log152.ブルース
突然現れた男は軽く髪を掻き上げる。どことなく、その動作には気品のようなものが見え隠れした。
「君であれば、あの程度の雑技を払うのに苦労はしないだろうな……。野暮であったよ、改めて考えても……」
自身の先ほどの横槍に後悔のようなものを軽く見せるが、すぐに頭を振ってそれを振り払う。
「……だが、あのような戯言を延々と見せつけられ、そして待たされるのも辛抱ならない……。許してほしい。私の無粋を――」
「それは構わないが……」
どこか仰々しい男の一挙手一投足を胡乱げに見ながら、セードーは小さく問いかけた。
「そもそも誰なんだあなたは。名前くらいは教えてほしい」
「おっと、すまない。どうも前置きが長いと言われがちでね」
男は小さく微笑み、それからゆっくりと名乗り上げた。
「私の名前はブルース……。ギルド・ジャッジメントブルースのGM代行を務めているものだ。以後、お見知りおきを」
「ジャッジメント……?」
男の名乗りを聞いたセードーは小さく眉を上げる。
ジャッジメントブルース……その名に聞き覚えはあった。ミッドガルドの市街で仕掛けてきた正義の味方の一人だ。
軽く指の骨を鳴らしながら、セードーはブルースを鋭く見据えた。
「いずれ来るかと思っていたが、こうも早いとはな……」
目の前の男が手にしていた武器は刃付ブーメラン。おそらくそれを何らかのスキルで自在に操ることができるのだろう。
そして霧の中にいた先ほどの二人組を視界に頼らず正確に捉えるスキルも持っていると見るべきだろう。気配はともかく、先の二人の姿は完全に消えていた。外に出ていたのでなければ、外にいたはずのブルースが二人を捉えるには何かのスキルを使用する必要があるだろう。
そして肝心のLvは……80オーバー。キキョウたちに聞いた、円卓の騎士の総隊長護衛方とやらと同じレベル。このゲームにおいては完全な上級者の領域に、目の前の男はいるのだ。ステータスの隔絶だけでも絶望的と言えるだろう。
だが、セードーは戦いをあきらめるつもりも、負けるつもりもなかった。
「―――」
今手元に超人薬があるわけではない。だが、格上との戦いは慣れっこだ。負けても得るものは大きいだろう。これだけの差があるのであれば。
静かに闘志を燃やすセードー。そんな彼の様子に気が付いたブルースは、笑みを深めた。
「……フフ、彼我の戦力差を理解していても、戦いを止めようとしない……。やはり、君は――」
セードーを見て幾度か頷き、それから掌を叩いた。
「――いやはや、本当に君は美しいな!」
「……なに?」
ブルースの言葉に、思わず眉を顰めるセードー。
ブルースはそれに構わず、さらに何度も頷いた。
「その行動……いやさ意志に感服するよ……。決して己を曲げず、そして偽らず。どこまでもひたむきでまっすぐだ―――素晴らしい! 誰もが明確な数字を前に膝を降り、首を垂れる。それはLvでありステータスでありPvPの勝利数でもあるだろう。だが、それらを前にしても君は折れないだろう……固く結んだその拳を解くことはしないだろう! いやはや素晴らしい……本当に、素晴らしい……」
「………」
何かを一人で納得し頷き、あまつさえ拍手まで始めるブルース。放っておくとしまいには涙を流しはじめそうだ。
今までの相手とは、毛色どころかすべてが違うようだ。完全に毒気を抜かれてしまい、セードーは構えを解く。一応、警戒は怠らないが。
ブルースはひとしきり感動し終えると、改めてセードーへと向き直った。
「本当に素晴らしい……すでに私のギルドの者たちと遭遇していただろうに。問答無用で襲うような無粋も犯さない……」
「……たった今、襲う気も失せたがな。なんなんだ、あなたは」
完全に不審者を見る目つきのセードーを前にしても怯まず、ブルースは大きく手を広げた。
「私も一ゲーマーという奴だよ。このゲームをいかに楽しむか……それに腐心する人間の一人だ。ただ攻略するだけではない、イノセント・ワールドならではの楽しみ方というものを日々模索している……ただそれだけの男だよ」
