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log56.海底へ

「すまん。まさかほんとにいかだ船を使わされるとは思わなんだ」

「なははは! ええねんねえねん、期待通りのリアクションやったで!」


 ぷかぷかと波間に揺れるいかだ船の上で、しょんぼりと肩を落とすセードーの肩を、ウォルフは笑いながらバシバシと叩いた。

 あの後、海に落下したウォルフを回収した闘者組合ギルド・オブ・ファイターズの面々は、入り江に浮いていたいかだ船に乗ってヴァナヘイムの沖合へと繰り出したのだ。

 申し訳程度の旗は立っているが、帆が張っているわけではないいかだ船。その動力はミツキが持つ〈水〉の属性であった。

 〈水〉属性のスキルの中に、水面に生まれる波の方向を操るというものがあり、それを駆使していかだ船の進む方向を決めているのだという。


「ただこのスキル、あくまで波の方向を操るだけですから、あまり重たい船を動かしたりできないの」

「だからいかだ船なんですね……」

「別のボートでもよくないか?」

「あたしもそう思ったんだけど、面積の問題からいかだ船が最適なんだと」

「絶対おっさんの趣味やで、これは」


 波間に揺れながらも一方向へとまっすぐに進むいかだ船。

 水平線の向こうへとヴァナヘイムの姿が隠れ、太陽が天頂へと到着した頃合いでゆっくりとその動きを止めた。

 波を操っていたミツキは、いかだの縁から水面を見下ろしながらポツリと呟いた。


「……さて、そろそろかしら」

「お。せやったら、降りますかいな」


 ミツキの言葉に、今日の狩場に到着したことを察してウォルフは楽しそうに腕を回す。

 サンもまた屈伸運動を始めながら、セードーとキキョウを見やる。


「おう、二人とも! 準備はいいな!?」

「は、はい!」

「うむ。とはいえ、想像のつかん世界ではあるがな」


 首元に下げた呼吸石のペンダントを撫でながら、セードーは興味深そうに海を覗き込む。

 濃い藍色に染まった海は底を覗くことができず、何とも言えない不気味さを醸し出していた。


「海の中で戦う、か」

「緊張しなくて大丈夫。もし、何かあっても私たちでフォローするから」

「は、はい。お願いします」

「フフ。それじゃあ、先に行ってるわね?」


 緊張したまま、キキョウは頷く。

 そんな彼女に微笑みながら、ミツキは先陣を切る様にいかだから海へと飛び込んだ。


「ミツキさん、やる気やなぁ。せやったら、ワイも!」

「遅れんなよ、二人とも!」


 そしてウォルフとサンも、ミツキに続くように海へと飛び込んだ。


「……いかだはそのままでいいのか?」

「さ、さあ……?」


 あまりにも無防備に飛び込むものだから、二人とも驚くポイントを逃して呆然としてしまう。

 とはいえ、いつまでもここでまごついているわけにもいかないだろう。


「……しからば」

「は、はい! すぅー……はぁー……!」


 セードーとキキョウは、大きく息を吸い込み意を決したように海の中へと飛び込んだ。

 大きな音を立てて水面が弾け、セードー達の視界は一瞬泡に塗れてしまう。

 重力に従い、そのまま水の中を落下していく二人は、すぐに己の視界に広がる世界に目を奪われた。


「わぁ……!」


 空に浮かぶ太陽が水面に輝き、海の中を煌々と照らす。

 その中を、色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいるのが見えた。

 支えるものもなく、ゆっくりと落下していく二人は、しばらく周囲の風景を眺めていた。


「ダイビングとはこんな感じなのか……」

「綺麗です……って、声、聞こえるんですね」

「まあ、ゲームだしな。チャットの応用だろう」


 呑気にそんな会話を交わす二人の上を、ゆっくりと大きめの回遊魚が泳いでゆく。

 遠くに群がっている魚の群れは同じ種類のものが集まっているように見えた。

