第二章 -13-
流石にこういう事態になることは想定していなかった。
いや、そこまで馬鹿じゃないと思っていたかった、というべきかもしれない。
いずれにしろ、目の前の現実に私は怒りを通り越して呆れていた。
「……というわけで、わざわざ遠方から来てご苦労なことだとは思いますが、早急にこの国を去っていただければと思うのですがね」
こちらを見下すようににやりと笑う男に、私は前に立つ雅人や常和の影でこっそり溜息をつく。
祠のある場所から帰ってきて城下に入った途端、街の人々が大勢で城に行く道を塞ぎ、こちらを睨んでいるのを見たときは驚いたが、彼等は散々翠の悪口を叫んでいたかと思えば、私達に手を引くようにと言ってきたのだ。
「この事態をこのまま放置すれば、結界が壊れる。それがわかっていての言葉ですね?」
雅人が抑えた声で言った言葉でさえ、彼等は鼻で笑う。
「結界がなんだというのです? 結界があってでさえ、私達は妖に襲われて死ぬ。この前起こった事件は、対して効果がないことの証明みたいなものでしょう。この国には妖浄士がいるのですから、結界がなくなったところで何の変化もありませんよ」
代表として先程から喋っている男の言葉を、周りがそうだそうだと囃し立てる。その男の言葉に何の違和感すらも覚えていないようだ。嫌悪感すら湧いてくるこの状況に、それでも私は何も言えず立っているしかなかった。
馨から聞いて状況を理解しているような気になっていたが、現状は想像よりも酷いものだ。でも私は、誰かに意見できるほどこの世界のことを知らない。
それにこの状況で意見することで迷惑をかけることもわかっている。正論は火に油を注ぐだけ、なんて事態は元の世界でもざらにあることだ。
間違っているとわかっていても意見できないというもどかしさはあったが、ただ黙っているしかなかった。
「結界がない村で暮らしたことがあるのか?」
静かに、しかしはっきりと落されたその言葉は、怒りを必死に抑えているかのようなそんな印象を受けた。
私は後ろにいるから顔を見ることはできない。しかしその言葉を発した常和の雰囲気は何か怖いものがあった。以前彼と喧嘩した時に感じたものと似ているが、どこか違うような気もする。
しかしこの喧噪だからその言葉は街の人々には届かなかったらしい。
それでも常和が何かを口にしたことくらいは分かったらしく、彼等の視線は常和に集まる。
「何か文句でもあんのか、兄ちゃん」
「あんたらに兄ちゃんと呼ばれるような筋合いはない」
常和の名を呼んで諌めようとしている雅人の声が聞こえたが、常和は言葉を止めることはなかった。
「妖に襲われた後の地獄絵図を、あんたらは見たことがあるのか?
人を襲うような妖は大抵、人の憎しみや恨みから生まれる。それ故に奴らの人に対する対応は凄惨なんだよ。簡単に殺すようなことはまずしない。如何に苦しませるか、それしか頭にないからな。奴らが後にした村に、人がそのままの形を保っている例なんてのはまずない」
先程までの喧噪が嘘のように静まりかえった空間に常和の声が響く。その内容は私の背筋を冷たくなぞるようなもの。
化け猫に襲われた時のことを思い出す。危機一髪の状況で常和と煉華に助けられたものの、あのままだったら私はいったいどうなっていたのだろう。想像することすら恐ろしいようなことになっていたかもしれない。
常和様、と馨が呟く。次いでもう一度、雅人が常和を諌めるように名前を呼んだ。常和は溜息をつくと、それ以上何か言葉を紡ぐことはなかった。
それをどう解釈したのかはわからないが、街の人々は再び騒ぎ始める。
耳に入れることさえ不快なそれを私は聞き流すことに決めた。
しかしギャーギャーと騒ぎつつも、彼等は徐々に道から引いて行った。
取り敢えずはこれで神宮家に帰ることが出来る、と安心すると、後ろからくい、と袖を引かれた。振り返ると、まだ小さい男の子が立っていた。
「お姉ちゃん達、清宝から来たんだろ?」
先程まで街の人から浴びせられていた言葉は悪意がふんだんに込められたものだったが、男の子からはそういう類のものは感じられなかった。むしろ、どこか必死さを感じられる。
肯定の返事を返せば、男の子は言葉を続ける。
「俺、大人たちが知らないことを知ってるんだ」
男の子の言葉に反応したのは私ではなく馨だった。
どういうことだという彼の問いに男の子はここでは話せない、と言う。
「ちょっとこっち、来て」
ぐい、と袖を引かれたが、私は咲耶のこともあってどうしていいのかわからず、雅人に目を向ける。彼は頷いたので、私は引かれるまま、男の子についていく。それに、雅人も常和も、馨もついてきた。
街の喧噪からは離れた路地裏で、男の子は口を開く。
「この前の儀式で、女の人が緑姫さまに石を投げたの、知ってる? あやかしに殺されたお姉ちゃん、どこで襲われたんだと思う?」
男の子の問いに馨を見れば、彼も首を振った。
どうやら襲われたことはわかっていても、経緯は不明らしい。
「俺、聞いたんだ。お姉ちゃん“達”が、ほこらを壊してやろうって言ってるの」
馨が驚きのあまりなんだと、と声を上げる。それに男の子がびくっとしてしまったが、馨は咳払いをして謝った後に続きを促した。
男の子の話を要約すれば、大体の経緯はこのようだった。