「そういう割に、所属するギルドは警察系のようだな?」
セードーの指摘に、ブルースは苦笑した。
「我が最愛の友が設立したギルドに、席を置かせてもらっているだけだがね。まあ、私の美学に相応しくない者たちと正対するのに躊躇はないが」
「―――ッ」
一瞬、ブルースの笑みが酷薄なものへと変わる。薄ら笑いを浮かべる笑み……その薄皮一枚下に、凄絶なものを潜ませた、そんな笑みに。
セードーは微かに息を詰まらせる。
ブルースはそんなセードーに気がついているのかいないのか、すぐに元の笑みへと表情を変える。
「ともあれ、我が友が今話題のシャドーマンにご執心でね……。初心者への幸運との協議もあったが、独自の調査を進めている最中というわけだ」
「……何人か、俺の元に来たのはその調査のためか?」
「ああ、いやいや。それに関しては謝罪させていただこう」
ブルースは大仰に、しかし深々と頭を下げる。
「君に対する圧迫行為を控えるよう、初心者への幸運との協議があったのだが、末端まで抑え込むことができなかったのは私の不徳だ。申し開きもない、どのような誹りも批判も受け止めよう」
「……そうか」
セードーはブルースの言うとおりに彼を罵倒する気にはなれなかった。
どうにも調子を狂わされている感はあったものの、少なくとも彼の言葉に裏も偽りもないと感じたからだ。
彼はただ思うまま、感じたままのことを口にしている。それを信じることにした。
「では、俺からは何も言うことはない。ギルドとしてではなく、彼らは個人として行動したのだろう。ならば、責任は彼らが持つべきだ。そして、相応の責は負ったと俺は考える」
「……寛大な言葉に感謝するよ、戦士セードー。もっとも、ギルド内の約定に反しているのは事実だ。あとで処罰はさせてもらう」
セードーの言葉に申し訳なさそうに微笑み、それからブルースは頭を上げる。
「さて、今日ここに私が来た目的であるが……先ほど言ったように、我々ジャッジメントブルースはシャドーマンに関して独自の調査を行っている最中だ。君に会いに来たのはその一環だよ」
「――シャドーマンは、俺にそっくりだという話だからな」
セードーは自身の顔を撫でる。
シャドーマンの捜索に際し、出会ったプレイヤーDD。
シャドーマンに直接殺害された彼は、セードーを見てシャドーマンだと断定した。それだけ姿はよく似ていたということだろう。
PvPを通した交流ののち、彼は自身の発言を撤回してくれはしたが、それでもセードーの頭の中にはシャドーマンと自身が似ているという事実がこびり付いている。
「であれば、直接会いに来るのは道理。直接俺を見て、何かわかったか?」
セードーがそう問いかけると、ブルースはしっかりと頷いた。
「ああ、分かったとも。君はシャドーマンではないということがね」
「………そうか」
セードーは小さく呟く。まっすぐにブルースはセードーを見つめた。
「多くの者は見た目で判断するだろう。それは間違いではない。シャドーマンに関する情報はあまりにも少ない。ならば見た目で判断するよりほかはない。――だが君はシャドーマンではない。何故と問うかね? その理由はただ一つ……私がそう信じるからだ」
ブルースは笑み、そして力強く頷く。
「君はシャドーマンではない……それがわかった。それだけでも、今日という日の収穫は十二分にあったものだよ」
「……あなたがそう言うなら、そうなのだろうな」
ブルースの、あまりにも根拠というものが欠落した理論。微かに眩暈こそしたが、本人がいいというならいいのだろう。
彼の最愛の友とやらが頭痛を起こさぬよう祈りながら、セードーはブルースを見やる。
「それで、あなたはこの後どうするのだ? 俺は妨害が入らないようなら、自分のギルドハウスに戻ろうかと思うのだが」
「そのことだが、時間があるなら付きあってもらえないかね?」
「付き合う? 何にだ?」
ブルースが、不意にそんなことを言い出した。
首を傾げるセードーに、ブルースは地図を取り出してセードーの目の前に提示してみせた。
