log181.疾空の路
「ハッ! ……サンもやるやんけ」
流れるように背後を取り、必殺の一撃を決めたサンを見て、ウォルフは感心したように頷いた。
急加速からの流制動。おそらく誰もが頭に描くであろう理想の足運びであるが、実行できるかどうかは別だ。
もっとも難しいのは直進からの背後取りだろう。一切の速度を落とさず、相手の背後に回る必要がある。もしサンがサースの目の前でブレーキを掛けようものなら、次の瞬間に弾き飛ばされていたのは彼女だっただろう。
自身の実力のなさに打ちひしがれている彼女は気が付いていないようだが、あの一瞬、彼女の実力は確実に上がっていたのだ。
それはVRゲーム“イノセント・ワールド”の仕様ゆえか、あるいは彼女の執念が為せる業か。いずれにせよ、彼女はまだまだ伸びるだろう。彼女が諦めない限り。
「積むもの積んだら、出るもんは出るわけや……。わかりやすいで、ホンマ」
ニヤニヤ笑いながらサンを見つめるウォルフの横顔を、シャークドラゴンが強襲しようとする。
―ギャオォォォォ!!―
無防備そうな彼の上半身をかみ砕かんと飛び掛かったシャークドラゴン、その下顎をウォルフの鋭いアッパーが貫いた。
「……で? 手の内はしまいかいな?」
「ぐ……!?」
シャークドラゴンに襲われた途端、ウォルフの雰囲気は一転し呆れたようにウェースの方を見やる。
新たな矢束をクロスボウに装填しようともがくウェースに、ウォルフはめんどくさそうに問いかけた。
「アホの一つ覚えみたいに、同じモンスターばっかり召喚しおって……。それでワイが倒せると思うとるんやったら、お帰りはそちらや」
「だ、だまれぇ!!」
ウェースは再びシャークドラゴンを召喚し、ウォルフを睨みつけた。
「き、貴様程度ならばこのシャークドラゴンで十分……! Lv50のドラゴン族のモンスター、光栄に思うがいい!!」
「アホゥ。正規手段で召喚されとらんモンスターがそないなLvで出るかいな。せいぜい半分のLv25が関の山やろうが」
ウォルフの指摘を受け、ウェースはびくりと体を震わせた。
「……な、何のことだ?」
「あっちのボケと一緒にすんなや。ワイがこのゲームの仕様を何一つ知らんと思うとるな? 魔法による正規召喚とちごて、呪文省略を目的とした呪具による召喚は、正規のLvと比べて五分の一から二分の一までLvが下がる。手間省いてんねんから当たり前やな。おどれの実力を大目に見て、二分の一召喚はできると考えたる。それでもLv50やったら、出てくる時にはLv25。完全にワイの格下や、そないな屑でワイを倒せると思うなどアホゥ」
畳み掛けるようなウォルフの説明に、怯んだ様に一歩二歩と下がった。
ウォルフの言うように、呪文を用いない呪具による召喚は不正規な召喚手段とされており、速度の代わりに出てくるモンスターのLvが犠牲となる。
もっとも減少割合を抑えても、二分の一までが限界となる。プレイヤーと違い、モンスターの最大Lvは200オーバーとなるので、捕まえるモンスターによってはプレイヤーLvを上回ることが可能となる。まあ、そのLvのモンスターはレアエネミーだったり、あるいはラストダンジョンに出てくるようなモンスターとなるので、捕まえるのは容易ではないが。
「あいにくワイは説明書を端から端までじっくり読むタイプなんや。モンスターのLvうんぬん程度で怯むと思うなボケが」
「…………ッ!!」
拳を固め、一歩一歩近づくウォルフを目にして、ウェースはさらに下がってゆく。
だが、ウェースの足はすぐに止まる。
「……………よかろう」
そして何かを決意したように、クロスボウに装填していた矢束を引き抜き、新しい矢束を込め直す。
「貴様程度におしい代物だが……このまま舐められっぱなしは性に合わん……!」
「おどれにはふさわしい扱いやろが。程度の低さが、ボロボロ出とるぞ?」
「黙れ……! 我はウェース、我は総隊長護衛方、西方の将!」
ウェースはウォルフを睨みながら叫び、そしてクロスボウを真上へと向ける。
「我は傀儡と共にある者……! 我が最強の傀儡を前に、慄くがいい!!」
「結局おどれの実力とちゃうんかいな」
ウォルフの言葉など聞こえなかったように、ウェースは真上に向けてクロスボウの矢を解き放つ。
一度に大量の矢が発射されウェースの四方を覆うように矢が降り注ぐ。
……瞬間、矢が輝きだし、ウェースの姿がその輝きの中へと消えてしまう。
「おん?」
ウォルフはその輝きを前に、一歩だけ下がる。
何があるかそれを見極めるべく、ウォルフは壊れていたサングラスの予備を掛け直した。
「フン。鬼が出るか、蛇が出るか……」
慎重にウェースの出方を窺うウォルフ。
やがて光は収まってゆき、その中にいたウェースの姿も露わとなってゆく。
