log163.迷うということ
ヴァナヘイムの海岸で対峙するセードーとウォルフ。
二人は無言でお互いを睨みあっている。
タイガーはそんな二人の傍を静かに離れ、ウォルフを追ってきたキキョウたちの方へと向かった。
「タイガーさん!」
「おっさん! ウォルフは!?」
「そこにいるとも」
タイガーがウォルフの方を示してみせると、静かな彼の姿にサンは眉根を思いっきりしかめた。
「……なんか不気味なくらい静かだな」
「不気味かどうかは置いておくわね? ……ウォルフ君、どうする気かしら」
先ほど痛いほどの敗戦を喫した相手に相対するウォルフの表情は、驚くほどに静かであった。
普段の彼を考えれば、信じがたいともいえる。
そしてウォルフが、まず沈黙を破った。
「……なあ、セードー」
「……なんだ、ウォルフ」
静かなウォルフと正対するセードーもまた、静かであった。
だが、先の戦いの時に比べるとその雰囲気はずいぶんと和らいでいるように見える。
無論、リラックスしているわけではない。ウォルフに対して警戒を緩めていないが、先ほど纏っていた刃のような殺気は身に纏っていなかった。
ウォルフは、そんなウォルフにこう告げる。
「ワイと、決闘してくれや」
「………」
予想通りと言えば、予想通りの言葉にセードーはスッと目を細める。
血気に逸り無謀につっこんできたのか、はたまた勝てる確信をもって確実に迫ってきているのか、それを見定めようとしているかのようだ。
セードーの視線を受け、ウォルフはゆっくりと首を振った。
「ああ、別に今でなくてもええぞ? 今のワイは、そう急いどるわけやないし」
「なに?」
「自分の気が向いた時でええ。好きな時、好きな場所で、ワイの決闘を受けてくれや」
「………」
セードーの好きな時、好きな場所で、決闘してほしい。
あまりの好条件にウォルフの真意を測りかねるセードー。
時間も場所も、勝負ごとにおいてきわめて重要なファクターだ。かの宮本武蔵も、巌流島と呼ばれる場所での決闘においては丸一日時間を遅らせて決闘者の前に現れたというし、馬謖という中国の偉人は不利と言われた山頂に陣を敷いたせいで大敗を喫したともいう。
公平性を喫すため、公式の試合などは必ず第三者が対戦時間と舞台を用意する。現実の格闘技を思い出せばわかりやすいだろう。対戦者同士の思惑が絡まぬよう、どちらかが有利にならぬよう、時間と場所は慎重に定められるのだ。……もちろん、全てがうまくいくとはいかない。野球やサッカーではホームやアウェイという言葉も存在するし、ボクサーなどは短い準備期間での無理な減量のせいで体調を崩すこともあるという
だがウォルフはそれらの公平性をセードーに委ねるというのだ。どんな不利な条件でも構わないと言っている様なものだ。
無謀ともいえるその提案が、セードーの判断を揺るがせる。
「………」
それだけのことを言ってのけるウォルフの自信はどこから来るのか。
もちろん、双方の実力がそれだけ隔絶されているわけがない。男子、会わざれば三日、括目してみよという言葉があるが、さすがに数十分程度でそれほどの差異が生まれるわけはない。
とはいえ、ものぐさなウォルフのことである。今までため込んだ経験値を一気につぎ込んでLvアップを敢行したのかもしれない。それでもステータス差など微々たるものではあるだろうが。
「………」
セードーはウォルフをゆっくりと観察する。
引き結んだ唇。小柄ではあるがしっかり鍛えられた体躯。大きめのサングラスのせいで視線は窺えないが、向けられた圧力からわかる。ウォルフはまっすぐにセードーを見据えている。
ややだらしなく姿勢を崩しているが、重心までは崩れていない。その気になれば一瞬でこちらの顔面にパンチを一発ぶち込むくらいはできるだろう。荒れた岩場であるが、そのくらいはやってのける男だ。
癖のある喋り方からして、関西の方の生まれなのだろう。以前それとなく聞いてみたときにも彼は特に否定もしなかった。
サンと共に率先して場を盛り上げる目立ちたがり屋であり、相当の負けず嫌いだ。一番初めの一戦に負けて以来、セードーとウォルフの決闘記録は日に日に増え続けている。彼曰く、絶対勝ち越してやるとのことだ。今のところ実力自体は拮抗しているため、完全に果たされてはいないが。……先の一戦を考えればセードーが一歩リードしているともいえる。
どこまでもまっすぐな男であり、そのありようは戦い方にも表れている。ジャブ、フック、アッパー、ストレート。基本的なパンチは全て習得しているが、いわゆるフェイントなどの小手先の技術に関しては学んでいないのか、あるいは趣味に合わないのか使用してくる気配はない。
だが、路上のストリートファイトに興じていることもあるのか、公式の試合では違反とも言われる打ち方を平然としてくる。打ち方、戦い方として正しいかどうかよりも、どれだけ早く相手の顔面を殴れるかに固執している様な気もする。
そんな彼の拳は、時にセードーでさえとらえきれない時もある。速さを極めた一瞬での戦いにおいて、ウォルフは最も力を発揮するかもしれない。
「………」
セードーは考える。ウォルフが何らかの勝機を見出したとするのであれば、やはり速さだろう。
可能な限り速さを極め、最速で打ちこむ。これが最も確実に、ウォルフが取れる最良の戦術となる。
