log208.脱出
巨大な生物の断末魔を思わせる轟音が、アバロン全体を揺るがす。
先の爆発のものだろうか、シャドーマンが開けた大穴以外にも、いくつもの穴が口を開けており、そこから風が流れ込んで、アバロン全体が共鳴現象を起こしているのだろうか。
遠目から見れば緩やかに、しかしその大きさを考えれば凄まじい速度でアバロンは真下……広大な海へと落下してゆく。
「………」
無事にアバロンを脱出したミツキたちは、静かに大要塞アバロンの崩壊を見つめていた。
落下の衝撃にも耐えることができなくなっているのか、それとももともと脆いのか、外周部が音を立ててアバロンから剥がれてゆく。
だんだんと原型を留めなくなってゆくアバロンを目にし、ランスロットがポツリとつぶやいた。
「アバロン……円卓の騎士の旗艦が……。僕の……っ」
「貴方のせいではありませんよ、ランスロット」
ランスロットのつぶやきを遮るように、アルトは言葉をかぶせる。
ランスロットのようにアバロンの崩壊を前にしながら、彼は静かに言葉を続けた。
「いえ、むしろ……遅すぎたくらいだ。円卓の騎士の崩壊は、キング・アーサーの崩御と共に為すべきだった……」
「まあ、そう気ぃ落としなさんな、お坊ちゃん。この辺なら、アバロンもいい感じの魚礁になるって。素敵ダイビングポイントが出来上がり!」
「慰めているつもりかそれは」
片手なしの状態で器用にアルトの後ろに座っているリュージの言葉に、アスカは眉を顰める。
慰めるにしても、もう少し言い方があるだろう。
ただ、リュージの気遣いは伝わったようだ。ランスロットは微かに潤む瞳を手で擦り、にっこりとほほ笑んでみせた。
「はい、そうですね……。アバロンが、自然遺跡のように定着したら、一度潜ってみたいです」
「いいねぇ。わびさびだねぇ」
「……それは意味通るんか?」
「さあ? まあ、ノリだ。受け取っておけ。ほぅれ」
「ワイに放るな! パァース!!」
「わわっ!?」
空手のリュージがツッコミに現れたウォルフに何かを投げる仕草をし、ウォルフはそれをランスロットへ投げ返す。
ランスロットは慌てて何かを受け止めようと手を振り回すが、当然受け止めるものもなくエアバイクから落ちかけ、慌てたアスカに引っ張り戻された。
「ちょ、ランスロット様!?」
「うわ、ごめんなさい、アスカさん!?」
「のんきだなぁ、オイ……」
「まあ、全部終わったわけですし。気が抜けるのもわかりますよ」
即席コントを繰り広げるランスロットたちを胡乱げな眼差しで見つめるサンに、アバロンの崩壊をスクショに収めるエタナは語りかける。
「実に三時間以上の激闘……。とても濃密で充実した時間でした……。今度もいい記事書けそうですよ!」
「それあたしらの活躍がおざなりになりそうなんですが」
「まあ、私たちはエタナちゃんの傍にいなかったものね」
アラーキーに代わりフラムの手綱を握るミツキが、小さく苦笑する。
「一面を飾るのはセードー君でしょうけれど……それでも、記事の隅にこっそり書いて頂戴ね?」
「もちろんですとも! “円卓の騎士陥落! 武術家連合大勝利!”! 一面記事の見出しはこれですね! ねぇ、キキョウさん!?」
「………」
やや興奮気味に語るエタナであったが、キキョウは無反応。
彼女は真剣な表情で、崩れ落ちるアバロンをじっと見つめている。
「……キキョウさん? おーい」
「―――っは!? あ、はい、なんでしょう!?」
エタナが目の前でひらひら手を振ると、ようやくキキョウはエタナの方へと振り向いた。
そんなキキョウの様子を見て、エタナは小さく苦笑する。
「……やっぱり心配なんですか?」
「あ……え、ええっと……」
エタナの質問に、キキョウは彼女を無視してしまった気まずさから戸惑うが、少ししてから小さく頷く。
「……はい。大丈夫だって、信じてますけど……」
「なら、待ちましょう、キキョウちゃん? アラーキーさんが、見に行ってくれているから……ね?」
「……はい」
優しく諭すようなミツキの言葉に、キキョウはもう一度頷いた。
ミツキは素直なキキョウの様子を見て優しげな表情で頷き、自身もアバロンの方に目を向ける。
「………」
崩壊し続けるアバロン。白煙も舞うアバロン……その中から、勢いよく誰かが飛び出してくる。
「っ! ……ほら、出てきたわ」
「あ……!」
ミツキは安堵の息を隠しつつ、キキョウに、そして皆にアバロンから飛び出した者を指し示す。
