第二章 ー12ー
煉華が言っていたこと、それを補足するように常和が説明してくれたことによると、元々妖とは人の感情が具現化したものであり、その感情の善悪によって妖の善悪は決まるらしいのだが、中には例外もあるらしい。
本来善の妖が悪の妖になったり、逆に悪の妖が善の妖に変化している例が多々あるのだという。その原因もやはり人の感情だと言われているという。
善の妖が人の憎しみや絶望などの感情に触れれば悪になり、悪の妖が慈愛や優しさに触れて善になる。ただしどの場合でも起こることではないらしく、未だに何が原因でそんな現象が起こるのかはわかっていない。
つまり、妖は生まれたときだけではなく、生まれた後にでさえ、大なり小なり違いはあるにしろ人に影響されている、ということだ。
蛇魅はその中でも特異な例であるらしい。
人の憎しみや恨みを糧にして力を蓄える。それさえ存在すればどこまででも強くなれるし、なければ弱い妖にでさえ負けるほど弱体化する。
「そもそも蛇魅は元々それほど強い妖ではなかったと聞きます」
人が完全な善であるとか、悪であるというのは人である以上はありえない。
割合の違いはあるにしろどんな善人であれ悪は存在し、またどんな悪人であれ多少の善は存在する。普通の人間であるならば猶更である。
だから人が普通に生活をしてる分には、蛇魅はそれほど弱体化することはなくても、強くなることはあまりない。
ただし、人の感情がいつでも一定であるなんてことも、またあり得ないことなのだ。
「蛇魅が封印された時、その近辺で大量虐殺があったらしいんです」
生々しい響きに私は息を呑む。
「どのような場所であったかも、どういう経緯だったのかさえ神宮家の記録には残っていません。ただそれが事実であったならば、その当時の蛇魅の力は恐ろしいものであった可能性がある」
「ただでさえ虐殺や戦争は悪の妖を産む原因になりやすいっていうのに、そんな妖が実在したとすれば脅威になりかねないですね」
聞いていると恐ろしい話だと思う。
妖が怖いものだという認識はこの世界の人にとっては共通だとしても、その妖は実際の所人の感情によって生まれるものであり、まして戦争などが原因になるというならば――人は、自らの手で自らの首を絞めているようなものじゃないかと。
「……でも、ということは今の状況はかなり不味いんじゃないですか?」
私がそう口にすると、3人ともこちらに注目する。
「……城下での翠様の行動は確かに軽率でしたが、この状況はあまりにも酷い」
馨は辛そうな顔をして私を見ていた。
「あの方はこの国にとって重要なのです。碧様だけではなく、あの方も結界の要なのですから。しかしお話した通り、この国では結界の有難さを誰もわかっていない。神宮家の者でさえそうなのですから、国民は猶更」
「……翠様は、いないほうがよかったと神宮家の方々に言われたそうですね」
馨は私の言葉に項垂れる。
「結界も緑姫という役割も、はるか昔から存在するものです。守られることを当然だと思っている国民は沢山います。緑姫様が命を張ることは彼らにとって当たり前のこと。そして、その当たり前が崩れれば非難されるのは神宮家です。無能な人間ほど権力を重要視するもの。翠様に暴言を吐いたのは、恐らくそういう人間でしょう」
守られることが当たり前など本来あり得ない。事実上、緑姫の結界は主要都市だけであり、それ以外に住む人には結界の恩恵はない。全ての場所に張ればいいというのは簡単だが、それをすれば緑姫の身体が持たない。如何に便利な力だろうと、それを行使するのが人間である以上限界は必ず存在する。
しかし慣れと習慣は恐ろしいものである。人間は与えられ続ければそうあることが当然なのだと思い込んでしまう生き物なのだ。与えられる状況が当然だと思えば、要求が贅沢になっていくのもまた当然だといえる。
「負の感情がなくなれば蛇魅が弱体化するならば国民や神宮家の者達の感情を変えてしまうのが一番いいのですが、そう単純にはいきません。一度根付いてしまったものを取り除くのは難しい」
「安全な都に住める人間なんて本当に少数だけで、大多数の人間は毎日妖に怯えながら生きているっていうのに……」
私の隣で、常和がそう言ってため息をつく。
命の危険がいつでもすぐ側にあってびくびくしながら生きていかなければならないという感覚は、怖いとは思ってもいまいちピンとこない。それでも、あんな恐ろしい生き物がいつでもすぐ側にいるというのにはぞっとする。
私が何も言えずにいると、馨の隣で前を歩いていた雅人があれか、と言ったので私は前方に目を向けた。
そこには、みるからに斧か何かで無残に破壊された、木で出来た小さい祠が立っていた。
想像していたよりも随分と簡素なものだ。
そんなに怖い妖を封印していたという割には、作りが簡単なような気さえする。
雅人も常和も同じように思ったようで、こんなもので、という呟いた。
「ここまで簡素なものなら、破壊されることも想定できたはずだが。対策を何もしていなかったのか」
「耳が痛い話ですが……この国は妖をあまり脅威だと思っていない人間が多いのです。先ほどの話の通り、国民は守られることが当たり前だと思っています。妖浄士の多くは力を奪われているに等しい状況ですから、蛇魅どころか普通の妖の討伐すらしないのです。この国では神宮家と王家はお互いに干渉できないことになっているので、私共は何もいえません。神宮家が定期的に見回ってはいたのですが、四六時中張り付く訳にもいかず……」
雅人の疑問に答えた馨の言葉に、口に出しはしなかったものの、私は酷く衝撃を受けた。煉華は妖浄士という仕事を、人を助けられることは幸せなことだと、誇りに思っているとさえ言っていたというのに。同じ妖浄士でさえ、ここまでの落差があるのかと。
妖浄士が妖を退治するための役割ならば、この国の妖浄士は、最早何のために存在するのかすらわからない。
「翠様の妖障が、後々自分達の災厄になりかねないことなど誰も自覚していない。……歯痒い状況ではありますが」
「でも、どうしてそんなに怖い妖を封印していた祠がこんなに簡単なものなんですかね? 斧だけで壊せてしまうほどのものなんて、心許無いと思うんですけど」
「何か訳があるのかもしれないな。……そうせざるをえない状況だったか」
雅人はそういって祠に歩いて行って調べ始めた。
「体調が優れない緑姫様にあまり御無理をさせる訳にもいきませんから、はやめに切り上げたいところですね」
常和がそう口にする。
今、ここまでの道とこの祠周辺には、例外的に碧が結界を張っている。負担になることではあるが、今は私達の行動がしやすいようにと気を使ってくれているのだ。
もし碧がそうしていなければ、妖のことを殆どしらず、足手まといになりかねない私がここにいることはできないだろう。馨は護衛役という都合上、多少戦いには慣れているらしい。
「ここには妖はいない。が、妖力が微かに残ってはいる。何かがいたのは確かだろう」
雅人は祠を隅々まで調べた後にそう言った。
ここにいた妖が蛇魅なのかは特定できないらしいが、封印される程の何かがいたことはこれで確定された。あまりいい状況とは言えないな、と常和が呟く。
妖がここにいたこと、そして既にここにはいないことが分かったので、私達は神宮家に帰ることになった。
しかし、想定外の事態が私達を待ち受けていた。




