log131.完全攻略
「ゴォォォ……」
抉り抜いた右手を下し、セードーはゆっくり呼吸をする。
アーヘリアとの戦い……超人薬に頼らねば、おそらく必勝はあり得なかっただろう。到達できたのはセードーとウォルフの二人。本当に二人だけで勝てるほど、覇王は甘い相手ではなかった。
今までのレアエネミーラッシュが、アーヘリアに到達するプレイヤーを減らすためのものであったとするのであれば……うまい策と言わざるを得ない。レアエネミーが落とすレアアイテムは、質が良いものが多い。自分が使っても、他人に売っても得るものは多い。
必然的に人数は減り、今日覇王に挑めたのはセードーとウォルフの二人だけだった。超人薬なしでは、間違いなく勝てなかっただろう。
(勝ちを急ぐ必要はなかったかもしれないが……だが、勝てて良かった)
セードーは安堵のため息をつく。
きっと、皆で挑めば覇王には勝てただろう。さしもの覇王も、十人以上でかかれば多少なり手傷は追わせられるだろうし、リスポン位置を屋上に指定してあるこちらはいくらでも人員を送ることができる。一人であり、なおかつリスポンできない覇王には、初めから勝ち目はない。
そうして皆で得られる勝利もまた、格別の味がするのだろう。同盟で勝利を得る達成感は、とても素晴らしいものなのだろう。
だがやはり……一人の武人として、自らの手で得られた勝利というのは、何物にも代えがたいものだった。
キキョウたちとのパーティを。ウォルフたちとのギルドを。そしてアラーキー達との同盟を。
その全てを経験してなお、セードーはそう感じていた。
(……こんなふうに考えていると言ったら、先生は怒るだろうか……)
ふと、そんな益体もないことを考えてしまう。
そもそもアラーキーも、セードーのコミュニケーション能力を鍛えるためにこのイノセント・ワールドへ誘ったのだ。そんなセードーが一ヶ月あまりで得た結論がこれでは、泣くか怒るかしかあるまい。
……そんな風に考えてしまうのは、気が抜けているからだろうか。覇王という強大な敵に勝利することができたため、緊張の糸が切れてしまっていたのだろう。
「―――ヒィッ……!?」
ランスロットが息を呑む声を聞かなければ……背後で起きている以上に気が付けなかったのだから。
「ん……?」
小さな少年の悲鳴を聞き、セードーは何の気なしに振り返る。
その視線の先には、異様な光景が存在していた。
「―――」
そこに横たわっていたのは、覇王の体……いや、アバターだろうか。
すでに白目を剥き、一目見れば意識が入っていないのがはっきりと知れた。おそらく、覇王自身はすでにログアウトしてしまっているのだろう。イベントボスプレイヤーが一度倒された後どうなるかはわからないが、少なくともリスポンはしないだろう。
リスポンするのであれば、わざわざ白目を剥いたまま、海老反りでブリッジの体勢など取らないだろうから。
「………」
目の前のシュールな光景に、思わずセードーは拳を構える。
覇王が全力で笑いを取りに来ているのだろうかと、そんな風に考えてしまった。玉にウォルフはボケのつもりか、こんな体勢で這い回ることもある。
だが、覇王のアバターはまるで足首の力だけで立ち上がろうとしているのか、時折ガクガクと関節を鳴らしながら、上体を起こそうとしている。
覇王のアバターが一度揺れるたび、ランスロットが小さな悲鳴を上げた。一度死んだはずの人間がこんなふうに起き上がるのはホラーに他ならない……慣れなければ、恐ろしい光景だろう。
(……覇王のアバターの発狂が、こうなる予定なのか? いまいち読み切れんな……)
まだイベントが終わっていないと考えたセードーは、気を引き締めて覇王の動向に注視する。
幸いなことに、まだ超人薬の効果は残っている。残り時間は一分もないが、HP0の覇王を一蹴するには十分だろう。
残り時間が尽きる前には一撃見舞ってやろうと、セードーは足に力を入れる。
その時。
「オ・ボ・エ・タ……」
覇王の喉……いや、目か?鼻か? ともあれ、覇王の顔の奥から奇妙な声が聞こえる。
