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蒼龍姫  作者: 浅野 燈奈
第三章-宵闇の水面-
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第三章 ー15ー

 向かい側の牢でうごめいた影は、一瞬完全に姿を消した。咄嗟に常和が私達と牢の格子の間に入ろうとしたが、それより先に音もたてずに私達の目の前に現れた男性の姿を見て、彼はすぐにそれを止める。そして私も、その姿に思わず声を上げる。それは、涼優に来る途中に海の上に立っていたあの人影と瓜二つだった。


「まさかこんな所で蒼龍様にまた縁することになろうとは。人間の遊びに付き合うのもたまには悪くもないかな」


 短く切り揃えられた深い藍の髪に、同じ色の瞳。高い長身と、細身の身体。年頃は40代くらいに見えた。深く開いた着物の衿から見える白い首筋には、鯨のような形をした痣が見える。それは、以前私がこの国の守り神だと思った模様と同じ形をしていた。怖がらせてしまったかな、と彼は軽快に笑うが、ずっと人妖だと思っていたはずなのに、遠目から見た時とは違い不思議と恐ろしさは感じなかった。それでも思わず格子越しに近付いてしまった私の目の前に立つ彼がもつ存在感にどこか惹きつけられた。


泉滝(せんろう)様ですね」


 常和が私の横に立ってそう男性に声を掛けた。男性は笑うのを止めて口角を上げる。


「左様。我が名は泉滝。この涼優の守り神を担っている。しかし妖だとは思わなかったのか?」

「まあ、その首筋の痣をみれば。明らかにこの国でよく見かける紋様と同じですからね」

「そういえば海斗様にも同じ痣が同じ位置にありましたね」


 夕月が常和に続いて言った言葉に泉滝は今度は目を丸くした。そして、笑みを収めて夕月に視線を合わせ暫く逸らさなかった。海斗のそんな痣を私は見た記憶がない。海斗は着物を気崩さずに着ていたから見える位置にはなかったのだ。それなのに何故夕月がそんなことを知っているのかは気になったが、今はそれよりも、神様が目の前に立っているというその事実の方が重要だった。こんな実体をもった姿で存在するとは思っていなかったのだ。

 目を逸らせないで見上げている私に、泉滝は夕月に向けていた視線をこちらに向けて微笑む。


「このような事態の最中ではあるが、姫様方にお会い出来たことは至極光栄。しかもその様子だと私が一番最初に貴方に対面したようだ。……しかしやはり、そのようなことを言っている状況ではないか」


泉滝は眉間に皺を寄せると、私達に少し横に避けるようにいって、また一瞬姿を消した後今度は牢屋の中に現れた。彼は壁に腰かけると私達にも自分の周りに座るようにいう。それに従って彼の周りを囲むように座れば、彼は私達に順に目を向けた後、常和のところで目を止めた。


「何故、守り神である私がこのような所にという顔をしているな。まあ当然だろうが。しかし我からしてみれば、それはお前達のほうがそうだと思うがな。まあ、私を捕えようとするくらいだ。あの男が何を考えているかなど、予想はつくが」

「あの宰相、泉滝様までも? でも先程の様子をみていると脱出することもできそうでしたが」

「言っただろう? 人間の遊びに付き合うのも、と。あの男があの子に嫌がらせをしているようだったから、少し悔しがる顔でも拝んでやろうと思っただけだ。我に先程のようなことが出来るとは考えてはいないだろうからな。通常我らは人間の姿を取ることはあまりないのだし」


 泉滝は、愚かな人間をからかうのは面白い、と声を上げて笑った。あの宰相をからかって遊ぶなど、やはり神は考えることが違う。私なんてこれだけのことをされても、あの怜悧な瞳を思い出すととても逆らう気がおきない。それにしても、神様だというのに彼はよく笑う、と思った。人間だと思ってしまうのも無理がないような気がする。それで思い出した。涼優は、ずっと神様を人妖だと思っていたのだった。普段からその姿をしていれば妖と間違えられることなどなかったのではないか。

 それに普段は人の姿をとっていないのならば、何故人妖の騒ぎになるほど今はずっとその姿でいるのか。不思議に思って聞いて見れば、泉滝は困ったように笑った。


「そうしておけば、警戒するだろうと思ってな」


 泉滝の話によると、ここ最近、沖合で妖に襲われる人間が急に増えだしたらしい。結界が弱まっていたこともあって最初はそれが影響しているのだろうと思っていたが、時間が経つうちにどうも様子がおかしいと思うようになった。沖合に出現する妖自体が増えていることに気付いたのは、異変が起こってから暫く経ってからだったという。

