第三章 ―7―
海斗の指示があり、涼優に来てから私はあまり出歩くことが許されなかった。ほぼ自分に与えられた部屋で過ごす毎日。室内にばかりいると逆に身体に良くないからと散歩くらいは許されたものの、それもわずかな時間でしかない。しかし副作用はしっかり治さないといけないと海斗は譲らず、夕月が心配だろうからと無茶を許してくれていた煉華や常和も、心配はもうないだろうからとそれに賛同していた。
人妖についての調査があるために皆が揃うことは食事の時くらいしかなかったが、護衛のために煉華や常和のどちらかは必ず部屋にいてくれたため退屈はしなかった。それに夕月も1日に1度は部屋に来てくれて、話し相手に加わってくれた。夕月と他の皆はすぐにこやかに会話が出来るようになり表面上何も違和感は感じない。夕月が常和たちにもちゃんと受け入れてもらえるのか心配していたが、杞憂だったのだろう。
「第一印象ではどうなることかと思ったけど、夕月は結構話しやすいな」
常和が私の護衛についた日、彼は私に苦笑してそう話した。彼は夕月がとっつきにくい人間だと思っていたらしい。そういえば、初めて会った時に常和は夕月の所作に息を呑んでいたのだ。夕月がもし私と同じように接して欲しいと言っていなかったら、変な距離感が出来てしまっていたのかもしれない。それに夕月はあれから一切完璧な所作は見せていないし、それどころかわざと崩している。雰囲気だって随分和やかで、気楽に話しているようにも見える。私はそれがわざとそうしているのだと判っているが、常和はそれが彼の素だと思っているようだった。
「安心したよ。帰ったら俺が夕月の護衛になるから、関わりにくいとやりにくいしな」
「常和が夕月の護衛に?」
思わず声が大きくなってしまい慌てるが、常和はあまり気にしていない様子で頷く。
煉華は私と同性のため相談役として、常和は私と年齢が近いという理由で話し相手として私の護衛についていた。しかし妖浄士は人手不足で、夕月を連れて帰るのならば私だけに2人専属でというわけにもいかないという話で、必然的に同性で年齢の近い常和が夕月の護衛になると彼は言った。これは既に決定事項で、志輝や燈樺からの指示だという。考えてみれば当然の話で、今まで2人も私の護衛についてくれていた事が贅沢だったのだ。志輝も燈樺も随分と私に配慮してくれているのだろう。一瞬でも”寂しい”と思ってしまった自分が恥ずかしい。
「勿論、夕澄のことは今まで通り守りたいと思っているよ。表の役割がどうあれ、俺はお前の護衛だと思ってくれていい」
「うん。ありがとう。夕月の護衛が常和なら私も安心できる」
それは本心からの言葉だった。常和の実力は確かだし、私は彼のことを信頼している。常和が夕月に何かするということは考えられないから、変な心配をしなくていい。もしも私の知らない妖浄士が夕月の護衛についたら、私は大分不安な毎日を過ごすことになる。夕月の安全は何としても守りたいから、私が安心できる人が彼の護衛について欲しかった。
でも、今まで常和が護衛でなくなったらもう私と一緒にいてくれなくなるのではないかと思ってしまった。護衛だから彼は私の傍にいてくれるのだと一瞬でも考えてしまった。しかもそうでないと常和に否定されて安心してしまった。私は、随分欲張りになってしまっている。思考を切り替えるために、持っていたお茶をゆっくりと口に含む。香りが広がり、気持ちを静めてくれた。
「常和、夕月のこと……よろしくね」
私の言葉に、彼は微笑んで頷いた。護衛としてよろしくという意味だと彼は受け取った筈だ。でも私がよろしくという言葉に込めた意味はもっと複雑だ。
常和は”本当の夕月”を知らない。彼の抱えている問題を知らない。それがわかる時が来たとき、それでも常和には夕月を受け入れてほしかった。夕月を決して1人にしようとせず、たとえ何があっても私にとっての常和や煉華のような存在でいてほしい。そういう願いを全て、私はよろしくという言葉に込めた。それが私の我儘だということがわかっていても、私は願わずにはいられなかった。
「涼優の王様が私に?」
大分体調も良くなってきたころ、食事の時間に海斗に持ち掛けられた話は私を随分驚かせた。
「正確には夕澄と夕月に、だな。蒼龍の関係者に是非挨拶したいと言われて……。前から夕月に会いたいと打診されてはいたんだが、いよいよ断り切れなくなった」
