第一章 ―24―
目が覚めると煉華が仁王立ちしていた。
まずその姿に驚き、次に雰囲気に驚く。彼女が怒ることはとても珍しく、少なくても、私はここに来てから見た覚えはなかった。それなのに、私が目を開けたその目の前に、彼女がにっこり笑いつつ怖い雰囲気で立っているのが目に入ったから、私は本当に怖気付いた。
「夕澄。取り敢えず着替えて」
布団の上で怯えていた私に一言、彼女は大分抑えた声でそう告げる。それから箪笥から着替えを取り出して、それを彼女自身の手で着せられる。抵抗の余地もない。
着替え終わると、布団の上に正座させられた。
「常和。もういいよ、はいってきても」
部屋の入口に目を向ければ、煉華と同じように不機嫌な常和が部屋に入ってくるのが見えて、尚更怖くなる。帰ってきてから何もしていないはずなのに、と怒らせた理由を探すが思い当たらず、冷や汗が背中を流れた。
二人は私の前に座った。煉華はもう笑ってすらいない。
「とりあえず、まずは謝る」
常和が口を開くと、言葉とは裏腹に随分と低い声だった。しかし二人が頭を下げてくるものだから私は混乱し、なんで、と尋ねた。
「護衛なのに、守れなくてすまなかった。目を向けきれていなかったことも、俺達の過失だ」
「怖い思いをさせてごめんなさい。怪我までさせてしまったし」
二人がいう言葉は私はそんなこと、と思うようなことだったが、真剣に二人が謝ってくるものだから否定することもできず、ただうん、と頷いた。
「だがな」
くわっと常和が目を見開く。私は怒鳴られると思って肩を縮ませた。
「お前、どうしてあの時嫌がらせを受けていると言わなかったんだ……!」
常和の怒声は、随分と抑えているようで思っていた程大きな声ではなかったが、それでも十分に怒気が伝わるものだった。機嫌の悪さがひしひしと肌を刺すのだ。
彼のいうあの時、というのは、化け猫に攫われる前に三人で話した時のことだろう。顔色が悪いと心配され、上手く誤魔化したのだ。
嫌がらせというのは、悪口や、直接手を出されたことだろう。
しかし伝えなかったのは二人を心配してのことでもあると思った私は、思わず言い訳を口に出してしまう。
「だって、迷惑かけたくなかったし」
「そんなもの、迷惑だと思わないって前にいっただろうが!」
「だって忙しそうだったし、私のことで二人の手を煩わせたくなかったし」
「いいか、お前の護衛についた時から、俺達は護衛を第一に考えなきゃいけなかったんだ。昼も食べられないほど参ってるなら、少なくとも俺達のどちらかはお前を守らなきゃいけなかった。つまり、結果的に俺達は一番の職務を放棄したことになるんだ」
そんなつもりはなかった。
そう口にすることはできなかった。あんなに怒っていた常和が、唇を噛み締めて悔しそうにしていたからだ。
煉華もいつのまにか雰囲気が穏やかになっていて、本当は気付くことも職務のうちなんだけどね、と苦笑していた。
「ねえ夕澄。私達ってそんなに頼りないかな」
「そんなこと……!」
「相談してくれなかったってことは、信頼されてはいなかったってことだよね。つまり、私達は相談する相手として頼りなかった。それはわかるよ。あの時気付かなかった私達に、本当は貴方を責めることなんかできない」
煉華は言い切ってしまうと常和と同じように唇を噛み締める。
若干涙声の言葉に私は慌てた。そんなことを思わせたかったわけじゃない。頼りないと感じていた訳ではない。
しかし、現実としてそう感じさせる行動を私はしてしまったのだと今更思い知らされる。
二人のことを考えてしたことが、逆に二人を傷つけた。
そう思うと、涙が出そうになった。私は、いつもこうだ。
「ごめん。二人のせいじゃない。今度は、ちゃんというから」
「じゃあ、約束して。全部抱え込んでしまわないって」
「うん。……約束する」
涙をこらえながらそう言うと、煉華に抱きしめられた。
「ごめんね、夕澄。一番辛かったのは夕澄だよね。気付いてあげられてたらよかった。ずっと怖い思いをしていたよね。だから、貴方にもうそんな思いをさせたくないの。私は、役目も勿論あるけど、それ以上に友達として、ちゃんと貴方を守りたい」
「もう大丈夫だ。陛下と燈樺様が対処して下さったから、怖い思いはしなくていいんだぞ」
常和はそういって、私の頭を撫でる。
煉華の温もりと、常和の優しい手のひらの感触、そして二人の言葉を聞いて、私はもう涙を抑えることはできなかった。
それから驚くほどにパッタリと、私に嫌がらせをしてくる人間はいなくなった。悪口もあまり聞かなくなり、常和と煉華が常に傍にいてくれたからかもしれないが、どうやら別に訳があるようだ。
私に直接手を出した実行犯は、志輝と燈樺が動いてくれ、犯罪を取り扱う部署にそのリストが回されて、重い罰を受けたらしい。それで、罰を恐れて嫌がらせどころか悪口をいう人間も減ったのだろう。
とはいえ、別の噂話が耳に入るようになっていた。
化け猫がいっていた蒼龍姫という存在が、私だという噂だ。
それがこの世界でどういう意味をなすのかはわからないが、どうやらその噂も、嫌がらせや悪口等を減らす原因として働いているらしい、ということはわかった。
私はそんな特別な存在ではないから、そういう話を耳にするのはなんだが複雑な気分だった。私は普通の一般人だ。後で、違うとわかったらまた酷い嫌がらせを受けるかもしれない。
常和と煉華には、そんな不安を話した。約束したからだ。
でも二人とも困ったような顔をした後に、守るから心配ないと言うだけだった。
蒼龍姫というのはどういう存在なのか。それは、私だと思われるような類のものなのか。
気にしないようにしようと思いつつも、私はそんな思いを胸に抱えたまま、暫くそんな噂の類を浴びるしかなかった。