ボイスチェンジャー、という機械がある。マイクを通して喋ると、機械音声が発声されるというものだが……ちょうど複数のボイスチェンジャーを通して喋ると、今セードーが聞いたような声が生まれるかもしれない。そんな、異質な音が聞こえた。
思わず足を止めるセードーの目の前で、ガラスの割れる音共に、覇王の顔が割れた。
「―――」
割れた顔の一部は剥離し、地面に落ちる。
その奥から、別の人間の顔がのぞいているのがセードーから見えた。
「――ア、ハ?」
仰向けに起き上がろうとしている覇王のアバターとは逆に、うつ伏せの姿勢から立ち上がろうとしているかのような向きの、セードーと同い年くらいの少年だろうか。
覗く瞳はギョロリとセードーを見据え、愉悦に歪む。
どうやら、覇王のアバターを着ぐるみか何かのように着込んでいるようだ。顔の中の少年が前に出ようとすると、ギシリと関節を鳴らしながら覇王のアバターが前に出ようとする。
覇王の中の少年は関節の向きを無視して腕を伸ばそうとし、ギチリと覇王のアバターが嫌な音を立てた。
「―――」
瞬間響き渡ったのは爆音のごとき踏み込み。
ランスロットが気が付いた時には、セードーは飛び上がり、覇王のアバターにさらなる一撃を加えようとしているところであった。
「セードーさん!?」
ランスロットが声を上げるが、セードーの耳には聞こえない。
……いや、頭の中には届かないというべきだろうか。
覇王の中の少年と目が合った瞬間、セードーの頭の中は真っ白になった。
その少年がイベントの一環として出現したのかどうかとか、覇王の発狂モードがこの少年なのかとか、そんな考えさえ吹き飛んだ。
セードーは直感的に感じた。今あの中に存在する少年は……今ここで殺すべきだと。
互いに死闘を繰り広げた覇王のアバターを利用し、それをまるで使い捨てるかのように粗雑に扱っているとか、死闘を終えた後の勝利の余韻を邪魔したとか、殺す理由はいくらでも作れるかもしれない。
そしてゲームの中だというのに、殺すという表現もおかしいかもしれない。この少年が敵であれば、倒すというべきだろう。電子上の存在を殺す方法など、プレイヤーにはないのだから。
だが、セードーは殺すべきだと感じた。少年が笑み、動き、手を伸ばした時。
背筋に走った言い知れない感覚……。全身を芋虫か何かが這い回る気味の悪い感じ……。
おそらく、嫌悪。セードーは、目の前に現れた少年に激しい嫌悪感を抱いていた。
まるで……人間のできそこないがそこに存在しているかのような、場違いな感じ。それを打ち消すべく、セードーは全霊を持って拳を振り下ろした。
「―――ッ!!!」
五指を曲げ、しっかりと握りこみ、固めた拳。
正拳は、狙い違わず覇王のアバターへと突き刺さった。
瞬間、可聴領域を超える爆音が生まれ、ランスロットがその衝撃で転がってゆく。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
悲鳴を上げるランスロット。受け身さえ取れず、彼は転がってゆく。
セードーは自らが生んだ爆発によって舞い上がる粉塵の中、拳を握りしめる。
「……ない……」
小さな呟き。
セードーは、あるべきものがないことに気が付いていた。
「手応えが、ない」
先ほど……ほんの一瞬前まで存在していたはずの覇王のアバター……そしてその中にいたはずの少年。
そのどちらも、セードーの目の前から消えていた。
ほんの一瞬、拳を叩きつける直前まではそこに存在していたはずだった。
だが、次の瞬間には消え失せた。まるで、初めから存在していなかったかのように。
目標を失った拳は、そのまま地面へと叩きつけられた。
「………」
しばらくすると粉塵が晴れてゆく。
すると姿を現すのは、爆心地にも等しいクレーター。セードーが放った一撃が、地面を抉って見せたのだ。
その中にたたずむセードーの全身から放たれる朱いオーラは、大勢のプレイヤーたちが駈け寄る足音共に消えていった。
「セェードォーさぁーん!!」
「無事かいな、セードー!」
「……みんな」
