第一章 ―17―
「説明するのはいいんですけど、何が夕澄様の世界と違うんでしょう?」
凛にそう問われて、答えに困ってしまう。
確かにこの世界で生きている凛にとってはこの世界のことが常識であって、私の世界との相違点なんてわからないだろう。
とはいえ、私はこの世界にきてから殆どの時間を城の中で過ごしていたために本当に何も知らない。今、これは明らかに違うと言えるのは妖のことと結界のことくらいだ。
妖のことは、討伐が仕事の常和達のほうが恐らく詳しいだろう。なら結界のことを聞くのがいいだろうかと思い、それを口にしてみた。
「じゃあ、結界について教えて。私、お城に結界があるのは知ってたんだけど、城下もそうだって知らなかったんだよね」
「結界のことですか? ……それならまず、この世界を成り立たせている四つの国についてお話しなければいけませんね」
凛がいうには、この世界には4つの大きな国があり、それぞれ奉っている神様がいるらしい。清宝ではそれは灼朱だと凛が言い、私は、扉にかかれていて、煉華が守り神だといっていた絵のことをそこで思い出した。
他の国にもそれぞれ一頭ずつ、獣の姿をした神様が存在するという。そして4つの国には、その神の力を継ぐ一族がそれぞれ住んでいるらしい。
「でもその辺は、私はよくわからないんですよね。多分、大人なら知っている知識だとは思うんですけど……。とにかく、4つの国の一つの、蓮葉っていう国の一族の一人が緑姫様っていって、妖を退ける結界を張る力を持ってらっしゃる方なんです」
自分の世界では絶対にありえないような話に混乱しそうになるが、なんとか頭の中で整理する。そもそも、妖という存在自体が信じられないものなのに、神の力を継ぐ一族だとか、緑姫という人物の結界だとか、なかなかすんなりとは受け入れられないものだ。
実際目で見てみなければ恐らくしっかりと信じることは出来ないだろう。しかし、妖が確かに存在している以上、それが存在しないなどと言うことなど出来ない。すんなりとはいかなくても、わずかでも信じようという気持ちにさせられる。
「まぁ、難しいような気もするけど……。とりあえず、その緑姫様っていう人の結界が弱まっているのが原因で城下に妖が侵入したり、お城に侵入したりしてるのかな? だとすれば、緑姫様に何か起こってるのかな……」
「わかりませんが、だとするとかなり大変な事態ですね。緑姫様の結界は、4つの国全てのお城と城下町を守る大切なものなので、大混乱が起きることになりますから……」
「あんなのがそこら中歩き回ってたら怖いどころの話じゃないもんね……というか、お城と城下町だけなの?」
「緑姫様の力には限界があるんです。全ての国の一族に共通することですが、負担が掛かりすぎると命に関わるらしくて……。だから、国の一番大事な場所を守って、他の場所を妖浄士が守るようになっているんだと聞きました」
結界は妖という結界から人を守る手段として有効でも、実際にその力を使うのは命がけだということで、しかもそれを扱うことが出来るのは一人だけ。それは少し心許無いような気もする。
煉華達のような妖浄士は少数精鋭だといっていたし、それぞれの国にいるとしても、守れるものにも限度はあるだろう。清宝がどの程度の規模の国かもわからないし、本当に守れる人はもしかすると少ないのかもしれない。そう思うと複雑な心境だった。
それを隠して、教えてくれた凛にお礼を言う。わかりやすかった、と告げると、凛はとても喜んでくれた。
「私、女官になりたいと思ってるんです。やっと受けられる年齢になって、今年試験なんですよ。そのために色々と勉強してて……。他の国は教育についてあまり力はいれてなくて、裕福な人だけが勉強出来るけど、清宝は先王陛下と宰相様が教育制度を整えて下さって、私みたいにお金が用意できない人でも勉強できるようにしてくれたんです」
本当に嬉しそうに凛はそう言った。その声に私も嬉しくなる。勉強が出来ることをこんなに嬉しそうにいう人間は、日本には殆どいなかった。どちらかといえば強制されているイメージに近いのだろう。勉強できることが嬉しいと、感じられる凛を羨ましくさえ思う。
