第三章 ー14ー
「あまり思い詰めるなよ、夕澄」
夕月は、牢の隅で縮こまって座っている私に近付いてそう声を掛けてきた。私はそれに声を出さず、首を振ることで答える。夕月のため息が耳に届いたが、顔を膝に伏せているために彼がどんな表情をしているのかはわからなかった。
あの女の夫は死んだ。残されていった伝言が何度も頭の中で繰り返される。先程和真に何故能力を使ってはいけないのか聞かされた時には一度納得したはずだったのに、今は後悔しか残らない。
だって、まさか死ぬなんて思っていなかったのだ。
今まで、話で聞くことはあっても、自分と関わりのある人が妖の関係で死んだことはなかった。翠だって、妖障で苦しんではいたけれど、最終的には問題が解決して助かった。妖障がどれだけ怖いものなのかは邪魅の時に雅人から聞いていた。一度ついたら終わりの不治の病。つけた妖が死なない限りついてまわる呪い。でも、翠を見ていた筈なのに、結局現実味がなかったのかもしれない。
私が出来ることなんて、妖障を癒すことくらいのものだ。でも、それで命が助かる人もいる。
私があの時すぐにでも助けていれば、あの女性の大切な人はまだ生きていたかもしれなかった。和真に止められても振り切っていけばよかった。また、私は自分に都合のいい言い訳をして逃げていたのかもしれない。
先程まで常和と今後のことについて話し込んでいた夕月は、そうやって何も話さずずっと顔を伏せてじっとしている私を先程までは放置していた。私に声を掛けようとしていた常和を止めてまで。常和はそれでも戸惑ってくれてはいたようだったが、早いうちに今後の話をしたいという夕月に押され負けたようだった。それなのに何故、今更慰めの言葉を掛けようとしているのだろうか。夕月が私の隣に座る気配がしたが私は顔を上げなかった。
「お前は、和真さんの言っていたことを、何も分かってない」
夕月が私にもう一度声を掛けてくる。何を、と思いつつも、声を出す気にはなれず黙って聞いていれば、夕月がお前は俺と違って優しいからな、と笑う気配がした。
「でも、だったらお前は選択しなきゃならなくなる」
「……何を?」
顔を伏せたまま今度はそう声を出してみる。夕月は一瞬間をおいて、呟いた。
「お前が、そうやって助けを求めてくる人間の命を取って能力者を殺すか、それとも能力者を助けるか」
私はその言葉に勢いよく顔を上げて夕月を見る。彼は真っ直ぐ正面を見ていて私と目を合わせなかった。でも眉間に皺を寄せていた。私はまた顔を伏せる気がせず前を見ると、こちらを心配そうに見ている常和と目があった。彼は、目を泳がせた後、静かに一度頷いた。私は視線を下に落とす。そして、どういう意味、と声に出した。
「お前が能力を使うことで危険に晒すのはお前だけじゃないってことだよ。そうだな、例えば緑姫様とか」
「碧様? どうして」
「そういう名前なのか。まあ、簡単なことだよ。人の欲望は限りないっていうだけだ。お前は万能じゃない。だから、お前が助けた人間は、足りない分を他の能力者に求める。そして、助けられることになれた人間は、それに甘んじることを当然のように考えるようになる。そうしたらどうなる?」
そんなことは、その結果を蓮葉で見てきている。蓮葉で碧や翠がどのような扱いを受けていたのか私は知っている。夕月は息を呑んだ私に構わずに話を続ける。
「中にはさっきの宰相みたいに、能力者を管理して奴隷のように扱おうと考える奴もいるだろうな。お前は、そういう目に海斗さんや、緑姫様を合わせたいのか?」
「そんなわけないじゃない!」
「だったら、どうするか、ちゃんと考えて今決めろ。今回のようなことはこの先いくらでもおこるぞ。だから、今、お前はちゃんと後悔しておくべきだったと思う。そうじゃないとお前はいつも勢いで決断して後で迷うからな」
夕月がそういって優しく微笑んだ。図星を指されたことに今度こそ本当に何も言えなかった。夕月を恨めしく思ってしまっていた自分が恥ずかしくて顔を伏せる。夕月が小さく笑っている声が耳に入る。そして、気にするなと私の肩を叩いた。ますます居たたまれない。
しかし、夕月は私が考えきれないことをちゃんと指摘してくれて、私がきちんと決断できるように考えてくれた。だから私はきちんと考えなければいけないのだろう。
ふと、海斗が言っていたことを思い出した。
『どこか1つの貴族だろうが、媚び諂ったり誇りを失うことは全ての聖なる貴族の立場を下げる。俺たちは、俺たちの立場を守らなければならない。それが俺たちが聖なる貴族として――能力者を抱える一族として与えられた責任だからな』
