第三章 ―8―
涼優に着くまでの間に和真からある程度の作法を教えられていたこともあり、王との挨拶では大きなミスをすることもなかった。
挨拶さえこなせば俺が何とかすると言っていた通り、夕月は場の空気の殆どを自然に自分に引きつけてくれた。彼はこういう状況に慣れているからか、緊張している素振りもみせない。その所作は相変わらず完璧で、胸の痛みを感じた。夕月と私との違いを目の前に思い知らされているようだ。
彼の完璧さと自分を比べ、嫉妬をしていた頃と今は違う。元々の才能も勿論違うだろう。私がどんなに努力したところで、やはり夕月と同じことはできない。でも彼のその完璧さは、彼の境遇に一因があるのを私はもう知っている。羨ましいなどと思っていたあの頃とは違う。だからこういう違いを見せられるたびに、私は私の罪を思い知らされているような気がする。どうしようもなく無知で、それ故に彼を見捨ててしまった私の許される訳もない罪を忘れるなと。
「夕澄殿も、蓮葉では随分大変だっただろう」
考え事をしていたせいで一瞬、王の問いかけに反応するのが遅れてしまう。なんとか笑みを浮かべて、私は殆ど何もしていないのでと答える。実際、活躍したのは雅人や常和、そして緑姫である碧だ。私は翠の妖障を取り除いただけで、危険など何も犯していない。しかし、海斗が横から、謙虚な方ですからと口を挟む。
「ここにきてからも能力の副反応で体調が安定しないようでした。殆ど部屋で休んでおられましたから。随分無理をしていたようですね」
「そうなのか。ならばこちらではあまり無茶をさせられないな。人妖のこともあるから蒼龍の力を是非とも借りたかったのだが、仕方ないな」
海斗の言葉にそういって残念そうな表情を浮かべたあと、王は私の体調を心配し労ってくれた。それに礼を言って笑みを浮かべる。海斗の言い方は、嘘ではないが少し大袈裟だ。実際、海斗の指示がなければ部屋で大人しくしてはいなかっただろう。しかし、謁見前に話を合わせるように海斗に言われているから不自然な素振りを見せるわけにはいかない。私や夕月の身を守るためだと海斗は言っていたし、逆らう理由もない。実際体調が心配だからと王は予定より早めに私達を返してくれることになった。
部屋を退出する直前、私達は一人の老齢の男性とすれ違う。綺麗な着物に身を包んだその人は私と夕月を一瞥しそのまま部屋の中に入っていく。後ろから、宰相という言葉が聞こえてきた。どうやらこの国の宰相らしい。雰囲気が随分違うが、清宝でいえば燈樺の立場にいる人ということだ。最も燈樺は代理らしいのだが。
燈樺はどちらかといえば優しい雰囲気のある人だ。代理とはいえ宰相だから勿論厳しい側面もあるだろう。化け猫の事件の時、咲耶を咎めるなと言った私を諫めた時のように。実際話したことなんてそれ程ないから本来の彼がどんな人間なのかはわからない。それでも時折会話する時に威圧感など感じたことがなく、どちらかといえば、柔らかで綺麗な笑い方をするから安心して話すことが出来る。だが今擦れ違った人は、どちらかといえば堅く厳しい雰囲気だ。顔つきは厳しかったし、一瞥された時はどこか睨まれているような気がした。同じ宰相でもここまで違うのか、と思う。
「夕澄」
急に、夕月に名前を呼ばれて慌てて返事をしたら声が上擦ってしまう。取り繕うように笑い顔を彼のほうに向けるが、そもそも夕月は私の方を見てはいなかった。歩きながら、正面を見たまま、厳しい表情をしている。
「お前、絶対に一人になるなよ」
隣に立っているから聞こえるような声量だった。私はどうしていいのかわからず、同じくらいの声量でわかったと答える。常和も煉華も、化け猫の一件があってから私を一人にすることを警戒しているし、一人にしてはくれないだろう。
もしかしたら、先程王が蒼龍姫の力を借りたいと言っていたことを気にして心配してくれているのだろうか。でも王は諦めてくれるような雰囲気だった。それでも一応警戒はしておけということなのかもしれない。でもそれにしては彼の表情はずっと厳しいままだった。
