log45.ボクシング
「チィッ……!」
セードーとの拳を打ち合いに焦れてきたらしいウォルフが、舌打ちを一つ打つとともにその動きを変える。
まっすぐ拳を打ちこむことを止め、セードーへと一気に接近したのだ。
「あ……!」
誰かが息を呑む声が聞こえる。
一瞬でセードーと間合いを詰めたウォルフは、そのまま彼の体を抱きしめるように接触―-。
パァン!!
するかに見えた瞬間、その体が大きく弾き飛ばされ、後ろへとすっ飛んでいった。
「え? へ?」
誰もが予想だにしなかった結果に驚く中、腕を十字に交差して組んでいるセードーに向けて、ウォルフは体勢を立て直しながら獣のような笑みを向ける。
「やるやないか、セードー……!」
「そちらもな」
静かにウォルフの言葉に答えたセードーは再び天地上下の構えを取る。
ウォルフもそれに応えるようにファイティングポーズを構え、セードーの出方を窺うようにステップを踏み始める。
戦いは第一局面を終え、第二局面へと移行し始める。
「……何があったの、今」
先ほどいったいどのような攻防があったのか、それぞれに推測し合い始める群衆と同様、何があったのか理解できなかったレミが、コータの方を見ながら問いかける。
「今、ウォルフ君がセードー君に一気に近づいたよね……? あれって、何?」
「いや僕もはっきりとは……」
隣に立つレミに問いかけられたコータは、困ったように親友へと視線を向ける。
「リュージ。今のは……?」
「ああ? 何とも言えねぇな、ありゃ」
リュージは渋い顔のまま、唸り声を上げる。
「最初はクリンチか何かかと思ったんだが……拳握って、両脇狙ってたな。嫁、俺にはショートアッパーに見えたんだけどどうよ?」
「嫁っていうな、嫁って。……私にも、そのように見えた。あんなので十分な威力が出るものなのか? セードーの反撃を考えると、リスクが多い気がするんだが」
「俺もそう思うんだが、あのスピードだからなぁ。不意打ちではいりゃ息くらいは詰まるだろうし……効果はあるのかもな」
呆れたようにリュージはため息を突いた。
「まあ、セードーの反撃も大概だったけどな」
「あの、ウォルフ君が吹っ飛んだアレ? あれって、セードー君の攻撃だったの?」
「おう。ウォルフのアッパーが決まる一瞬前に、十字受けでウォルフの体を受け止めてたな」
「ただし、触れ合った瞬間に全身の筋肉を絞め、わずかに前進した。その衝撃で、ウォルフの体を吹き飛ばしたのだろう」
「ん? んー……?」
リュージとソフィアの説明を聞き、コータもレミも首を傾げてしまう。
十字受けは、仕切り直す前にセードーが取っていた構えだ。文字通り、腕を交差し十字の形で相手の攻撃を受け止める防御の構えだが、これは上段への突きなどに対応する構えだ。決して相手の体を吹き飛ばすような、攻撃的な構えではない。
防御で持って攻撃を行うという不可解な解答に悩む二人に、巫女服の女性が助け舟を出した。
「彼……セードーさんは、受けるために引いたのではなく、受けて押し返したんですよ」
「受けて……押し返した?」
「はい。中国武術の技術に発勁と呼ばれる技術があるのですが、彼が今行ったのはそれに近い技ですね」
「古いとこだと、リー老師のワンインチ・パンチなんかが有名だぜ。老師の拳はワンインチしか動かなかったのに、大の男を何メートルも吹っ飛ばしたのさ」
続く中華服の少女の説明を聞き、コータが目を輝かせた。
「あのアクションスターの!? あの技と同じ原理なんだ!」
「もっと詳しくいやぁ、違うもんだと思うけど、おおむねあんな感じだろ」
「そうなんだ……!」
「コータ君、なんだか楽しそう……」
自分も知っている例えを出され、がぜん目が輝きだすコータを、遠い眼差しで見つめるレミ。
そんな彼らの様子を余所に、ウォルフがセードーへ向けて少しだけ前へと動いた。
「……なあ、セードー」
微かに間合いを狭めながら、ウォルフはセードーへと問いかけた。
「なして、蹴り技をつかわへんのや? 空手には手技だけやのうて、足技もあるやろ? なんでそれを使わへんのや?」
「………」
ウォルフの疑問に、セードーはしばし沈黙を返す。
彼の言うとおり、空手にも蹴りはあるし、セードーも蹴り技を良く使う。
