第三章 ー26ー
「これで良かったんだろ、陸火」
清宝へと帰る夕澄達を見送り、その姿が見えなくなった後、俺は背後に気配を感じて振り向かずに話しかけた。
後ろから砂を踏む音が聞こえる。それが近くまできたときにようやく振り返れば、いつも通り胡散臭い笑顔を浮かべて奴が立っている。
「ああ。悪いな海斗。しばらく借りる」
「あのな、俺は本当は納得してないんだ。なのに俺の大事な弟を貸してやるんだから、ちゃんと丁重に扱いやがれ。万が一何かあったらすぐ連れ戻すからな。それと城下の妖の件だが」
「安心しろ。それならもう粗方片付いた」
「……割ける人員は殆どいなかったはずだが。相変わらずだな」
「あの程度、すぐにどうにかできない方がどうかしてるんだよ。国を立て直すなら妖浄士の育成はもっとしっかりやっておけ」
お前がおかしいんだという言葉を飲み込んで、代わりにため息を着く。一応、どうせ無駄だと思いつつも少しは人員を預けておいた筈だが、結局は殆ど一人で片付けてしまったのだろうということは容易に予想がついた。
宰相の件でガタついた国を立て直すのには随分時間がかかるだろう。犠牲になってしまった国民達には本当に合わせる顔もない。その結果として恐怖や悲しみ、恨みで溢れてしまった妖ですら、結局こうして陸火の手を借りなければどうしようもなかった。まあ、それはいい。本当は和馬達に正式に討伐まで打診されていたのだが、それを大丈夫だと嘘をついて断ってまで陸火の頼みをきいたのだ。自分がやると言い出したのはこいつだし、こいつにはどうせ大した手間でもないのだ。しかしここまで何も手を打てなかった責任を、俺がこの先取らなければならないのもまた、揺るがない事実だった。
これからやるべきことが沢山ある。その一つ一つを思い浮かべていると、夕澄達が去っていった方向をじっと見ている陸火に気がついた。
「本当に会わないで良かったのか、大事な妹に」
「今はまだ会えない。無事だということくらいはあの子を通じて伝わるだろう。だからいいんだ」
「それでわざわざ姿を見せるようなことをしたわけか。四年も姿をくらませておいて。お前も随分不器用な生き方をしてるよなぁ」
他のことは器用なくせに、と小突きながら笑ってやれば、うるさい、と眉間に皺がよる。
それにまた笑いながら、俺もまた、彼と同じ方向に目を向ける。
久しぶりに、随分と騒がしくも楽しい日々だった。あんなに賑やかだったのも大勢で食事を摂ったのも、一体いつ以来だったか。今更、どこか物足りない気持ちになっていることに気がついて内心驚いた。汐が帰ってきてからは二人で食事を摂ることもあったが、基本的にはいつも一人だったことを思い出す。
いくら当主になったからといってなんでも自由が効くわけではない。いちいち口をだしたがる一族の重鎮達に気を使う毎日で俺も疲弊していたのだ、と今更気がつく。汐音にも、随分寂しい思いをさせてしまった。あんな結果を招いてしまったのも結局は俺の責任だ。
「妹のこと、どうにかなりそうなのか」
心を読んだかのように尋ねられ、俺は陸火に視線を向けた。
「うん、まあ命までは取られないですみそうだ。陛下の温情もあって、多分当初の予定通り王家に輿入れすることになるだろうな」
血を残すために、とは言葉にできなかった。表向きは事件の重要人物ということを隠して正妻としてという話で進んでいる。しかし彼女は恐らくこれから先、城から出ることもできないだろう。国民にすら顔を見せることなく。彼女がしたことはそういうことだ。生きてさえいてくれれば、なんて都合のいいことを考えそうになって、俺は唇を噛む。
どこまでも、忌々しい。能力者の血縁だから生きていられる。能力者の血縁でなければ彼女はとっくに処刑されていた。それがわかっていてもなんの慰めになるものか。彼女は俺の責任で、これから自由を奪われて生きなければならないのだから。せめて、少しでも幸せでいられるように手を尽くそうとは思っているが、それで償いになるものか。
空を見る。悔しいくらいに晴れ渡った空だ。そういう日を選んで夕澄達を帰したのだから当たり前だが、雨雲の一つでも出てきてくれたなら気分も少しはマシになるだろうに。いっそ笑ってしまいたくすらなる。
