ある冬休みの一日
それはとある冬の日の僕の体験談。
今日は12月21日の夜。
街に舞いはじめた小麦粉のような粉雪。
その小さい粉の1つ1つを照らし出す、商店街の街灯。
その中を慌ただしく往来する人々。
その雑踏の中に、今僕はいる。
◇ ◇ ◇
僕は今、高校2年生。
昨日で学校が終わり、冬休みがあまり意識しないままに始まったところだ。
今日は、昼間まで熟睡できたおかげですっかり身体が軽い。
これまでの勉強や部活で忙しかった日々が、さっと冷たく頭をよぎる。
今、こんなにのんびりしていても良いのだろうか? そう自問自答してしまうほどに、僕は本能のままに堕落した冬休みを過ごしていた。
……きっと冬休みぐらい、ゆっくり休んでも神様は怒らないさ。
これまで僕は夏休みからずっと心休まる事無く、バタバタした高校生活してきたんだから。たまにはこういう休みも必要なんだ。
そう自分に言い聞かせているうちに、冬休みの1日は足早に過ぎていく。
昼食を昼の2時ぐらいまでにゆっくりと食べ終えると、その後はコタツでのんびりとする。何かしたいなと思い自分の周りを見渡した時に、前からテーブルの端に置きっぱなしになっていた文庫本が目にとまったので、コタツの中に足を伸ばして寝転びついでにそれを読んだ。
さすがにこのままでは、気持ち良すぎて寝てしまいそうだ。そこで体勢を立て直し、コタツの上の籠に幾つか残っているみかんをほおばる。そのままボーッとしていて、ハッと気づくとあっという間に窓の外は暗くなりかかっていた。
冬休みの課題なんてのは、残り日数があと5日を切った時からでもやり始めれば良いだろう。
だけどこのまま、せっかくの冬休みの一日をだらだらと終わらせるのはもったいない。ここまで身体を動かさないと、かえって外に出たいな、という気分になってくる。そんな微妙な気分になっていた時、ちょうど母さんにおつかいを頼まれた。
ちょうど良い、行ってくるか。
外に出たいという気持ちは強いけど、ちょうど良いきっかけが欲しい、とは思っていたところだったから。
その時、すっかり気楽な腑抜けた気分になっていた僕は、母さんに何にも報酬を請求せずにそれを快諾した。
自分で言うのもなんだが、いつもは散々にしぶった挙句、小遣いねだりを始めるくせに。
そして、すっかり重装備に身を固めた後、僕は母さんの意外そうな顔をよそに悠々と家を出た。
母さんから頼まれたおせち料理の為の材料リストとその材料費の入った封筒、そしていつも通りに質量の軽い、自分の小銭入れを持って。
◇ ◇ ◇
まだ夕方だというのに、もう辺りはすっかり真っ暗だ。
街灯の光が届く部分にだけ、気づいたら降り始めていた粉雪が舞っている。
ひっそりとした住宅街を通り抜け、街外れの、等間隔に街灯が並んでいるだけの大通りに出る。この辺りは街の中心部からかなり離れているから、コンビニやガソリンスタンドぐらいしか目立つ建物が無い。
ちなみに、この道は僕の高校への通学路になっている。だから、見慣れた道だ。
でも今日はその見慣れた道でさえも新鮮だった。
対向車が時々僕を追い抜いていく。暗くなりつつある歩道の上を一歩一歩進んで行く時に、靴の裏に僅かだが雪を踏みしめている感触がする。
さらに、周りが異様なまでに静まり返っているので、まるで一度も通った事のない道を地図も無く1人で歩いているような気分だ。でも寂しくも無いし、怖くも無い。重装備のかいあって特別に寒くも無い。
何に対してか分からないが、このいつも通りの道の先を歩いていく事に、心がくすぐられるような何かを持って歩いている僕がいる。
いつもはこの道を見ても、疲れとけだるさを感じるだけなのに。
この大通りに沿って、30分ちょっと歩く。
すると、だんだんと足の先に薄ぼんやりとした光の集合が見えてきた。駅前の繁華街だ。
その光の集合に向かい、僕は無意識に足を急がせる。
すると、僕が進んで行くにつれて目の前の光の集合がだんだんと広がってきて、目の届く範囲いっぱいにきらきらとした明かりが満ちていく。
この気持ちは一体なんだろう?
どうしてワクワクなんてするんだろう?
