log122.妖精竜の加護
白い煙を浴びたキキョウはケイオス・テンタクルに蹴りを入れて何とか離脱を図ろうとする。
だが、すぐに体勢を崩しそのままケイオス・テンタクルの蔓の上に落下してしまった。
「キキョウ!」
「キキョウちゃん!」
サンとミツキが声をかけるが、キキョウは動こうとしない。
……いや、動けないのかもしれない。先ほどの煙がケイオス・テンタクルの何らかの攻撃であることは明白だろう。
今のところ蠢く蔓はキキョウの体を捉えようとはしていないが、動けないままではそのままリスポン待ちにさせられてしまうだろう。
「キキョウの奴、どうしたんだ……!?」
「サン! 私たちで――!」
ミツキはいち早くキキョウの元へ駆け出そうとする。
だが、その時辺りを囲っていたケイオス・テンタクルの蔓から白い煙が噴き出した。
「え!?」
「な、なんだ!?」
白い煙はあっという間にミツキとサンの体に纏わり付き……そしてすぐに晴れていった。
視界を塞ぐわけでもなく、体に纏わり付く様子もない。本当にすぐに煙は消え失せてしまった。
「……な、なんだ? 煙、無くなっちまったぞ……?」
「――煙を浴びせることで何かがおこるなら、今のうちに!」
サンは不気味とさえいえる白い煙の存在に怯える。何が起こるかわからない、というのが最も恐ろしいのだ。
ミツキもまた不気味な白い煙の存在に不審を覚えるが、それよりもキキョウを救うことを優先しようとした。
一息に蔓を跳び越えキキョウの元に駆け付けるべく、ミツキは足を曲げ、力を込める――。
「……あ、ぐ!?」
――曲がった膝は体を跳ね上げるために伸びることはなく、そのまま力なく地面へと落ちた。
突如体を襲った倦怠感。ミツキは慌てて立ち上がろうとするがそれさえ叶わず、両手を地面に突いてしまう。
「な、なに……!?」
「体が、動かねぇ……!」
ミツキと同様、サンもいつの間にか尻餅をつき体を痙攣させていた。
何とか倒れないように全身に力を入れるが、まるで熱に浮かされたように力が抜けていく。
二人を襲った謎の現象の正体は、ほどなく知れた。二人の視界に状態異常を表すシグナルが現れたのだ。
そのシグナルの名は“Sick”。すなわち、病気だ。
ミツキは“熱病”、サンは“痙攣症”。どちらも行動不能に陥る病症系の状態異常になる。
「びょ、病気……!? まさか、さっきに白い煙で……!」
「くそぉぉぉ……! 万能薬持ってねぇぇぇ……!」
イノセント・ワールドの状態異常は、大別して二つある。
腕が欠ける、足が捥げるなど、物理的な傷としてプレイヤーに現れる損傷系と、病気や呪いといった形でプレイヤーを内側から蝕む病症系だ。
損傷系はステータスダウンや半ログアウトに通じ、病症系はHPMPへのスリップダメージや行動不能に通ずる。もちろん例外もあるが、プレイヤーたちの認知としてはこのような形となる。
病症系が厄介なところは、やはり行動不能に陥るものが含まれるところだろう。
行動不能は半ログアウト状態とは異なり、プレイヤーの意識はゲーム内に収まったままとなる。その気になれば移動もできるし、アイテムも使うことができる。
しかし戦闘系スキルは使用できなくなるし、敵の行動を回避したり捌いたりもできなくなる。戦闘時には必ず避けたい状態異常だ。
病気にかかった場合は万能薬を使えば回復できるが……残念なことにサンもミツキも持ち合わせていなかった。万能薬はあらゆる病症系状態異常に効く薬で、極めて高価なポーションの一つでもあるからだ。
行動不能に苦しむ彼女たちの傍に、ノースが悠々と近寄ってゆく。
「大丈夫かね、二人とも」
「て、てめぇ……!?」
ノースはケイオス・テンタクルから頻繁に白い煙を浴びせられているというのになんでもないとでもいうように平然と立っていた。
サンは顔をしかめながらノースを睨み上げ、声を絞り出した。
「なんで平気なんだよ……!? 煙を浴びたってのに、なんで……!」
「ふむ、この煙だが……どうも吸い込むことで病気を発動するようでな」
ノースは軽く自身の兜を……口元も完全におおわれているフルフェイスヘルメットを叩いた。
「このヘルメット、単なる飾りではなく、こうした突発的な病症を吸い込まぬためのマスクの役割を果たすのでな。この程度であれば、凌げるのだよ」
「てめぇずるいじゃねーかぁ……!!」
ノースの言葉を聞き、ミツキは疑わしげに彼を見上げる。
「貴方……知っていたの……? この、ケイオス・テンタクルの性質を……」
「――何のことかわからんな?」
素知らぬ様子でそう言いながら、ノースは内心で勝ち誇っていた。
(フハハハハ! 馬鹿め、何も知らずに敵を煽らいでか!)
