第三章 ー24ー
「おはようございます」
翌朝、部屋に来て私にそう聞いてきたのは海斗ではなく汐だった。海斗はどうしたのかと聞いてみれば、今回の騒動の後始末で早朝から忙しくしているという。
汐は私に体調はどうかと聞き、返事を待たずに(一応失礼しますという一言はあったが)、私の額に手を当てた後、私の右手を取って脈をはかる。そういえば彼も医者になる勉強をしていたのだったとあの騒動の中で知った事実を思い返していると、今度はだるさはないか、食欲はあるか、きちんと眠れたかと聞かれたので全て頷いて答えた。彼は目を閉じて大きく息を吐くと、安心したように微笑む。
「良かった、問題はなさそうですね。朝食は他の皆さんと同じものを用意しましょうか」
「いつもみたいに大広間で食べてもいいの?」
「ええ、勿論。伝えておきますね」
汐はそう言って立ち上がろうとするが、急に腰を浮かせた姿勢のまま地面を見つめ動かなくなる。どうしたの、と声をかけようか迷っている間に、汐は一度顔をあげ、私に目を合わせるとすぐにまた俯き、もう一度大きくゆっくりと息を吐いた。そして頭をぶつけるんじゃないかと思わせるような勢いで床スレスレまで頭を下げる。
「申し訳ありませんでした!」
頭を下げたのとほぼ同時に発された彼の声は震えていた。
「蒼龍の一族の方々を我々の事情に巻き込み危険な目に合わせるなど、まして血の繋がった妹が首謀者の一人なんて、なんとお詫びすれば良いのか……! 本来であれば顔を見せることすら烏滸がましいとはいえ、今この国に能力者のことを診察できる人間は海斗様と私程度しかおりません。どうか、帰国までの短い間だけでもお二人の体調を診ることをお許しいただければと、勿論処罰は受ける所存ではありますが」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください」
急に早口で話し始めた彼の肩を叩いて顔を上げさせる。汐は体は起こしたものの私と目を合わせようとはしなかった。
「汐さん、私は何も気にしてなんかないんです。だから汐さんも何も気にしなくていいんですよ」
「そういうわけにはいきません。貴方や夕月様の立場を考えれば、然るべき罰を受けなければ許されません」
「本当に、何も問題ないんです。私は正直そんな大層な人間じゃないし、夕月は昨日の様子だと間違いなく全く気にしてないし、危ない目って言ってもせいぜいちょっとの間閉じ込められたくらいなんだし、そりゃ怖い思いは確かにしたけど命に危険があったわけでもないのに」
「夕澄様、それは違います。万が一があってもおかしくはありませんでした。それ以前に恐ろしいと思わせるような目に合わせてしまったこと自体が問題なのですよ」
決して譲らず目も合わせてくれない汐に困り果て、隣で成り行きを見守っていた煉華に助けを求めて視線を向ける。目が合った彼女は困った顔で首を傾げてから、汐に声をかけた。
「汐さんは何か罰を受けなければ気が済まないのね。そうね、ケジメは必要かもしれない」
私は煉華の言葉に慌ててもう一度彼女を見たが、煉華は唇に人差し指を当てて首を振った。汐は再び床スレスレまで額を近づけ、そのまま何も言わず動かなくなってしまった。
煉華も先程の言葉以上は何も言わずただ微笑んで私と汐を見ている。煉華に助けを求めたことで余計に困った状況になってしまって、どうにかこの状況を切り抜ける方法はないものかと頭を抱えて悩んでいると、思わぬ所から声が聞こえてきた。
「そんなに罰が欲しいなら、俺が与えてやろうか」
突然聞こえた言葉に、その場にいた三人ともが声の方向に顔を向ける。開いた襖にもたれかかって海斗が立っていた。彼は戸惑っている私に手をあげて挨拶をした後、部屋に入ってくる。