今僕の目の前には、舞っている粉雪と暗い大通り、そしてこれまでと何にも変わっていなそうな駅前の明かりの群れがあるだけなのに。
けれど、今は深く考えないようにしておこう。野暮な事を考えなくても、今はこの気分に身を任せてみよう。
何かの甘い魔法にかかっているみたいな感じで気持ちが良いから。
駅前までそのまま大通りに沿って歩く。この辺りでは、車の交通量は結構なものになっている。
賑やかさを肌で感じながら、駅に行く手前2つ目の信号を右折。ここからは歩行者天国だ。
そして、色とりどりに光るアーケードの中を通り抜けたら、噴水広場に出る。
ここは、僕のおなじみの休憩スポットの1つだ。いつもこの辺りを通る時にはここでひと休みする事にしている。
でもその日の噴水広場は、いつもの見慣れたそれとは全く違う場所に見えた。
噴水の周りには、小さな豆電球が巻きつけられて、赤や青、緑や黄色に光っている。
その光たちが噴水の水面できらきらと反射して、噴水全体が、実物大の削りの粗い宝石の原石のように見える。
いつの間に、ここはこんなに幻想的な所になったんだ?
確か今日から3日前、終業式が終わった後に調子に乗って友達と深夜にゲームセンターへと繰り出したのだが、その時の帰りにもここを通ったはずだ。だけど、その時はまだここは街の中の普通の休憩スポットだった。
噴水の周りには、いつもはほとんど人がいないのに、今日はたくさんの人が集まっていた。
若い男女のカップルや、年配のおじさん、母親の買い物が終わるのを待って、噴水の周りを走り回っている子供たち。
今日はみんなが楽しそうに見える。
みんなの表情が、笑っているように感じる。
ところで僕は、ここに来る時にはいつも決まったベンチに腰を下ろす事にしていた。せっかくだしそのベンチに座り込み、ゆっくりして行く事にしよう。
僕はしばらく、通りの往来を目的も無く眺めていた。
すると、1組のカップルが僕の目に留まった。その幸せそうな様子を見ていると…… ついつい思い出してしまった。
中学校の頃の、僕の初恋を。
僕は今は好きな人はいない。
昔は、好きな人がいたんだけど、告白どころかろくにしっかりと顔を見つめる事さえできなかったんだ……
○ ○ ○
僕が中学校に入学したてだった頃、席替えで僕の隣になった女の子がいた。
名前はF。とっても笑顔が素敵な子だった。
その子は、
クラスではあんまり目立たなかったけれど、
むきになると何にでも一生懸命になっちゃう子で、
顔はあんまりかわいいとは僕は思っていなかったけれど、
誰にでも優しく接する事ができる子で、
静かでいつもは黙り込んでいたけど、
実は結構おしゃべりなところがあったりして……
ああ、あの子は今どうしているのだろう。
消息は全く聞こえてこない。
いつもいつも、顔を合わせてしまっただけで緊張してしまった。
中学の3年間、会話はできたけど内容は上の空で、自分が3分前に何を言ったかも覚えていない、といった状態だった。
僕がそんな感じだったものだから、彼女とは結局、話し友達になったかどうかで終わってしまった。
そして、最終的には恋心を伝えられないまま、彼女は僕とは別の高校に進学してしまったんだ。
中学の卒業式の前、教室で最後に話した時、
「いつか空いてる時間ってある?」
って言おうとしたら、
「いつか、また手が空いたときに会おう」
なんて意味不明なことを口走っていた。これなんて、悔やんでも悔やみきれない思い出だ……
でも僕は、『もしもあの時……』という類の事は、考えないようにしているんだ。
だってそうだろ? 終わってしまったものは後からではどうしようもないのだから。
けれど、やっぱり思わずにはいられない。
もしもあの時、もうちょっと良い言葉を僕が彼女にかけることが出来たなら、そしてもうちょっと勇気が出せたなら…… と。
◇ ◇ ◇
はっと現実に戻ると、せっかくのわくわく気分が解けかかっていた。周りの空気は変わっていないのに。
これまで、せっかく良い感じの甘い魔法にかかっていたのに、それが一気に覚めてしまった……
仕方ない、買い物済ませてさっさと帰るか。
僕はその後、慣れた足取りで目的のものを買い集めはじめた。
▽ △ ▽
その後、僕はいくつかのお店で適当に頼まれていたものを買った。
買い物が一通り済んだ後で店を出ると、少々醒めた感じで白い溜め息をついた。
随分心が寒くなってしまった。
さっきの温かかった心は何処へ行ったのだろう?
父さんや弟に買っていくクリスマスプレゼントは、また今度来た時に買う事にしよう。
今日買って帰ろうと思っていたんだけど、急に両手に持っていた荷物が重くなってきた。……それに何より、気分が向かない。
でも最後にあの噴水にはもう一回寄っていこうかな。
あれだけは、しっかりと目に焼き付けて帰りたい。
そして、僕は何気ない気持ちで噴水の広場まで戻って来た。
噴水は、まだ輝いていた。
そして、僕がその輝いている宝石を何にも考えずに眺めていると……奇跡が起きた。クリスマスの4日前にして。
あそこにいるのって、もしかしてFじゃないか?
