log31.髪飾り
バラバラと。音を立てて、邪影竜の肉体が崩壊していく。
「カハァー……」
戦いを終えたセードーは、ゆっくりと息を吐き出して気を落ち着かせる。
……そんな一瞬の隙を、死にかけた邪影竜の本体は見逃さなかった。
―シュァァァ……!!―
叩き込まれた右拳を這い、邪影竜はセードーへと襲い掛かる。
もはや影の肉体を構成する力もなく、ただその口元に生えた小さな牙をセードーの右目へと食いこませるばかりだ。
「っ……!」
右目に走る衝撃と、視界がつぶれた感触を受け、セードーは微かに顔をしかめる。
幸いなことに、超人薬の効果がまだ残っていたおかげで、ダメージはなかった。
そのまま瞳を食い破り、セードーの体内へと入り込もうと暴れる邪影竜。
その存在を余すことなく受け止め、セードーはゆっくりと溢した。
「……感謝しよう、邪影竜」
セードーのその言葉を受け、邪影竜の動きが、止まる。
「お前という存在があったおかげで、俺はまた一つ強くなれた」
邪影竜の擬態が、砂のように崩れていく。
それを見、そして瞳を閉じ、セードーは邪影竜へと語りかける。
「もう一度、言葉にしよう。――感謝する、邪影竜。誇りある、竜の末裔よ。お前が生まれてくれて……俺は嬉しかった」
セードーのその言葉を受けた邪影竜の瞳の色が、微かに変わる。
次の瞬間、セードーの超人薬の効果が切れるのと同時に、邪影竜の肉体が完全に消滅した。
自らの右目を食い破ろうとしていた存在が消滅したのを感じ、セードーは邪影竜がついさっきまで喰らいついていた右目を押さえる。
「……逝った――」
小さく呟こうとした瞬間、ぐらりと体が傾ぐのを感じた。
「う、お……?」
残った左目の視界もブラックアウトしていく中、その端の方に《注意! 重傷の状態異常により、一時的に半ログアウト状態になります!》という表示がされているのを見えた。
(ああ……そう言えば、今、俺は重傷だったな)
HPが1しか残っていないこと、斬り飛ばされた左腕がまだないことを確認し、セードーの意識は闇の中へと堕ちていった。
周囲の爬虫類亜人がボロボロと音を立てて崩れるのを見て、アラーキーが喜びの声を上げた。
「お……おお!? セードーがやったか!?」
「セードーさんが!?」
使い潰しつづけ、五本目の棍を取り出すキキョウが、急いでセードーの方へと視線を巡らせた。
朱いオーラを迸らせる背中を見せる彼の目の前で、邪影竜の肉体が消滅していくのが見えた。
「っ……! セード――」
感極まって駆けだそうとした彼女の視界の先で、セードーのオーラが消えたかと思うと、その体が力なく崩れ落ちてしまった。
「っ!? セードーさん!!」
キキョウは棍を放り出して慌てて駆け出した。
セードーは右手で顔を押さえて、うつ伏せに倒れていた。
駆け寄ったキキョウは、セードーの左腕が完全に斬りおとされているのを見て、息を呑む。
「そんなっ……!? アラーキーさん!! セードーさんの、セードーさんの腕が……!!」
「うお!? まーた、えらいやられ方してるなセードー」
アラーキーはセードーの惨状を見てギョッと顔をしかめるが、すぐにインベントリの中を探り始める。
「まあ、処置はしとくかね……キキョウ、とりあえず仰向けてくれ」
「は、はい!」
キキョウはアラーキーの言うとおりにセードーの体を仰向ける。
彼の右手はきつく右目を押さえており、そこも何らかの負傷の跡が見て取れた。
キキョウは右手も外してその下の怪我を見ようとするが、驚いたことにセードーの右腕は何か不思議な力で固まったかのように剥がれなかった。
「あ、あれ……? アラーキーさん! セードーさんの右手、外れません!」
「あー? なんかの状態異常かね……? まあ、だったらそのままでいいや。仕様内の事だったら、俺らにはどうしようもないし」
アラーキーはそう言いながら、回復用のポーションを何種類か取り出し始めた。
「えー、とりあえず重傷脱出のための回復ポーションだろ……欠損の状態異常って、万能薬で何とかなったっけ……? まあ、試してみるか。駄目ならミッドガルドに帰ればいいし」
「セードーさん、大丈夫なんでしょうか……」
「ん? あ、ああ。大丈夫大丈夫」
不安げな表情でセードーを見つめるキキョウに、アラーキーは軽く請け負った。
「まずセードーが気絶してんのは、状態異常の重傷に罹ったからだな」
「じゅ、重傷ですか……?」
