表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼龍姫  作者: 浅野 燈奈
第三章-宵闇の水面-
49/74

第三章 ―1― 

「俺のことは気にしないで、お前は自由に生きればいいんだ」


 静かな廊下に夕月の声が反響した。彼の真実を知りどうして何も教えてくれなかったのかと詰め寄った私に、彼はいつものように微笑んでそれだけ告げた。その笑みがどこか諦めを含んでいるように感じ、私は言葉を失う。

 離れて暮らしていても、普通よりずっと一緒に過ごす時間が少なくても、私達はたった二人の姉弟であって双子であることに変わりはない。だから、分かり合えないことなんてないのだと信じていた。それなのに、今目の前にいるのは私が知っている彼とはまるで別人のような気がする。私が知らない、知ろうとしていなかった彼。

 私が知っているのはいつも私よりずっと優秀で、何でも出来るはずの彼。不安そうな顔も傷ついた顔も私の前では一切見せたことがなかった。こんな、何もかも諦めてしまった顔も。私はそれを彼が特別だから、何も恐れることなどなく困難なんて何もないからだと無意識に思い込んでいた。そして今更その愚かさを思い知らされている。

 ――ああ、何故私はもっとちゃんと彼のことを見ていなかったのだろう。

 あまりに自分とは違い優秀な彼に、勝手に遠くに行ってしまったと錯覚してその優秀さを妬み、自分から距離を置いていた。そのくせ、心の奥底では彼との絆を信じていた。離れていたのは私。彼のことを知ろうとしなかったのは私。だから、何故何も言ってくれなかったのだなどと彼を責める権利は、私にはない。

 言葉を失ってただ唇を噛む私に、夕月は困ったように笑う。何故、彼は笑えるのだろうか。


「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。俺のことはお前はよく知っているだろう? 今までだって平気だったんだ、これからだって上手くやれる」

「平気、って……どこが、」


 彼は何でもないようなことのように笑っている。そして、何も言うなと首を振る。


「この件で俺に関われば、お前だってただじゃすまない。俺と違って、本当に取り返しがつかないかもしれない――だから、何も心配しないで俺に任せていればいいんだよ」


 何も言う事が出来ない私に、彼はもう一度大丈夫だと告げて背を向けて歩いて行ってしまった。私はただそこに立ち尽くし、彼の背中を見つめる。

 ――だって、今更どんな顔をして彼を追いかければいいのか。一度は彼に嫉妬して遠ざかり、何も真実を知ろうとしなかった私が。

 廊下に響く足音は次第に遠くなる。私と彼の距離が開いていく。でも私は彼を追いかけることができない。そうして彼の姿が見えなくなってから、私は俯いて呟く。


「ごめんね、夕月……」


 結局、私は怖かった。彼がいう取り返しのつかないことが、自分の身に降りかかってくることが。もう届かないはずの言葉をその場に呟いたのは、彼のおかれた立場が自分に降りかかっているものじゃなくてよかった、そんな思いが心の片隅にあるのがわかってしまったから。そんな最低な自分を自覚して、私はなんども謝罪の言葉を呟き続ける。

 そして、彼の大丈夫だという言葉を信じようと、何度も自分に言い聞かせる。それは今にして思えば自分の罪悪感を打ち消すためのものでしかなかった。




「夕澄?」


 呼ばれた自分の名前に目を開けると、煉華がこちらを覗き込んでいた。心配そうに私を見ている彼女に、なんでもないと笑って見せる。

 夏が近付き暑くなってきたせいだろうか。ぼんやりしていたから、昔のことを思い出してしまった。こみ上げてくるのは、胸を破り溢れてしまいそうな程の後悔ばかり。気持ちはどうしようもなく落ち込んで浮上してこない。

 