目の前にクリーム色のコートを羽織り、赤い毛糸で出来た帽子をかぶっていたFがいた。
直感で分かった。あれは彼女だと。
目を凝らしてみても、幻じゃなかった。
僕の心臓の心拍数が急上昇する。足と手が震えてきて、どうにもならない。
果たして、正常な声が出せるか、その場で小声でうまく発声できなかったらどうしよう?
だけど、ここが勝負、正念場だ。
今日こそは、はっきりと思いを伝えてみよう。
2年前、清算し切れなかった想いを今こそ言葉にしよう、と。
僕は、勇気を振り絞って、恐る恐るFに近づいていった。
『え、あの、Fさん、ですよね? お久しぶりです。
……覚えてませんか? 僕ですよ、僕』
Fは、僕に気づいて一瞬表情を緩めた。
--良かった。どうやら間違いではなかったみたいだ!
だけど、世間って狭いものだ。まさかこんな所で本当に会えるとは。
冷静になって、自分の腕をつねってみた。だけど、目は覚めない。紛れも無く現実そのものだった。
現実である事を確認すると、僕はすっかり有頂天になってしまった。
けれども、その幸せは一瞬だった。
次の瞬間、僕は自分の目を疑った。
Fはその直後、慌てて表情を冷たくして、僕に対してそっぽを向いてしまったのだ。
背中に嫌な汗が流れる。
前までのFと、見たところぜんぜん変わっていなかったと思ったんだけど……
何か嫌な事でもあったのだろうか。
ま、僕の事を単に忘れているだけかもしれない。
でも、現実は非情だった。
『はい? 私って昔、Fって呼ばれていましたか?
……ていうか、あなたは誰ですか?
とにかく、私はあなたにFなんて呼ばれた事ありません。 ……他人ですよ、他人。
馴れ馴れしいです』
きっぱりと突き放された。
声も2年前と全然変わっていない。
昔、Fって呼ばれた事が無いって…… やっぱり他人なのか?
いや、声や姿からして、あの人は明らかにFだ!
でも、本当にあの人が本当に別人だったとしたら……
そんな、そんなはず無い!
でも、彼女がじゃあどうして僕に嘘をつくんだ?
単に、僕の事を忘れているだけではないのか?
それにしては、彼女の声は冷たすぎる。
中学時代の彼女は、たとえ見ず知らずの人でもあんなに嫌そうな声で返事したりはしていなかった。
じゃあ、僕は彼女に嫌われているのではないのだろうか?
僕は、それ以外の考え得る可能性を頭の中で必死に探した。
けれど、それは虚しく空回りするばかりで、何の解決にもならない。
どうすれば良いのか、何か僕が彼女に悪い事をしたのか、頭の中がぐるぐると大きく回り出して……
『すみませんでした! 人違いでした!』
僕はそう一言だけ彼女に残すと、その場を全速力で走り去った。
おつかいに頼まれたものを気遣いもせず、両手に持った袋と共に人ごみに逃げ込んだ。
この辺りは人通りが激しい。この街で一番人口密度が高い地域だろう。
その中で人にもまれ、人を押しのけ、アーケードを強行突破した。
かなり疲れたが、それでも気が済まない。
僕は、あの場を逃げ出す事しか出来なかった…… それが情けなくって、自然と溢れ出てくる涙を拭く事すら出来ない。
アーケードを出てからは、方向も考えずにつっ走った。
とにかく暗い方へ、暗い方へと走った。
今はがむしゃらに走りたかった。
そして、決して後ろを振り返りたくなかった。
涙が出てきそうになった。思いっきり、内容なんてどうでも良いから叫びたかった。
冷静に見れば、僕のとった行動はとても不可解なものだろう。
でも、僕は何も考えられなくなっていた。
僕はまだ、2年前の失敗を乗り越えられていなかったんだ……
◇ ◇ ◇
気が付けば、家の近所の公園まで来ていた。
息が続かない。もうこれ以上、走れない。
ジャンパーの下は汗びっしょりだろう。ここまで運動したのは久しぶりだった。
とりあえず、両手に持っていた荷物の無事を確かめる。
そして、こんな動揺した姿で家に帰るのもみっともないし、ブランコにぶら下がりながら少し考え事でもしていこうかなと思いついた。
夜の公園は静かだった。
シーンとして、誰も、何もいなかった。
粉雪がさっきよりもちょっと強くなってきた。このままだと、吹雪いてきそうだ。
考え事と言っても、当然だけど、Fのことだけしか頭に浮かんでこない。
走馬灯のように、Fの姿が頭の中をよぎっては消えていく。
その度に胸が圧迫されて、
とにかく何か形あるものを追いたくなってくる。
あれが本当にFだったのか、否か?
