log52.彷徨うエイス
ミッドガルドより西側へ進んだ場所に、ムスペルヘイムと呼ばれる街がある。ここは人魚を初めとする水棲亜人が暮らすヴァナヘイムと異なり、狼男やヴァンパイアといった、いわゆる伝承の化け物たちが暮らす街だ。その中にはゾンビやミイラといったアンデット達も含まれる。ムスペルヘイムに暮らす者たちは人間に好意的であり、その多くは錬金術を初めとする薬学に通じている。生の恩恵を得られぬ身体を、超常の薬物によって保っている、というわけだ。
ミッドガルドよりもはるかに発達した薬学……その根底を支える多くの素材を採取するためには、ムスペルヘイム周辺の濃霧の中を進まねばならない。不老不死を実現するキノコ、生者を一瞬で死者へと帰る毒草、あるいは辺りの環境を一変してしまうような木の実……それらは全て、濃霧の奥へと隠されている。プレイヤーたちはムスペルヘイムの住民たちよりそれらの情報を得ることで、より強力なポーションを作ることができるというわけだ。
そして当然、それらの強力なアイテムを手に入れるためには相応のレベルのダンジョンを乗り越える必要がある。視界さえはっきりとしない濃霧の中に隠された、不気味なダンジョンは、天然のホラーハウスであるとも言われる。
歴史において語られることのない古戦場、名もなき疫病に犯し尽くされた廃村、ポツリとただそれだけで存在する巨大墓地……唐突に現れるそれらは、ムスペルヘイム地域に挑むプレイヤーたちの心臓を直撃し、不安を煽りたてるのである。
そして今日もまた、一人のプレイヤーがムスペルヘイムにあるダンジョンの一つ“彷徨う共同墓地”に挑んでいた。
規則性もなく立ち並ぶ大量の十字架型の墓の中心で、一人の少年が咆哮と共に銃火を瞬かせる。
少年が手に持つ銃砲が火を噴くたびに、彼を包囲するゾンビの体に穴が開き、肉が裂け、骨が砕ける音が不気味に広がる墓地に響き渡った。
「うおりゃぁぁぁ!!」
叫びながら手にした銃砲の引き金を引く少年。彼が持つ武器は重機関砲と両手持ち用の片刃バスターソードを組み合わせた創作武器だ。
このゲームにおいて、このような創作武器は珍しくない。ワイヤーとナイフを組み合わせたワイヤードナイフのような単純なものはもちろん、この少年が持つバスターソードと重機関砲を組み合わせた銃剣機関砲や、高出力のビーム刃を発する光刃剣など、スキルとアイデアさえあれば自らの想像力の赴くままに新たな武器を作成することができる。武器とは運営が用意するものではなく、プレイヤーが生み出すものである、というのは数あるVRMMOの中でも、イノセント・ワールドにしか見られない特徴であり、このゲームが他のVRMMOと一線を画している理由の一つでもあるのだ。
少年が噴き出す銃火の中を、痛みを知らぬ死者であるゾンビたちが押し寄せる。
銃剣機関砲から発射される弾丸は一撃でゾンビたちを粉砕してゆくが、剣も兼ね備えるという構造上、あまり大きな弾倉を取り付けられない。対し、ゾンビたちは無尽蔵と言わんばかりのポップし続けていた。
故に。
ガキンッ。
銃剣機関砲の弾切れは、必然であった。
「っ!」
少年は息を呑み、そんな彼に向かって一人のゾンビが一気に接近する。
うめき声とも叫び声ともつかない咆哮を上げながら接近してくるゾンビに向かい、少年は慌てず銃剣機関砲を持ち替え、剣の刃をゾンビに叩きつけた。
「おりゃぁ!!」
ゾンビの体があえなく斬壊される。
勢いのまま、少年は接近してくるゾンビを何体か切り捨てながら、新しい弾倉を銃剣機関砲へと叩き込む。
「っしぃ! 再装填完了!!」
そして素早く銃剣機関砲を持ち替え、再び銃火でもってゾンビを撃ち砕き始める。
「おらおらぁ!!」
銃剣機関砲によってゾンビを粉砕しながら、少年は移動し、ゾンビによる包囲網を抜ける。
このダンジョンの雑魚モンスターであるゾンビは、ほぼ無制限にポップする。そのため、立ち止まって全滅しようとすると、先にプレイヤーの方が消耗してしまうのだ。レベリングに持って来いと言えなくもないが、ゾンビは何のアイテムも落とさず、個体としては大した能力を持っていないため得られる経験値も他のダンジョンの雑魚モンスターに比べて低めに設定されている。ここで粘るくらいなら、さっさとボスまで駆け抜けた方がお得である。ここのボスであるキングゾンビ(あるいはクイーンゾンビ。どちらが出るかはランダム)は、倒せばなかなか良質な換金素材をドロップしてくれるのだ。