アバロンから舞い上がった白煙を引きつつ、エリアルボードに乗り空を飛ぶセードー……そして、そのセードーに引っ張られるように宙に浮いているアラーキーの姿が見えた。
「セードーさん!」
「そしてアラーキーさん! ……ですが、彼はどうなってるんです、あれ?」
歓声を上げるキキョウとエタナ。だがエタナはすぐに首を傾げてアラーキーを指差す。
セードーに引かれているアラーキーであるが、なんというか体勢がおかしいのだ。
セードーに引かれているアラーキーは、骨盤辺りの位置より伸びているプロペラによって滞空しているように見える。腰に巻いている大きいベルトからプロペラが伸びているようだ。
そのプロペラの取り付け位置の関係からか、アラーキーは体をくの字に曲げてだらりと両手足を下している状態になっている。フルトン回収……と言えば、多少は伝わるだろうか。
セードーはかなりのスピードでミツキ達の方へと近づいてくるが、アラーキーはその背後でほとんど揺れることなくセードーに引っ張られている。姿勢制御翼もなくプロペラだけついている状態だと、かなり不安定なような気もするが、それでも不気味なくらい姿勢が変わらない。
しばらくすると、セードーはミツキ達のすぐ近くまで到達し、エリアルボードを制御して停止する。
「すまない、待たせた」
「フフフ、個人用携帯プロペラ、通称プロトン! 一人でも使える! 携帯できる! 省エネ! と三拍子そろった脱出用具だが、最大の欠点は自分で推力を生めないことである!」
「誰に向けた説明やねん、それは……」
聞きもしないのに語り始めたアラーキーに、ウォルフの気だるげなツッコミが入る。
だがそれも無視してアラーキーは何とか顔を上げて辺りを見回し始める。
「さて、無事にシャドーマンも撃破して万々歳……と言いたいんだけどな、うん。誰か、カネレの奴がどこ行ったか知らないか?」
「へ?」
「あん? どこって――」
アラーキーの言葉を受け、ミツキやサン、そして周りの全員がカネレ達の姿を探す。
アバロンの屋上で、シャドーマンにセードーが必殺の一撃を叩き込んだ……その時辺りまでは、確かにカネレはいたはずだ。
それが忽然姿を消した……少なくとも、この場にはいない。となると……。
「……まさか、まだアバロンに!?」
皆の脳裏に最悪の想像がよぎる。
こちらにやってきたはいいが、帰る手段を用意していなかったカネレは、あのままアバロンの中に取り残されたかもしれない。
そう考えて焦るキキョウたちに、セードーは落ち着き払った様子でこう言った。
「いや、心配いらないだろう。おそらく、彼らはもうあそこにはいない」
「お? なんでそう言えんの、セードー?」
「――まあ、あいつらはあちら側の人間だからな」
周りと比較してまだ落ち着いているリュージが問いかけると、セードーは奇妙な答え方をする。
何かをはぐらかすような、そんな言葉だ。そしてセードーは少し考え、次の言葉を口にする。
「あそこで死ぬようなへまはしないだろう。おそらくは、だがな」
「………?」
だが、それはその場にいる者たちの疑問を晴らすには不十分な答えだった。
しばし、奇妙な沈黙が舞い降りる。
何かを知っているらしいセードーに、何をどう問いかければよいのか。そんな疑問をはらんだ空気だ。
「……ええっと」
やがて、意を決したようにキキョウが口を開く。
「セードーさん? あの――」
『ハーイ! みんな元気ですかー!?』
そしてセードーに問いかけようとした瞬間、その場にいる全員の耳についさっきまでいたはずの口やかましい男の声が聞こえてきた。
声のする方に視線を向けると、墜落するアバロンを背に、空間投影モニターが描写され、その中にフェンリル大聖堂にいるらしいカネレの姿が映し出されていた。
『無事に墜落するアバロンから脱出できたようで何より何よりー!』
「……カネレか」
唐突過ぎるモニターの出現、そしてカネレの移動。この二つについていけない周りのプレイヤーたちに代わり、セードーがカネレに返事を返す。
「そちらも元気なようだな。いつ戻った?」
『セードーがシャドーマンを倒した辺りだよー! もう僕たちがいなくても大丈夫だったしね!』
自信満々にそう言うカネレはギターをかき鳴らす。そんな彼の背中を見つめるエールの姿と、モニターに背中を向けているエイスの姿も見える。あの場に唐突に現れた三人は、そのまま唐突に元の居場所に戻ったようだった。