ミツキの考えている通り、ノースはケイオス・テンタクルを知っていた。
ノースはレアエネミーのような、最も横から奪いやすい敵の情報は可能な限り全て握っている。
ケイオス・テンタクルは特定地点でのみ必ずポップするレアエネミーだが、弱点の花弁を攻撃すると病症をランダムで発症する白い煙を吹き出すことで反撃を試みるのだ。
発症する病気は必ず行動不能に陥るもので、白い煙を吸い込むことで発症することも調査済みだ。
(これで小娘を含め、全員行動不能……! あとは動けぬこいつらの横で、悠々とケイオス・テンタクルを打ち伏せればよいのだ……!)
こういう状況のために、ノースは自らの装備には病症を防ぐための機能を山のように盛り込んである。病症は厄介であるが、発症を防ぐのは簡単だ。肌を露出せず、妙な空気を吸い込まない様にすればよい。
「ひきょうものめぇぇぇ……!」
「まったく……呆れるわね……」
「何を言いたいのかは知らんが……とりあえず、ケイオス・テンタクルは倒してしまうぞ」
サンとミツキの呪詛を心地よく受け止めながら、ノースは鋼の剣を振るう。
(ククク……。せいぜい吼えろ。あらゆる事態に備えてようやく、我々の並ぶ権利を有するというものなのだ……!)
レベルが相応に低いケイオス・テンタクルであれば、ノースのとって敵ではない。
ノースは一撃で花弁を両断すべくそちらの方に顔を向け。
「―――む?」
不意に、何かと視線を結ぶ。
ぱっくり開いたままの花弁……その隙間から覗く、一対の瞳と、目があった。
(なんだ? 一体何)
思考する間もあればこそ、ノースの全身を突然衝撃が襲った。
「かっ、はっ……!?」
脳髄を電流が駆け抜けるかのような、激しい衝撃。
思わず剣を手放し、ノースはゆっくりと仰向けに倒れてしまった。
(な、なにが……!?)
喋ることさえままならないノースの視界に写ったのは状態異常を知らせるシグナル。
“Curse”。それが、ノースを襲った状態異常の正体だ。
(呪い!? 馬鹿な、一体どうなっている!?)
