第三章 ー22ー
「其方は確か、清水の分家の? 兄とはどういうことだ」
突然現れた汐に静まり返った大広間に最初に落とされたのは王の声だった。私達は、大広間には入らず、大広間のすぐ隣の部屋でその声を聞いていた。
先程まで隣にいた筈の汐と呼ばれた男性がいた場所を見つめる。止める間もなく飛び出していった彼を慌てて追いかけようとした私を、腕をつかむことで止めたのは夕月で、少し様子を見ようと言ったのは常和だった。今私達まで大広間に突入するのは得策ではない、常和はそう言って、汐によって開かれたままの襖を静かに閉める。私はその扉と、大広間のある方向とで視線を彷徨わせた後、大人しくもう一度その場に腰を下ろすしかなかった。
大広間から、宰相が汐を捕えるように指示する声が聞こえてくる。静まり返っていた広間は一瞬で騒々しくなったが、強い声でそれを止める王の声が聞こえると、また一瞬で静まり返る。
「話せ」
先程まで殆ど宰相の言いなりになっていた様子が嘘のように、その声は強く響く。
「私は清水 汐と申します。仰る通り、清水の分家筋の人間です。そして汐音様は私の血のつながった妹です。汐音様が生まれてすぐに母が死に、暫くして父も死んだ後は、先代の当主様のご厚意で汐音様を養子に迎え入れて頂きました。私は事情があって自ら養子に入ることを辞退させて頂き、他の分家に迎えられたので現在は家が違いますが」
「ふむ。事情というのは、聞いても構わないものか?」
その王の言葉に汐は口ごもる。
王は話せないのならば話さなくても良いと言ったが、汐が礼を言う途中で、先程まで沈黙していた汐音の声が大広間を貫いた。
「言えるわけないわ、汐兄様は自分のために私を捨てたのよ!」
汐音、と咎める海斗の声が聞こえたが、汐音の言葉は止まらない。
「自分が、医者になりたかったからでしょう!? 海斗兄様には他に兄弟はいない、本家に養子に入れば、いずれは当主になることになる。医者になる道は閉ざされるわ。兄様はずっと医者になることが夢だった、だから養子の話を拒否したんでしょう!」
「汐音、それは」
海斗が汐音を制止しようとするが、その言葉を遮って、汐音は叫び続けた。
海斗は、能力者であるという理由で本来当主にはなれない筈だった。しかし海斗は兄弟が他にいないため、現在の当主を海斗にせざるを得なかった。しかし、もしも汐が本家に入っていれば、能力者を当主にしないために汐が当主になるための教育を受けて、そのまま当主の座についていただろうと、汐音は言う。
「私は、汐兄様も一緒に本家に入る筈だと思っていた。でも汐兄様はいなかった。それどころか、代々医者を務めている遠方の分家に養子に入ったと聞いて、私は、兄様は私を置いていったんだと思った。お父様は元々殆ど家にはいなかったから、私には汐兄様だけが家族だったのに。でも傷心の私に、海斗兄様はどこまでも優しくしてくれた。でも、その海斗兄様だって結局私を捨てるのよ。そんなに私はいらない存在なの……」
汐音の声は段々と小さくなり、やがて、嗚咽に変わる。海斗や汐が汐音の名前を呼ぶが、彼女は何も答えず泣き続けるだけだった。王が汐音の名前を呼び、それで今回の事件を起こしたのか、と言ったことで、再び汐が大きな声を上げた。
「陛下、此度の責任は全て私にあります。私が本家に入っていれば汐音様は今回のようなことを起こさなかったでしょう。汐音様と海斗様の御命を私一人ごときが代わりになど烏滸がましいと分かっております。しかしどうか、どうか斬り捨てるのは私一人に……!」
汐の懇願に、宰相が希望通りに斬り捨てましょうと王に助言しているのが聞こえる。しかし、汐音と海斗を処刑しかけていた王は今度こそ完全に迷ってしまったようで、宰相に対して曖昧な言葉を返したり、汐や汐音に何かを話しかけようとして一言二言発しては止める、ということを繰り返していた。宰相はそんな王にもどかしさを感じたのか、言葉が徐々に大きさを増していく。そんな宰相にも王は戸惑いを覚えたようで、宰相に対して疑問を投げかける。
「宰相よ、何故そんなにも処刑を急ぐのか。そもそも私達は汐音殿から今回の件の詳細を聞かねばならないのではないのか」
「先程申し上げた通りです。蒼龍姫様に血を見せたいのですか」
「そんなもの、処刑の場を別に設ければよいだけではないか。今急ぐ理由にはならないだろう。それに私はやはりどうしても聞いておきたい。汐とやら、妹にここまで言わせて詳細を言わない、というのは、どうなのだ? 本当に其方は妹を捨てたのか」
王の問いを汐は否定したが、王はならば何故養子を拒んだのかと続けて彼に尋ねた。その声は明らかに責めるような色を含んでいたが、汐は言葉を続けようとはしない。本当に私を捨てたんでしょう、という汐音の声がする。汐の声はそれでも聞こえては来なかった。代わりに、陛下、という海斗の声が聞こえてくる。
「彼が詳細を話さないのは私のためです」
海斗の言葉を聞いて、汐が海斗の名前を叫んで抗議する。しかし海斗は、もう話すべきだろうと言ってそれを諫め、汐音の名前を優しく呼んだ。汐音は、戸惑ったように海斗の名前を呼ぶ。
