第一章 ―4―
翌朝私を起こしにきたのは、大人っぽい女性だった。
「理紗と申します。夕澄様のお世話係を仰せ付かりました。これから暫くの間、宜しくお願いいたします」
理紗という女性は背筋を伸ばして見事な礼をしてみせる。
お世話係がつくとは思っていなかったので彼女の登場に驚いたが、なんとか声に出さずに笑顔を浮かべられた。
「理紗さんですか。椎名 夕澄です。お世話になります」
「理紗さん、などと恐れ多いことです。理紗とお呼びくださいませ。着付けをいたしますので、お着物を脱いで頂けますか」
理紗はにこりともせずに、業務的にそう告げた。戸惑いつつも頷くと、失礼しますといって彼女は部屋の中に入ってくる。そうして部屋の中にある箪笥を開けると、何枚もの色鮮やかな着物が綺麗に折り畳まれて入っていた。
普段着ることのないものだったため、その光景に驚く。
「着物をお召しになられたことは御座いますか」
「え、い、一応あります」
「では、御自分でお召しになりますか? それとも私が致しましょうか」
「あ、お願いします」
着ている服を脱ぐと、理紗は箪笥から青い着物を取り出してテキパキと着付けを終わらせる。着物などそうそう着られるものではないので落ち着かない。
「お食事の案内は後ほど鳳将軍と九重将軍がいらっしゃると伺っておりますので、私はこれで失礼いたしますが、何かあればお申しつけくださいませ」
来た時と同じようにきっちりと綺麗な礼をして、理沙は部屋を後にした。
残された私は、慣れない着物で動くことに苦戦しながらベッドに座る。
丁寧な言葉遣いこそしていたものの、彼女――――理沙の目はとても冷たいように感じた。
昨日志輝の元に向かう時の視線と似たようなものだったから、彼女が抱いている感情には検討がつく。これからそんな視線の中で生活することを思うと、憂鬱になってしまう。
胡散臭い人間だという自覚はあった。異世界から来ましたなんて、誰にとっても信じられないとことだとはわかっている。快く迎えられるなんて思ってなんかいない。
ため息をつく。先が思い遣られる気がした。
「夕澄ちゃん、いる?」
「あ、います」
外から煉華の声が聞こえて、返事を返す。
襖が開けられると、煉華が立っていた。
彼女は私に体の調子はいいか、痛みなどはないかと尋ねたので、私は大丈夫だと言って頷く。
「もともとそんなに痛みはなかったし、もう平気です。えっと、煉華さん……でいいんですよね」
そう尋ねると煉華はきょとんとした顔をした後、はっとした顔をして苦笑した。
「すっかり忘れてた……ごめんね、そういえばまだ名乗ってなかったね。私は九重 煉華、煉華って呼んで。敬語は使わないで普通に話してくれてかまわないから。これから長い付き合いになるだろうし。それから、女の子にしかわからないような困ったことがあれば私にいって。力になれると思うから。私が護衛につくのはそういう理由もあるから」
「うん、わかった。何かあったら煉華にいうね」
常和が来るのは時間が掛かるらしく、暫くの間煉華と二人で話をしていた。
常和の苗字が鳳ということ、昨日会った燈樺が煉華の兄であることも聞く。
それから、昨日疑問に思った妖について尋ねてみた。
煉華が言うには、妖というのは、理由はわからないが人の感情が形になったもので、異形のものとも言われているらしく、元となった人の感情が悪いものであれば、人を襲ったりもするらしい。その様相は様々であり、獣の姿をしていたり、奇妙な姿だったりもする。
「人の感情が形にってのはよくわからないけど、妖怪に近いものなのかな」
「妖怪?」
「うん。私の世界では、人に理解できないことは妖怪が現れて不可思議なことをしてるってことにしてたの。悪戯程度の無害なのもいるし、人を食べたりするのもいるし。陰陽師っていうのがいて妖怪退治とかをしてたらしいけど、詳しいことはわからないな」
「そっか、確かに近いかもね。その陰陽師っていうのが多分、この世界での私達妖浄士の役割かな。私達は妖に対抗する手段がない人達を妖から守るのが役目」
「妖浄士って戦うの? ……それって危険なんじゃないの?」
「そうだね。でも誰かがやらないと対抗手段がなくて皆妖に襲われちゃうから。私はこの仕事に誇りを持ってるよ。人を助けられるって幸せなことだと思うしね」