これが僕の頭の中のほとんどを独り占めしていた。
いろいろ考えた。でも、冷静な思考は到底できない。
試しに、頭の中で今起きていることを全て否定しようとしてみる。けれど、それは所詮この場しのぎで、逃げているだけだと重々分かっている自分がいる。自分で自分は騙せない。
かといって、今の状況を受け止めて、自分の胸のうちに秘めておく事なんてできっこない。
現に、それに成功していたならば、あそこでFに会ったとしても、あんなに動揺する事なんて無かったはずなのだから。
自分の進むべき道なんて、分からない。
ー耐え切れなかった。
とにかく、近所迷惑にならないように声を少々殺して吠えた。
気持ちをごちゃ混ぜにして。全ての物をなるべく一気に表現しようとして。
すると、それを全ては吐き終わった時、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
自分の中のパレットが、魔法のように、真っ白になっていく……
今思えば、Fとはもうこれから、二度と会えないかもしれない。
日本の上には、1億3千万人もの人間がいるんだから、その中でもともと出会えたのが奇跡だったんだー
僕はあの2年前、ラストのチャンスを逃がしてしまったんだ。
時間はもう戻らない。
過ぎてしまった事は仕方ないんだ。あれがFとの最後の面会だったとしても。
しかし、これからもしもどこかで会えるかもしれない……と、期待してこれから歩んでいくのは嫌だった。そんな事したって、自分が辛いだけだから。想いは届かないのだから。
だからこそ、今、はっきりさせたいんだ。とりあえず、今。
その方法は1つだけある……
今、かけがえのないこの時間に、もう一回あそこの噴水まで行こう。
そして、はっきりと確かめるんだ!
そして、本当にあの人がFなら……
あそこで、あの噴水の前ではっきりと言おう。言いたい事を。
そう決意すると、手始めに重く感じる頭を持ち上げてみた。俯いていても始まらないと思ったから。
僕はそれから、思いっきり駆けだした。
ここで後悔はしたくない。さよならなんて嫌だ!
来た道を大急ぎで戻っていく。
不思議な事に、今度は全く疲れを感じなかった。
街の明かりは変わらない。
でも、時間だけは確実に少しずつ進んでいく。
そして、進んでしまったものは、決して戻らない。
僕はやっと噴水のところまで戻ってきた。
先程から全く変わっていない輝きを周囲に放ちつづけている噴水のところに……
その正面に、笑顔で立っているFがいた。
『君なら来ると思ってたよ。ありがとう』
状況がさっぱり読めなかった。
『……さっきはごめん。
もうそろそろ東京行きの特急の最終がでるから、あの時はあと1時間しか時間が無かったんだ。
今はもっと時間が無いけどね。私、変だったよね。
……恐かったんだ、たぶん。
会えなくなるのが。
仲良くなった後の、別れの寂しさが。
私、実は今日が今年ここに帰ってくる最後の日だったんだ。
次に帰ってくるのは5年、いや10年後になるかもしれない。
私、君のことが好きなのかどうかいまだに良く分からないけど、一緒にいた時は楽しかった。
これは嘘じゃないよ。
もう終わりだけど、私、素直にいつまでたってもなれなかった。ごめん』
Fのホントの気持ちをはっきり聞いて、これまでの心の中のわだかまりがすっと解けていくようだった。
そういう事だったのか……
でも、嫌われてるんじゃなくて、良かった。本当に良かった。
無邪気に嬉しかった。
そしてもう一度、僕が言いたい言葉をぶつけてみようと思えた。
『空いてる時間ってある?』
思い切って、聞いてみた。断られた時の事は考えもせず、ただ自分に素直になって。
……これで、2年前の事がようやく決着した。
口に出してそれを言葉にした瞬間にそう思えた。たとえ、Fの答えがどうであろうとも。
Fの返事は、彼女のつけている腕時計がぴかっと光ってから3秒で返ってきた。
『あと電車発車時間まであと32分。ここから駅までは走れば数分で着くよね? 私は用事は特に無いよ。
30分間だけだけど、この辺りを一緒にぶらつかない?』
--僕にとっては、限りなくプライスレスな30分になるに違いない。
これまでの2年間で、限りなく。
やっぱり、帰りにクリスマスプレゼント、買って帰ろうかな?
粉雪はまだ降り続いていた。
読みにくかったでしょうが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。
勢いで書いてしまったので、これから修正は適宜加えていくつもりです。
プライスレス小説第一弾、書いていて結構面白かったです!また暇を見つけて第二弾を書こうかな、とか少し思っています。