第三章 ―3―
-清宝 志輝-
「何故、涼優は簡単に夕月君を引き渡すことを了承したんだろうな」
夕澄達が涼優に旅立った数日後。俺は、燈樺の執務室に足を運んでいた。俺が直接彼の部屋を訪ねたことで燈樺は咎めるような視線を向けてきたが、直ぐに気になっていることを尋ねれば、彼はため息を吐く。毎度のことなのだからもう諦めればいいのだ。今回も、言って貰えれば自分が出向くから王がわざわざ一人で来ないようにと小言を言ってくるが、それには俺がこういうことで頑固なのは良く知っているだろうという意味を含めて笑ってかわす。彼はより深い溜息をついてみせるが、そもそも、燈樺を俺の部屋に来させたのでは意味がないのだから仕方ない。俺は彼との間に王と家臣という関係を持ち込む気などないのだ。それを彼もわかっているから俺を諫めるのはいつもたった一度。その後は必ず執務の手を止めてこちらに向き合う姿勢を見せる。今回も途中だった執務を机の上に置き去りにして、俺のために茶の準備をし始めている。
「煉華が言っていた通り、あの海斗殿がそう簡単に患者を手放すとは思えない。城の連中にあれこれ言われたからといって大人しく身を引くような人じゃないだろう?」
「ですから、口実ですよ。恐らくは夕澄様を呼び出すための」
差し出された茶を飲みながら再度問い直せば、燈樺はすぐにそう答える。そして、そんなことはわかっているのでしょうと続けた。
「やはり、あの理由はこじつけか」
夕月を追い出したいだとか、人妖に対処させるための取引材料などという話は、嘘ではないが真実とも言えない。あの人にとって患者というのは自分の命そのものであって、そんな用件で取引を持ち掛けて来るような人間ではないのだ。煉華たちは、夕澄と夕月が一緒にいたほうがどちらの体調にとってもいいと彼が判断したと思っているのだろう。燈樺は勘違いを誘導させるように話していたし、それに気付いた俺も彼に協力した。
海斗からの文面は彼らに話したものと殆ど変わらないから嘘をついた訳ではない。しかし、あの人の性格を彼らは良く知らないのだ。煉華ならあるいはと思ってはいたが、彼女は彼女の兄よりも、聖なる貴族達がどういう人間なのかがわかるほどの交流がない。おかしいと思うくらいで済んでくれたのは幸運だった。
「それで、夕澄を呼び出して何をしたいんだ。お前もどうして隠すようなことを敢えてした?」
「そのほうが海斗様の目的を達成しやすいからですよ」
その目的を聞いているんだろうが、とため息をついたが、燈樺は明確な答えを返さなかった。悪いようにはならないだろうと言い、自分で入れた茶を飲んで息をついている。彼は落ち着いているが、海斗が悪い人間ではないとわかっているとはいえ、俺は少し不安があった。
夕澄と夕月の間には、恐らく何かがある。夕澄の言動からそれは安易に想像できた。おそらく海斗もそれを察し、夕澄に話を聞きたいと思ったのだろう。つまり、夕月側にもその事情を想像する要因がある。それも、海斗が行動を起こすだけのもの。夕月に何かすることはなくても、夕澄に何かすることにはなるかもしれない。しかしその不安は燈樺に一蹴される。
「夕澄様を守ることはあるでしょうが、万が一にも害するようなことにはなりませんよ」
「……お前本当は、何か知っているんじゃないよな」
何にも不安に思ってもいないような燈樺の態度にそう訊いたものの、予想できるだけだといって、彼は首を振る。
「それに夕澄様の夕月様への執着は尋常ではないですからね。夕月様を害する人間だとは、海斗様も判断しないと思いますよ。疑問がそれだけなら、そろそろ執務に戻らせていただいても? 今日はこの後先生に会いに行かなければならないので時間が惜しいのですが。貴方も執務が溜まっているでしょう?」
「ん、今日だったか、樹沙さんへの報告日は……。そうだな、そろそろ真面目に取り掛からないと、後で酷い目にあいそうだ」
立ち上がり、部屋の外へ出ようと扉に手を掛ける。見送りについてきた燈樺に時間を取らせたことを詫び、扉を閉めた。部屋の中から、遠ざかっていく足音が聞こえる。それが聞こえなくなってから、俺は小さくため息をついた。