 幸いにして、大きな怪我をするような人間はいなかった。しかし妖の数は減るどころか増えるばかりで、

これでは本当にいつか取り返しのつかない事態が起こりかねないと思い始めたころ、漁師の話を姿を消して聞いていた時にあることを知った。

 それはある噂話だった。清水家がある子どもを保護して、当主が暫く城下に姿を見せていないとそれだけの話だ。しかし、その子どもが現れた時期の話を聞いて泉滝は漸く思い至った。似たような時期から、普段は定期的に目にする妖浄士の姿を一切見なくなったことを。


「なんてことはない。妖が増えたのではなく減る理由がなかった、それだけのことだったのだ。私が心配していた取り返しのつかない事態をおこさせるつもりだったのだ、あの男は。妖浄士をわざと派遣せず怪我人を増やそうとした。噂を利用して、能力を使わないようにしているあの子の地位を( おとし )めるために。我はこの事態を見過ごせなかった。あの子にずっと細かい嫌がらせを続けているとは思っていたが、そのような手段は守り神である私としても見過ごすわけにはいかない。しかし我らは本来あまり人間に関わらないことになっているから、人妖と誤解させることで必要以上に沖合に近付かせない方法を取った訳だ」

「その子どもって時期的に夕月のことですよね。でも燈樺様の話だと、夕月のことを泉滝の妖浄士が知ったのは人妖騒ぎの後だった筈です」


常和の問いに、泉滝は眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「我は良くは知らないが、保護したこと自体は当初から知っていた筈だ。そうでなければ時期が合わない」

「確かに、蒼龍姫の話が広まったことで途中で俺の扱いが変わって海斗さんも随分対応に苦慮していましたから、俺が保護されていたこと自体は最初から向こうも承知していた筈です。多分、俺が蒼龍姫の弟だと知られてしまったのが人妖騒ぎの後なんでしょう」


夕月が常和に話した答えに、恐らくそれもあるだろうが、と泉滝が口を挟む。


「あの子は多分、確実にこの国に姫様を呼びたかったのだろう。それで多少話を変えているかもしれない。そうでなければ、貴方をそんなに簡単に清宝に渡すわけがない。あの子は人を助けるということに執着があるから、本来であれば完全に良くなるまで手元で見ておきたいはずだ」

「まあ、大分酷い傷だったみたいですからね。能力で助けてもらったとはいえ、血も結構流してしまっていたみたいですし、体調も暫く治らなかったし。でも大分良くなりましたし、人妖のことが落ち着いたら清宝に行ってもいいと許可もおりましたよ」

「……そうか。まああの子がそう判断したのなら、我もそれ以上は言うまい」

「……というか、さっきから泉滝様が話しているあの子って、海斗さんのことだったんですか」


 私は泉滝と夕月の会話に入って思わずそう呟いた。先程から誰のことなのだろうと考えていたが、私を確実に涼優に呼びたいということと、夕月を能力で助けたという話からようやく当てはまる人物に思い至る。苦い顔をしていた泉滝は私の言葉に笑って頷いて、能力者は可愛い子どものようなものだからな、と言った。小さい頃からあの子のことは良く知っている、と愛しそうに笑う泉滝は、本当に海斗のことを大切に思っているようだった。それは、先程までの会話からも十分感じられていた。

 しかしということは、海斗は宰相に立場を脅かされていることになる。先程常和達が話していた女性のことも関係があるのかもしれない。それを泉滝に話すと、その話は先程聞いていたが、と彼はため息をついた。


「見知らぬ子どもを助けた能力者が、城下の人間は助けなかった。そういう噂を広めれば、怪我人の治療を行わないあの子に対して根付いた不信感を煽って、能力者の地位をより確実に貶めようとしたのだろう。実際少し、苦労することになるかもしれない。能力のことで苦しむのを見るのは責任を感じるが……。まあしかし、大丈夫だろう。あの子が築いてきたものはそんなに(やわ)ではないはずだ」


泉滝はそう言って笑って、海斗の様子が気になるからと牢から出て行ってしまう。便利な力を羨ましく思い、牢に閉じ込められていることを思い出す。私達は助かるのだろうかとため息をつくと、何故か泉滝は振り返り戻ってきて、心配することはないと言って笑う。


「確実に助けがくることを我は知っている。では、またいずれお会いしよう」


 そう言って、泉滝は今度こそ私達を残して姿を消した。廊下に誰かの足音が響いたのは、それから暫く経ってからのことだった。

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