彼女ならきっと、女官になれるだろう。彼女の夢を叶えてほしいと思った。
「あ、夕澄様の世界でも、やはり勉強をするというのは難しいことなのですか?」
「え? ああ……機会っていう意味なら、少なくとも私の国では平等に与えられてるよ」
日本の義務教育や、その先に用意されている高校や大学について説明し、日本ではそれはある程度当然のことだというと凛はとても驚いた。
「皆で集まって勉強……ですか。似たようなものかはわかりませんが、学校というのもは清宝にもありますよ。塾とかもあります」
凛は、志輝の前の王様と現宰相は、それまであった官吏の要請学校のほかに、国の支援によって運営される塾なものに力を入れていたという。それは今でも続けられており、王が志輝になっても尚守られていて、首都では、文字を書いたり計算をしたりといった基礎的な学問は、望めば誰でも学べるようになったらしい。官吏も昔は一部の名門の家等ぐらいであったのに、優秀ならば誰でも学校に通えるようになった。
それでも、家の都合や、学費以外の経済的な問題などで通えない子供も多いらしい。
「学ぶことが当たり前なんて、夕澄様の国はとても素晴らしい所なのですね。夕澄様も勉強してこられたのですね」
言葉に詰まってしまう。正直なところ、確かに勉強はしてきた。ただ、私もやはり当たり前だと思う側の人間で、勉強自体はそれほど好きじゃない。ただ、それを言葉にしてしまうのは、凛の前ではためらわれる。しかし、嘘をいうこともできない。
「……得意じゃないけどね。せいぜい平均位だったし。弟は優秀だったけど」
「弟様がいらっしゃるのですか?」
「うん、双子のね。すごく優秀でね、私の才能は母親のお腹の中でことごとく弟に吸い取られたんだろうって思うくらい。勉強も出来るし、運動も出来るし、しかも大抵のことは少しやれば出来るようになっちゃうし、しかもそれが常人以上ときてるし。あいつのやることで私が上にいけることはまずないんだよね。……自分で言ってて悲しくなってきた」
落ち込んでいると、凛の笑う声が聞こえた。
「夕澄様は、その方のことを本当に大切に思っていらっしゃるのですね。あまり嫌な感情があるようには感じませんし」
「……うん。昔は妬んだりもしたけど、あいつが弟だってことを誇りに思ってもいるんだよ。完膚なきまでに負けてれば諦めもつくしね。それにあいつは、優秀だってことに驕ったりはしないから」
「素敵な方なのですね。お会いしてみたいです」
「いい奴だよ、凄く。いい奴なんだよ……なのに」
私の声量が落ちたからなのか、夕澄様?と凛が心配して声を掛けてくる。首を振って、大丈夫だと返すが、凛はもう一度、私の名前を心配そうに呼んだ。それに申し訳なくなってしまう。でも、どうしようもなく夕月に会いたくなってしまった。
「ええと、他に何かないかな。私が知らないこと!」
暗くなった思考を振り切るように凛に尋ねる。戸惑わせてしまうとは思ったが、こうする以上にこの場をどうにかする方法も思いつかなかったから仕方がない。
「え? あ、そうですね。じゃあ……」
「これから死ぬっていうのに、知識なんて必要ないでしょう?」
ぞく、と背中から何かがあがってきた。声が聞こえてきた方向には、先程見た化け猫の瞳が怪しく輝いていて、体が固まる。
「予定より早くここを見つけたみたいだし、これから楽しい観劇が始まるから呼びに来てあげたのよ。まぁ、主役は貴方達二人だけれど」
クスクス笑う化け猫から目が離せずにいると、足の指の先からゾクゾクと何かが頭の先まで上がってくるような感覚がする。朔耶の前で気を失う時に感じたものと同じだ。少しずつ、少しずつ気が遠くなってくるのがわかる。目の前が段々とぼやけていく。気持ちの悪い感覚がして、吐き気すらしてくるような気がする。
凛は、と思うが体が動かないし声も聞こえない。このままでは危ないとわかっていて、どうすることもできない。
「少しの間気を失っててもらうわ。到着するまでの準備をしなきゃいけないし」
クスリとまた化け猫が笑う。
ぷつりと意識が切れる音がしたような気がした。




