第一章 ―2―
「あ、」
目を開けた途端、知らない女の人の顔があって驚いた。その人も驚いた顔をして短く声をあげたあと、嬉しそうに笑った。
「常和! 目が覚めたみたい」
振り返って-常和という人がいるのだろう――そう告げると、彼女はまたこちらを見る。
「大丈夫? 体痛くない?」
「あ、えっと……大丈夫です」
「よかった。でも無理しないでね、怪我してるんだから」
私の大丈夫という言葉に安心した顔をして、でも心配そうに告げる。頷くと、その人は優しく笑った。
その後ろから、男の人が顔を出して私を覗き込んでくる。
「目が覚めたなら、身元教えてくれるか?」
男の人のその言葉に、「常和!」と彼女が驚いた声をあげる。先程の常和というのはどうやら、私に身元を聞いている彼のことらしい。
「彼女まだ目が覚めたばっかりなのに!」
「そうはいっても、ただでさえ遅れてるのにこれ以上時間使えないだろ」
「そうだけど、だからって……!」
二人が言い争いを始めたのを、ぼーっと見ていた。体が少し怠い。
そういえばどうして自分はここに寝ているのかと考えて、階段から落ちたことを思い出す。
だとすれば保健室だろうか、夕月はどうしただろうか、探そうと視線を動かして、一気に思考がクリアになった。
学校では見ることがない、昔の日本家屋のような木で出来た天井。
保健室と同じような広さでも、雰囲気が全く違う木の壁に囲まれた部屋。
そして扉は襖。
おかしいということにようやく気付く。
私は学校の階段で落ちたのに、どうしてこんなところにいるのだろう。
怪我をしたのであれば保健室に運ばれるはずで、より酷い怪我ならば病院に運ばれるはず。
こんな風景の部屋で目が覚めるはずがない。
どうして身元を聞くのかもわからない。
ここが学校なら誰かは私の身元をわかっているはずで、まずそんな事聞くことはないだろう。
他の生徒でもそうだろうに、私はただでさえ今学校で悪い意味で有名になってしまっている。
それに二人は江戸時代の人が着るような袴を着ていた。
何もかもがおかしすぎて訳がわからなくなってきた。
でもまだ二人は言い争いをしていて、何かを聞けるような状況ではない。
どうしようもなくてそのまま彼等を見続けていると、常和と目が合う。
「ちょっと待て煉華、彼女がこっちを見てる。俺達に何か聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「え? あ、ごめん、ほったらかしにしちゃって……どうしたの?」
常和が私に気付いて、常和じゃないほうの人――煉華というらしい――に私のことを伝えると、煉華は心配そうにそう聞いた。
タイミングを作ってくれたことに感謝して、私はここがどこなのか二人に尋ねる。
「ああ、宿屋だよ。城下の」
煉華はそう答えた。
宿屋。城下。聞いて一瞬では思考が追いつかなかった。思考が整理できていないうちに、彼女は話し続ける。
「あんな所に倒れてるんだから、驚いたよ。外は妖がうじゃうじゃいるんだから、一般人が一人でうろうろしてたら危ないよ?今日は、たまたま私と常和が通りがかったからいいものの……」
「あんな所? 妖? なんですか、それ」
そう声に出すと、二人共とても驚いた顔をするものだから、余計訳がわからなくなる。
「知らないの? 妖」
「まさか、冗談だろう?」
まるで嘘を付いていると言われたようで、少しむっとして、知りませんと返す声が荒くなる。しかし二人はそんなこと気にもとめない様子で、もっと驚いた顔をするだけだった。信じられない、とでも言いたそうな顔。でも知らないものは知らない。からかわれているんじゃないかと思った。そうに違いないと思って、文句を言おうと彼等の顔を見て、そして気が付く。
「瞳……」
煉華の瞳の色。混乱していたから気付かなかったのか、それでも、気が付かなかった自分に驚いてしまう位の、
――――紅。
「え、知らないの……? この瞳の色のこと」
煉華は顔を歪める。
声に出していたことに気付いて、失礼な発言だったかも知れないと慌てる。
謝ろうと思ったが、煉華はそうする前に常和と話し初めてしまった。
「常和、流石におかしいよね」
「ああ。記憶喪失か……? なあ、お前名前は? 出身……国はどこだ?」
「椎名夕澄です。日本ですけど……」
「「日本?」」
二人がどこだ?という顔をする。そもそも日本語を話している二人が、日本を知らないなんて思えない。
……なのに、二人が嘘を付いているなんて思えなかった。そんな様子ではなく、心の底から驚いているように見えた。
「ここ……どこですか?」
「国は清宝。ここはその首都、朱焔の城下町だ」
「清宝? どこですか? 私なんでここにいるの……」
清宝と答えた常和が、少し、沈黙した後に言った。
「街の外に倒れていた。傷を負っていたみたいだったから、手当てのために宿屋に連れてきた。てっきり妖に襲われたんだと思っていたんだが」
「私、学校にいました。怪我は多分階段から落ちたから……」
そう言うと二人とも黙り込んでしまう。
「……常和、城に連れて行くべきだと思う? 多分、信じられないけど彼女、マヨイビトなのかもしれない」
煉華の言葉に頷く常和。訳がわからなくて何も言葉が出ない。
でも思い出したことがあった。階段から落ちる瞬間、恐らく庇ってくれようとして一緒に落ちた夕月がいない。彼はもっと重傷を負っているかもしれない。
「あの、もう一人……いませんでした?」
「みてないよ? いたような気配もなかったし。知り合い?」
煉華は、考える動作をしてから首を降った。
「双子の弟が私と一緒に階段から落ちたはずなんですけど…。私を庇ってくれたから、酷い怪我してるかも……」
「少なくとも俺達は見てないな」
常和にも知らないと言われ心配になるが、もしかしたら彼はこのおかしな状況には巻き込まれなかったのかも知れない。一緒に落ちたのだから、どこかに運ばれたとすれば一緒にいるはず。心配なのには変わらないが、そう考えることにした。