『いやはや、あそこまで派手になるとは思わなかったよー! セードーもやるねぃ!』
「俺の力ばかりではないがな。……それで、カネレよ」
セードーはカネレの言葉に小さく頷き、そして問いかける。
「今回のこれ……特にシャドーマンに関して、何らかの解説を求める。あまりにも、異常な事態が起こりすぎている」
「……せやな。まあ、なんか納得のいく説明は欲しいわな」
質問するセードーの隣に、ウォルフがエリアルボードを操って立つ。
「シャドーマンの存在に、奴の攻撃……それからセードーの不可解なパワーアップ。どれもこれも、聞いたことのないようなイベントばっかりやんな……」
「ああ、その辺は俺も聞いておきたいな。あんな……激痛を伴うようなイベント、イノセント・ワールドらしくない。ゲームくらい、楽しく優しくプレイしたいもんだぜ?」
プロトンにぶら下がったままの情けない体勢のアラーキーも、列に加わる。
やがて、その場にいる全員の視線は、じっとセードー達の質問に耳を傾けているモニターの中にアラーキーに集中してゆく。
「………」
「………」
一体、どのような説明が行われるのか。それに対する若干の期待と、好奇心。
それらを一身に浴び、カネレはしばしの沈黙の後。
『―――ほんんんっとぉーに!! ごめんなさいねぇー!!!』
そのまま三回転宙返りジャンピング土下座を華麗にモニターの中で決めた。
『まさかまさかここまで大ごとになるとは思わなかったんです! ホント、マジ許してくだせぇー!!』
「謝罪より説明をしろ。意味も分からずお前を許せん」
『おぉう、冷静なお言葉……いや、もっともだよねぇー』
冷然とさえ言えるセードーの言葉に背中を震わせながら、カネレは襟袖を正す。
『オホン……えー、実は今回のシャドーマンがらみのイベント、新しく実装される予定のレアエネミーのα版テストだったのですよー』
「α版テスト?」
『イエスッ! イノセント・ワールドは基本的にオン・メンテでどんなイベントもアプデするんだけど、その中にはアプデ情報に含まれないもの……つまりレアエネミーも含まれているのっさ!』
「ああ、聞いたことあんな……。どんだけ情報集めても全容の知れないレアエネミーに関しちゃ、常にオン・メンテアプデで種類を追加してるんだって噂は」
「……そういやこのゲーム、停電とかの物理的障害を除いて、運営が自主的にサーバーダウンしたり、ログイン不可の状態になったりしないよな」
アラーキーは納得と共に何度か頷く。
オン・メンテは文字通り、サーバーをオンにしたまま行うメンテのことを指す。過去のMMOは基本的に大規模なアップデートやメンテナンスの際にはサーバーをオフにしなければメンテを行えなかった。これにはサーバーそのもののメンテナンスチェックも含まれるため、技術云々よりも物理的な問題と言える。実際、恐竜進化的技術発達を遂げた現代においても、新システムや大規模イベントの際には、サーバーを一旦オフにする必要があるゲームの方が圧倒的に多い。
だがそんな中、イノセント・ワールドは数少ない、全てのアップデート・メンテナンスをオン・メンテにて行うゲームであった。α版からスタートして以来、一度もサーバーを落としたことがないのではないかと言われている程だ。
『まあ、さすがに正式版へのアップデートの時はサーバー落としたけどねん。でもでも、それ以外の時はずっとログインできるのがこのゲームだよん!』
「はぇー、それはすごいです……」
「で、今回現れたレアエネミー、シャドーマンはそんなオン・メンテの時にひっそり追加されたレアエネミーの一種、と……」
『そのとーり! いろいろとまた新しい技術が手に入ってね! その辺を豪勢に盛り込んだレアエネミーだったのさ!』
カネレは満面の笑みを浮かべながら、困ったように首を傾げる。
『相対し、戦闘に入ったプレイヤーが使用したスキルを全部ラーニングしていくってレアエネミーでね! 姿も一番最初に遭遇したプレイヤーそっくりになったり、とにかくプレイヤーの成長がエネミーにダイレクトに反映するようなレアエネミーだったんだけど……プレイヤー情報を参照する関係からか、ものすごいバグ出しまくってね……。後半の白い光線攻撃とかまさにそれなの』
「あれか……」
セードー、リュージ、アラーキーの三人は己が直に受けた白色光線を思い出す。
体の触れた瞬間、あっさりすべての防御を貫通し、体を削り取ったあの一撃……。激痛さえ伴ったあれが単なるバグで済ませられるのだろうか?