「大丈夫? やっぱり少し休もうか」

「ううん、身体が辛いわけじゃないから平気だよ。それにもうすぐ着くんでしょ?涼優に」


 蓮葉を後にしてもう随分立つが、清宝に帰ってすぐあまり休む事なく出発してしまったために治りきらなかった私の体調を心配して、本来なら馬で移動するはずの煉華は、他に共に来ている人とは別に私と共に馬車での移動を選んでいた。体調はもう随分落ちついているが、旅は疲れも溜まるからといって、煉華は頻繁に休もうと私に声をかけてくれている。気持ちは勿論嬉しいし、心配させてしまっていることも申し訳ないと思っている。それでも私は逸る心を抑える事が出来ず、考えるのはもうすぐ再会できる夕月のことばかりだった。馬車の窓から外を見れば、山の谷間から、向こう側に広がる青が目に入る。潮の香りがしている。目的地である、海の街――涼優はもう、すぐそこだ。





薫の耳に夕月の噂が入ったのは、蛇魅を討伐する一週間ほど前のことだったという。

 涼優は清宝からでも一カ月程かかる距離にあり、蓮葉までは更に一週間はかかる。更に、その噂を聞いた隊商が夕月の話を聞いた時には彼が涼優に表れてから更に2週間経っていたらしい。隊商が聞いた話でははっきり夕月の名前が出た訳ではなかったらしいが、この世界では見たこともないような服装をしていたということと、彼が現れた時期が私がこの世界に来た時期に重なることもあって、私はその話は夕月のことだと確信していた。

 更に、邪魅を討伐した翌日には、燈樺から届いたという手紙を雅人が見せてくれた。それには椎名夕月という少年を保護しているという書状が涼優から届いているという内容が書かれていて、確信に証拠が与えられた。酷い怪我はしていないらしいと書かれていて少し安心したものの、私はとてもじっとしていられるような気分ではなく、私が熱を出していたということもあってすぐに清宝に帰ることを反対した雅人や常和を押し切り、すぐに清宝に帰国することになった。

 この世界に来てからずっと安否を心配していた大事な双子の弟。彼もまたこの世界に来ていたのだ。私と同じように。

 清宝についてから、志輝への報告は雅人に任せ、私と常和は詳細を聞くために急いで燈樺の執務室に向かった。そこで目にした光景に、私は一瞬、言葉を失う。

 宰相代理という役職もあってかそれなりに広い部屋であるはずのそこは、あちこちに本や書類が高く積み上げられ部屋の殆どを埋め尽くし、足の踏み場さえも殆どない。それは、燈樺の仕事量の多さをそのまま物語っている。墨の匂いが濃く漂っていてどこか厳格さを感じるその部屋の奥で、入る許可を出した燈樺は書類を一枚一枚、左から右へ恐るべき速さで流していく。彼は、入室した私の姿を捉えると、筆を置いてこちらに向き直る。その顔にはくっきりと隈が浮かんでいて、顔色もどこか悪いような気がした。


 「待っていたよ」


 そう言って微笑む燈樺の顔には、疲労の色が見て取れる。常和が目を細めてそれを指摘すると、仕事が立て込んでいるのだと彼は苦笑した。


「燈樺様のその仕事量はいつものことでしょう。あまり身体が丈夫ではないのですから、無理はなさらないでくださいよ。貴方が倒れたら色々と大変なんですからね」

「わかっているよ。しかしこの国も人手不足だし、特に文官は少ない。多少の無理は仕方ないさ。それにここ最近は体調も落ち着いているから」


 どこが多少のですかと常和はため息をつく。夕澄も燈樺の表情から彼の言葉には全く説得力がないと思った。

 燈樺の執務室に来るのは、今回が初めてだった。彼に会う時はいつも謁見の間で、志輝と共に会う事ばかりだ。その時はこんなに疲れたような表情はしていなかったように思う。いつだって彼は清廉さを身にまとって志輝の隣に立っていたし、その姿には疲れどころか欠点のかけらも見当たらない。しかし、考えてみれば燈樺に直接あった回数などほんの僅かで、彼の日常などまったく目にしていなかった。