苦い顔をする海斗に、どうしてそんなに嫌がっているのかが判らず首を傾げる。海斗は訝し気な顔をして、涼優の妖浄士達の話を聞いていないのかと言う。涼優の妖浄士達が夕月を狙って人妖が現れたと言っている、と言われていたことを思い出し納得する。しかしあれは口実だろうと志輝が言っていたから、清宝の妖浄士が来たことで問題はないのではないだろうか。その疑問を口に出すと、海斗はあからさまに機嫌の悪い顔をして、安全かどうかわからない場所に患者を行かせるのは流儀に反すると言う。
「今上陛下は良心的な方だから心配はしていないんだが、それにしても怪我人を口実に自分達の身の安全を計ろうという弱虫どもがいるところに行かせたくはない。しかしあまり断り過ぎればお前たちの立場が悪くなる……。これからが重要な時にそれでは都合が悪い。夕月は兎も角夕澄はまだ立場に慣れていないだろうが、顔を広げておくことは身を守ることにもなるから耐えてほしい」
「平気ですよ、私。常和達も一緒に行ってくれるんでしょう?」
常和達の方を見れば、彼らは黙って頷いた。そのまま夕月に視線を移すと目が合う。彼は何も言わずにそのまま黙って私を見ていた。その瞳が一瞬不安定に揺れたような気がして私も彼から目が離せなかったが、視線は彼の方から逸らされる。
夕月は海斗の話に驚いた様子も動じる様子も見せていなかった。先程瞳が揺れた気がしたのも、多分私のことを心配しているのだろうと思う。そういう場面で動じる程、彼はこういう経験が浅くはない。確かに色々な意味で私の方が心配な要素だろう。清宝の志輝達はそういうことを気にしなくていいと言ってくれているし、蓮葉の王とはあまり関わりがなかった。碧や翠達も私にそういう所作を求めず、海斗も気さくな人で身分を感じさせない。考えてみれば、公の立場で正式な所作を求められることを気にするのは初めてだ。しかも蒼龍姫として公の場に出ることになる。それに、蒼龍の関係者というならばメインは私であって夕月ではない。そう考えると一気に不安になってきた。
「お前は心配しなくてもいい。挨拶さえこなせば後は俺が何とかするから」
夕月が微笑んで私にそう告げる。私はそれに黙って頷いた。ここは彼に任せてしまった方が彼もやりやすいだろう。変な気を使って失敗し、フォローさせる方が余程面倒なことになる。
私の体調ももう随分良くなっているが、海斗はまだ様子を見たいからと譲らず、実際に謁見するのは数日後になった。この国では聖なる貴族と王家は完全対等であるため、例え俺の我儘だろうが通せると海斗が笑う。蓮葉と違い、王家が聖なる貴族を下に見ているということもないからなと彼は続けた。私が蓮葉に聖なる貴族を知るためという名目で行ったと話した時彼は随分と苦々しい顔をしていたことを思い出す。随分と蓮葉の現状が許せないらしかった。それに関しては、能力者のことを知っている私も同意だったが、海斗は私とは考え方が違うようだった。
『どこか1つの貴族だろうが、媚び諂ったり誇りを失うことは全ての聖なる貴族の立場を下げる。俺たちは、俺たちの立場を守らなければならない。それが俺たちが聖なる貴族として――能力者を抱える一族として与えられた責任だからな』
彼は以前そう言っていたのだ。どちらかと言えば、下に見ていた王家よりも神宮家の方に憤っているらしかった。彼の言葉の意味は私にはわからない。海斗は、いずれ私も現実を知ることになるだろうとも、知らなければならないとも言っていた。それならば教えてくれればいいのにと思う。そうでなければ私は、また間違えてしまいそうな気がした。霧の中をひたすら突き進んで過った道を選択するくらいならばはじめから真実を知りたい。でも、海斗はそんな私を暖かく見つめて笑ったのだ。――真実は言葉では語れない。自分の目を慎重に養っていくしかないのだと。
海斗は常和達と当日のことについて話し始めている。夕月が私に、あの人なら立場がなくても突き進みそうだけどと言って微笑んだ。確かに実際にはそうなのだろう。患者に対しての彼の在り方はいつもそうだと常和が言っていた。でも、そういうことじゃないんだよなと彼は急に無表情になった。夕月は、海斗のいう真実を知っているのだろうか。
せめて、間違えないように必死で目を凝らさなければいけない。早く真実に辿り着かなければ。二度と、間違えるな。横で食事を口に運ぶ夕月をこっそり見ながら、私はそう心に誓った。