そんな三人の想いを読み取ったのか、カネレは反対側に首を傾げた。
『うん……。攻撃受けた三人にはほんと、申し訳なんだけど……どうも人間の五感を再現するためのシステムがエラー吐いたみたいでねぇ。慌てて僕が出動と相成ったわけ』
「……ふぅーん」
一応、筋は通っている。だが、リュージは胡乱げな眼差しでカネレを睨みつける。
確かにまだ未完全なプログラムを導入したのであれば、想定外の事態は起こり得るものだ。机上の空論などというが、計算しただけで全てを見通せるほど、人類は賢くはない。
だが、VRの五感に作用するようなエラーを吐き出すプログラムなど、そう容易に導引するだろうか?
だがカネレはリュージの視線など歯牙にもかけない。今度は満面の笑みを浮かべ、両手を広げて見せた。
『――で! いろいろ迷惑を掛けちゃったしー! この場にいる全員に僕からプレゼント! 何でも欲しいものがあったら、一つか二つ用意するよ! GM特権で!』
「なにゃ!?」
「それは……大盤振る舞いですね」
カネレの言葉を聞いてサンが舌を噛む。
そんな彼女の様子を心配しながらつぶやいたアルトの言葉に、カネレは何度か頷いた。
『うんうん……だって今回はイレギュラーすぎたからねぇ。レアエネミーの仕様上、いろんなプレイヤーに接触させないと意味がないとはいえ、ずいぶん無理しちゃったしね! これくらいはするさ!』
「それって、ほぼ一見の俺やアルトにも適用されんの?」
『もちろん! 特にリュージにアラーキーにセードーはエラーの被害者だからね! 二つと言わず、三つ四つでもいいのよ?』
「ほほぉーう? それはいいこと聞いたわ」
「またふくなぁ……うん。俺は特にいらんなぁ」
何を願うか思案し始めるリュージとは逆に、アラーキーは早々に権利を放棄する。
「えと……私たちもいいってこと、ですよね?」
「降ってわいた幸運だなぁ! 何頼もっか!?」
「どうせなら、この機会でしか入手できないものがいいわよねぇ?」
「自分らあっさり釣られて……まあ、釣り針は大きい方が食いではあるわな!!」
「――カネレ」
カネレの大盤振る舞いに、何を願うか話し合い始める仲間たちを横目に、セードーはモニターの向こうにいるカネレに問う。
『んー? 何かな、セードー?』
「俺の身に起きた変化についてだが……」
『ああ、そのことね!』
カネレは笑顔で頷き。
「――そのことについては、なるべく秘密にしたいんだ。あとで、こっそり教えてあげるね?」
セードーの耳元で、そう、そっと呟いた。
『――それに関してはまだ継続中だよ! あとで僕んとこに来てくれるとうれしいなぁ!』
カネレのつぶやきにかぶせるように聞こえてくるのは、周りの皆に向けた音声だろうか。
セードーはカネレのその呟き、両方に応えるように小さく頷いた。
「――了承した。近いうちに、訪ねよう」
『オッケィ! それじゃ、皆に僕のアドレス渡しておくね! お願いごとは一週間以内だと嬉しいなぁ! 準備に時間がかかったりするかもだしね!』
そう言いながら、その場にいる全員にアドレスを送信するカネレ。
セードーはクルソルを取り出して、もうすでに存在している彼のアドレス――その下に新たに現れた新しいアドレスを見つめて、小さく頷く。
そのアドレスは、こう記されていた。
Innocent・World.**.**
なお、オン・メンテによってシークレットに搭載されたレアエネミーの不具合に対して、こうした謝礼や謝罪が行われるのは割と普通である模様。