城下の子供たちは大抵仲がよかったが、どこにでも所謂問題児というのは存在するらしく、襲われた女の子達もその類だったらしい。どうしようもない程のいたずらっ子で、街のものを壊して回ったり、大人を転ばせて見せたり、目に余るような行動が多々あったようだ。それでも、その子達はこの国の商家の子供である程度裕福であり、街の人々は困り果てていても口出しできる状況ではなかったらしい。それどころか何とか取り入ろうと画策している大人すらいたようで、子供達に媚び諂う姿をみることも日常茶飯事だった。そんなことがあれば、行動はエスカレートしていくのはある意味必然と言えただろう。
男の子もまた商家の子供ではあるが、だからこそ、店の者などが壊されて大人達が困っている姿を見てきたためにその一派には加わってはいなかった。遊ぶ友達はその子達以外でも沢山いるから困ることはなかったらしい。
そんなある日、たまたま、自分の家の手伝いとしてお使いをしていた時、問題児達がこそこそ話し合っているのに遭遇したのだという。
「近づくのは怖かったから、あんまりしっかり聞こえた訳じゃないんだけど……。ほこら、壊す、って、とぎれとぎれに聞こえてきたよ。なんのことかわからなかったけど、壊す、っていうのを聞いて、また何か悪いことをしようとしてると思って、お父さんとお母さんに相談したんだけど……」
何も言える筈がないと一蹴されたらしい。
そうして何もできずにいるうちに、女の子が死んだという事件を耳にして、男の子は怖くなったのだという。
「さっきお姉ちゃん達は道を塞がれていたけど、あれはその子達の親だとか、何とかして気に入られようって思ってる大人達なんだ。俺のお父さん達みたいに何も言えない大人のほうが多いんだよ。だから、みんなあんなだって思わないでほしいんだ」
男の子は必死な顔でそう私達に訴えた。それに頷くと、男の子はほっとした顔をした。
どの世界でも、状況なんてそうそう変わらないものなんだと思う。権力を持っている人間と、取り入ろうとする人間と、実害を避けるためにただ黙ってみているしかできない人間と、被害を受ける人間だ。権力をもっている人間は妬みややっかみを含め悪く見られがちなものだが、実際に悪い人間だって当然いる。
人生を上手くやっていくためには、取り入ることも時には必要だ。でもその必要性を理解していても、また仕方ないことなのだとわかっていても尚私はそういう行為を好きにはなれない。こういうとき一番たちが悪いのは、権力者に取り入るもの達なのだと知っているからだ。その被害にあった人間が身近にいるからこそ、私はその行為が嫌いなのだ。
「恐らく祠を壊した後に例の妖に襲われたんだろうが、しかし、子供達といっても被害はその女児一人だけなのだろう? 他の子供達はどうしたんだ?」
男の子を見送った後に、いろいろ思い出して嫌な気分になっていたが、雅人の声に引き戻される。その問いに答えたのは馨だった。
「実は例の母親は、碧様に対する暴言のほかにも色々恨み言をいっていたのです。裏切られた、と。私達を初めから重要視してない者の意見としてはおかしいとは思っていましたが、こういう事情があったと聞いて納得しました。恐らく、置き去りにされたかもしくは、一番被害を受けそうな役をやらされたのでしょう」
「何故そんなことがわかるんだ?」
「裕福な家で集まっていても、家の序列はあるものですから。最も、真実は闇の中ですが」
「でも、そんな簡単に逃げられるものなんですか? 蛇魅って、子供よりも動きが遅いんですか?」
ふと思ったことを口に出してみた。しかし、雅人がそれを否定した。
「むしろ、一人しか襲えなかったと考えるのが自然だな。封印されていたとなれば随分弱体化していただろうから、子供一人でも限界だったんだろう。でもそれが不確定だった以上、もっと被害が出ていてもおかしくなかった。まぁただ単に一人だけ逃げ遅れたと考えることもできるが、真っ先に襲われるのは祠を壊した人間だろうから、そういう位置にいたのは確実だな。しかし……翠様に取りつく程度には、その子供一人と、今ほどではなかったとしてもその時の城下の悪意で十分だったんだろうな」
「蛇魅は悪意で強くなるんでしたっけ。……人を襲ったことでも強くなるんですか?」
「ああ。妖っていうのは、人を捕食することでも力を得るんだ。一般人ならそこまでの力にはならないだろうが、妖浄士の素質があるような人間や、まして聖なる貴族の能力者にまでなれば得る力は大きい。それを考えると碧様程ではないとはいえ翠様が取り込まれるのは大分危機的状況だし、城下がこの状態なら、時間の問題だな」
翠の力を取り込んで蛇魅の力が強くなり、さらに翠がいなくなることによって生命力の供給ができなくなる碧の結界が弱まれば、国どころか世界の危機に発展しかねないと雅人が言う。弱くなるだけで済めばまだいい方で、万が一碧まで取り込まれれば状況は絶望的になる。要するに、全人類が全滅しかねない事態に発展するということだ。
この状況で翠を助けようとする事を妨害しようとするなんてつくづく馬鹿だと思うが、彼等もまさかそんな事態になるとは想定していないのだろう。
状況は深刻だが、とにかく一旦城に戻って作戦を立てなければということになり、私達は帰路につく。取り敢えずは、再び妨害されるようなことはなかった。




