第二章 -14-
「夕澄、少しいいか」
祠から帰ってきて、部屋で休んでいた私の耳に、ノックの音と雅人の声が聞こえた。
帰ってすぐに、雅人と常和は蛇魅の対策のために二人の部屋に向かったはずだった。何の力にもなれない私は、その前に部屋まで送って貰っていたが、それからそれほど時間が経っているとも思えない。話し合いはそんなに早く終わったのだろうかと驚きながら、私は襖を開けた。
雅人は一人でそこに立っていた。表情は硬く、顔色も良いようには見えない。話し合いが難航しているのだろうか、と不安に思う。
「蛇魅のことで、少し話がある」
「蛇魅のことで? えっと、じゃあ、私の部屋に」
「いや、流石に女の部屋に入るのは不味いだろう。ついてきてくれるか」
蛇魅の話をするのならば、何故常和がいないのだろう。ましてや、妖に対して何の対抗手段ももたない私が、妖のことで何かの役に立てるとは思えない。何故私に蛇魅の話をするのか。
雅人の表情は硬い。雰囲気がまるで違うように感じ、真っ直ぐに私を見ている目には、今まで私と話す時とは違う重さが感じられた。
返事をする前に、雅人は歩いて行ってしまう。私は、よくわからない恐怖を覚えながらも、何も言えずにそれに付いていく。断ったほうがいいんじゃないか、そう感じながら、そのための言葉が出てこなかった。
雅人に連れてこられたのは広い中庭で、人通りがない静かな空間だった。ここに着くまで一度も振り返る事がなかった雅人が部屋を後にしてから初めて、私の目をじっと見る。
「蒼龍姫、という言葉に聞き覚えはあるか?」
雅人のその言葉は、随分唐突だと感じられた。蒼龍姫。あの化け猫が、私がそうであると言っていた存在。耳にする度に、背中を冷たい何かが走っていく言葉。
「……化け猫が、妖の史上最高のご飯だっていっているのは、聞きました」
声が震えているのが自分でもよくわかった。蛇魅の話をしに来たはずなのに、どうして今、化け猫に聞いた蒼龍姫の話が出てくるのだろう。
雅人は私の様子を気にする様子もなく話を続ける。嫌な予感がする、これ以上、聞いてはいけない。
「蒼龍のことは話したよな」
「……はい」
「その蒼龍にも、たとえばこの国の緑姫や他の国の能力者のような存在がいる。蒼龍の場合、その一人が蒼龍姫と言われてる。それが、お前かもしれない」
一瞬、何を言われているのか、理解できなかった。理解したくないと思った。
しかし、雅人は話すことを止めようとしない。
「蒼龍姫の能力は、癒すことだと言われている。といっても、怪我や病気の類じゃない。妖の妖力を癒すという意味だ。妖は、残り香のように、その妖力を人間の身や環境に残すことがある。それは人に悪影響を与えるものが多い。土地についたようなものは、その土地の自浄作用で浄化されることも多いが、人間はそうもいかない。一度ついたら終わりだ。不治の病のようなものだな」
「不治の病…」
「最も、原因の妖そのものが死んでしまえば、徐々に消えていくものなんだが。しかし、弱い妖ならば問題もなく消えてくれるが、強い妖だとそうもいかない。消え切る前に、人のほうが耐えきれなくなる。原因の妖が見つからないことも多い。だから泣き寝入りするしかないんだが……蒼龍姫はその穢れを浄化することが出来る、といわれている」
「……つまり、雅人さんは、私がその蒼龍姫だと思っているってことですか。何かの間違いじゃないですか? 私はそんな大層な存在ではないです」
そう言ってはみたものの、私は、なんだかドロドロとしたような気持ちが体を支配するのを感じていた。
「……俺達も、正直半信半疑だ。なんせ伝承上の存在だからな」
「もしかして、私が蒼龍姫だって確かめるために一緒にこの国に来ることになったんですか? そんなの……無駄ですよ、私は、平凡な只の人間でしかないんだから」
もしかして、ではなく、実際そうなのだろうと確信できてしまう。私がここに来たことをなんの疑問もなく説明できる唯一の理由だ。
「現段階では、どちらにしろ翠様の体に干渉することはできない。仮にお前が蒼龍姫だとしても、あの妖障が目印代わりになって蒼龍姫の場所を察知する可能性がある。その方が大問題だ。それに、他の一族と同じように、血縁がなければ能力は受け継がれないだろうからな。お前が蒼龍姫だという確率は本当に低い。だが万が一、ということもある、それだけのことだ。心に留めておいてくれればいい」
それから、と雅人は続ける。今までずっと私から逸らさなかった目線が、すっと横に流れる。その瞬間に、今まで雅人から感じていた空気の重さが少し軽くなる。雅人が一瞬、眉をしかめたのを、私は見ていた。
「このことを聞いているのは俺だけで、常和は何も知らない。騙すような真似をしてすまなかったな」
「……雅人さんは悪くない、ですよ。何も。でも、そうですか、常和は知らないんですね」
彼は私と目を合わせようとしない。本当ならば私に蒼龍姫のことを言いたくなかったのではないか。
蒼龍姫が妖に取り込まれれば大問題。だから、私が本当にそうなのか、確かめなければいけないのだ。志輝も燈樺も、そして雅人も。
彼等はそれをしなければいけない。けれども、それを完全に納得することは出来ない。裏切られたような気持ちが消えない。だからこそ、常和が私に嘘をついていた訳ではないという事実は私を安心させた。
しかし、自分の存在というものが足元からグラグラしているような、そんな感覚が消えなかった。
「夕澄様、いらっしゃいますか!」
突然、大きな声が聞こえた。――馨の声だ。
直に、廊下の向こうから姿が見えて、ああ、ここにいらっしゃったんですね、と彼は笑う。
「碧様が貴方と少し話がしたい、と仰っておりまして」
「私と? わかりました、案内してもらえますか」
私と何を話したいのだろうと思いつつも、了承の返事を返す。
気が付いていなかったが、話をしている間に外は暗くなりかけていた。電気など存在しないこの世界では灯りは廊下に設置されている灯篭と月明かりだけであり、日本で生活してきた私にとっては、ほぼ暗闇のようなものだ。
その闇が私に化け猫に攫われた時の状況を思い出させて、余計に気分が重くなるように感じた。