煉華はそういって微笑む。単純に凄いと思った。自分の命を懸けて人を救うことが幸せだと言い切る彼女が輝いてみえる。
妖怪なんてものが実在すると思ったことがないから、妖がどのくらい脅威で怖いものなのかなんて想像もつかないが、それでも危険な仕事だと言うのは分かる。
「まぁこの城は結界を張っているから安全だよ。万が一何かあっても私達が絶対守るから、安心していいからね」
微笑む煉華にこくりと頷く。と、同時に襖が開いた。
「すまない、遅くなった」
「ちょっと常和、女の子の部屋なのに声もかけないで開けるってどうなの?」
きり、と目を吊り上げた煉華が常和にそう抗議すると、常和は肩をすくめる。
「悪かった、気をつけるよ。…………今日は着物をきたのか」
常和が私に目を向ける。思わず緊張してしまう。
「なかなか似合ってるな。だが昨日の見慣れない服とは大分違うし、動き辛いんじゃないのか? 無理だと思うなら、昨日みたいな服を仕立てて貰える様に言うが」
「ちょっと動き辛いですけど大丈夫です。そのうち慣れると思いますし、私のためにそんなことにお金を掛けて頂く訳にはいかないですから」
「気を遣わなくてもいいんだぞ? まあ、無理だと思ったらいってくれ」
昨日城に来るときに声を掛けてくれたことといい、常和は気配りが出来る人だと思う。
常和がきたので食事を取る場所に向かうことになり、その途中で煉華と話していると、常和にも敬語無しで話せと言われたのでそうした。昨日志輝が歳が近いと言っていたので二人に年齢を尋ねてみると、常和は19、煉華は18で、私とそう離れている訳でもなかった。これから先、元の世界で親しかった人がいないこの世界で一人は寂しいし、仲良くできるといいなと思う。
食事は食堂のような場所で摂った。常和や煉華は食堂で食べることが多いし、大抵はそうらしい。一応位の高い人間と低い人間とで場所は分けられていて、常和曰く、位の高い人間がどう思っていても、低い人間が落ち着いて食べられないからだと言う。それに望めば部屋にも持ってきてもらえるらしく、王である志輝や宰相代理として忙しい燈樺は部屋で食事を摂ることが多いみたいだ。ただ志輝は随分と身分を気にしない性格だし、また燈樺は忙しい時以外は食堂で摂ることもある、と常和はいった。
食事を摂った後は二人に城内を案内してもらった。とはいっても城内はとても広く、一日で案内するのは大変だからと、とりあえず主要な場所だけになった。
色々な所ですれ違う人達には相変わらず、好奇、若しくは鋭い目を向けられたが、これからここで生活していくのならば慣れなければいけないだろう。
案内の途中で昼食を食べたりもしながら色々な所を回った後、最後に案内されたのは、訓練場という場所だった。
沢山の、鎧などを纏った人達が武器をもって武術の訓練をしていたり試合をしていたりする姿やその場に響き渡る指導している人、されている人等の大きな声に圧倒される。
「ここで妖と戦うための訓練をしているんだよ。私達が指導したりもしてるし。今ここにいるのは、素質を見込まれて妖浄士を目指している人なんだけどね」
「素質?」
「妖とは普通に戦っても勝てないんだ。物理的な攻撃は加えられないからな。体内に満ちてる気っていうの上手く扱えないと掠り傷すらつけられない。素質っていうのはその気を扱う力があるかってことだ」
「扱えるようになっても妖浄士にはなれないけどね。気だけではやっぱり駄目だし。それに、枠も決まってるし」
「なんだか難しいんだね。妖浄士っていうのは」
妖と戦うというのは動物を相手にするのとは訳が違うのだろうなと思う。気という概念もよく分からない私には、その大変さは全く分からない。でも話を聞いている限り、妖浄士というのは随分と狭き門だということはわかった。
訓練をしている人達は、剣、刀、槍など様々な武器を使っていた。それを見てあることに気がつく。
「そういえば、弓を扱う人はいないの?」
「弓道場はあるよ。ここの近くに。いってみる?」
「あー、ううん。いい。ちょっと気になっただけだから」
首を振ってそう答えると、煉華も常和もそれ以上は何も言わず、その後夕食を摂った後、私は一日を終えた。