log18.一週間後
ミッドガルドのほど近い場所に、魔法の森と呼ばれるフィールドが存在する。
魔法の、と言っても魔法使いが住んでいたり、何らかの特殊魔法が覚えられるわけではない。広大に広がる森の中がさながら迷宮のような様相を呈しており、地図や方位磁石のような方向を定めるアイテムを持たずに進入すると、あっという間に迷ってしまうことからその名がついた、という設定を持つフィールドだ。森の奥に行けばいくほどレベルの高いモンスターが出るようになるため、ミッドガルド付近でレベリングを敢行する場合は、よく選択肢の一つとして上がる場所である。
フィールドの特徴としては、ポップするモンスターは獣系のモンスターが多めで、入手できるアイテムは木の実や獣肉、あるいは卵のような食材として適しているアイテムがドロップする。
そのため、ミッドガルドのNPC……特に料理人のNPCからクエストとして、何らかの食材を要求される舞台となりやすい場所である。
そんな場所へ、セードーとキキョウの二人はやってきていた。
「コォォ……!」
深く息を吸い、丹田へと気を巡らせるセードー。
同時にその全身が青に、そして赤にと輝く。
ゆっくりとしたその呼吸をトリガーとして発動した剛体法、そして練気法が発動したのだ。
彼の目の前には、黒い毛並みを持つ巨大な熊が立ちふさがっている。
咆哮と同時に熊は立ち上がり、セードーへ向けてその前足を振り下ろした。
セードーは素早く間合いの内側へと踏み込み、熊の剛腕を左腕で受ける。
骨が軋むような音と共に、セードーの全身へと襲い掛かる衝撃。
「ぐっ……!」
視界の端で、HPが半分以下へと低下したことを伝えるアラートが現れる。
だが、セードーは倒れない。
ここに来るまでにレベルを上げているというのもあるが、それ以上に剛体法によるダメージの減衰効果が高いためだ。おかげで瀕死だけは免れることができた。
「セェアッ!!」
そして懐に潜り込み熊の心臓に向けて正拳を叩き込む。同時に響き渡る、小気味よいクリティカル音。
熊はセードーの与えたダメージにひるみ、一歩下がろうとする。
だが、セードーは逃さない。そのままさらに踏み込み、熊の全身へと拳を叩き込んでいく。
「オオォォォ!!」
鈍い打撃音が断続的に響き渡り、やがて熊の頭上に写るHPバーの表示が透明へと変わった瞬間、力ない悲鳴を残して熊の全身は砕け散っていった。
「……ふぅ」
小さく息を吐くセードー。
そんなセードーへ向かって、奇妙な生き物が襲い掛かる。
まるで蜂か何かのような頭部を持った鳥類だ。鋭い鳴き声を上げながら、針のようなくちばしをセードーへと突き立てようとする。
「やぁっ!!」
そんな蜂鳥に叩きつけられる衝撃波が一つ。
怯み、墜落する蜂鳥。セードーはそんな蜂鳥の体に止めの蹴りを打ち込んだ。
「セードーさん! 回復のポーションです!」
「すまん」
木の上から閃衝波を放ったキキョウは、セードーへと回復ポーションの入った瓶を投げ、続けざまにもう一度手にした棒を一閃する。
近づいていた蜂鳥が閃衝波に打ち据えられ、また落ちる。
木の上から跳び、キキョウは蜂鳥の体を強く打ち据える。
「たぁっ!!」
短い悲鳴が響き、蜂鳥の体が砕け散る。
その悲鳴を聞きつけたのか、あるいは別の理由か。数にして十羽近い蜂鳥が姿を現す。
「数が多いです! セードーさん、きっとこの近くですね!」
「そのようだ」
回復ポーションを飲み干し、セードーは頷いてキキョウの隣に並ぶ。
「あとは早めに巣を見つけなければな」
「はいです!」
二人は構え、それから地面を蹴って飛び上がる。
キキョウはそのまま木へと飛び移り、セードーは空を蹴る。
空中歩法の効果により、セードーの体が空中で加速した。
「チェイリャァァァ!!」
鋭い叫びと共に放たれた縦手刀打ちが、蜂鳥の頭を唐竹割にする。
その隣を飛ぶ蜂鳥の体を閃衝波が撃ち、その体をキキョウは踏み台にして次の蜂鳥へと襲い掛かる。
「はっ!」
手にした棒を一直線に突き入れ、蜂鳥の体へと突き立てる。
それと同時に、棒を横へと回転させる。旋風衝棍の効果により、棒を中心に渦巻くような衝撃波が生まれ、蜂鳥の体を穿った。
セードーは目の前の蜂鳥を足場にして飛び、二匹目の蜂鳥を前蹴りで仕留める。その身を回り込んできた蜂鳥が貫こうとするが。
