第三章 ー17ー
宰相は、この国の王とは繋がっていない。その夕月の言葉に最初に反応を示したのは私達を助けに来た男性だった。
「どういうことですか? 陛下はこのことをご存じないと?」
「全て知らないかどうかはわかりません。ですが、少なくとも俺達が宰相に捕えられたことは知らない筈です。あの人は俺達に『あの小僧の地位も今日までだ』と言ったんです。宰相職に就く人間が、城下で少し騒ぎがあったくらいで、たった一日で海斗さんを陥れられるなんて考えるとは思えません」
夕月は、少し急いだ方が良いかもしれませんね、と言った。海斗様に何か、と男性が慌て始める。思わず足を止めてしまったのだろう彼を常和が落ち着かせて歩き出させると、夕月が再び話し始めた。
「ちなみに、城ではないと先程仰っていましたけど、ではここは一体どこなんですか? 連れてこられた時にはあまり距離があるとは感じませんでしたけど」
「ああ、ここは……ある屋敷の地下に当たります。仰る通り清水本家の屋敷からは大分近い場所にあります。ここは本来、清水の能力者の生活場所なんです」
「え、じゃあなんで牢屋なんて」
私がそう尋ねると、男性は苦々しい顔をする。
「あの牢屋は、清水の決まりを守らない能力者を閉じ込めておくためのものです」
息を呑んだ私に対して、夕月も常和も落ち着いていた。私の反応に、滅多なことでは使われませんよと男性は苦笑した。
「懲罰的な意味合いの強いものです。そうでもしなければ無駄に力を使い過ぎて死んでしまいますからね。それでも人道的にどうなんだという声もあって、今はほぼ、残してあるだけの場所ですが」
「能力者に対しての扱いとしては珍しいことではないさ。聖なる貴族はどこも、能力者を守るために試行錯誤を繰り返してきた歴史があるからな」
常和は、九重家も多分そうだろうと私に言う。
清宝の聖なる一族である九重家は、閉鎖的で外部との関わりを避けていると前に聞いた。それも、能力者を守るための試行錯誤のうちなのだろうか。国にとって守るべき至宝、なのに良いように国に利用されてきた存在。それが清宝の能力者だと聞いているが、清宝にはあまり、そういう誰かを傷つけるようなイメージは似合わないような気がした。
そんなことを考えている間に、会話は続いていく。
「そんな場所に俺達を閉じ込めたら、海斗さんがすぐに気が付きそうなものですけど?」
「……言いにくいことなんですが、ここは今、海斗様の妹君が住まわれているもので」
夕月の問いに、男性が顔を曇らせてそう答えた。
「ああ。内通者、ということですか。そういえばそんなことを言っていましたね、あの宰相」
よりにもよって海斗さんの身内かよ、という呟きが夕月からもれる。海斗に妹がいたことも十分驚いたが、続いた夕月の内通者という言葉の方が余程衝撃だった。まさか、という常和の声も聞こえる。
男性は重い溜息を吐いて、海斗の妹の話をし始めた。
「妹君――汐音様は、大層兄である海斗様を慕っていらっしゃったはずなんですが、海斗様がご当主になられてからは、随分距離が出来てしまって、最近ではあまり顔をあわせることもなく」
最初は、距離が出来てしまったといっても仲が悪くなってしまった訳ではなく、単純に海斗が忙しくなって汐音にかまえなくなってしまっただけだったらしい。10以上も年の離れた妹だったために海斗も溺愛していたし、未だに、それは変わらないと思っていたと男性は話す。
「そもそも海斗様と汐音様は、血が繋がってはいません。汐音様は先代の能力者――海斗様の叔父君の娘なのです。先代の能力者は副作用で早世し、彼女の母親は彼女の出産の時に命を落としていたために、海斗様の父君である先代当主様が彼女を引き取りました。それでも、本当の姉弟同然に育ったと聞いています」
男性は、どうしてこうなってしまったんでしょうね、と悲しそうに笑う。誰も何も言う事が出来なかった。何があって、自分の兄を貶めることに協力しようとしているのか。仲が悪かったわけでもない筈ならば、何故。そんな言葉が頭をまわる。
でも、私も一度は子供じみた嫉妬で夕月から離れようとした。その私が、汐音という名の彼女の答えを聞けたとして、何を思えばいいのかとも思う。大切な存在だったはずなのに、その大切さが苦しみに変わる瞬間を、私は知っている。
夕月を見る。彼は、黙ってただ前を向いて歩いている。その表情は先程と何も変わらない。彼が私のことをどう思っているのか、本当はその答えが知りたい。でも、聞くことはできない。そんな、浅ましい真似が許されるはずはないのだから。
ふと、夕月が私に目を向ける。目が合って、彼は私が自分を見ていたことに気が付いたらしく、微笑んだ。彼はこういう場面で私と目が合う時は大体そうするのだ。そしてそのいつも通りの仕草を見る度に、私は内心を見抜かれてしまっているのでないかという恐怖と共に、安堵を感じてしまう。私はそうやっていつも、彼の優しさに甘えてしまっている。そう思う事が苦しかった。