「辛いな」
「お互い様、だろ」
隣で陸火もまた同じように空を見上げて慰めの言葉なんてかけてくるものだから鼻で笑い飛ばしてやったのに、違いないと笑い声が返ってくる。ひとしきり笑った後、陸火は俺の方に向き直した。
「俺もそろそろ行くよ」
「ああ。念のため言っておくが、くれぐれもこれ以上家族を泣かせるようなことはするなよ」
「言われるまでもない」
夕澄達と同じ道を、俺に背を向けて歩き出す陸火を黙って見送る。背負って立つ国は違えど古くからの付き合いだが、次に会うのはいつになるのやら。
本当は、夕澄が陸火に会ったと話した時に彼の妹がどれだけ泣くのを堪えていたのか教えてやりたかった。あれだけで、彼女がどれだけ、四年も生死すらわからなかった上の兄の無事を願っていたのか知るのには十分過ぎる。本当は声をあげて泣きたかったろうに、瞳を潤ませた彼女の口から出てきたのは嗚咽ではなく、会いにきたら一回殴らないと気がすまないという一言だった。それが、彼女の様子を見て戸惑っていた夕澄を気遣ってのものだということはその場にいた全員にとって一目瞭然だったが、それ以上のことは何も言わなかった。側から見ていても、もっと言いたいことを言えばいいのにと思うが。
しかしそんなことを陸火に伝えたところで彼も承知の上だろうとわかっている。わかっていて、今はどうしようもないのだということを、俺は知っていた。
そういえば、彼らのもう一人の兄弟はどこまで知っているのだろうか。陸火のことだから何も言っていないとは思うが。あの兄弟唯一の文官で、あの[#「あの」に丸傍点]宰相の弟子として唯一選ばれた子だ。何か察していてもおかしくはないが、知っていて妹にも黙っているのか。
「まあ、俺が気にすることではないんだが」
すでに見えなくなった背中に、一人呟く。ままならないものだ。本当に面倒臭い。ため息と共に振り返れば、泉滝様が立っていて思わず息を呑む。
「どうされました」
「いや、説教をまだしていなかったなとおもってな」
そう言えばそんなことを言われていたなと思い出す。これは長くなるかもしれない。昔から説教が長いのだこの神は。
今日一日潰れる覚悟をしなければならないか、と決まっていた予定を変える算段を頭の中で立てはじめたところで、目の前の神に思い切り笑われた。
「図体はでかくなってもそういうところは相変わらずだな。思い切り顔に出ているぞ。いつの間にか随分大きくなって少し寂しいと思っていたんだが、いや、安心した」
「いや……これでも一応、中身もそれなりに成長している、と思いますよ、多分……」
「いや、変わらないさ。側にいて欲しい人間がそばにいなくなって寂しいのに、それをうまく口にできず黙って我のところにきてうずくまっていたあの頃と」
そんなことも、あった。汐がいなくなってしまって、怒りやら悲しみやらが織り交ぜになった自分の感情を上手く処理できず浜辺に走っていき、ひたすら涙を堪えて膝を抱えていたのを、出てきたこの人にひたすら心配されて慰められていた。確かその後話しかけるなとかなんとか言って、自分からそこにいったにもかかわらず思いきり当たり散らしたような気がする。思い出すだけでも恥ずかしくなる記憶だ。そんなことを覚えていないで欲しい、と思いつつ何も言い返せず、ただ笑って返していると、今度は優しく微笑まれて戸惑う。
「寂しいのだろう。今日くらいは、我も久しぶりに付き合ってやってもいいぞ。ただし、九割は説教になるだろうがな。言いたいことはたくさんあるからな」
そう言って振り返り屋内に向かって歩き出す神に数秒遅れ、慌てて俺も歩き出す。含み笑いが聞こえる。すっかり昔のように子供扱いされていることに不満がないわけではないが、考えてみれば、この神の存在している年数に比べれば俺の年齢は未だ赤子のようなものだ。かなうわけもないのだ、と諦めると、俺の方も笑いたい気分になってきてしまった。
ふと、もう一度空を見上げれば空は先ほどからなんの表情も変えず、快晴だった。雲が出てくればいいのに、とは今度は思わなかった。
3章はこれで終わりになります。