だが、先の攻防の際、セードーは一度も蹴りを放たなかった。
無論、蹴りを警戒したウォルフが蹴りを放たせなかったというのもあるが、それ以上にセードー自身が蹴りを封じて戦っていたように、ウォルフは感じたのだ。
セードーはしばらく考えるように押し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「……先に行ったように、俺はボクサーと一度戦ってみたかった。拳だけを持って、敵を倒し、己の力を試す武術……。殴るという技術に関して、ボクシングほど洗練された武術もないと俺は考えている」
「嬉しいこと、言うてくれるやないか」
セードーの言葉に嬉しそうに笑いながら、ウォルフは一歩前に出る。
岩のように動かないセードーは、そのまま言葉を続けた。
「……だからこそ、俺の拳がどこまで通用するか試してみたかった。空手は、その名の通り、空となった己の手を武器に戦う武術だ。この拳が、それを振るう専門家たるボクサーに通じ得るのか……試したかったのだ」
「なるほどなるほど……そういうわけやったか……」
セードーの答えに、ウォルフは笑みを深める。
それは、先ほどの嬉しそうなものではなく、肉食獣を思わせる凶悪な、牙を剥いた笑みだったが。
「せやったら……負けるわけにはいかへんよなぁ!?」
一声吠えたウォルフは、インステップで一気にセードーへと詰め寄る。
そして左腕を大きく引き。
「散弾打ちゥ!!」
拳が無数に見えるほど素早く、連続で突きだした。
狙いはつけられていないが、数が多く捌き切れそうもない大量のジャブがセードーへと迫る。
「コォォォ……!」
セードーはジャブが迫る一瞬、素早く拳を引き。
「螺旋・貫空・正拳突きぃ!!」
迫るジャブの嵐を引き裂くようにまっすぐ拳を打ちこんだ。
螺旋を描くセードーの正拳はジャブの中を突進み、ウォルフの顔面へと迫る。
「うぉ!?」
それが当たる直前、ウォルフは何とか拳を回避する。
セードーに何発かジャブが当たっているが、致命傷には程遠い。
「強引なやっちゃな……! シャラァッ!」
ウォルフは顔をしかめつつ、右ストレートを放つ。
セードーは左中段受けで捌き、再び正拳突きを打ち込んだ。
「チェイッ!」
「おおっと!」
ウォルフはその一撃を片足を軸に回転しながら回避する。
……そしてそのまま、左拳を遠心力で振るい、セードーへと向き直りながら打ち込んだ。
「シャラァァァ!!」
「ッ!」
ボクシングにおける禁じ手、ピボットパンチ。
旋回の勢いを得た必殺のブローが、セードーのボディへと容赦なく突き刺さった。
「うわぁ!? セードー君、もろに喰らった!?」
深々とセードーの腹に突き刺さったウォルフの左手を見て、レミが思わず悲鳴を上げる。
セードーの体箔の字に折れ曲がり、顔は俯かれよくわからない。
流れるような攻防からの、突然のフィニッシュに、周囲の群衆も戸惑っているようだった。
先ほどウォルフが放ったピボットパンチを見て、ソフィアは顔をしかめた。
「あの技……確かボクシングではルール違反ではなかったか?」
「だったなぁ。体を回す遠心力を受けての一撃だから……っつーより、ナックルパート以外を使うからかね? まあ、今のウォルフの一撃、きっちりナックルパートを打ち込んでるわけだけど……」
ウォルフの今の回転であれば、ピボットパンチは右手になる。左手でパンチを放っているからルール違反にならない……というのは言い訳にもならないだろう。
「……それに、これはゲームの決闘です。決闘の中で明文化されているルールは、相手を打ち倒すことができれば勝者であるということだけ……ウォルフ君のあの一撃が、ルール違反であるというのは話が違うでしょう」
「だなぁ。あれがルール違反だってんなら、スキルの使用も制限つけるべきだろ」
「……わかっているさ。だが、あそこまでスマートに使いこなしてみせるということは、彼が日常的にあの技を使っていることにはならんか?」
巫女服の女性と中華服の少女の言葉に、ソフィアは眉をしかめながらも同意した。
それから、黙ったまま二人の戦いの行く末を見守っているキキョウの背中を見る。
「……そんな男と戦い、そして負けてしまうなど、セードーのことを――」