「ああ。肉体のどこかが欠損している状態で、HPが10%の以下、つまりデッドラインに突入すると発生する状態異常でな。これにかかると強制的に半ログアウト状態になる」
半ログアウト状態とは、そのものずばり半分だけログアウト状態になることを差す。
これは意識不明の状態を再現するためにイノセント・ワールドに実装されている仕様で、一番最初にログインする空間へと強制的に意識だけ移動することを指す。
「半ログアウトでもゲーム内時間は経過するからなぁ。なるべくなら罹りたくない状態異常だ。まあ、普通は罹りたくても罹れないんだがな。部位欠損なんぞ、早々起こる状態異常じゃないし」
「部位欠損も状態異常なんですか……?」
「ああ、そうだぞ、うん。これは、見た通りの状態異常だな。体のどこかが欠損する。ちなみにこの体のどこかってのは頭も含まれる」
「え!? あ、頭もですか!?」
アラーキーの説明を聞き、キキョウは驚きの声を上げる。
普通、頭が飛んだら死んでしまうものだが、そこはさすがにゲームということなのだろうか。
しかしアラーキーはキキョウの驚きを否定するように笑いながら首を横に振る。
「おう。まあ、頭飛んで生きてる奴は普通のプレイヤーにはいないんで、そんなデュラハン状態楽しめる奴はいないけどな」
「それは楽しいんでしょうか……」
胡乱げな眼差しでアラーキーを見るキキョウ。
だが彼女はすぐに気を取り直すように首を振り、真剣な眼差しでアラーキーを見つめた。
「……それで、セードーさんの左腕は元に戻るんでしょうか?」
「まあ、部位欠損も状態異常だからな。治ることは治るぞ」
アラーキーは言いながら、軽く首を傾げる。
「……でも、万能薬じゃ治らんか、さすがに。病症系の状態異常なら一発なんだけどなぁ」
「あの。さすがにお薬じゃ、腕は治らないと思うんですけど」
キキョウの言葉に、アラーキーは首を振った。
「いや、アルフヘイムの方に行けば、肉体の部位欠損さえ補う魔法薬も売ってるぞ?」
「う、売ってるんだ……」
アルフヘイムとは、ミッドガルドの東方に位置する町で、エルフが多く住まい、魔法が発達した街だ。魔法を究めたい場合、ある程度以上のレベルに到達したらこの町を訪ねてみるのが良いとされている。
「まあ、個人的には、ニダベリルの方に行って、かっこいい機械義手を据えてもらうのも悪くないと思うんだ、うん」
ニダベリルは北方に位置するドワーフの街で、鉱山と鍛冶屋が乱立しており、より良い装備を求めるものが集う街とされている。その良い装備には、機械式のゴーレムなども含まれており、ここで体の部位の一部を機械義肢に交換するものも多かったりする。現実においては、神経電位接続の関係で多大なリスクを被ることになるが、ゲームではそんなことはない。あえてリスクを挙げるなら、初心者には厳しい維持費位なものだ。
「……アラーキーさん。私は、今すぐ、セードーさんを、何とかしてあげたいんですけれど……」
どこか夢を見るような眼差しでセードーの体を見つめるアラーキーを半目で見据え、キキョウは一言一句区切りながら、言葉の中に力を込めて彼に迫る。
キキョウの言葉に込められた鬼気迫る気配に気が付き、アラーキーはあらぬ方を見ながら申し訳なさそうに口を開いた。
「あー、うん。それなんだが……生憎、今すぐセードーの左腕を生やすためのアイテムの持ち合わせが……その」
「……じゃあ、どうするんですかぁ?」
「一応、うちのギルドに回復専門の魔導師もいるから、そいつに見てもらう……かな、うん。いや、ホントすまん! セードーもいつかはやらかすんじゃないかなー、とは思ってたんだが用意が足らんかったなぁ……」
アラーキーは申し訳なさそうに言って、頬を掻く。
キキョウはそんなアラーキーを、頬を膨らませながら睨んでいたが、すぐに息を吐いて俯いた。
「……はぁ。どうにもできないなら、仕方がないです……。セードーさんは、どれくらいで目を覚ますんでしょうか……?」
「重傷の具合にもよるんだが、片腕全欠損だと……五分くらいで目を覚ますと思うんだけどなー」
未だ右目を押さえたまま、ピクリとも動かないセードー。
アラーキーはそれを見てため息をつくが、そんな彼らの傍に妖精竜の長がゆっくりと近づいてきた。
「……彼の腕、私が何とかいたしましょう」
「ん? できるのか?」
「長さん! 動いちゃ……!」
「かまいません……彼の怪我に比べれば、私など……」
キキョウの言葉に柔らかく微笑みながら、長は口の中で何事かを呟く。
