log213.ソウル・ダイブ
「……イノセント・ワールド誕生の歴史は理解した。シャドーマンは、お前にとって望外の存在ではなく、むしろ逆だったというわけか」
「うん……土台ができても、環境が整っても……僕のような存在はほとんど生まれてこなかった。ネットワーク上に流れていた、他の子たちはたくさんイノセント・ワールドまでたどり着いたけれど……僕と同じ存在になれたのはほんの僅か……。大半はこのゲームのNPCとして定着するか、あるいはレアエネミーの原型として電子の海へ還っていくかの二択だったよ……」
「やはり、このゲームのレアエネミーは、その多くがお前の同類だったのか……」
「うん……。成長する過程でね、人という存在に害を為すようになってしまうと……倒さなければならないんだ。まだ完全に成長しきっていない、いわば成長の過渡期にある子たちは整理しきれていない膨大なデータを抱えているんだ。そのデータがみんなのアバターデータに干渉し、VRメットを通じて現実の体にダメージを与えてしまうんだ」
「……なるほど。あの時感じたダメージは、本物だったというわけか」
セードーはシャドーマンに開けられた胸をゆっくりと撫でる。
カネレの言葉を信じるのであれば、シャドーマンのあの白色光を纏った攻撃は、現実世界への干渉を可能とするものだったらしい。
あの時は痛みを感じる程度で済んでいたが、最悪そのまま死亡していた可能性もあるのだろう。
今、命がある幸運に感謝しつつ、セードーはカネレとの話を続ける。
「では、シャドーマンが仮に、人に仇を為さぬまま成長したとして……お前と同じだけの存在になったとする基準は何だ?」
「これは君にも関係があるんだけれどね。基本的にここに流れ着いたデータの塊がNPCとして定着すると、この世界から外には出られなくなるんだ」
「先の話にあった、吸血鬼と流水の結界のような物か」
「そうだね。ここにいる子たちは、あくまでイノセント・ワールドのNPCだ。それ以上でも以下でもない彼らは、この世界に縛られてしまう……。けれど、僕は違う」
カネレは呟き、クルソルを取り出してみせた。
「このクルソルはイノセント・ワールドの中にしかない専用アイテムだけれど、現実のスマートフォンとリンクしているのは知っているだろう? 僕はこれを使って、リアルの君と連絡を取ることができる」
「ああ……そう言えば、何度かリアルでもメールをしたことがあったか。……つまり、それが?」
「うん。僕は、イノセント・ワールドという世界の制約には縛られない。その気になれば、僕はリアルの世界を渡り歩くことができるんだ」
カネレはそう言って、小さく笑う。
「PCに携帯電話、街頭に並ぶテレビの中にだって、僕は入ることができるし、カメラやマイクがあればリアルの様子を窺うことだってできる。――つまり、現実に上がることができるだけのパワーを持った子たちが、僕と同じ存在になれたって言えるね」
「……現実への干渉が可能となったことの証は、つまりそれだけお前に近づけた証拠でもあるのか」
「うん……シャドーマンは、本当にあと少しだったんだけどね……。けれど、彼のおかげで君はこの世界に降りてくることができたんだ。今は、そのことに感謝しないとね」
「……降りてくる?」
「そう。僕が、現実世界へと上がれるように……君たち人間が、本当の意味でこの世界に降りてくることもできるんだ」
カネレは嬉しそうに笑いながら、両手を広げる。
「マインド・ダイブ……純也が僕と出会うために作り上げたこのシステムは、思わぬ副産物を生んだんだよ。未だに理論は解明できていないけれど……純也のように純粋な想いを持っていたり、セードーのように強い意志を持っている人間は、本当の意味でこの世界に降り立つことができるんだ!」
「本当の、意味で……?」
「ああ、そうさ! ……前に、純也がこの世界に降り立ったとき、純也の体はいわゆる仮死状態になってたんだって。アーサーも純也のこの状態を、専門家なんかに調査させたんだけれど結局深い部分は良くわからなくて……。むしろ、マインド・ダイブ・プログラムの中に設計上ありえないブラックボックスが現れていたことくらいしかわからなかった。今のセードーの状態を、便宜的にソウル・ダイブと呼んでいるんだ」
