第二章 -18-
作戦が決行される日が来るまではあっという間だった。
嵐の前の静けさ、と言ったものだろうか。とにかくそれくらい、その日はとても静かで、こちらにきたからずっと賑わいが神宮家まで届いていた城下からも今日は声が届いてこなかった。避難はもう済んでいるのだろうか。
作戦は昼からの予定のために、正午よりも早い時間には常和や雅人達は城下に降りる予定になっていて、私は城に留守番になる筈だった。しかし、想定外のことがあった。
「私も、今回一緒に城下に降ります」
にっこりと笑った碧に唖然としていると、後ろに立っていた馨が溜息をついた。
「近くにいたほうが結界の操作がしやすい、と」
今回の作戦は、城下全てを使う訳ではなかった。
城下でも一番広い広場周辺だけ結界を解き、蛇魅を誘き寄せる。その外側は結界をそのままにし、住民が安全にいられる場所を確保する。
そもそも城下を使う目的は、常和も言っていた通り、“釘を指す”である。そして、やけに“命は”を強調した訳は、ここにある。
――この国の人間には、危機感がなさすぎる。
雅人がはっきりとした呆れを含ませて言ったその言葉の意味を、私は祠から帰ってきた時に体感している。
結界があるということのありがたみを何も知らない。私だってそれがしっかり理解できている訳ではない。この世界に来てから、清宝では結界に守られている。化け猫は怖かったが、それは結界の有難みを理解するのにはあまり繋がらない。私にとって、結界は未知のものだ。それがないという状況がどういうものなのかを、私は知らないのだ。
でもこの国の人間は、そもそももうそういう次元ですらなくなっている。
よくわかっていない私でさえはっきりとした嫌悪感を抱かせたあの街人達のあの光景の衝撃は、まだ心の中に深く刻まれている。
だから“釘を指す”のだ。蛇魅が強力な妖ならば、いくら結界で守っていても、その邪悪さまで隠し通すことは今の碧の状態では難しいのだという。私が化け猫に攫われた時のあのおぞましさみたいなものを、肌で感じさせるのだ。どういう効果をもたらすのかは分からないが、恐怖感を覚えれば少しは自重するだろうという、ある意味希望的観測である。が、それに期待するしかない状況でもあった。
「俺達だけで解決したところで、この国事態が力を持たないと意味がないだろ」
というのは雅人の言葉である。
しかし、城下で蛇魅を誘き寄せるには結界の制御が必要不可欠であり、制御しやすいから城下に、という碧の発言は確かに理解できる。しかし理由はそれだけではないようだった。
「蛇魅の目印になっている翠を、城下につれていくのですから。私が一人安全な場所にいるなんておかしな話でしょう。馨だって、私も城下にいた方が護衛がしやすいはずだわ。私も護衛は馨でないと不安ですし」
悪意が蔓延っている今の城下だけでも十分餌にはなるが、万全を期すため、蛇魅に妖障をつけられた翠も連れて行くことになっていて、その護衛は馨がすることになっていた。
「私は、翠を悪く言う方々に身を預けるつもりはありません。夕澄様だって、馨が護衛のほうが何かと安心だと思います」
「護衛は、私が選んだ精鋭ですよ、碧様。翠様を悪く言う者等おりません」
そういって馨がもう一度溜息をつく。
「馨を一番信用している、と言っているのです。それに、貴方が選んだ精鋭よりも貴方のほうが優秀でしょう? このほうが安全です」
「ですが、貴方に反感をもっている国民に何かされる可能性もあるのですよ」
「大丈夫です。どうせ、妖の気配を感じて動けなくなるでしょうから。今回のことは私の責任でもあるのですから、きちんと見届けます」
にこりと笑いながらも意思の強い瞳を碧は私達に向けていた。彼女は強い人だと思う。
結局、そういう理由で私も共に城下に降りることになり、護衛は馨がすることになったのだった。
作戦のために部屋から連れ出された翠の体調は、数日前よりも目に見えて悪化していた。それでも、彼は碧の姿を見るなり笑みを浮かべた。碧は翠に近づくと、翠の手を強く握りしめて、必ず守ると呟いた。
作戦とはいえ、囮のような役割をするのは怖いに違いない。しかも、一度自分が襲われた妖だ。それなのに、翠は強い意思を感じさせる瞳をしていた。
もしも蛇魅の討伐が上手くいったとしても、妖障はすぐに消えるわけではないと雅人は言っていた。それは、蛇魅の討伐が上手くいっても、翠は苦しまなければならず、命を落とすかもしれない、ということだ。
私に蒼龍姫の力があれば助けられるかも知れないが、蒼龍姫ではない可能性の方がずっと高いし、何より、やはり怖かった。こんな状態の翠を前にすると、余計に恐怖が沸いてくる。自分の存在が揺らぐかも知れないという恐怖とは別に、試して助けられなかったら、どうしよう。そんな、恐怖がむくむくと大きくなっていた。期待をさせて駄目だったほうが、ずっと悪いことなのではないかと思ってしまうのだ。
作戦の決行が近づくにつれ、そんな恐怖はどんどん酷くなっていった。




