払い、契約書にサインを行った。契約書は光を放ちながら二つに分かれ、ひとつは美人神官に、ひとつは鎧に吸い込まれていった。
「これで、あの鎧はあんたのものだ。できれば、その手で返しに来ることを望む」
「はい。そうありたいですね」
美人神官は立ち上がると、いそいそと鎧の元へ向かい優しく触れる。
「これからよろしくね」
『もちろんです。いかなる脅威からも守ってみせましょう!』
鎧は眩く光を放つと、粒子となって美人神官を包み込む。そして光が収まった後には、美人神官の上半身に輝く鎧が装着されていた。
『おおおおお、理想郷がここに……』
「す、すごいですね」
「まあな。サイズもぴったりだろう。脱ぐときはお願いすれば離れる。てめえはもう帰ってくんじゃねえぞ」
親方ははしゃいでいる鎧を小突いてから、美人神官に手を振って奥に消えていった。
「それでは」
『行って参ります!』
「ありがとうございましたー」
感涙にむせぶ鎧は見習いに見送られながら、美人神官と共に通りを歩いていった。
視界のきかない深い森の中を、道を切り開きながら選ばれた騎士や兵士が進む。最初は簡単だったその方法も、奥に行くにつれて魔物の数は増え、より強くなっていく。そうなると犠牲者は増えることになり、美人神官は常に最戦線に居て負傷者を癒やし続ける。
当然癒やし手は重要なため、護衛として腕が立ち誠実な騎士がつけられた。戦場という常に緊張を強いられる場所において、背中を預けられる存在。それまで修行三昧で恋すらしたことのなかった美人神官は、いつの間にか無意識に騎士を目で追うようになっていた。
そして鈍い鎧も、さすがに気付いた。
「……大丈夫。私は、何とも思っていない。これは、違う」
『うん。そうだよね……』
休憩時に鎧を丁寧に拭きながら、美人神官は苦悩する。鎧の輝きが落ちてきたことに気付き、ようやく恋心を自覚したのである。
『大丈夫。絶対に帰してあげるから! 絶対に……』
鎧も美人神官が約束を守ろうとしていることは分かる。だから心を偽ってでも意地を通す。鎧は健気な女性の味方なのだ。
次の日。美人神官は鎧があるので護衛は不要とし、騎士と離れることにした。それでも遠くに見えたときに思わず目で追ってしまう。その都度想いを否定し、忘れるために最前線で癒やし続けた。
しかし、今度は眠りながら泣くようになり、それを見ている鎧も胸を締め付けられた。鎧は気力を振り絞って守り続けているが、能力の低下は止まらない。根源に根ざす力ゆえに強力であり、融通が利かないのである。
そして遂に終わりのときがやってきた。
「後ろへ! 早く!」
森の奥から樹木をへし折りながら山のように巨大な甲虫が這い出てきて、蹂躙し食らっていく。硬い表皮は武器を弾いて傷を負わせることもできない。そのため前線は一気に崩壊し、壊走が始まった。
美人神官は負傷者を癒やし誘導しながら、無意識に騎士を探す。そして皆を逃がすために甲虫に立ち向かい、弾き飛ばされたのを見て思わず駆け寄る。
「今癒やします!」
「私は……もう駄目です。あなたこそ逃げて……」
「そんなことできません!」
途切れ途切れの声に首を振り、へこんだ鎧を何とか剥ぎ取り涙を流して癒やし続ける。そこに突然、暗い影が差し込んだ。美人神官が上を向くと、ちょうど甲虫が飛び上がり圧し掛かろうとしているところであった。
「あ……」
次に起こることを悟り、思わず騎士に覆いかぶさる。鎧の光は既に僅かしかなく、大質量を防げないと理解していた。それでも、それ以外の行動は考え付かなかった。
「お願い……守って……」
思わず言葉がこぼれる。そのとき、鎧が爆発したと見紛うばかりに煌々と輝いた。
『ふっ……。頼られる、それが男の、生きる道。虫風情がでかい顔するな!』
光の中で、美人神官は背の高い黒髪の青年が、背中を向けながら力強く拳を天に突き上げる姿を幻視した。同時に守護力場が上部に集中展開し、落ちてきた甲虫と衝突する。
守護力場は十全に力を発揮し、運動量を丸ごと消去された甲虫は空中で不自然に停止する。そしてそのまま体勢を崩し、ひっくり返った状態で地面に落ちた。直後に鎧の輝きも元に戻る。
『今のうちに逃げろ!』