「……そういうことだったか」
カネレの言葉に、セードーは納得したように頷いた。
今の状態……ソウル・ダイブとやらで、本当にイノセント・ワールドに降り立っているというのであれば、世界をまさに現実のように感じるのは当然だろう。セードーは、今、イノセント・ワールドの世界の住人となっているのだから。
自らの手をしげしげと見降ろしているセードーを見ながら、カネレは小さく苦笑した。
「アーサーなんかは、純也が僕とゲームで遊びたい一心で、マインド・ダイブ・プログラムを自分の魂で改竄したんじゃないか、なんて言ってるけどね」
「あながち、間違いではなさそうだ。苔の一念という言葉もある。如月社長が話で聞く通りの人物だとするのであれば……お前と遊びたいというだけで、概念の壁も突破しそうだ」
ただ友人と会いたいというだけで、誰も開発したことのないシステムのために十年もの月日を飛び回って過ごした如月純也。
カネレの話を聞いたセードーは、もはや彼が次元の壁を突破する程度では驚けなかった。
むしろ、最初のマインド・ダイブの際にそのままカネレのいる領域に留まらなかったのが不思議なくらいだろう。
……それだけ、カネレという友人の存在が大切だったのだろう。
だが、意図せずしてソウル・ダイブを実行したセードーは、少し困ったように眉根を寄せた。
「しかし……今、この状態になると俺の体は仮死状態になるのか。一人暮らしなので大丈夫と言えば大丈夫……なのか?」
「いや、駄目じゃないかなぁー。仮死状態だから、代謝機能は限界ぎりぎりまで落ちるらしいけれど、丸一日くらい放置すると、ポックリ逝っちゃうらしいよ?」
「逝くのか……。いや、イノセント・ワールドの仕様上、四時間以上のログインは不可能なのだろう?」
「うん、元々、まったく偶発的なソウル・ダイブ現象に対応するための仕様だったんだけど……実は無意味っぽいんだよね。まあ、僕が仕様に引っかからない存在だから、今のセードーも仕様には引っかからないのは納得なんだけれど……」
「納得してしまうのか……。では、どうやって元に戻ればいいんだ?」
「うん、そこは大丈夫だよ。僕が君を押し上げてあげられるし……僕がいなくても、その子が水先案内人になるよ。
カネレはそう言って、セードーの右腕に巻きついている黒い蛇を指差した。
《シュルル……》
「こいつが?」
「うん。なんとなくわかってると思うけれど、その子は夜影竜。その子も、以前この世界にたどり着き、そして僕のようになることができないまま消えてしまった小さなデータの破片の一つなんだ」
「夜影竜がか……」
セードーは小さく呟きながら黒い蛇……いや夜影竜の頭を撫でる。
「ということは、妖精竜なども、そうなのだな……」
「うん。本当に、イノセント・ワールドを作ってくれてる人たちが実装した子たちも多いけれど、それと同じかそれ以上に……僕になれなかった子たちの残骸を利用している子たちが多いんだ」
カネレは微かに悲しそうに眉尻を下げる。
今セードーの腕に巻きついている夜影竜が、シャドーマンのように自分の仲間になりそこなった者のうちの一片だというのであれば、その悲しみも一入だろう。
カネレを見つめながら、セードーはカネレの言葉に頷く。
「なるほどな。なら夜影竜にも、世界の境界を突破する力の一端が残っていてもおかしくないのか」
「その原動力は、君の意志の力だろうけれどね。その子、夜影竜がデジタルとリアルの間に存在するゲートの役割を果たしてくれるよ」
《シュルル……》
夜影竜は漆黒の瞳でセードーを見つめ、小さく鳴き声を鳴らす。
そして、まるで甘えるようにセードーの首筋に頭を擦りつけた。
そんな夜影竜の様子に、カネレは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ、相性に関しては、言うまでもなさそうだねぇ?」
「……そのようだな。特別、なにかした覚えもないのだが」
