log132.宴が終わり
イベントボスプレイヤーを演じていたアーヘリアのプレイヤー……御剣という名前の男は、セイクリッド社の廊下で一服しているところであった。
「フー……」
今の時代となってはもはや貴重品と言ってもよい、煙の出るタバコを燻らせながら御剣は天井を見上げる。生憎なことに喫煙室はセイクリッド社にはなく、なるたけ人気がなく換気扇が傍にある休憩用の長椅子に座って紫煙を楽しんでいた。
……いや、楽しんでいるのは先ほどまでの戦いの余韻か。御剣はウォルフ、そしてセードーとの戦いを思い返し、小さく微笑んでいた。
「……今の時代にあんな子供たちがいるとはね……。やっぱり捨てたものじゃないな、VRMMOってのは」
短くなった煙草を携帯用の灰皿の中に押し込み、新しい煙草に火をつける。
骨董品と呼んで差支えないジッポーライターを点火していると、彼の傍に一人の女性が現れた。
「ケホッ……。御剣君、まだそんなの吸って……」
スーツ姿の女性は御剣が焚いた紫煙の匂いに軽く咳き込みながら、小さく眉をしかめた。
「体に悪いって、知ってるでしょう? 今は電子タバコが主流なんだから、大人しくそっちを吸いなさいよ」
「悪いね、環。こっちじゃないと、吸った気がしないのさ」
御剣は悪びれずにそう言う。
環と呼ばれた女性は小さなため息をつくが、すぐに苦笑して御剣に指摘する。
「もう、御剣君? 私は環じゃないでしょう?」
「……? あ、ああ」
御剣は一瞬不審そうな顔つきになるが、すぐに彼女の言いたいことを思い出す。
「今はもう加賀美だったっけか。悪い」
「いいわよ別に。結婚して、まだ半年だし」
環……いや、加賀美は詫びる御剣にそう告げる。
環と呼ばれていたころの彼女は、現役時代の御剣とパーティを組んでいた仲間の一人だ。
もう一人……加賀美という男と合わせて三人、あらゆるダンジョンやイベントに挑戦していたものだ。
そんな当時の状況を微かに思い出しながら、御剣は問いかけた。
「それで加賀美……んー、あー、旦那の方はどうしてるんだ?」
「あの人なら、御剣君と入れ替わりでVRポッドに入ったわ。そろそろ、最下層に到達されそうだって言ってたわね」
「やれやれ……トラップメイカーのダンジョンを選んでしまった不幸なシーカー達の命運を祈ろうかな」
御剣はやや皮肉気に十字を切る。……赤く点った煙草の先で。
加賀美はそんな御剣の行動を注意しようとするが、それより先に一人の老人の声が割り込んできた。
「君の言うとおりだな。加賀美君の築く罠群は芸術的だが……突破するには多少なり骨を折らねばならんからな」
「! 社長!」
加賀美の背後から現れたのは如月純也であった。
純也は畏まる加賀美に向かって鷹揚に手を振る。
「楽にしてくれたまえ、加賀美君。君も、久しぶりのログインで疲れているだろう?」
「いえ。私はこれが仕事ですから」
加賀美はそう言って、微かに微笑む。
御剣はまだ長さを保っている煙草の火をもみ消し、灰皿の中へと押し込んだ。
「ふむ? そのままで構わんよ、御剣君」
「そういうわけにもいきませんでしょう、社長? 貴方には、まだ長生きしてもらいませんとね」
御剣はそう言って立ち上がる。
そして純也へと向き直ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、如月社長。今回のマンスリーイベントのボスプレイヤーに招いていただきまして」
「気にしないでくれたまえ、御剣君。このイベントには優秀なプレイヤーが数多く必要になる……それこそ、想像しえないほどにな。結局、いくつかの同盟諸君にはNPCボスをあてがわざるを得なかったのが残念だ」
「……社長らしいですね」
純也はそう言って、小さくため息をついた。動作は静かなものだが、そのため息の中にいかほどの後悔が込められているのだろうか。
御剣はしばらくそんな純也を眺めていたが、すぐに気を取り直したように加賀美の方へと向き直る。
「ところで加賀美……。今回の報酬、というか給金の話なんだけれど」
「……社長のいる前でする話? 契約書にはサインしたでしょう? あの通りに支払いが――」
「ああ、そのことで……働いた時給分、現物支給してもらえないかな?」
「現……物……? え、何言ってるの貴方」
御剣からの申し出に困惑……というよりは呆れる加賀美。
電子タバコに電子ブック、そして電子マネーが一般化しているこの時代、このご時世に現物支給なんて支払制度は存在しない。いや、絶滅したというべきだろうか?