「空中……」
セードーは今一度空を蹴り抜き、己の体を弾き飛ばす。
「三角飛びぃぃぃぃ!!」
自身の蹴りの威力を推進力に放たれた足刀蹴りは蜂鳥の嘴を打ち砕き、その身を霧散させた。
セードーが地面へと着地するのと同時に、棒を突き刺した蜂鳥と共に、キキョウも地面へと落下してきた。
地に激突するのと同時に砕け散る蜂鳥。キキョウは危なげなく着地し、飛びまわる残りの蜂鳥へと視線を向けた。
「ムムム……。一度の跳躍で仕留めきれませんでした……。空中戦は難しいです」
「そうだな……空中歩法には慣れてきたが、回数制限が辛い。宙を蹴れる回数を頭の中に入れておかんと、そのまま墜落死もあり得るからな……」
自分たちに向かって飛んでくる蜂鳥を見ながら、セードーはため息を突いた。
「獣系のモンスターはクリティカルの一撃死を狙いにくい。火力で押し切るよりほかないか……」
「そうですね……」
キキョウも同じようにため息を突きながら、力強く大地へと踏み込む。
「橘流杖術……!」
同様に構えながら、セードーは呼気を吸う。
「コォォォ……!」
迫る蜂鳥は、鋭い勢いで二人の体を貫かんとする。
二人は、必殺の一撃を放つ蜂鳥へ。
「旋風雷雲打ち!!」
「螺旋抜き手ぇ!!」
必殺の一撃を叩き込んだ。
無事蜂鳥の猛攻を切り抜けた二人は、そのまま先へと進み蜂鳥の巣と思しき巨大な土の塊を発見する。
「あ! あれでしょうか?」
キキョウが指差すそれは、木の上からぶら下がっており何とも異様な姿をさらしている。
そしてその中から蜂鳥が出てきたり、あるいは中へと入ったりするのを見てセードーは一つ頷く。
「あれだろうな」
「……で、どうしましょう? 壊しましょうか?」
キキョウは言いながらも、若干気が引けるのかもじもじと手をこねくり合わせる。
先ほどまで襲ってきた蜂鳥はこちらを敵と認識していたから退治するのに躊躇はなかったが、あの中にはまだ成長しきっていない子供の蜂鳥もいるだろう。それを手にかけるのはさすがに気が引けるようだ。
セードーは腕を組んで少し考える。
「……頼まれたアイテムは“蜂鳥の卵”三つだ。それだけ入手できれば、別に巣を破壊しつくす必要もなかろう」
「ですよね」
セードーの言葉に安心したように息を吐くキキョウ。
二人はそのまま巣へと近づいていく。
すると、巣の中から蜂鳥が何匹も現れ、巣に近づく二人を威嚇するように鋭い鳴き声を上げ始めた。その数は二十匹ほど。
「わわ、たくさん出てきました……」
「さすがにあの数はきついな。さっさと目的を達成しよう」
「はいです」
セードーの言葉に頷くキキョウ。それを確認してから、セードーは巣に向かって駆け出す。
そして巣の高さまで飛び上がり、手刀を構える。
「ハッ!」
そのまま巣の表面を三回斬りつける。鈍い打撃音と共に、巣の表面が三角形の形に切り取られ、その部分が下へと落ちる。その拍子に、中に詰まっていた卵もころりと零れ落ちてきた。
「わ……っと!」
キキョウは卵が落ちてくるのを待ち構え、一つも落とさないように受け止めていく。
巣が破壊された蜂鳥は、慌てて巣の補修に回るものと、破壊したセードーと卵を受け止めたキキョウへ攻撃を開始するものに分かれる。
「わ、わ! セードーさん! もう行きましょう!」
「うむ、数は十分だな。しからば」
慌てて逃げ出すキキョウを追いながら、セードーは巣へと振り返りながら声を上げた。
「また来るからな! 元気に卵を産んでくれ!」
セードーのその言葉に、もう来るなと言わんばかりに蜂鳥は猛り吼えるのであった。
ギアシステムが解禁されてから、一週間ほどが経っていた。
あれからセードーとキキョウの二人は、緩やかにレベル上げを行いながら、ミッドガルドの中を巡っていろいろなクエストをこなしていった。
中でも積極的に引き受けたのは、料理人NPCから引き受けられる“食材採取”系のクエストだ。
「わぁ! ありがとうね、二人ともぉ~!」
ごろりとテーブルの上に転がった蜂鳥の卵を前に、とあるレストランの店主NPCは歓声を上げた。
「蜂鳥の卵は甘くて栄養満点なんだけど、魔法の森の結構奥の方にあるからなかなか手に入れられないんだよねぇ! さっすが、シーカーさんだよぉ!」