清水の屋敷に帰ると、海斗は夕月と話があるからといって彼を連れて行ってしまった。本当は先程の言葉の意味をもう少し詳しく聞きたかったが、海斗に夕澄はすぐに身体を休めろと言われてしまっては、夕月と少し話したいなんて言い出すこともできない。それほど疲れている訳でもなかったから不満はあったが仕方ない。夕月とはまた後で話せばいい。それに去り際、海斗は私の気分を上げさせる言葉を残していった。体調がもう少し良くなれば、城下に少し足を向けてみるといい、と。私を休ませるための口実かもしれないが、早く体調が良くなったと彼に認めて貰わなければいけなくなった。
煉華と常和が共に、部屋に送ってくれる。和真が私が疲れただろうからと、今日は二人とも私についているといいと言ってくれたらしい。その本人は、城に残って涼優の王と話をしている。名目上は経過報告ということになっているが、私にはそういう情報は入ってきていないから、今どうなっているのかあまりわからない。
「涼優の城下ってどんな感じかな」
「清宝とはまた違って賑やかな感じだよ、気さくな人も多いしね」
煉華にこの国の城下町がどのような場所なのか聞くと、彼女はそう答えて、食べ物や観光に良い場所などを教えてくれた。特に魚介類は城下町でしか食べられないような食べ方をするものもあるのだという。
「とはいえ、今はあまり出ていないかもしれないな。沖合に出られないから」
眉間に皺を寄せて、常和が私にそう告げる。人妖のことがあり、漁師達も漁を控えているらしい。おかげでこの国を支えている産業も大きな痛手になっている。解決を急いでいるのだと煉華が教えてくれた。結界の外は元々妖だらけだが、漁師になるものも妖浄士の素質があるものばかりで大抵の妖ならば自力でなんとか出来るのだが、人妖ばかりはどうにもならない。本職の妖浄士ですら勝てるかどうかが謎の存在なのだ。しかし彼らも生活がかかっている。妖の餌食にならなくても、このままでは生死にかかわることにもなりかねない。
そう説明して、常和も煉華もため息をついた。あまり進展がないのかもしれない。でも、私は涼優に到着する直前に人間らしきものが海面に立っているのを見ているし、煉華も常和もそれを知っている。人妖の噂をただの噂だと切り捨てることは出来なくなっている。
進展がないから、城下の人々も随分ピリピリしている。本音をいえば、煉華も常和も私に城下に行ってほしくないと言った。しかしそれならば海斗は何故急に、私に城下に行くといいなんて言ったのか。彼はこの国の人間で、一番この国の事情に詳しいはずだ。
「まあ何にしろ、俺と煉華が守るからお前は心配するな。……いや、警戒はしてもらっていたほうがいいか。お前は結構何するかわからないからな。化け猫の時といい、蓮葉の時といい」
常和がそういって笑う。煉華も苦笑いした。
蓮葉の時、安全な場所を離れたことは後で結構雅人にも常和にも怒られた。清宝に帰ってそれが煉華に伝わってからは、煉華にも怒られてしまった。しかし化け猫の時にも無茶はしないようにと何度もいわれていたのに蓮葉で結局無茶をしてしまったため、この件に関しては私は一切信用されていないのだ。反省はしているが、実際同じことがあれば同じことをしてしまう自覚があるから何も言えなかった。
「城下に行くなら夕月も一緒か? ずっと屋敷から出ていないみたいだが」
「そうかな。でも、夕澄の所に来るとき以外は海斗様がずっと傍にいるみたいだから、許可がおりるかな。怪我はもう問題ないみたいだけどね」
常和と煉華のいう通り、夕月は殆どの時間を海斗と過ごしているようだった。もう怪我は治っているみたいだったのに、海斗は夕月から離れようとしない。この世界にきてから一番夕月の傍にいるのが海斗だからなのだろうか。でも折角ならば夕月と一緒に城下を見てみたい。そう2人に告げると、彼らは海斗に聞いてみると言ってくれた。
本当は、城下を見てみたいというよりは、私が少しでも夕月の傍にいたいのだ。彼が傍にいないことが不安で仕方ない。私がいないところで彼に何かあったらと考えてしまう。今、毎日彼が部屋まで来てくれるのも、私の不安を見透かされているからなのかもしれない。彼と再会してから、彼の姿が見えないのが余計に不安になってしまっている。ずっと、このままでいる訳にはいかないとわかっているけれど。
二人と共に城下で何をするか話し合いながら、私はそんなことをずっと考え続けていた。