ともあれ、契約書内にも記載されていないような給金の支払いを一社員でしかない加賀美が許容できるわけもなく、御剣を諌めようとする。
だが彼女が口を開くよりも、御剣が手を上げて制する方が早かった。
「ちょ……なによ?」
「いや、なに。ちょっと計算したんだけれど……私の今日までの時給の合計と、セイクリッド社謹製・イノセント・ワールド専用の最新のVRメットがちょうど同じくらいじゃないか。領収書はいらないから、物をくれるとありがたいんだけど」
「……ん? え? は?」
一瞬、御剣がなにを言っているのかわからず今度は混乱する加賀美。
一方で純也は彼が何を言いたいのかはっきり理解したのか、一つ頷きスマートフォンを取り出した。
「すぐに準備させよう。オプションの希望があれば、言ってくれたまえ。そちらはサービスとさせてもらおう」
「そうですね。では、何があるのかゆっくり選ばせてください」
「それもそうか。では、こちらに来たまえ。用意があるよ」
「あ、社長……御剣君!?」
一人混乱する加賀美を置いて、御剣と純也はそのまま立ち去ってしまう。
しばらくぽかんとしていた加賀美であるが、すぐに呆れと嬉しさの入り混じった笑みを浮かべてため息をついた。
「まったく……あの人と大喧嘩してまで引退したくせに……。何言われるか、知らないわよ?」
とびっきりの毒舌家である愛しの旦那が、彼に対して何を言い出すのか想像し、そしてそれをどう仲裁するかを考えながら、加賀美は足取りも軽く二人の背中を追った。
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「見つけた……! ついに……!」
どことも知れない荒れた岩山の上で、エイスが喜びに打ち震えていた。
全身を震わせる彼女の喜びはやがて抑えきれずに声に出て、笑みとなった。
「フ、フフフ……ハッハッハッハ!! ああ、ついに見つけたわよ! 今度こそ、私の手で……!」
「見つけたと言っても反応は一瞬。すーぐに消えちゃったけどねぇ」
高笑いを上げるエイスの背後から、カネレがひょっこり顔を出す。
そのまま背負ったギターを取り出してジャカジャカ鳴らし始める彼を、エイスはじろりと睨みつけた。
「……たとえ消えたのだとしても、はっきりと見つけることができたわ。今までのように姿を隠し続けることはできない……。今度は、逃がさないわ」
「んっんー。頑張ってねー」
ギターを鳴らしながら呑気に呟くカネレに、エイスは不審げな表情を浮かべた。
「……前から思っていたのだけれど、あなたは何を考えているのかしら?」
「ん~? 何をって~?」
「そのままの意味よ」
ノッてきたのか、いつもの調子っぱずれな歌声を上げ始めるカネレ。
エイスは腕を組み、彼を見下ろす。
「あれの存在は……決してこの世界にとって許容できるものではないでしょう。放っておけば、バグが生まれ、最悪死人さえ出るわ。それを……あなたは許すというの?」
「ん~♪ 幸いなことに今まで誰も死んじゃいないし、生まれたバグもみんな仕様にしちゃえばオッケー! そのために僕がいるし、純也がいるのさ~♪」
エイスの言葉にカネレは歌いながらそう答える。
ギターの奏でる不協和音は徐々に高く大きくなり、耳障りになってくる。
エイスは一つため息をつき、指を鳴らした。
「――貴方に聞いたのが間違いだったわね」
「んがっ」
瞬間、全身を分厚い氷で覆われてしまうカネレ。
エイスはカネレから視線を逸らし、岩山の頂上から何かを探すように下界を睥睨し始める。
「私は許さない……。決して許さない。あれの存在を……すべて、根絶してやる……!」
「んー。できるといいねぇ~できたらいいねぇ~」
全てを凍てつかせ、行動不能を引き起こすエイスの棺からカネレはあっさり脱出する。
ぬるりという気味の悪い音共に中身の抜けた氷の棺は、そのままぶよぶよする水の塊と化し、岩山のふもとに向かって転がり落ちていった。
「今までに、完全にあの子らを消し去れた例は存在しないからね~♪ リサイクルリサイクル~♪」
「……大したエコ精神ね。身の内に毒を仕込むなんて」
軽い調子のカネレを、エイスは鋭く睨みつける。
絶対零度と言える視線を受けても、カネレの様子は変わらない。
「薬は毒を薄めたものさ~♪ 死ななきゃ安い安い~♪」
「薬も過ぎれば毒となる、よ。一個体でも多く、存在を抹消すべきなのよ……!」
エイスは身を翻し、場所を移動しようとする。
そんなエイスに、カネレは一つ問いかけた。
「それはそれとしてさ? あの子は今はレアエネミーだ。……誰かに先を越されるとは思わないのかい?」
「――何を言っているのかしら」
エイスは小さく呟き、そして絶対の自信を持って振り返る。
「私の名前は、エイス・ブルー・トワイライト……。百万はくだらないシーカー、その頂点に最も近い場所に立つ、トッププレイヤーの一人よ?」
かつて、イノセント・ワールドメインクエストの最終目標であり、ラスボスでもある魔王を一人で倒したこともある少女は、今なお魔王の影さえ踏んだことのない男を見下ろす。
「凡百のシーカー達に、この私が遅れを取ると思ってかしら? ねぇ、カネレ・カルロ?」
「……さぁてねぇ? 僕は神さまじゃないからね~♪」
カネレは横に首を振り、ギターを鳴らす。
「僕はただ見守るだけさ~♪ この世界に毎日のように生まれるシーカー達の行く末を~♪」
「……そう、なら黙って見ていなさい」
エイスは髪を掻き上げ、エイスを一瞥する。
「今度こそ、私があれを倒すのをね……!」
「楽しみに待ってるよ~♪」
エイスはカネレの言葉を聞かずに、その場から消える。
聞くものがいなくなってもギターを鳴らし続けるカネレは、空を見上げてポツリとつぶやいた。
「……果てしてうまくいくかな? 今回のあの子は……すこぉし、毛色が違うようだよ……?」
何かを見通すかのようなカネレのつぶやきは、風に乗ってどこかへと消えていくのだった……。
なお、最新のVRメットはお値段にして五万円前後の模様。