 魚以外の、タコかイカのような生き物の姿も見えた。

 下に目をやれば、ランプか何かのように淡く輝くサンゴの姿もあった。

 そして、いち早く海の中に潜り込んだウォルフたちも、己に襲い掛かってくる大きな水生生物たちを相手に拳を振るい戦っていた。


「……もう始まっているようだな」

「ええっ!? あ、ホントです!」


 下の方へと目をやれば、ウォルフがスキルを発動しながら目の前に泳いでいたシャチのような生き物に攻撃しているところであった。


「サイクロォン、ナッコォォォォ!!」


 セードーに打ち込んで見せた竜巻が、水を逆巻き渦と化してシャチへと襲い掛かる。

 その少し上ではサンが、大きな甲羅を持った海竜と戦っている。


「うがぁ! まだ下に降り切ってないんだからあとにしろぉ!?」


 急いで下に向かって泳ぎながら、サンは襲い掛かってくる海竜の首に蹴りを打ち込んだ。

 八極拳は震脚と呼ばれる独特の発頸を用いる。踏みしめる大地のない水中では、十二分に力が発揮できないのだろう。

 そんなサンの姿を尻目に、ミツキが優雅に泳いで大タコの触手から逃れていく。


「フフ。こちらですよぉー?」


 彼女の周辺に海流が生まれているのが見える。いかだを動かしていたスキルは、本来こうやって使うものなのだろう。

 大タコは必死に触手を伸ばしてミツキを捉えようとするが、人魚のようにミツキはそれを潜り抜け、大きく腕を振るい大タコに海流の塊を叩きつけた。


「水球打ッ!」


 コォン!と水の中に音が響き渡るのと同時に、大タコの動きが止まる。どうやら、一撃でノックアウトしてしまったようだ。


「むぅ。さすがだな」

「は、はい……って、セードーさん!!」


 華麗な……一部はそうとも言えないが、ともかく先達たちの戦いに感心していたセードーは、キキョウの悲鳴に対し、振り向くことなく腕を突き上げる。


「チエィ!」


 正拳突きの螺旋の動きを伴った拳は、振り下ろされた大きな鋏の横に滑り込み、セードーへと襲い掛かった一撃を弾く。

 そのまま振り返ると、セードーの体より大きなカニが、もう一方の鋏を突き込もうとするところであった。


「ヤッ!!」


 その一撃はキキョウが突きだした棍によって捌かれる。

 カニは口と思しき箇所からブクブクと泡を吹いて怒りをあらわにした。


「カニ……は、海底を進むものと思っていたのだが」

「私もです! って、そんなこと言ってる場合じゃ……!」


 カニの口元の泡はその数を増し、そしてセードーとキキョウに向けて一気に放射されてた。

 セードーとキキョウは後退しようとするが、やはり海中ではうまく距離を離すことができない。


「わ、わっ!」

衝撃砲(インパクトカノン)!!」


 カニの泡が触れようとした瞬間、セードーは衝撃砲(インパクトカノン)を発動し、自分たちに迫ってきた泡を相殺する。

 本来はそのままカニの甲羅を打ち据えるはずの衝撃砲(インパクトカノン)は、そのままセードー達の目の前で円形に広がっていくばかりであった。


「海の中だからか……? 抵抗のせいで、うまく衝撃が飛んで行かんのか……?」

「動きづらいです……! セードーさん! とにかく下へ!」

「むぅ、そうだな」


 セードーはキキョウの言葉に従おうと、下に向かって泳ごうとする。

 だが、カニの方が動きが早い。泡を発射した口元から海水を取り込むと、背中か尻から取り込んだ海水を噴射し、猛然とセードー達の方へと突き進んできた。

 その速度は、セードー達が泳ぐよりはるかに速い。


「くっ……!」


 セードーは足を使ってカニの突進を捌こうとするが、海水を纏った足はうまく動いてくれない。

 固い甲殻を纏ったカニの巨体が、セードーとキキョウの体を弾き飛ばした。


「ぐぉっ……!」

「きゃぁ!?」


 セードーは足で、キキョウは棍で何とかその一撃を受ける。キキョウの手にした根は一撃でへし折られてしまい、セードーは足こそ折れることはなかったが受けた衝撃によってその場から弾き飛ばされてしまう。