敬語。他人行儀な態度。一切、気を許さないような声色。……一体あいつは何をそんなに気にしているのか。しかもそれを律儀にも、俺にわかるようにやってのけてくれる。完全に距離を置かれている訳ではないのがまた辛い。まるで、察しろ、そして自分から離れていけと言っているようだった。
ほんの何年か前までは、表上では礼儀を重んじていても、二人の時はお互い友人として共にいた筈だ。いまではもうそれが遠い昔のように思える。あのよそよそしい態度を崩すために努力はしているが、未だ報われそうもない。この戦いはいつまで続くのか。いつになったらあいつを折れさせることが出来るのか。
なあ、俺が諦める事などないと、いい加減認めてしまえよ。俺は俺達の夢を二人の手で叶えることを諦めてはいないのだと。扉に手を置いて、心の中でそう声をかけてから、俺はようやく自分の執務室へと足を向けた。
―涼優 夕澄―
「君が、椎名夕澄だね」
涼優の聖なる貴族、清水家本家の門の前に彼は立っていた。
他の三人が驚いている間に一直線に私のところにきて名前を呼ばれ、じっと顔を覗き込まれる。
いたたまれなさに目を逸らすと、まっすぐ前を見ろと怒られてしまった。暫くすると視線が外されたが、すぐに私の手を取って真剣な顔で脈をはかり始める。話しかけるタイミングを逃してしまった。
助けを求めて常和達を見れば、皆苦笑いしている。
「確かにあまり体調は良くなさそうだな」
私の手を離した彼は、そう言って漸く他の三人とも視線を合わせる。
「遠い所をようこそ。――久しぶりだな、煉華様。兄上殿はご健勝で?」
「最近は体調も安定しているようです。海斗様もお元気そうで」
煉華が名前を呼んだことで、漸く彼が海斗だということが分かる。私以外は全員顔見知りのようで、和真は相変わらずですねなどと言っている。常和は私の隣に来て、ああいう人なんだ、と先程の苦笑いの訳を教えてくれた。海斗は自分が診るべき患者がいれば、他のことは全て二の次になるらしい。
海斗はもう一度私の所に歩いてくると、自分の名前を述べて、今日はすぐに用意された部屋で休むように告げた。夕月がどうしているか聞いてみると、怪我はもう大丈夫だと教えてくれる。しかし実際に会うのは明日ということになった。すぐに会いたいと告げてみたが、海斗は長旅の上に元々体調の優れない私に無理をさせるわけにはいかないと譲らなかった。
部屋は男女で分けられていて、私は煉華と同室だった。蓮葉では一人部屋だったことを思うと、煉華がそこにいてくれるだけで不思議と安心する。知らない土地で一人になるのは心細い。
用意された食事を二人で食べた後、海斗が部屋に来て、私にいくつか体調のことを尋ねた。
「食欲はあるみたいだし、熱があるというわけでもなさそうだ。能力の副作用が長引いているだけだろう。こればかりは俺にもどうしようもないからな。取りあえずゆっくり休むのが一番良い。ただし、体調に何か変化があればすぐに言うように」
もう一度私の脈を慎重に確かめた後、海斗はそう言った。礼を言えば仕事だからと返される。彼は気休めだがといって、私のために、気分を安定させるという甘いお茶と、茶菓子を用意させた。そして、身体を休めても、気が落ち着かなければゆっくり休んだことにはならないと笑う。彼は煉華にも同じものを渡し、自分も同じものを持ち、飲み終わるまではと座り込んだ。
「ところで煉華様。もう一人の兄上殿の方はその後どうなんだ?」
その言葉に煉華の表情が曇ったのがわかった。彼女はお茶を見つめながら、私にはわからないんですと呟く。それに、そうかと海斗が返した。会話はそこで途切れ、沈黙が流れる。
煉華に燈樺以外にもう一人兄がいることを私は知らなかった。彼女は燈樺のこと以外、私との間で話題にしたことがない。でも九重家の直系である彼女には、私が立ち入ることが出来ない事情が何かあるのかもしれない。それに彼女の表情から、聞いてはいけない話のような気がした。
「そういえば夕澄」
3人分のお茶が全て空になった後、海斗は私のほうを見た。
お茶の効果なのか、眠くなり始めていた私は、少しぼんやりした頭で彼を見る。彼はにこやかに笑っている。
「俺は、君を夕月に会わせて本当に大丈夫なのかな?」
でも表情を裏切って、その目は私を見据え、少しも笑ってはいなかった。