「いえいえ、そんな……」
キキョウは謙遜するように手を振る。
店主はにこにこ笑いながら、ポケットから通貨のつまった袋を取り出した。
「それじゃあ、これが今回の報酬! 受け取って!」
蜂鳥の卵と入れ替わるようにテーブルの上に置かれた袋は、ゲーム内通貨で1000G。序盤のクエストにしても、やや報酬は少なめと言える。だが、このクエストの真の報酬は別にあるのだ。
セードーはその半分を自分の懐に収めながら、店主の方を見やる。
「……さて、物は用意した。噂の品は、作れるのだろうな?」
「もっちろん! “蜂鳥の卵のふわふわオムレツ”は、司祭長様も絶品って言われるほどの、当店オリジナル料理なんだから! すぐ作るから、待っててね!」
「うむ、よろしく頼む」
店主は蜂鳥の卵を抱えて、上機嫌で厨房へと引っ込んでいく。
決して広くない店内の適当なところに腰をおろし、セードーとキキョウは件の料理が出来上がるのをゆっくりと待った。
「蜂鳥の卵のふわふわオムレツ……! どんな料理なんでしょうか……!」
「大きく現実のそれとずれるとは思わんが、ものが蜂鳥だからな。ちょっとわからん」
「どっちかと言えば、蜂に近いですしね、蜂鳥って」
食材採取系クエストの最大の報酬……それは、その食材で作れる料理をほぼ無償で食べることができる、という点に尽きる。
このゲームに登場する料理は、基本的に現実のそれによく似ている。
鶏もいれば豚もいる。大根があれば、ジャガイモやニンジンも存在する。
もちろん、それぞれの名称は微妙に違ったりもするが、それらによってつくられる料理は現実のそれとほぼ遜色のない仕上がりとなる。
だが、一般には流通しないような品……モンスターを食材とするような料理となれば話は変わってくる。
この世界において、獣系モンスターから取れる食材はその取得難易度に比例するように、美味であり、料理によって得られる特殊効果が高いものとして知られているのだ。
もちろんそればかりではなく、普通とは違った味わいや、想像もしていなかったうまみを期待して食すのもこのゲームにおける料理の面白いところでもある。
「おっまたせー!」
しばらく厨房へ引っ込んでいた店主が二つの皿に黄色いオムレツを載せて、セードー達のついているテーブルへとやってきた。
「“蜂鳥の卵のふわふわオムレツ”の完成だよー!」
「わぁ……!」
自分の前に置かれたオムレツを見て、キキョウは瞳を輝かせた。
見た目は、ごく普通のオムレツだ。ひし形に整えられた卵焼きの傍には、付け合せのサラダが添えられている。
だが、普通の卵と違いその色ははちみつ色に近い。おそらく、蜂鳥の卵を使用しているからだろう。
「調味料は不要か?」
セードーはオムレツの上に何もかかっていないのを見て、そう問いかける。
店主は笑いながら、トマトケチャップの入った椀をテーブルの上に置いた。
「その辺はお好みで! でも個人的にはない方がいいかもね!」
「そうか。では」
店主の言葉に頷き、セードーはナイフとフォークを手にする。
キキョウもまたナイフとフォークを手に取り。
「「いただきまーす」」
丁寧にあいさつをして、オムレツにナイフを切りいれた。
すると、中から程よく半熟となった卵が湯気と共にとろりと溢れ出す。
「はぅぅ……!」
その様にまた感動しながら、キキョウは切り取ったオムレツを口へと運ぶ。
オムレツが口の中に入った瞬間、鼻孔をくすぐるのは強い甘い香り。口の中はあっという間に蜂鳥の卵の甘さに満たされ、キキョウは歓声を上げた。
「あぁ~……! おいひいれふぅ~……!」
「これはすごい。オムレツとは言うが、どちらかと言えばパンケーキに近いな」
セードーも頬を綻ばせながら、オムレツを口に運んでいく。
「確かに何もかけなくても食える……いや、むしろ調味料はかけない方がうまいだろうな」
「でも生クリームとかバターなら合いそうですよぉ~……!」
「あー! それいいかもねー! ちょっと待ってて!」
キキョウの言葉に店主は厨房へと引っ込み、即座にバターと生クリームを持って現れる。
それをオムレツにつけ……二人は一段と強い歓声を上げるのであった。
なお、路地裏の名店系だったので他にお客はいなかった模様。