 そんなことよりも、と燈樺は私に目を向ける。ここにきた本題を思い出して背をただして彼をみれば、先程などの疲労の色が掻き消え、夕澄が知る燈樺がそこにいた。


「取りあえず邪魅の件はお疲れさまでした。これで暫くの間は結界も安泰でしょう。報告は後で柊将軍から聞きますから、この場では本題だけを話します。結論からいえば、夕月様は無事です。痕に残るような怪我も、命に関わるような怪我もないとのことです」


 思わず、大きく息をついてしまう。それに二人は微笑んだ。

 燈樺は私に、涼優から来たという手紙の内容を話して聞かせてくれた。夕月は涼優の聖なる貴族である清水家本家に保護されているらしい。それを聞いた常和が、あの清水家が直々にと声を上げて驚いた。

 涼優は医療の発達した国であり、聖なる一族である清水家は代々優秀な医者を輩出している名家であるという。そこに保護されているのならば、夕月の怪我についてはあまり心配しなくても大丈夫だろうと常和は言った。それに続けて、燈樺は清水家が夕月の迎えを寄越してほしいと打診していることも教えてくれる。

 本来であればマヨイビトは保護した国が面倒をみることになっているが、夕月の場合は私が清宝にいることもあるし、姉弟ならば共に過ごしたほうが何かといいだろうというあちら側の好意により、二人をともに清宝で保護することを涼優が提案した。清宝側としても断る理由はなく、その好意を全面的に受け入れることになった。ただしそれが完全な好意かといえばそうでもないらしく、あちら側は夕月を清宝に預ける条件として、ある提案をしてきたらしい。


「その提案は、またおいおい話しましょう。これは夕澄様というよりは、共に行く人間に関係がある話です。出立の前に改めて、涼優に向かう全員に話した方が手間がないですから」

「人選はもう決まっているんですか」


 そう問う常和に燈樺は頷く。彼は、常和と煉華、そしてもう一人、藤堂和真という夕澄の知らない名前を挙げた。雅人だと流石に遠征が続きすぎているということで、別の人選になったらしい。知らない名前に少し不安になる。雅人は、兄がいたならこんな感じだろうかと思わせるほど気さくな人で不安などすぐに消えてしまったが、そうそう都合よく自分を受け入れてくれる人間ばかりだとは思えなかった。私はこの国では異端でしかない。悪口や陰口はいくらでも聞いてきたし、最近は落ち着いているとはいえ嫌がらせも受けた。そんなものは元の世界でもよくあることではあったが、一カ月以上共に過ごさなければならない人に自分が受け入れられなかったらと思うと、想像するだけで気が重い。その不安を燈樺の執務室からの帰り道に常和に漏らせば、彼は私の頭を軽く撫でて微笑んだ。


「大丈夫だよ。和真さんは雅人さんと仲がいい人だから、絶対お前の敵にはならない。それに、俺も煉華もいるんだ。悪い事なんて何もない。だからお前は安心して、弟のことだけ考えていていいんだ」


 私を部屋に送り届けた常和は、夕月を迎えにいくまでに少しでも体調を整えておくように私に告げて自室に戻っていった。その後、私が体調を崩していることを常和から聞いた煉華が様子を見にきてくれたらしいが、疲れがたまっていたことと、夕月に安否がわかった安心感で気が抜けたのか知らないうちに眠ってしまっていて、彼女の来訪には気が付かなかった。彼女は疲労には甘いものがいいからと砂糖菓子を書置きと共に置いていってくれていて、それはほんのりと甘く、身体に沁みていった。

 ここには、優しい人が沢山いる。常和も煉華も雅人も。志輝や燈樺も。まだ顔をあわせたこともないが、常和が大丈夫だといっていたのだから、和真という人もきっといい人なのだろう。

 ここならば、きっと夕月も少しは安心していられるだろうか。再会まではまだ当分かかるだろう弟に想いを馳せる。ここは、私達がずっと過ごしてきた“あの場所”とは違う。彼はずっと、私よりも“あの場所”に縛られ、傷つけられてきた。

 だからどうか、彼にとっても居心地の良い場所であってくれますようにと祈らずにはいられなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=972115331&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