クレーターの中心でたたずむセードーを見下ろすウォルフたち。
セードーは固めた拳をほぐしながら、彼らを見上げた。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、うん……大丈夫だ。今そちらに行く」
「っかぁー! すんげぇなこれ!」
「よほど激しい戦いがあったのね……」
セードーが出てきたクレーターを見て、闘者組合の皆が口々に呟く。……彼らが思うような形で、生まれたものとは知らずに。
微かにうつむき気なセードーに近づいたリュージとホークアイは、彼の様子に微かに首を傾げたが、気を取り直して問いかける。
「で? きっちり止めは刺したんだろ?」
「……ああ」
「ふぅん。超人薬こみとはいえ、さすがだねぇ」
「さすがだ、セードー!」
「まったくね。どこかの馬鹿にも見習ってほしいくらい」
次々と仲間たちからの賞賛を受け、セードーは微かに首を横に振る。
「……いや、俺は……」
「ん? どうかし――」
セードーの様子がおかしいことに気が付いたウォルフがそのことに言及しようとしたその瞬間。
〈Mission Complete!! 第三、そしてFinal Waveを突破しました! これにて今イベントダンジョン、完全攻略となります! 本当に、おめでとうございます!〉
盛大かつ華やかなファンファーレと共に、セードー達ギルド同盟がこのイベントダンジョンを完全攻略したことを告げるメッセージが、その場にいた全員の視界に現れた。
「……を?」
「今の、って……」
「つまり……」
仲間たちはしばし沈黙し……そして大きな歓声を上げた。
「はぁーっはぁ!! 祝砲を上げろぉ!! 我々の勝利だぁ!!」
「イベントダンジョンだけじゃなくて、円卓の騎士の連中も明かしてやったよ! やったぁー!!」
「やれやれ、派手だねぇ」
喜びの砲火を上げる軍曹とサラを見て、ホークアイは苦笑する。
「やったぁ! やったよ皆!」
「イベントクリアだよ、マコちゃん! やったねぇ!」
「まったく万々歳ね……。ようやく遺物兵装のコアも手に入ったし……。これで、もう、あの峡谷を、周回しなくても……!」
「泣くほど嫌なのか、パトリオットマラソン……」
「そもそも道中が辛すぎるよな、俺たちのレベルじゃ」
手に入れたレアアイテムを握りしめ、泣きむせぶマコを慰めつつ、リュージはうんうんと頷く。
「勝利、か……。多少なり貢献はできた……としようか……」
「―――」
何か拭いきれないものを抱えるスティールに、そっと着ぐるみ少女が寄り添う。
「おっしゃやったらぁー!! ワイらの完全勝利やぁー!!」
「しかし負け犬が一名」
「やったるぞワリャァコンチクショウがぁ!!」
「落ち着きなさいって、二人とも! んもう、せっかくのイベント攻略なのに……」
「あははは……」
ウォルフの一敗を弄るサン。その挑発に乗るウォルフ。
そんな二人を諌めるミツキに、いつも通りのドタバタ劇を前にして苦笑するキキョウ。
「………」
「? セードーさん?」
そして……一人浮かない顔をするセードー。
不安そうなキキョウの声を聞き、セードーは顔を上げる。
「……ん、どうした?」
「いえ……。その、何かありました?」
キキョウはそう問いかけるが、セードーは何かを振り払うように首を振った。
「いや……。それより、上へあがろう。先生たちにも――」
「セェードォー!!」
セードーが提案するより早く、アラーキーが地下十五階に駆け込んでくる。片手に酒瓶を握りしめながら。
どうやら、すでに上は宴会ムードのようだった。
「よくやったぁ、うん! そして早く来い!! 英雄たちを胴上げじゃぁ!!」
「……もう出来上がっているようだな」
「みたい、ですね……アハハ……」
まるで酔っぱらっているかのようなアラーキーを前に、セードー達は苦笑する。
さらに続いて現れるジャッキーにエイミー。そしてギルド同盟の仲間たち。
大きくなってゆく歓声を前に、セードーは小さな笑みを浮かべるのであった。
オ・ボ・エ・タ……。ア・レ・ガ・タ・タ・カ・イ……。