人の耳には、意味を成す言葉とは思えないそれは奇妙な旋律を奏で、長の体を淡く発光させる。
それと同時にセードーの体も輝き、しばらくするとその輝きは彼の左腕があった場所へと集まってゆき……やがて骨を為し、肉を生み、皮膚となり、彼の左腕と化した。
「わぁ……!」
「うぉ。こんな魔法もあるのか……」
キキョウはセードーの腕が元通りになったことに、アラーキーは妖精竜の長が行使した魔法に、それぞれ目を輝かせる。
呪文を唱え終えた長は、微かに息をつき、それからキキョウへと微笑んだ。
「これで、彼もすぐに目を覚ますでしょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ふむ、重傷脱出を確認……これなら、すぐにでも起きるだろう、うん」
アラーキーはクルソル越しにセードーの状態を確認し、ほっと安心したように一息つく。
と、長に頭を下げるキキョウの体に、一匹の妖精竜が体当たりしてきた。
「あぅ!?」
「あ、これ!」
突然のことに息を詰まらせるキキョウ。何事かと下を見てみると、腹部に抱き付いていたのはさっきまで抱えていた妖精竜の子供だった。
妖精竜の子供は、懸命に鳴き、キキョウに何かを伝えようとしているようだった。
キキョウにその子の言葉は伝わらなかったが、妖精竜の長はその子がなにを言っているのかが分かったようだ。
「まあ……」
「あ、あの。この子、なんて言ってるんでしょうか」
文字通り齧りつくように自らの体に縋りついてくる妖精竜の子供をあやすように抱き上げるキキョウに、長は少し驚いたように告げる。
「貴方の旅の供をしたい、と……」
「え……? ええ!? 駄目ですよ、こんなに小っちゃいのに!」
キキョウは長の言葉に、慌てて妖精竜の子供を引きはがす。
その行為に不服を覚えるように妖精竜の子は鳴くが、キキョウはそれを諌めるように首を横に振った。
「だ、駄目です! 君はまだ小っちゃいんだから、お母さんと一緒に居ないと……!」
「まあ、普通は卵ドロップ狙って子どもから育てるもんだが、それにしても保育施設はいるしなぁ」
せっかくの機会を水に返すようなキキョウの行動を見ながら、アラーキーは補足してやる。
「レンタル系だと結構金がかかるし、マイ施設系なら言うに及ばずだ。ギルドハウスで管理してるもんならギルドに所属すれば使えるが……」
「方法があってもダメです! ちっちゃな子が、親の傍を離れるなんて……!」
頑として譲らないキキョウは、グイッと妖精竜の子供を長に返してやる。
だが、長はそんなキキョウに対して申し訳なさそうに笑った。
「いえ、キキョウ。その子はもう、貴方と供に行くことを決めたそうです」
「そんなこと言われても……!」
「ええ。今のままではご迷惑をおかけするでしょう。ですから――」
長はスッと俯き、それから遠吠えを行う。
巣の中を朗々と満たすその遠吠えに呼応して、巣の中にいる妖精竜たちもまた遠吠えを行う。
キキョウの手の中で抱かれている妖精竜の子も遠吠えを行い始める。
すると、キキョウの手の中で妖精竜の子が光り輝き始めた。
「え……え!?」
驚くキキョウの目の前で妖精竜の子はみるみる姿を、形を変えてゆき……。
「うそ……!?」
やがて彼女の手の中に納まる、小さな髪飾りへと姿を変えた。
どこか幼い妖精竜の姿を象ったそれは、キキョウの手の中で確かに脈打ち、暖かな気配を彼女の手に伝えている。
長はそっとその髪飾りに口づけし、そしてキキョウを見上げる。
「妖精竜の髪飾り……大切にしてくださいね」
「え、え、ええぇぇぇ!?」
驚きのあまり素っ頓狂な声を上げるキキョウに、アラーキーが説明してやった。
「精霊を初めとする、魔力が強い生物はこんな感じで魔導具にその姿を転じることができるんだ。ドラゴンとか倒すと、強い武器が手に入ったりするだろ? あの辺と同じ理屈だよ」
「え、でも、え!? そんな、これ……!!」
「いーじゃないか、うん。誰もが羨むレアアイテムを手に入れたんだ。喜んでおけよ、うん」
混乱のあまり半泣きになるキキョウの肩を叩き、快活に笑うアラーキー。
「あぅぅ……」
思ってもみなかった結末に、キキョウはじっと手の中の髪飾りを見つめる。
意匠であるはずの妖精竜の彫り物が、いたずらっぽく微笑んだ……ように、キキョウには感じるのであった。
なお、レア度にしてみればドロップ率1%以下のアイテムの模様。