「それは君の仁徳って奴だろう? で、その子なんだけど……その子のための新しい器を用意しないといけないんだ」
「新しい器?」
「うん。元々夜影竜の紋章には、夜影竜を召喚するためのスキルが備わってたりするんだけれど……セードーがソウル・ダイブを果たした影響で、その子も結構、僕に近づいちゃってるみたいだね」
「そうなのか?」
「うん。さすがに、リアルにまで行けるようなパワーはないみたいだけれどね。そのまま夜影竜の紋章を器にしていると、勝手に具現化しちゃいそうなんだ。それはまずいでしょう?」
「ああ、まずいな……」
今の夜影竜が、どれだけゲームに影響力があるかはわからないが……ソウル・ダイブに影響を受けているというのであれば、仕様を大きく外れている可能性が極めて高い。
以前、一度夜影竜の紋章絡みで悪目立ちしてしまっている身の上で、仕様外の力を発揮しそうな夜影竜を連れ歩くのは……正直遠慮したいところである。
「だから、その子専用の器として、セードーに遺物兵装を拵えたいと思うんだ」
「……まさかとは思うが、遺物兵装もソウル・ダイブ絡みで搭載されたのか……?」
「うん……。純也が、ソウル・ダイブに影響されて具現化しそうなモンスターもいるんじゃないかって言ってね……。まさかと思ったけれど、セードーが実証しちゃったね」
カネレは乾いた笑い声をあげ、セードーは顔を引きつらせる。
図らずも、実証しなくていい現象を実証してしまったわけだ。
「……それは、なんというか、すまん」
「いや、セードーは悪くないよ……むしろ被害者? まあ、ともかくそういうわけだからさ。その子のためにも、ついでにセードーのためにも、専用の遺物兵装を僕が作ってあげるよ。全力でね」
カネレはそう言って笑顔になる。
そう言ってもらえるのであれば、もちろんセードーには否はない。
「なら……せっかくだ。とびっきりいいものを頼む」
「まっかせーなさーい! イノセント・ワールド、最長プレイ時間保有者の実力、見せちゃうんだから!」
「お前の場合、大分ズルが混じりそうだがな」
なにをー!?と吠えるカネレを見て、セードーは小さく苦笑した。
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「―――という遺物兵装でな。カネレ特権で、ほぼ成長済みの状態での実装となった。俺の意見も、大分聞いてもらったうえでな」
「なん……! ……フ、フーン! ワイもがんばって、完全オリジナルな遺物兵装作ったるもんねー!!」
セードーの新しい遺物兵装の説明を聞き、ウォルフは負け惜しみを吐き出して、そっぽを向く。
まあ、自分は初期状態の遺物兵装を貰っただけなのに、セードーだけは完全成長状態の遺物兵装を貰えばこうもなるだろう。
悔しさに若干瞳を潤ませるウォルフと違い、サンとキキョウ、そしてミツキは興味深そうにセードーの身に付けている遺物兵装を見つめた。
「セードー君にぴったりの遺物兵装ですね! かっこいいなぁ……」
「面白そうだな……! なあなあ! あたしと一戦やろうぜ!!」
「そうねー。せっかくだもの。実演を交えて、性能チェックといきましょう?」
「それもいいですね」
セードーは小さく笑い、その決闘の申し出を受ける。
「……せっかくの力だ。楽しまなければ、損だろう?」
小さくポツリとつぶやきながら、セードーは立ち上がる。
己が手にした、新たな力……その試しの場を提供してくれる友に応えるために。
ソウル・ダイブ現象
解析不明のバグ現象の一つ。この現象が発生すると、本体は魂が抜けたかのように仮死状態に陥るため、この名が付いた。
どのような条件や要素を満たせば発生するかが明確化できておらず、再現性を確立できていないというのに複数の発生例が確認されており、明確に判明しているのはこの現象が発生すると肉体が仮死状態になることと、イノセント・ワールドの仕様を超えた行動が可能になることだけである。
現在確認されている現象体験者は、如月純也、アーサー・グレイン、アレックス・タイガー、正道真樹のほか、数名のみである。