仰向けに倒れたノースは指一つ動かすことができずに狼狽える。
そんな彼を見据えていた一対の瞳の持ち主が、ゆっくりと花弁の中から現れる。
「……な、なんだありゃぁ……?」
花弁の中から現れたのは、美しい女性の姿をしたモンスターだ。
緑色の肌をし、煌めくエメラルドグリーンの美しい髪を翻す、裸の美女がそこにいた。下半身が花弁の中に埋まったままなのでよくは分からないが、露出した上半身から察するにかなり長身のようだ。それに見合うだけの胸部も持っている。
サンは豊かに実ったその部分に目をやり、鋭い目つきでケイオス・テンタクルを睨みつけた。
「なんだこのセクハラモンスター……。触手プレイにモンスター娘って……」
「触手はともかく、モンスター娘って何かしら……?」
ノースにぶつけたのとは別の呪詛を吐き出し始めるサンの言葉に首を傾げるミツキ。
……彼女たちは知る由もないが、この女性部分こそがケイオス・テンタクルというモンスターのレアエネミーなのだ。
特定地点にてポップするケイオス・テンタクル。その弱点であり病気発動の基点となる花弁……ここを叩いた際に、低確率で出現するのがミツキ達の前に現れた女性部分。一見するとただの飾りのようだが、この部分は視線を結ぶと呪いの状態異常を発生させる“邪視”の能力を持つ。
これも行動不能の呪いが罹るうえ、病気と異なり視線を塞いだ程度では凌ぐことが叶わない。呪い自体は目を見なければ発動しないが、呪いが発動しない場合物理的な攻撃力になってプレイヤーを打ち据える。その威力は蔓の攻撃とほぼ同等であり、まともに受けるのはそこそこ危険だ。
「けど、ノースをぶっ倒してくれたのはありがてぇな。そのまま掻っ攫われるとこだったし」
「そこはありがたいけれど……私たちがピンチには代わりないわよね?」
ノースがあっさり行動不能に陥ったことでやや溜飲も下がったのだが、そんな余裕をケイオス・テンタクルは与えてくれそうにない。
ケイオス・テンタクルは妖艶に微笑むと、ゆっくりとミツキ達の方へと近づき始めたからだ。
「……! やっぱり来るのね……!」
「近寄んなおっぱいお化けがぁ!! 燃やし尽くすぞ!!」
サンは吠えるが、ケイオス・テンタクルが聞いているかどうかはわからない。
笑みを浮かべたまま、ケイオス・テンタクルはゆっくりと蔓をミツキとサンに近づける――。
「――光陰、白打陣!!」
だがそれを一瞬で薙ぎ払う者が現れた。
光が瞬くと同時に棍を振るい、ミツキとサンの窮地を救ったのは――。
「キキョウ!」
「キキョウちゃん!?」
「はいっ!」
真っ先にケイオス・テンタクルの病症にやられたはずの、キキョウであった。
キキョウは棍を振るいながら背に二人を庇い、ケイオス・テンタクルと相対した。
「これ以上、二人には近づけさせません……! 私が相手です!」
「キキョウー! やった、キキョウが無事だー!」
「無事なのはいいけれど……!」
サンはキキョウの無事を素直に喜ぶが、ミツキは顔を険しくする。
ケイオス・テンタクルは一瞬でノースを行動不能に陥れた。呪いに陥ったということはミツキにも伝わったが、彼女にはその方法がわからない。
「キキョウちゃん、気を付けて! ケイオス・テンタクルは呪いを放つわ! 迂闊に……!」
ミツキは危機を伝えるべく、キキョウに向けて声を張り上げる。
だが、それよりケイオス・テンタクルの方が早かった。
笑みを浮かべたまま視線を巡らせ、キキョウと視線をかわす。
「っ!」
キキョウは素早く棍を構え、ケイオス・テンタクルの攻撃に備えた。
だが、ケイオス・テンタクルは蔓を振るわず、瞳を輝かせる。
次の瞬間、キキョウの周囲に薄い、虹色のバリアが現れた。
「くっ……!」
「キキョウちゃん!」
「だいじょうぶです! やれます!」
ミツキの心配そうな声に、キキョウはしっかりと答えた。
突然現れたバリアの存在にミツキは驚いた。キキョウにあんなスキルがあったとは。
サンも同じ気持ちだったのか、羨ましそうに叫んだ。
「キキョウ! いつそんなスキル覚えたんだよ!」
「いえ、覚えてないです!」
「は?」
だがキキョウはそんなことを叫ぶ。
その言葉に意味が解らず首を傾げる二人。
キキョウは二人にも見えるように、頭に付けている髪飾りに触れて見せた。
「この子の……妖精竜の髪飾りのおかげです! 妖精竜の髪飾りには、病症系の状態異常を無効化する効果があったんです!」