――彼が跨っている、巨大な緑色の鱗を持つ翼竜と共に。
「……を!? そいつ、まさか……!」
「羽ばたくがいい! グリーンドラゴン!!」
鞍に跨ったウェースの声に呼応するように緑色の翼竜……グリーンドラゴンは甲高い鳴き声を上げる。
そして巨大な両翼を一つ羽ばたかせ、一気にアバロンを離陸していった。
その際に発生した強風に煽られ、ウォルフはたたらを踏んでしまう。
「おぉう!? まさかグリーンドラゴンとは……!」
一瞬で米粒程度の大きさと化したグリーンドラゴンを見上げ、ウォルフは驚いたような声を上げる。
……多くの創作物の中で最強と称される幻想の王、ドラゴン。ファンタジーを基幹とするイノセント・ワールドにも、かなりの数のドラゴンが生息している。
もっとも、その大半がレアエネミーとなっているため、出会えるかどうかはほぼ運任せとなってしまっており、基本的にはマンスリーイベントなどで出現するのを待つのが定石となっているのだが……。
閑話休題。
ウェースが召喚したグリーンドラゴン。かの竜は〈風〉属性を持つドラゴンの中でも上位に位置する強力なドラゴンだ。
固有のブレスこそ持たないが、その力強い両翼の羽ばたきによって生まれる強風は生半なブレスなど問題にならないほど強力であり、飛行速度においてはイノセント・ワールド内のあらゆる原生生物とは比較にならないほどのものを持つ。速さというものを極めたモンスターの内の一体とも言われている。
そしてこのドラゴンはレアエネミーには属さないため、運や時間に頼りたくないのであれば、騎乗用ペットとして最も最初に候補の上がるモンスターでもある。
「そんなモンスターを騎乗用ペットじゃなしに、召喚用として使役するとか……あいつ、何を考えとるんや」
ウォルフが驚いたのは、その一点に尽きる。
グリーンドラゴンは最低Lv90のモンスター。捕まえるのはペットタグをもってしても厳しいが、決して不可能というわけではない。モンスタートレーナーとしてのスキルを特化させている仲間でもいれば、戦闘さえ回避できる可能性がある。もちろん、そのまま捕まえられればLvもそのまま。
しかし召喚用にしてしまえば、正規の手順を踏まない限りLvの低下を避けられない。ウェースが跨っているグリーンドラゴンも、おそらくLv45から数えた方が早い程度のレベルだろう。
つまり、ウェースのやっていることは非効率の極みと言えた。
「まあ、ドラゴンの召喚て、ロマンはロマンやろうけど……。せやったらもうちょっと高Lvのドラゴンを選べと」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
大空から強襲してくるグリーンドラゴンの一撃を、ウォルフは一足飛びに回避する。
再び急上昇を行うグリーンドラゴンの上から、ウェースの得意げな声が聞こえてきた。
「ハッハッハァーッ!! 大空の覇者、グリーンドラゴン! この速度に比肩しうるスキルなど、貴様は持っているまい!? このまま、貴様をなぶり殺しにしてやる!!」
「言うてろ、三流。その程度でワイに勝てると――」
「おい、ウォルフ!」
聞こえてきたサンの声に振り返ると、彼女がこちらに駆け寄ってこようとするところだった。
「あたしも手ぇ貸すぞ! いくら騎手がボンクラでも、グリーンドラゴンなんて……!」
「ああ、かまへんかまへん。丁度ええくらいのハンデやろ」
不安そうな声を上げるサンに、ウォルフは鷹揚に手を振って笑って見せる。
「ナンボドラゴンいうても、結局乗り手の腕次第やて。大金星上げたところやし、お前はもう少しやす――」
サンの不安を取り除こうと余裕を見せるウォルフであったが、その横っ面にグリーンドラゴンの鼻面がぶつかってきた。
そのまま高速で真横にぶれていくウォルフを見て、サンは悲鳴を上げた。
「ウォルフー!?」
「うごごご!?」
グリーンドラゴンの鼻面に引っかかってそのまま連れられてゆくウォルフはうめき声を上げながらウェースを睨みつけた。
「なんやいきなり、人がしゃべくっとる間にぃ!!」
「隙を見せる方が悪いのだ!!」
ウェースは叫び、そして厭らしげに笑った。
「……そして貴様、空を飛ぶ手段は持っているかな?」
「あん?」
ウォルフは訝しげに問いかけるが、その問いに答える前にグリーンドラゴンは鼻面を振り、そのまま上昇し始める。
ウォルフの体が、グリーンドラゴンから離れ、宙を舞う。
場所はアバロンから遠く離れた大空。……当然、ウォルフの足元に足場などない。
「……を?」
「ハハハハ!! そのままマヌケに落ちてゆけぇい!!」
一瞬呆けたような顔になるウォルフを見て、ウェースは愉快そうに笑い声を上げる。