美人神官は声が聞こえなくても点滅する鎧が何を言っているのかを理解し、大雑把に癒やすと騎士に肩を貸して立ち上がる。
「絶対に帰してみせます!」
「……あなたほどの意地っ張りな女性は、見たことがないです」
「良いから足を動かして!」
「ああ、申し訳ない」
こうして、魔物の領域へと進出した大遠征は、今回も半数以上の兵を失って失敗に終わった。
『しくしくしくしく……』
「うるせえぞ! 未遂だったんだから、いい加減泣くのを止めろ!」
鍛冶場にて、親方は泣く鎧に金槌を放り投げる。もちろん鎧には通じない。
『だって、守るって約束したし、ずっと違うって悩んでいたし、優しくて良い娘だったんですよぅ』
「なら良いじゃねえか。きちんと筋を通して返却したんだ。新たな出発を祝福してやれ」
『それはそれ、これはこれ。捨てられたことには変わりはないんです! しくしくしくしく……』
「駄目だこりゃ」
親方は肩を竦めると、鎧を放置することにした。
鎧の所有者となった美人神官が戦場を駆け回り負傷者を癒やし続けた結果、遠征は失敗したが帰還者率は今までよりも多くなった。そして、その献身的な姿を騎士に見初められ、帰って来てから結婚することになったのである。
そして失恋し泣き続けること十年。年を取ることを忘れている親方は、相変わらず金槌を振るっていた。
「まったく……」
まだ泣き止まない鎧に辟易した親方は、材料庫から神銀の塊を持ってきて炉に放り込み、大きくふいごを動かす。炉からは黄金の炎が立ち昇り、たちまちのうちに神銀を溶かしていった。
そして粗く整形され黄金に輝く神銀を前に、親方は一心不乱に金槌を振り下ろした。
『しくしくしく……』
「おら、お前の嫁だ」
『しくしくしく……嫁?』
嫁という言葉に反応し、鎧は簡単に泣き止む。
鎧の前には、銀色に輝く一対の篭手が置かれていた。可動域を確保するために防御力を犠牲にしているものではなく、全体を覆う形である。そのままであれば無骨に感じる代物であるが、細かく施された緩やかな流水を模した装飾と、手の甲に填められた青い宝石によって、女性らしい繊細さと美麗さを生み出していた。
それを確認した鎧は、不思議そうに明滅する。
『嫁?』
「そうだ。剣と鞘は夫婦に例えられるだろ? だったら、揃いの防具もそう言える。だから、お前に合わせて作ったこの篭手はお前専用の防具であり、防具の主体であるお前を盛り立てる妻だ」
『……なるほど。親方、ありがとう!』
「お前に泣かれ続けると作業が捗らねえんだよ! 後は好きなように妄想してろ! 追い出しても勝手に入り込みやがって……」
鎧はこじつけを聞いてあっさり納得し、嬉しそうに輝く。迷惑をかけられ続けた親方は、鎧に怒鳴りつけてから背を向けるが、興奮している鎧は気付かない。
『ぼ、ぼぼぼ僕が旦那様だよ。これからよろしく。大丈夫、優しくするから……』
「なにが僕だ……」
親方は呆れているが、舞い上がっている鎧は気にしない。篭手を優しく力場で包み込むと、慎重に己との間に見えない絆を繋いだ。同時に篭手が爆発したように強い輝きを放ち、作業場を白く染め上げる。
『わわっ!?』
「何だ!?」
鎧と親方は驚きの声を上げるが、何が起きているかは分からない。そのため光が収まるのを待った。そして光が収まったとき、鎧の前に淡く光を放っている篭手が三つ指をついて控えていた。
『鎧様。お情けを頂き、ありがとうございます。至らないところもあるかと存じますが、末永くよろしくお願いいたします』
『おおおおおお!?』
「な、んだと……」
篭手は自信を持って良い品と言えるものだ。そして先程までは確かに単なる篭手だった。しかし、今は鎧と同じく意思が宿っていて、しとやかな女性の声が聞こえていた。
『こ、篭手さん……』
『はい。鎧様……』
『篭手さん!』
『鎧様!』
鎧と篭手は嬉しそうに明滅しながら宙を踊っている。それを呆然としたまま口を開けて見ていた親方は、我に返ると目頭を押さえて背を向ける。
「ちょっと疲れたのかもしれねえな。……休むか」
篭手は間違いなく鎧に惚れている。鎧も篭手を気に入ったようである。しかし、どう考えても厄介事を招くような、嫌な予感しかしなかった。そのため親方は騒がしい後方を無視すると、今しかできない現実逃避をすることにしたのだった。