「なにそれすげぇー!」
「伊達にレアアイテムじゃなかったわけね……」
妖精竜の髪飾りの効果に歓声を上げるサン。
まさに僥倖というべきか。呪いも病症系に属す状態異常。今のバリアは妖精竜の髪飾りによって呪いが無効化されたために現れたものだろう。
最良の相性だ。病症系状態異常を放つ以外は蔓による攻撃しか持たないケイオス・テンタクルは、キキョウにとってはカモでしかないわけだ。
「ですが、皆の状態異常を防いでくれるわけじゃない……」
キキョウには状態異常が効かないと理解したのか、ケイオス・テンタクルは顔をしかめて蔓を振るう。
キキョウは宙へと飛び上がり、光陰幻舞を使用する。
「だから……一気にケリを付けます!!」
五人に増えたキキョウは、ケイオス・テンタクルを囲うように動く。
ケイオス・テンタクルはそれを打ち落とすべく、蔓を振るい、唸らせる。
風を切り迫る蔓を、キキョウたちは跳び跳ねながら回避してゆく。
だが分身のうち一つが、複数の蔓に囲われて、逃げ場を失ってしまった。
「あ、キキョウ!!」
「分身のダメージは本体に反映されるのかしら? でも、とりあえず避けて!」
それを見たサンとミツキは口々に叫ぶ。
だが、キキョウは足場にした蔓を上に跳ね上げられ強制的に空中へと移動させられた。
ミツキ達の見ている前で、キキョウがケイオス・テンタクルの蔓に滅多打ちにされる――。
「光陰流舞!!」
だが、分身の姿が光と共に消え、鈴の鳴る音とともに別の場所に現れる。
「え、分身もスキル使えるの!?」
「嘘……!? 分身にスキル行動を登録できるなんて……!?」
通常、分身は存在自体がスキルであるため、分身がスキルを使用することはできない。
だが、キキョウはスキルを使用してみせた。如何な理由かは、わからないが。
「いきます!」
キキョウたちはミツキ達の疑問に答えることはなく、一斉に棍を構える。
ケイオス・テンタクルはキキョウの攻撃の気配に、迎え撃つべく蔓を動かす。
だが、少し遅かった。
「光陰……りゅうそぉぉぉぉぉぉ!!!」
一瞬で光の槍と化すキキョウにとって、ケイオス・テンタクルのスピードは、あまりにも遅すぎた。
ケイオス・テンタクルの花弁から現れた女性像が、瞬く間に光の槍に飲まれる。
五重に鳴り響くクリティカルの快音。同時に暴れはじめる蔓の波。
「きゃー!?」
「あたしら動けない――!!」
状態異常が治らず、動けないミツキ達の元に荒れ狂う蔓の波が迫る。
しかし寸でのところで鈴の鳴る音が響き、もう一度鈴の音が鳴った時にはそのままケイオス・テンタクルの攻撃範囲外まで三人の姿は飛んでいた。
「お、おおっ!! さっすがキキョウ!」
「ありがとう、キキョウちゃん! MPは大丈夫?」
「は、はひ……。結構、ギリギリですけど……」
MP0寸前になりながらも、キキョウはミツキ達に頷いて見せる。
暴れ狂ったケイオス・テンタクルは身を守るように花弁を閉じ、さらに蔓でその身を覆う。
ギチギチと音を立てて絞り上げられてゆく蔓の中にノースの姿も飲まれていき、巨大な一つの木のようになっていった。
「どうなるのでしょう……」
「まさか、発狂か……!?」
「キキョウちゃん、MPを……!」
唯一戦えるキキョウに、MP回復ポーションを手渡そうとするミツキ。
だが、その心配はなかった。
音を立てて絞り上げられてゆくケイオス・テンタクルの蔓が、だんだんと色を失ってゆく。
そして蔓の締まる音が聞こえなくなった頃には、完全に枯れた木の幹のように真っ白な色へと変化し、小さな音を立ててボロボロと崩れ去っていった。
崩れてゆくケイオス・テンタクルを見て、キキョウは油断なく立ち上がった。
「……勝った……んですか?」
「みたい……ね」
ミツキが頷くと同時に、ケイオス・テンタクルの姿は消え去り、後には大量にドロップされたアイテムだけが残った。
ケイオス・テンタクルの最期を見届けたサンは、しびれる体に鞭を打ち、拳を天に突き上げた。
「とりあえず……あたしらの勝ちだぁ!!」
「……そうですね。今は、勝利を喜びましょうか……」
「あ。私、上に行って万能薬貰ってきますね!」
熱病に浮かされながらも、そう言って微笑むミツキ。
キキョウは二人を治すべく、上にいる仲間たちの元へと駆け出してゆく。
軽やかな足取りと共に、キキョウは嬉しそうに微笑むのであった。
なお、この手の無効化系アクセサリーは、本当に数が少ない模様。