「実はシャドーマンの分布図を手に入れ、それを眺めていた時に一つ気が付いたことがあるのだよ」
「分布……ああ、出現ポイントか」
自身も見たことがあるシャドーマンに出現ポイントを前に、セードーは小さく頷いた。
エタナが提示したものと比べると多少は抜けがあるようだが、それでもしっかりと記録された出現ポイントを、ブルースはゆっくりとなぞり始める。
「こうしてみるとわかるのだが、シャドーマンの出現場所には一貫性がない。同じ地域が何日か続くこともあれば、一日で複数の地域を跨ぐこともある」
ゆっくりとシャドーマンの出現ポイントをなぞるブルースの指。
その指先がヴァル大陸をまっすぐに横断した辺りで、彼はポツリとつぶやいた。
「だがね、いないのだよ」
「いない?」
「そう、いないのだ。シャドーマンが移動している姿を見たものが、誰もいないのだよ」
ブルースの言葉に、セードーは軽く片眉を上げた。
このゲーム、クルソルを使えばコスト消費なしで一度行ったことのある町へと移動することが可能だ。クルソルワープと呼ばれるもので、これを使えば一瞬で大陸の反対側へと移動することができる。
……しかしあくまで“街へ移動できる”だけだ。その移動先を正確に指定することはできない。各町に存在するログインポイントへと移動するのがせいぜいである。というよりクルソルワープというのは、ログイン地点へのワープ行為なのだ。
なので特殊アイテムでログイン地点をワールドマップの適当な場所に指定しておけば、そこにもワープは可能となる。だが町以外のログイン地点は基本的に一ヵ所のみしか指定できない。つまりワープできる場所というのは数が限られるのだ。
魔法やスキルにもワープできるものはあるが、それも有視界距離が限界となる。キャラ能力に寄っての自身の見えない位置へのワープは、ゲームの仕様上不可能となる。
それらを踏まえた上で、一日で大陸の反対側へと移動するシャドーマン。
奴は一体如何様な方法でヴァル大陸を移動しているのだろうか?
「……気づかなかった。確かにシャドーマンにやられたという人間は多いが、シャドーマンを見たという人間はほとんどいない」
「そうなのだよ。大陸のほぼ反対側への移動……クルソルワープを使うにしても、誰もシャドーマンを見ていないのはさすがにおかしい。シャドーマンの隠密スキルが相当高い可能性も否定できないが、現実的ではないからね」
ブルースは軽く指を振りながら、セードーの方を見る。
微かな期待と、確かな自信を秘めた瞳が、セードーの瞳を見つめた。
「なので我々は、シャドーマンはどこにでもポップすることができるモンスター……つまりレアエネミーであると仮定した。襲われている人数が多すぎるので、レアエネミーとしては不可解であるが、それはさして問題ではない」
「……レアエネミー殺しのエイス・B・トワイライトが追っているという話もある。その可能性は高いだろう」
セードーは小さく頷きつつ、ブルースを見つめ返す。
「……それで、何をさせたいのだ、俺に」
「させたいのではなく、誘いたいのだ。ミッドガルド以外で現れるのであれば、そこ以外を探せばよい。幸い、我がギルドは人数が多いのが自慢の一つでね。今日からヴァル大陸内でローラー作戦を実施しているの――」
『――シャドーマンの出現を確認! 繰り返します、シャドーマンの出現を確認!!』
唐突に吠えだすブルースのクルソル。
黙る二人は、クルソルから聞こえてくる声に耳を傾けた。
『場所はニダベリル郊外! ミッドガルド寄りの草原付近! 座標位置送ります! 総員集合願います!!』
「……初日にヒットとは、やるなジャッジメントブルース」
「いやはや惚れ惚れする優秀さだね」
セードーは瞑目し、ブルースは苦笑する。
しかしすぐに真剣な表情となり、二人はニダベリルの方へと向いた。
「では、参ろうか戦士セードー」
「ああ」
そして二人はクルソルを取り出し、同時にワープした。
なお、ジャッジメントブルースは総勢千人超の大型ギルドである模様。