あの時は理解できなかったが、その言葉の意味は今の状況と近いような意味だったのかもしれない。能力者の一族が低く見られるようになるということは、能力者を危険な目に合わせるということだ。その立場にいるからこそ守らなければならない一線がある。
それは私も同じだ。私がしようとしていたことは、自分だけが犠牲になればいいと言って、碧や海斗達を差し出していたようなものなのかもしれない。それだけじゃない。和真がいっていたようにその一族も――当然、煉華や燈樺、そして夕月も。人の死という言葉ばかりに囚われてすっかり頭から抜けてしまっていたが、私は理解した気になってなにも理解してなどいなかった。
でも、だとしたら、私の優先順位なんて決まっている。何を犠牲にしたとしても、今の私にとって夕月以上に大事にしなければいけないものはない。そして、他人のために煉華達を差し出すつもりなどなかった。だから、覚悟を決めなければならないのだろう。
「とはいっても」
暫く黙っていた夕月は、唐突にそういって笑う。
「決断してもお前は、多分、放っておけないんだろうな。だから、誰もかれも救えるわけじゃないことだけ、知っておけばいいんじゃないか。誰を救うのか選ぶのはお前なんだし。だから本当は、あの女性の夫とかいう人間をお前が助けたいのならそれでもよかったわけだ。能力者だって皆多分そうしてる。海斗さんだって取捨選択はしているだろうし、もし最初に俺のことがなかったらあの女性の夫を助けていたかもな」
「散々迷わせてそれ? でも、どういうこと?」
「要するにあれは、とんでもなく怪しかったということだ」
当然、宰相のあの伝言も、と夕月は口角を上げた。そして、そうですよね常和さん、と一人離れていた常和に声をかける。常和は一度頷いてこちらへ寄ってきて近くに腰かけた。そして、そもそも、と話しだす。
「夕澄の能力は妖障を癒すことだろう? でもな、実際、殆どの妖は妖障を残さない。残すのは、甚大な被害を出すクラスの妖ばかりだ。そういうのは元々の妖力が強いからな。しかしその位の妖がいるにしては、被害が少ない。実際、俺達が調査した限り、妖に襲われた人間は殆ど自分達で対処できる程度のものばかりだった。怪我人もいるようだったが、命に関わるほどの人間はいない筈だ」
「だって、わたしに頼んできたっていうことは、妖障関連なんじゃないの? それに人妖がいるって話は?」
「あの女性は、海斗様が助けていればこんなことにならなかったといっていただろう。妖障は海斗様が対処できるような問題ではないし、後から出るということもない。だから多分、襲われたこと自体が嘘か、宰相に嘘を吹き込まれているか。それに仮に人妖が絡んでいるんなら、一人で襲われて生きているわけがないからな。ついでに仮に妖障だとすれば、少なくとも数カ月でどうにかなるものではない。つまり、死んだ、というのは嘘の可能性が高いな」
私は、肩の力が抜けるのを感じていた。そして思わず、ならどうして言ってくれなかったのと呟いてしまう。常和が心配そうな顔をしていたから、彼も女性の夫が死んだと信じているのだと思っていた。
「悪い、実を言うと、俺も気が動転していた。あの女性のことをちゃんと考えていなかった。夕月に調査の経過と妖障がどういうものなのか聞かれて頭を整理してなかったら、本当に死んだのかもしれないと思っていたんだ。夕月のおかげで冷静になれたよ」
「常和さん、さっきあの女性の夫が死んだと聞いた時随分怖い顔をしていましたからね」
そこまでじゃないだろうと常和が夕月に言うが、夕月は首を横に振ってそこまででしたと答える。私は二人のそのやりとりを見て、自分がどれだけ自分のことにしか目を向けていなかったかを知った。
しかし、今まで経過を教えてくれる様子なんてなかったのに、夕月が聞いてすんなり話す気にはなったらしい。疑問に思い尋ねてみれば、常和は、結局完全に巻き込んでしまったからなと苦笑いして、それにしてもと眉間に皺を寄せる。
「人妖がいるという噂はある。実際、見た人間も少しだが存在する。夕澄もそうだろう? しかし驚くほど被害がない。そのせいで、誰も危機感なんて持っていない。人妖がそんな生ぬるいとは思えない、一体どういうことなのか……」
「その人妖とは、恐らく我のことだろうな」
常和の言葉に答える声が響き、向かい側の牢で燭台の灯に照らされた影がゆらりと動いた。