一人、銃剣機関砲を手に墓地を駆け抜ける少年もまた、ボス回しによる資金稼ぎにやってきたプレイヤーの一人だ。
今日はたまたま友人たちがログインしておらず、待っている時間ももったいないと一人“彷徨う共同墓地”に挑んだのだ。
ゾンビを打ち砕き、ひたすら先へと進む少年。
幾度かこのダンジョンを攻略したことがあり、その足取りも迷いがない。
「ッと、確かこの辺りの墓を――」
また一体ゾンビを斬り伏せながら、少年は一つ一つ墓を検めてゆく。
壁も扉も特殊な仕掛けもないこのダンジョン、ボスに到達するには無数に乱立する墓を確認する必要がある。
ランダムに立ち並ぶそれらに、どちらの方向にボスが眠る墓が存在するかが示されており、それらの墓が示す方向へと進む必要があるのだ。
少年は進行方向を示す墓を確認し、そちらへと駆け出してゆく。
先へ進めば、今度はゾンビウォーリアーと呼ばれる、武装したゾンビが出現する。
一般ゾンビと違い、一度の探索での出現数に限界のあるこれらのゾンビの出現は、ボスへと確実に近づいてきていることを示していた。
「っし! ここまでくれば――!」
少年は笑顔でゾンビウォーリアーを粉砕し、ドロップされたアイテムを回収しながら先へと進んでゆく。
そんな、彼の眼前に。
ずにゅるっ!!
気味の悪い水音共に、巨大な黒い液状のナニかが現れた。
「っ!?」
少年は銃剣機関砲を目の前の液状の物体に向けるが、引き金は引かなかった。とてもではないが、銃弾が通用するような生き物?には見えない。
黒いナニかはずにゅるぐにゅると形を変えながら、辺りの墓を飲み込みつつ少年へと向かってくる。
……少年の記憶ではこのダンジョン、ひいてはムスペルヘイム地域は、スライム系モンスターの生息地域ではないはずだ。
さらに、彼の目には……注視したモンスターに対して出現するはずの、モンスターの情報が一切写らなかった。
「レアエネミー……! マジかよ!?」
戦慄と共に、少年は大きく飛びのき黒いナニかから距離を取る。
レベルの高い廃人たちにとっては自走式宝箱でしかないレアエネミーも、一般のプレイヤーにしてみれば自然災害となんら変わらない。
パーティを組んでいればともかく、ソロで挑むには危険すぎる相手だ。種類にもよるが、大抵のレアエネミーはプレイヤーのレベルに合わせて能力が変わる。より正確には、初遭遇のレアエネミーはプレイヤーの現在のレベル+10のレベルで現れるのだ。
少年の視界にモンスターの情報が出ない、ということはこのモンスターのレベルは少年をはるかに凌駕している証拠だ。迂闊に飛び込めば、一撃死もあり得る。
「見たことない種類だけど、スライム系なら……!」
少年は通常弾が入っている弾倉を引っこ抜き、代わりに液状のモンスターに効力の高い凍結弾の入った弾倉を叩き込む。
基本的に銃のように何かを射出する武器は、射出する何かが武器としての威力を決める。武器の種類によってはある程度の制限がかかるが、重機関砲クラスの口径であれば、一通りの弾頭を射出することができるのだ。
「喰らえぇ!!」
少年が叫ぶのと同時に、空気を凍てつかせる高音と共に無数の凍結弾が射出される。
蒼い尾を引きながら突き進む凍結弾は、黒いナニかに衝突し、棘のように凍てつく氷をその体に張り付かせる。
……だが、数秒後にはその氷が黒いナニかの中へと吸収されてしまった。
「いっ!? こ、凍らないのかよ!!」
スライム系モンスターを倒す常套手段である“凍結”が効かないことに愕然となる少年。
黒いナニかは攻撃されたことに気が付いていないかのように、少年の元へと近寄ってゆく。
「っと、えーっと!? なんだ、何が効くんだこいつは!?」
少年は焦り、慌ててインベントリを開く。
一通りの弾種を持ってきてはいるが、なるべく無駄なく試したい。これらの特殊弾頭にかかるコストは、結構なものなのだ。
その迷いが、少年にとっては命取りとなった。
ある程度彼に近づいた黒いナニかは、一瞬だけ動きを止め……。
グアァッ!!