だがウォルフはすぐに空中歩法で宙を蹴り、ウェースめがけてすっ飛んでいく。
「――これが奥の手かいな。しょっぱいなぁ」
つまらなさそうに呟きながら拳を固めるウォルフ。
そのままウェースの顔面めがけてストレートパンチを繰り出すが、それはグリーンドラゴンの素早い動きで回避されてしまった。
「――っと?」
「はっはっはぁ! 間抜けがぁ! この空中でグリーンドラゴンに勝てると思うな!!」
滑るように横に移動したグリーンドラゴンは再びウォルフに向けて突進を仕掛けてくる。
さすがに二度も同じ攻撃を喰らうウォルフではない。グリーンドラゴンの鼻面を足で蹴り、突進の軌道から一足飛びに逃れる。
「そんなん、何度も喰らうか!」
「喰らわずとも、いつまでもつかなぁ!?」
グリーンドラゴンの手綱を操り、わざと距離を取るウェース。
もう一度空中歩法で宙を跳ねるウォルフを見て、にやりと笑った。
「いつまでその曲芸が持つかは知らないが……所詮人間のスキル。発動回数に限界はあるだろう? どちらにせよ、私の勝ちだよ!!」
「………」
ウォルフはちらりとアバロンの方を見る。
アバロンの全景がかろうじて見れる位置まで飛ばされてしまっている。さすがに〈風〉属性を持つウォルフでも、この距離をグリーンドラゴンに捉えられずに逃げ切るのは無理だろう。
そうしている間に、また一回空中歩法を発動する。このままでは、ウェースの言うとおりに空中歩法の制限回数を越え、海に落下するのも時間の問題だ。
「あとはゆっくり貴様が落ちるのを待てばいい……ハハハ!! ここで貴様のマヌケ面を拝ませてもらおう!!」
「……ホンマ、程度の知れた悪役やなぁ……」
哄笑を上げるウェースを見て、ウォルフはため息とともにもう一度宙を蹴る。
「したらまあ……そのアホ面を叩き落としたろうか!!」
「ハッ! できるものならなぁ!」
「やったろうやないかぁ!!」
嘲る様にグリーンドラゴンを操るウェースに叫び、ウォルフは一つのスキルを発動した。
「疾空路ッ!!」
叫ぶと同時に、ウォルフは宙に足をかける。
そして空中歩法を発動するように踵に力を籠め……。
「――ッダッシャァァァァ!!」
「はぁ!?」
そのまま、勢いよく空を駆け出した。
その足元に、明るい緑色に輝く道を生み出しながら、ウォルフは空を勢いよく走り回っているのだ。
ウェースは驚き、駆け抜けてくるウォルフを慌てて避けた。
「うおぉぉぉ!?」
「チィ! 避けんなボケナスが!!」
空を走り抜けるウォルフは、振り抜いた拳を引き、再びウェースを目指す。
ウェースは空を走り回るなどという荒唐無稽なウォルフの姿に一瞬怯むが、即座に体勢を立て直す。
「……フ、フン! その足場が私との戦いの切札というのであれば――!!」
ウェースはまだ残っている疾空路に目を向ける。
空を駆け抜ける足場。それを形成するのが、ウォルフのスキルであるならば。
「――その足場を失えば、どうなるのかなぁ!?」
ウェースは叫び、疾空路の破壊に向かう。
グリーンドラゴンは全速力で飛行し、緑色に輝く疾空路に己の牙を突きたて、食い破らんとする。
……と、その瞬間。ビキリと音を立てるほどの硬さを誇っていたはずの疾空路が一瞬で解け、グリーンドラゴンの全身へと絡みついてきたのだ。
大空を羽ばたく翼まで、解けた疾空路によって拘束されてしまったグリーンドラゴンは、そのまま中空で身動きが取れなくなってしまう。
「んぬぁ!? い、一体なんだこれはぁ!?」
予想だにしない出来事のせいで、ウェースは叫ぶことしかできない。
そんなウェースに対する答えは。
「風で編まれた疾空路、ひとたび駆ければワイの道となり、ひとたび仇為せばそいつに対する拘束具となる、二重のスキル……」
ウォルフの渾身の拳であった。
「勉強不足も大概にせいや、この三下がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ん、ご、がぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
ウェースの直上より駆け下りてきたウォルフは、隕石のごときストレートパンチをウェースの頭へと見舞う。
心地よいクリティカルの快音が響き、ウェースの体はグリーンドラゴンの体を突き抜けそのまま海へと落下していった。
ウォルフはそのまま疾空路を維持しながら走り続け、アバロンに戻りつつポツリとつぶやいた。
「……欠点というか難点は、走り続けな効果が持続せぇへんとこかな。ああ、しんど……」
アバロンまでの距離を考え、ウォルフはげんなりそう呟くのであった。
ウォルフVSウェース
勝者・ウォルフ
決着:疾空路からの、メテオナックル。