「う……! セードーさん!!」


 新しい棍を取り出しながら、キキョウはセードーの方を見やる。

 カニは再び海水を取り込み、無防備なセードーに向かって再び猛進する。

 セードーはカニの突進に対し、首に巻いていたマフラーを素早く外し、己の前でピンと伸ばす。

 そのマフラーに向かってカニが猛然と体当たりを敢行する……が、セードーの体にその衝撃は届かない。

 まっすぐに伸ばされたマフラーがかろうじてクッションのようにカニの体を受け止め、セードーの身を守ったのだ。

 だが、勢いは殺せない。セードーはそのままカニの体当たりに連れられて海面の方へと上がってしまうが。


「ふっ……!」


 カニの甲殻に足を叩き込み、海底へ向かってなんとか跳ぶ。カニはセードーがいなくなるとすぐに動きを止め、再び海水を取り込む。

 その間にセードーは、空中歩法(エアキック)を駆使して海底へと急ぐ。

 キキョウもまた、ゆっくりとではあるが海底へと向かい、何とか着地する。


「キキョウ、ダメージは?」

「ないです! カニ、来ます!」


 棍を構えるキキョウの言葉通り、カニが凄まじい勢いで二人の元へと突っ込んでくる。

 セードーは拳を引き、キキョウは棍を回転させる。


衝撃砲(インパクトカノン)!!」

「やぁぁぁ!!」


 セードーの衝撃砲(インパクトカノン)とキキョウの閃衝波(ソニックブーム)がカニの巨体を迎え撃つ。

 固い甲殻を打ち据える甲高い音が響き渡り、カニの勢いが多少殺される……だが、止まらない。


「ちぃっ!?」

「きゃぁっ!」


 二人の間をすり抜け、カニの体が海底へと衝突する。

 爆音と同時に砂が舞い上がり、カニの姿が隠れてしまう。

 セードーとキキョウが油断なく構えると、ギチギチという音を立てながらカニが砂ぼこりの中から姿を現した。

 威嚇するように大小二振りの鋏を振り回すカニの頭上には、バトルクラブと表示されていた。そのレベルは31。二人の今のレベルより、若干高い。


「格上が相手か……」

「不足ありません!」


 ギチリと拳を握りしめるセードーと、棍を振るうキキョウ。

 カニはそんな二人に答えるように鋏を振り上げ、まっすぐ走って向かってきた。


「セェイ!!」

「ヤァッ!!」


 向かい来るカニを迎え撃つべく、二人は己の武器を振るう。

 だが、遅い。普段の二人を知るものが見れば、その一撃はあまりにも遅かった。間合いに入ったカニの体を、二人の攻撃は捕えられない。

 対しカニの動きは早い。あっという間に間合いを詰めると、二人の頭上に向けて二つの鋏を叩きつけてきた。


「くっ!」

「はぁっ!」


 二人は振り下ろされた鋏を受け止めず、捌き躱す。

 鋏は海底を虚しく叩き、鋭い斬撃痕を残した。

 カニから何とか距離を取りつつ、セードーは唸り声を上げる。


「水の抵抗が強い……! これは想像以上にきついな……!」

「棍もいつもより重いです! こんなの初めてです……!」


 ぐるぐると棍を回しながら、キキョウは顔をしかめながら呟く。

 カニは普段の実力を出せないでいる二人に向かい合い、引っ切り無しに鋏を振り上げる。

 その動きはいっそ軽やかと言えるほどだ。水中の生活に適応しているだけあり、カニの動きには無駄がない。

 二人はカニを見据え、静かに呟く。


「――だが」

「――はい」


 そして、その口元に笑みを浮かべる。

 獰猛で、凶悪な、獣のような笑みを。


「だからこそ、修練になる。こんな状況、めったにあり得ん……!」

「水泳が良いスポーツというのも納得です……。全身、くまなく、鍛えられます……!」


 まったく意気地が削れていない二人を見て、カニが何を思うのか。

 少なくとも、カニに意志か感情があれば、迷わず逃げだしたかもしれない。

 だが、ただのモンスターであるカニはまっすぐに二人に向かって駆け出した。

 二人もまた、カニを打ち倒すべく海底を蹴って駆け出した。




なお、バトルクラブの身は食べられないが、ミソは絶品の模様。

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