夕月はまた前へと視線を戻し、再び男性との会話を続ける。
「それで、汐音さんは今どこに? 俺達を助けられたってことは、この屋敷にはいないんでしょう?」
「汐音様は海斗様と共にいます。それを確認して私も出てきましたから」
「貴方がここにいることを彼女は知っているんですか?」
「いいえ、別の名目の呼び出しです」
「なら、貴方はどうやってここに入ってきたんですか? ここにも使用人がいますよね」
「汐音様は自分の近くに人がいることがお嫌いで、元々あまり使用人をおかない方なんです。ここはあまり広くない屋敷ですし、それでも十分足りますからね。今はその使用人も汐音様と共にいますよ。数人は残っていましたけど私は顔見知りですからそこまで警戒もされません」
夕月は男性のその答えに、それ以上は何も言わなかった。代わりに口を開いたのは常和で、鍵はどこから手に入れたのかと彼は男性に聞いた。確かに、あの鍵は私達をここに連れてきた人間が持っているはずのものだ。しかし男性は、よくわからないのだと答える。
「私は海斗様からその鍵を渡され、ここに来るように指示を受けました。だから入手経路までは把握していないんです」
男性は、首を傾げてそう言った。常和はあまり納得していない様子だったが、脱出した後に海斗に聞けばいいことだと納得したらしい。
その後は、4人でひたすら暗い中を歩き続けた。途中、何度か分かれ道のような所もあったが、男性は一切迷わずに進み続ける。この分かれ道は何なんだろうと気になっていると、そんな私に気が付いたのか、男性が声を掛けてくる。
「この場所には、正規の道とは別の道が用意されているんです。屋敷からの逃走経路として利用されているものなんですよ。直ぐに分かっては困るので迷路のようになっていますが、私は把握していますので安心してください。……ところで夕月様、そろそろ何故急いだ方がよいのか教えていただきたいのですが」
ずっと気になっていたのだろう。私の疑問を解決してくれた彼はそう夕月に問いかける。
「恐らく、宰相は俺達が行方不明でいることの全責任を海斗さんに負わせるつもりだと思います。――いえ、むしろ海斗さんが俺達に害をなそうとしているかのように見せたいのでしょうね」
夕月の答えに、男性は押し黙ってしまう。常和は、夕月の言葉になるほどな、と言い頷いた。
「確かにそれなら、海斗様を蒼龍姫に害をなそうとした罪人として糾弾できる。能力者は簡単には殺せないから、飼い殺し状態にできるわけだ。夕澄と夕月は保護という名目で軟禁するつもりかもしれないな」
「ええ。だから、そろそろちょっと危ないと思うんですよね」
夕月の言葉に常和が海斗様がか、と問うと、夕月は首を振る。
「俺達が、ですよ」
夕月はそういって前方を指さした。そこには、本当に遠くではあったけれど、揺らめく赤い光がぼんやりと見えて私は息を呑む。常和に腕を取られ彼の後ろに隠される。男性が灯りを消して辺りが暗くなった。視界が急に心許なくなって心細くなった私は近づいてくる赤い光に思わず後ずさろうとしたが、常和にそれを引き留められる。大丈夫だ、と小さな声が聞こえた。
夕月がようやく聞き取れるような音量で常和に声を掛ける。
「常和さん、あの灯りの持ち主、対処できますか」
「人数による、が……4、5人なら、なんとか。だが、通路が他にあるんだからそっちを通った方が良くないか?」
「放置しておくと俺達が逃げたのが早いうちにばれてしまいますから。そうなると海斗さんが危ないですからね。――それほど大人数で来ているとは思えないし、大丈夫かな。すみませんけど、貴方は夕澄と一緒に別通路から逃げて貰えますか」
夕月が男性にそう声を掛けるのを聞いて、常和はお前俺と一緒に来るつもりか、と厳しい声で言った。夕月は男性が肯定の返事をするのを聞いてから、常和に対して保険ですと言う。
「今の俺達には戦力が常和さんしかいないんですよ。なのに貴方が道に迷ったら合流が遅くなるでしょう。これから何人敵が来るかもわからないんですから、俺達は正規の道を行きます。道は俺が覚えますから。出口で合流しましょう」
常和は納得していないようだったが、取り敢えず夕月が共に行くことを認めた。その二人の会話を聞きながら、夕月とも常和とも一緒に行けないという事実に私は半ばパニックになりそうだった。しかし、いざ別れようという時になって夕月にかけられた声に正気に戻される。
「夕澄。俺や、常和さんがいなくても大丈夫だよな?」
夕月の声は、明らかに心配そうだった。それでも私はこっちの方が安全だと彼は判断したのだろう。また守られているのに、私が泣き言をいうわけにはいかない。困らせてはいけないのだ。
「うん。だから、無事でいてね。二人とも」
祈るように告げた言葉に、二人は小さく肯定の返事を返してくれた。
男性と一緒に暗い道を歩く道中で、私はその返事を何度も繰り返し呟いた。