「まだです」
セードーの負け、という言葉に反応し、キキョウははっきりとそれを否定した。
「まだです。まだ、セードーさんは負けていません……」
「負けてないって……キキョウちゃん。あれだけ深く殴られてたら、さすがにセードーも……」
キキョウの否定の言葉に、コータは彼女を慰めるようにそう言葉を口にした。
キキョウの言葉は、セードーの敗北を認めたくなくてそう口にしているように、コータには聞こえたのだ。
彼女を何と言って慰めるか。それを悩むコータに、リュージが声をかける。
「キキョウの言う通りっぽいぞ、コータ?」
「……え?」
リュージの言葉にそちらを向くと、リュージは顔をひきつらせてセードーを見つめていた。
「……っていうか、あの状況でよくもまあ、あんな受け方するよな……」
「え、どういう意味さ……?」
コータが慌ててセードーの方へと視線を向けると、セードーがゆっくりと顔を上げるところであった。
セードーが顔を上げ、群衆が驚きの声を上げる。
今のウォルフの一撃で、完全に沈んだと思っていたのだろう。それだけの勢いと威力のある一撃であったのは間違いない。
ウォルフ自身も、決まったものと考えていた。勝利の愉悦に、笑みまで浮かべた。
だが、その笑みは今や完全に凍り付いていた。
「セー、ドー、おま、どういう……!」
うめき声を上げるウォルフにセードーは静かに答えた。
「あのタイミングの裏拳打ち……さすがに肝が冷えた」
「ようゆうわ自分……! こないな受け方しよってからに……!」
言ってウォルフが身を引こうとするが、その体は動かない。
何らかの状態異常に罹っているわけではない。そもそも、そんなスキルをセードーは持っていない。
セードーはゆっくりと体を起こしながら、全身に力を込める。
「本来はそのまま槍の穂先を破壊するための技なのだがな……さすがに、頑丈だ」
「折られてたまるかぁ!?」
思わずといったように叫ぶウォルフ。そして、体を起こし上げたセードー。
両者の間を見て、群衆が息をのんだ。
「受け止めてる……!? あの一撃、受け止めてやがる!!」
セードーの両腕が、ウォルフの腕を挟み込むような形で先ほどの一撃を受け止めていたのだ。
ちょうど、ハサミで紙を切るような感じでわずかに互い違いになっているセードーの腕は、ウォルフの腕をへし折らんとするかのようにギリギリと力が込められている。
腕に受ける微かな痛みに顔をしかめながら、ウォルフは何とかその拘束から逃れようと足掻く。
「くぉぉぉ……!?」
だが、動かない。
腕に感じる痛みはそう大きなものではないが、このゲーム、よほどの重傷でなければ痛みという信号すら感じない。モンスターに殴られたとしても、大げさな衝撃が伝わる程度なのだ。
それが痛みを感じるほどにきついとなると、リアルであればへし折れているほどの力がかけられているということになる。
「こ、な、く、そぉぉぉ!!」
そこから抜けるべく、ウォルフは残った右腕を振るい、セードーへとストレートを放った。
セードーはウォルフから腕を放し、彼の一撃を回避する。
「くっそが! 今度こそ沈める……!」
バックステップで距離を取るウォルフはファイティングポーズを取った。
だが、視線を向けた先に、セードーの姿がない。
「!?」
慌てて周囲に視線を向けるウォルフの頭上に、影が差した。
「上――!」
そちらの方を見ることなく、ウォルフはアッパーを放ち、セードーであろう影を迎撃する。
だが、彼の腕が砕いたのはセードーではなく、どこからか切り取られた地面の一部であった。
「―――見事だ、ウォルフ」
「………!!」
背後から聞こえてくるセードーの声に、ウォルフの背筋が凍る。
いつの間にか、背中を取られていた。その事実に。
「ボクシングの……ボクサーの強さ、堪能させてもらった。次は俺の――」
「ッ!!」
最後まで聞くことなく、ウォルフは素早く後ろに立っていたセードーを殴ろうとする。
だが、放ったストレートは、虚しく空を切るばかりだ。
「――我が流派、外法式無銘空手の真髄を、堪能させてやろう」
「ッ!!」
また、背後から声が聞こえてくる。
ウォルフは、慌てて振り返った。




