第二章 -19-
街に降りると、そこは酷い状況になっていた。
「やはり、屋敷の人間をある程度手配しておいて正解でしたね」
疲れたような声で馨が呟く。なんだか可哀想になってくるぐらいだ。
祠から帰ってきた時と同様に、国民は私達が翠を助けることに反対している人間が多数いるようで、まるでお祭り騒ぎのように大声を上げて騒いでいた。一度経験したことのためあまり驚きはしなかったが、広場へいく道や広場に出てこようとする国民を、馨曰く屋敷の人間が押さえ込んでいる姿をみると、ほとほとあきれ返ってしまう。
しかし、その奥の方で、困ったようにおろおろしている人間もまた沢山いるのに私は驚いた。彼等は、騒いでいる人間をどうにかしようとしているのか、声をかけたりしているようだった。軽蔑する目で見ている人間もいた。
「なんだ……やっぱり、わかってる人もいるんだ」
大声に掻き消されるためあまり声量には気を使わないでそう呟いた。
まるで全員が騒いでいるように思ってしまっていたことが少し恥ずかしくなる。
そして思い出す。
「全員が同じ方向を向くことなんかありえないって、言ってたな」
「誰がだ?」
私の独り言を常和が拾って尋ねてくる。
「夕月……弟が。私、いつもこんな感じで、何かをみてそれが全てだって思いこんじゃうことがよくあって。何のときだったかな……夕月にそれを話したら、目に見えるものだけですべて判断できる訳じゃないんだぞって言われたの。どんなに大勢が同じ方向を向いているようにみえても、必ず反対を向く人間もいる。人間が皆同じ思考になるなんてことは絶対にないって」
そうか、と常和が言ったのを聞いて、私はもう一度反省する。あの時私は納得したけれど、実際わかってはいなかったのかもしれない。
夕月はそうやって私を諭すことがよくあった。そんなところにも出来の違いを感じる時もある。夕月は私よりもずっと優秀で、私が出来ることで彼に追いつけることなんかないといっていいくらいだったし、考える方向も私とは違う。同い年の筈なのに、あっちのほうが随分と大人びたように感じ、昔は嫉妬すらしていた。今は、引き離されたような、おいて行かれたような気分になる。そこまで考えてまた、夕月のことが心配になる。それでも今は、それを振り払わなければいけない。もうすぐ広場に着く。本番はこれからなのだから、今は集中しなければ。
広場についても周りはまだ騒がしかったが、先ほどよりも随分と気持ちが違っていた。理解している人もいる、とわかったからだろうか。
「結界はもう、解いているんですか?」
「いや、まだだ。本当は狼煙を上げることになっていたんだが、碧様が一緒に降りることになったから、行程自体は楽になったな」
雅人のいつもの気さくな雰囲気は鳴りを潜めていた。槍を片手に持つ彼の気配は随分とピリピリしている。それは常和も同じで、顔付きすら変わっていた。化け猫と対峙していた時とはまた違う、気迫が伝わってくるような真剣な顔だった。
「いいか、危険な場所には近づかないで、護衛の傍を離れないようにしろよ」
常和に背中をぽんと叩かれて、そう念を押され、絶対に邪魔になるようなことはするまいと、私は力強く頷いた。
雅人と常和が私達から離れていく。私は、碧や翠と共に、馨の傍に待機することになっていた。蛇魅が来るまでは、翠をおとりに使うために結界の際にいなければならないが、来たらすぐに結界の傍を離れるように言われている。
広場には既に蓮葉の妖浄士が待機している。近隣に住んでいて、村が滅ぼされ首都に避難していた自衛団からかき集めたり、元々いた妖浄士を短期間ながら鍛え直しているために実力はあまり期待できないらしいが、私達が帰った後は、彼等がこの国を守っていかなければならないのだ。
「碧様、合図です」
馨が、碧にそう告げる。碧がそれに頷いて少し間が開く。そのまま暫くいると、ふっと、空気が揺らめいたような気がした。途端に、化け猫の時に感じた悪寒が体を襲う。結界が解けたのだ、と直感した。
城下が一瞬にして静まり返る。
「近くに、いるようだな…………」
馨がそうぽつりと呟いた。不安そうな声が辺りから聞こえ始める。これはなんだ、という声も聞こえてきた。
「翠様、失礼しますよ」
馨は、翠にそう声を掛けた。瞼だけで返答をする翠に頷いた後に、おそるおそる、といったように、翠の右手を、結界の境界線があるだろう場所へ、差し入れたその瞬間に。
酷く甲高い雄叫びのようなものが、私の耳を突き、凄い音と共に大地が揺れた。
転ばずに済んだのは、腕を神宮の護衛役の人にしっかりと掴まれていたからだった。そして後ろに引かれる。翠や碧は馨に腕を引かれ、結界から引き離されている。
ぴりぴりと肌を指し、吐き気すらしてくるような空気が体に纏わりついてくる。何故だろうか、強いといわれる人妖だった、化け猫の時よりもずっと、悪寒が体を貫いていて、目の前が酷くクリアに見えて。巨大な深緑色の何かを視界の隅が捉えて、そして。
――――とても、怖くなった。