津波か何かのように体を大きくうねらせ、少年を飲み込むように伸び上がったのだ。
「!? う、うわぁぁ!!」
思わず叫び、腕でもって頭を庇う少年。だが、あまりにも非力すぎる。
少年の体どころかその周囲に立つ墓さえ飲み込まんとする黒いナニかは、彼の体にのしかかり――。
「凍てつけっ!!」
唐突に響き渡った少女の声とともに、その身をギシリと凍らせてしまった。
「うぉっ!? え、詠唱破棄!?」
詠唱破棄。言葉の通り、魔法に必要な詠唱……つまりチャージタイムを省略し、発動するスキルのことだ。
レベルMAXで、今のようにたった一言で魔法の効果を発動することができるようになる。
慌てて凍りついたレアエネミーの下から這いずりだしてきた少年は、ゆっくりとこちらの方へと近づいてくる蒼い少女の姿を見る。
「あ、あれは……!?」
「………」
絶対零度の眼差しで、凍りついた黒いナニかを見据える少女の姿を、少年は知っていた。
「え、エイス・ブルー・トワイライト……!? ほ、本物かよ……!?」
戦慄と共に名を告げられた彼女……エイスは少年には見向きもしない。
確かに凍り付いたが、それでも少しずつ自らの体を覆い尽くしている氷を溶かし始めている黒いレアエネミーを見据え、そしてポツリとつぶやく。
「……違う、こいつじゃない」
「え? こ、こいつじゃない?」
エイスのつぶやきの意味が解らず、少年は問いかけるように声を上げた。
「ど、どういうことだよ? あんた、このレアエネミーについて――」
少年はエイスに声をかけるが、エイスはその声を無視する。
すでにこの場に興味はないと言わんばかりに少年とレアエネミーに背を向け、立ち去るように歩き始めたのだ。
「いったいどこに……いえ、何をしているというの……! とっとと姿を見せなさいよ……!」
「お、おい! ちょっと待ってくれよ!!」
苛立ちを隠そうともせず、憎々しげに吐き捨てながら霧の中へと消えていくエイス。
少年は何とか呼び止めようと叫ぶが、エイスがその声に答えることは、結局なかった。
「……くっそ! なんなんだよ一体……」
少年はエイスの態度に吐き捨てるように呟き。
ぐじゅるっ。
「っ! しま――!?」
自らの置かれている状況を、すぐに思い出す。
慌てて逃げようと足を動かすが、時すでに遅く。黒いナニかにのみ込まれてしまった。
体を飲み込まれた少年は、レアエネミーの体の中でしばしもがいていたが、頭上に輝くHPバーはすぐに消滅し、少年の体もまたどこかへと消える。
そうして霧に埋もれる墓地に残されたのは、不気味な水音を立てつづける、黒いナニかだけとなったのであった。
結局彼が黒いレアエネミー、“コールタール・スライム”を撃破することができたのは、仲間と合流した後のことであった。
なお、コールタール・スライムは上質な燃料をドロップする模様。