「海斗様、立ち聞きは行儀が悪いのでは」
「わかっていて話を振るのだから煉華殿も人が悪い」
海斗は戸惑っている汐の隣に座ると、彼の肩を何度か優しく叩く。
「昨日話した通り最初から清宝側も知っていたことだ。だからお前が責任を感じる責任はあまりないんだが、お前は頑固者だから納得しないだろう?」
「海斗様、そうは言いますがそもそもそれが一番の問題なのでは。夕澄様と夕月様は何も知らなかったのでしょう」
「夕月は察しがいいから薄々勘づいていたようだがな。それに俺はこれは必要な過程だったと思ってる。だから悪いとは考えていないんだよ」
海斗と話しているうちに徐々に汐の目が据わってくるが、海斗は全く気にもとめずに笑っている。海斗様、と汐が咎めるような声を出したが、それを遮って海斗が汐の名を読んだため、汐は口をつぐむ。
「お前は昔から責任感が強い。自分の能力にさえそうそう責任を持っていない俺よりもずっとだ。だからこそ俺はお前を誰よりも信頼しているが、自分だけが貧乏くじを引いてなんとかしようとする悪癖だけは昔から嫌いなんだ」
汐が目を見開いて、息を呑む音がした。海斗は汐の両肩を掴むと言い含めるように言葉を続ける。
「俺のことにしても汐音のことにしても、お前はいつもいつも自分が諦めればなんとかなると思っているよな。俺は確かに当主になることを望んでいたが、お前を犠牲にしようなんて思ったことはない。お前を手元に置いておきながら当主になる方法を考えていたのに、お前ときたらさっさと遠くに逃げやがって。父さんからお前が養子の話を断ったと聞いて、慌てて説得に行こうとしたらとっとと遠方に行ったと言われた時は次に会った時どう殴ってやろうかと考えていた」
「海斗様、しかし」
「いいか。今回のことで身にしみさせろ。自己犠牲で得られた結果は何だった? 誰も幸せになんかなりはしなかっただろ。確かにより簡単に当主になれたかもしれないが俺はお前に感謝なんかしない。結果的に汐音は拗ねてこの騒動になったし、俺は唯一信頼できる相棒を長い間失う羽目になった。それまで一族の中で俺が受けていた仕打ちを考えれば、それがどういうことかなんて言うまでもないよな。それともお前にとってはそれが一番幸せな結果だったか」
汐は、もう何も言わなかった。緊張していた体からはすでに力が抜けていて、海斗に肩を掴まれているからようやく体勢を保っているように見えた。
「万が一にでもお前が汐音の責任をとって斬られていたら俺は当主の座なんざ捨てていたよ。俺の責任でお前を失って座っていられるほどこの命に執着なんてないんだよ。もう二度と、自分が犠牲になればなんて考えるなよこの馬鹿が」
言葉とは裏腹に優しい声色に、汐は海斗の名前を何度も口にした後、震える声で一度申し訳ありませんと口にした。海斗は大きくため息をつくと、汐の肩をもう一度強く二度叩いて離す。汐の身体は崩れ落ちたりはせず、むしろ先程よりも余程しっかりとした目で海斗を見ていた。海斗はそれを見て頷いた後、急に私の方を見てにっこり笑う。
「とはいえ、清宝と夕澄達に迷惑をかけたことは変わらないも事実だからな。まあ、名目上責任を取る人間は必要か」
「ええ……そうですね」
汐もまた、私の方を見て微笑んだ。急な話の流れの変化に戸惑っている私の横で煉華がそうですねと言って笑っている。少なくとも今この時は煉華は私を助けてくれないのだと、一人だけ置いてけぼりにされたような気持ちで半ば泣きそうになりながら海斗を見れば、彼は私の肩を汐にしたのと同じように叩いて突拍子もないことを言ったので、私は泣く暇もないくらい驚く羽目になったのだった。
「夕澄。お前に俺の大切な人間を預けるからな。汐をちゃんと無事にこの国に返してくれよ」