セードーが持ちうる自己強化系スキルでは、彼の速力に追いつくことは難しい。
確実に勝つ、というのであれば何らかのアンプル系強化薬を用意して決闘に臨むべきなのかもしれない――。
「……いいだろう」
だが、セードーにそんな選択肢はない。そもそもはなから頭の中に強化薬のことすらない。
挑まれたのであれば、全力で受ける。それが今わの際で師と交わした約束であり、これからも貫き通さんとする彼の意地だ。
「その決闘、今、受け負う。だが場所は変えさせてもらう」
「ええやろ。早いんは、ワイも望むところや」
タイガーとの会話の中で、師の想いの一端に触れた。
師は、自分に殺す心を授けなかった。ただ強くあれと、師はそう言いたかったのだろうか。
「で? どこでやるんや?」
「すぐそばの砂浜でいいだろう……。平地の方がやり易い」
「お互いさまやな」
だがセードーは、師の強さそのものを追いかけた。
あの日、初めて見た真の強さというものを。
……師は、そんな自分の強さを悔いていたのだろうか。
誰かを殺すためだけに振るい続けた技を持っていることを、後悔していたのだろうか。
「したらいこか。お日さん落ちそうやし、暗ぅなったらいややし」
「ああ……」
そんな技を自身に授けたくなかった故に、外法式無銘空手が生まれたのだとしたら……。
誰かを殺すことは、師の意志に反すことなのだろうか。
師の想いを裏切ることになるのだろうか。
今のセードーには、それがわからない。
「………」
だからこそ、戦うしかない。
タイガーの言うとおり、迷ったままでも戦い……。
師の願う、自分自身の道を見出さねばならないのだろうから。
互いの合意の上、決闘のための場へと移動する二人を追い、キキョウたちも移動する。
ウォルフが決闘を申し込むことは分かっていたが、それをセードーがあっさり受けるとは思わず、サンは驚いたような顔で彼の背中を見つめる。
「セードーが決闘受けたよ……。まだぶちのめし足りないとか?」
「それはないでしょう、セードー君に限って……」
ミツキは乱暴なサンを窘める様に言いながら、セードーとウォルフの背中を見比べる。
「どちらかと言えば……彼自身も再戦を望んでいたように見えたわ。言葉に迷いはなかったし」
「そうでしょうか……?」
キキョウは不安そうにセードーの背中を見つめる。
彼女は、彼の口の端々から何かを感じたのだろう。微かな不安を口にする。
「セードーさん……なんていうか、揺れてます」
「揺れてる?」
「はい……。なんだろう、ホントに小さくなんですけれど……」
キキョウは、小さく頭を振る。
「何か……決めかねているように感じます。何か、大事なことを……」
「決めかねる……か……」
タイガーはゆっくり自身の顎鬚を撫ぜ、それからキキョウの頭をポンと撫でた。
「……人は誰しも迷いを抱えるものだ。大なり小なり……。その迷いにいかにして向き合うか、それこそが人生という長い道における大きな命題なのだと吾輩は思うよ」
「向き合うか……ですか?」
「答えを見つけるんじゃなくて?」
「左様」
タイガーは鷹揚に頷き、まだ年若い少女たちに、己の人生観を少しだけ教授する。
「迷いを抱えたままでは何もできぬと言う人もおろうが……あるいは迷うことこそが人の本質なのやもしれんと、長い生の中で思うようになってな。だが迷いとは人の弱さでもある。多くの者は、その迷いと向き合うことをせず、逃げてしまうものだ……」
タイガーは小さく瞑目しながら、ゆっくりと続ける。
「故に、吾輩はこう考える。迷いの答えを見つけることは重要ではない……己の中の迷いと、どのように向き合い、そして進んでゆくのかが大事なのだ……と」
「迷いと……向き合う……」
「左様。迷いを払うことも重要ではあるかもしれぬ。だが、そればかりに固執していては足元が見えなくなってしまう。そうして倒れてしまっては、元も子もないものだよ」
「……結婚に焦るあまり手段と目的がすり替わっちまうみたいなもんか?」
「 ど う い う 意 味 か し ら … … ? 」
真剣な雰囲気に耐え切れなくなったのか、いらんことを口走るサンをミツキが吊し上げる。
タイガーはそんな彼女たちの様子に苦笑しながら、キキョウに続ける。
「……人は誰しも迷うもの。迷った時の指針があるとも限らない。ならば……迷うことを肯定するのだ。迷うことこそが、指針であるかもしれぬのだからな」
「……迷いを……肯定する……?」
キキョウはタイガーの言葉の意味が理解できずに首を傾げる。
そんな彼女の頭を、タイガーはゆっくり撫で、すまなそうに微笑んだ。
「……余計なことを言ってしまったなぁ。ほれ、爺が余計なことを言っている間に、二人の準備が整ったぞ?」
「――あ」
キキョウがタイガーの言われたままに顔を上げると、セードーとウォルフが砂浜の上で正対しているところだった。
「―――」
「―――」
互いに、手をだらりと下げたまま、構えを取らない。
だが、張りつめた糸のような空気が、キキョウたちの元にまで伝わってきた。
「――セードー。お前に挑むぞ」
「――その決闘、請け負うぞ。ウォルフ」
繰り返されてきた決闘宣言。
広がる決闘場。
今、再びセードーとウォルフの戦いの火蓋が斬って降ろされた―――!
なお、ダメージは入らないが窒息は割とする模様。