「汐が養子を辞退したのは、お前を捨てたからでもなく、医者になるためでもない。俺を当主にするためだ。俺は自分の我儘を通す為、汐とお前を犠牲にした」
「海斗様、それは違います。全て、私の意志でしたことです。……わかりました。陛下、全てお話致します。海斗様にまでこんなことを言われてはかないません」
海斗の言葉を否定して、汐はため息をつく。そして、彼は先程まで言い淀んでいたのが嘘のように明瞭に言葉を紡ぎ始める。
「私は、私の意志で、海斗様をお守りしたかったのです。海斗様は私の兄も同然ですから」
汐が語ったのは、能力者の取り巻く環境が、本来は如何に壮絶なものかという内容だった。
能力者は、その能力を使うためだけに生かされているようなものだと彼は言う。自分の好きな時に能力を使うことは許されない。しかし、一族の意向によっては助けたくもない人間のために命を懸けて能力を使わなければならない。その掟に背けば、牢に閉じ込められ、食事すらも満足に与えられない。そんな扱いに、能力者を守るためなどという大義名分が通用するわけがないと、汐は力強く言い切った。そして、自分が当主になれば海斗がそのような扱いを受けることになり、自分は元々が分家の人間であるため、一族の傀儡にならざるを得ない。それがどうしても許せなかったのだと汐は語った。
先代の能力者は随分と自由な人間で、一族の意向に逆らって能力を使い頻繁に牢に入れられていた。先代の当主――海斗の父親は、能力者にそのような扱いを強いることを悔いてはいたが、能力者が自由に能力を使うことを認めて無駄死にさせるのかという声に、結局は逆らえなかった。それは実の子である海斗に対しても同様だった。しかし、先代の能力者が存命のうちは、能力はその大部分を先代が請け負っているから海斗が表立って治療をすることなどまずない。必然的に海斗は余り牢に入れられることはなかった。
しかし、海斗しか次期当主がいなければ話は別だ。能力者が当主になるなど前例のないことだったが、別段禁止されているわけでもない。直系の子として海斗がいるにも関わらず、特に理由もないのに分家から養子をとり当主に据える方が問題だった。それでは能力者を道具としか見ていないと一族自身が証明することになってしまう。しかし親を亡くした汐が養子に入れば、様々な理由をつけて何が何でも一族は彼を当主にしようとするだろう。汐はそう言って、一度沈黙し、しかしすぐに再び口を開く。
「先代の能力者の行動が正しい訳ではありません。聖なる貴族の地位を貶めるどころか、全ての能力者の命すら危うくしてしまうものだった。ですが、一族が能力を管理するというのはやはり間違っています。海斗様ご自身が当主になれば、周りの意志など関係なく自由に能力を使うことができる。その状況を作るには、私が養子に入るわけにはいかなかったのです」
そうだったのか、と王が告げると、最初から真実を告げなかったことを汐が謝罪する。しかし汐音は納得しなかったようだった。そんな簡単に分家の人間が当主になれるわけがないと彼女は言って、本当のことを言えと汐を問い詰める。汐は暫く黙っていたが、やがて、苦しそうな声を出して彼女に告げた。
「汐音様、私達の父は先代当主の弟だったんですよ」
「先代当主の弟? それって……つまり、先代の」
「そうです。私達の実の父は――先代の能力者です」
汐音が息を呑む音がした。王や宰相、周りにいた人間達からも驚きの声が上がる。
海斗が汐の名を呼び、それに対して、今更隠しておいても仕方がない事だと汐が答える。何故そんなにも周りの人間が驚くのか、私達には見当もつかなかった。しかし、その答えは宰相が叫んだことで判明する。
「忌々しい、能力者の子孫からは能力者が生まれやすいというのが通例、通常の能力者はそれを恐れて子をなさないというのに! そんなものが王家の血に入ろうとしていたなど……! 遠縁の分家筋だというから形だけでも婚約を許してやったのに、呪われた血だ、許せん! 即刻斬り捨てよ! いや、私自ら斬り捨ててくれる、刀を寄越せ!」
宰相を止める王の声や周りの人間達の声、刀が抜かれる音と、汐音の名を呼ぶ海斗や汐の声。
私は今度こそいてもたってもいられずに、大広間に続く襖を開けようとした。常和や夕月の制止の声が聞こえたが構わなかった。このままでは汐音が殺されてしまう。
しかし、私が襖を開きかけたその時、中から、物凄い風と水の音が聞こえ、私は思わず手を止める。一瞬で静まり返った大広間に、厳格な声が響いた。
「全く、忌々しいのはお前だ、人間。黙って聞いていれば、先程から気持ちの悪い発言を延々と繰り返してくれる。我が愛し子を手に掛けようとしたところなど益々気に食わん」
僅かに開いた襖の向こうに、思っていたよりも人が少なかったからか、人の間から泉滝の姿が見えた。同時に、水びたしになり刀を傍らに落として唖然と尻もちをついている宰相の姿が目に入る。泉滝は最初彼に向き合い見下ろしていたが、やがて王に身体を向けた。
「王よ。本当に罪を背負うべきは誰なのか……そんなことも見抜けないようなら、この国を任せてはおけぬぞ」
泉滝はそういって、口角を上げながら、戸惑っているままの王を見据えた。




