第三章 ―9―
王との謁見から数日。その日、海斗は昼食の時間になる少し前に、私の健康状態を確かめるために部屋に来ていた。随分とゆっくりさせてもらっていたおかげで疲れも癒え、身体の不調も涼優についた時からみれば落ち着いている。海斗も笑みを浮かべて、これならもう大丈夫だろうと言ってくれた。
体調が良くなったお墨付きを海斗からもらったことで涼優の城下に行くための条件は満たしたことになる。海斗にそれとなく聞いてみると、明日にでもかまわないと言われた。
「本当なら俺が案内できるのが一番いいんだが、用があってな。幸い、俺がいなくても城下を知っている人間がいるから問題ないだろう。煉華様とか」
私の隣で煉華が苦笑いする。今日は常和が和真と一緒に城下で調査をしている日だ。
「それ程でもないですよ、私は」
「そう言うが、仕事以外でこの国に来たことがあるのは煉華様くらいのものだろう?」
「あの時は私一人ではなかったですし、私も幼かったですからそんなに記憶にありませんよ」
そんなに前だったかと海斗は首を傾げている。煉華はそれにまだ10歳にもなっていませんでしたと返した。仕事で来たことがあるだけだと思っていた私は、観光が目的でこの国に来た事があるのかと煉華に尋ねる。本家の用事があったからだと彼女は答えた。微笑んでくれていたが、その笑顔はどこか硬い。あまり良い記憶ではないのかもしれない。
「まぁ確かに、詳しいのはどちらかというともう一人の兄上殿のほうだよな」
海斗はそう言って笑ったが、煉華は頷いて俯き、何も言わなかった。
もう一人の兄上、というのは私達がこの国に来たときに聞いた言葉だった。その言葉を聞くたび、煉華の表情は曇る。そのもう一人の兄上という人と煉華の間に何があったのだろうか。何と言っていいのかわからずに煉華の横顔をただ見ていると、彼女は私の視線に気が付いたのか、こちらに視線を向けて優しく笑った。それはいつも通りの煉華の笑顔で、私は少し安心する。
「そういえば、夕月君は一緒に城下に行けますか? 海斗様がいつも一緒にいるから、夕澄が心配してるんですよ? いつもここに来てくれてる感じだともう大丈夫そうですけど」
煉華としては、ほんの冗談のつもりだったのだろう。だから、海斗が表情を厳しくしたことに彼女は驚いたようだった。海斗は厳しい顔のまま、夕月がいつもここに、と煉華の言葉を繰り返す。その視線がそのまま私に向けられ、私は自分の身体が震えるのがわかった。しかし彼は大きくため息をつきすぐに視線を私から逸らす。それから、小さな声で、まったくあいつは、と呟いた。
海斗は、夕月がここに来ているのを知らなかったらしい。ということは夕月は彼の目を盗んで私の部屋に来ていたことになる。彼は私にたいして過保護だから、それ自体は別に驚くことではない。怖いのは、その事実にたいする海斗の反応のほうだった
「夕月、そんなに酷い怪我だったんですか。今でも、海斗さんが常に一緒にいなきゃいけないほど」
私の問いに海斗は眉間に依っていた皺を緩めて私を見る。数秒視線があったままどちらも動かなかったが、やがて海斗が首をかしげ、そして横に振った。
「いや、俺は病人に関しては過保護らしいからな。夕澄だってそれはわかっているだろう?」
「そうですけど、私にはそれほどじゃなかったじゃないですか」
「夕月は元々怪我が酷かったからな、余計心配なんだよ」
「……もしかして、私と夕月が一緒にいるの、やっぱり警戒してますか」
海斗の誤解は解けたと思っていた。でも今のこの海斗の態度は、まるで何かを取り繕うとしているようだった。それに海斗は何故か、私に夕月とあまり会わせてくれようとはしない。
夕月が毎日来てくれていたから気にはしなかったが、私が夕月に会うために彼の部屋に行きたいといっても拒否されている。食事の時間くらいしか、私達は話す時間がなかった。食事の後に少し話したいと思っても、夕月は医務室に行くように言われているからと、私が部屋に帰る前に部屋から出て行ってしまう。そうでなければ、海斗が夕月と話したいといって彼を連れて行ってしまう。
疑われるだけのことはあると思っている。それを甘受するべきたということも分かっている。でも海斗は私を疑ったことを謝ってくれている。もしも疑われているのなら、そんな演技などせずにそうはっきり言って欲しかった。
しかし海斗は驚いたように目を見開き、気まずそうに目を逸らす。そして、苦笑いしてもう一度私に目を向けた。
「正直に言えば、警戒はしてる。……だが、夕澄が考えているような意味じゃない」
警戒という言葉に息を呑んだが、続いた言葉に首を傾げる。
「君は、蒼龍がこの世界でどういった存在なのかちゃんとわかっていないだろう。まして、この国で今どのように話されているかも。君が思っているほど簡単な話じゃないんだ。二人ともにいたら、危険性が増すと思わないか?」
海斗様、と煉華が声をあげるが、海斗は彼女に向けて首を振った。
「夕月には話してあったし、あいつなら分かってくれていると思っていたんだが……。余程、君のことが心配なんだろうな。だがこの国にいる間は君達の身辺に責任をもつのは俺だ。殆ど夕月を人質にとったような形で君達を呼び寄せた以上、清宝との国交上の問題にもなる。万が一があっては困る。清宝に帰るまでは、窮屈だろうが俺に従ってくれ」
私は頷くしかなかった。迷惑を掛けるわけにはいかない。海斗は頷いて、夕月にはもう一度話しておくと言った。二人でいるのが危険ならば夕月と一緒に城下を歩くことも出来ないのだろうと落ち込む。しかし海斗は、だが、といってにやりと笑った。
「城下に行くぐらいならばまあ、いいか。煉華様も常和殿もついていくのなら安全の問題はそれ程ないだろうし……。だが、気が変わった。俺もついていくことにする」
「え? 海斗様、用があるのでは?」
煉華が驚いて声をあげるが、そんなものはどうとでもなると海斗は笑う。
「考えてみれば俺らしくもない。たかだか用ごときで、色々な意味で心配な患者2人を放っておく訳にもいかないだろう。俺がついていればその辺は安心だからな」
「大丈夫なんですか? 重要な用なんじゃ」
あまりにもあっさり言う彼に、こちらのほうが心配になってしまいそう問いかければ、海斗は大丈夫だと笑うだけだった。日にちを変更してもいいと言ってみたが、我慢は身体に悪いぞなどと言われてしまう。譲ってくれそうになかったため、説得するのを諦めた。本人が大丈夫だといっているのだから、本当に大丈夫なのだろうと考えることにする。それに夕月と共に行けるのであれば、その方が私も嬉しいのだから。
海斗は今日中に用を済ませることにするといって部屋を後にしてしまう。私は煉華と一緒に、明日城下で何をするのか計画を立てることにした。その日は、食事の時間以外はずっと煉華とともに計画を立てていた。海斗が話をしたのだろう、夕月は一日中、私の部屋を訪れることはなかった。




