第一章 ―12-
「常和! 起きて」
扉を叩く音と聞きなれた声に目を覚まされた俺は、簡単に身支度を整えた後すぐに扉を開けた。そこにはわずかに焦りの色を浮かべた煉華の姿がある。先程俺を呼んだ声にも、いつもよりも厳しい色が混ざっていたことを考えると、何か緊急事態が発生したのかもしれない。
「城下でまた事件でも?」
「違う、けど説明する時間がないの、歩きながら話すからとにかく急いで支度して。緊急召集令がでたから」
「緊急召集令?……わかった、すぐに支度する」
緊急召集令が出たということは、余程、切羽詰まった状況になっている可能性が高い。俺は煉華に扉の前で待っててもらい、簡単に整えた衣服を何時もの戦闘用のものに着替えた。
城下の妖の件ではないのならば、一体何が起きたのだろうか。
手早く着替え終えた俺が外に出た瞬間、煉華はこの一瞬すら惜しいとでもいうようにさっさと歩き始めてしまう。
「常和、落ち着いて聞いてね」
「ああ、……何が起きたんだ?」
緊急召集令が出る程の事態が想像できず、俺はいつもよりもかたさのある煉華の声から、何も言われてもいいように身構えた――つもりだった。
にもかかわらず、告げられた煉華の言葉は、俺の体を一瞬凍りつかせた。
「夕澄が……妖に攫われた、らしいの」
「……なんだって?」
―――夕澄が消えた。
その話は、俺と煉華が歩いている傍で噂されるくらいには既に城内に広がっているようだった。しかし彼女が妖に攫われたという話はどうやらまだ広がってはいないようで、只消えた、という事実を確認するような話ばかりされていた。
彼女を怪しんでいた人物達は、やはり彼女はどこかの隠密で、情報を盗んでいったのではないか等ということをあちらこちらでぺちゃくちゃと話していた。それどころか、実は彼女は妖で、災いを持ってきたなどという噂まで流れている。
俺は嫌悪を隠すこともせずに、陛下の所へ向かう道中にいる彼等を睨み付けて回った。途端に罰が悪そうに、しかし勝ち誇ったような顔をわずかにさせている彼等をみて、余計に嫌悪感は湧き上がってくる。そのうち、相手にすることさえ馬鹿らしいことだと悟り、その後は会話が聞こえてもひたすら無視し続けた。
彼女が妖などであれば、専門の俺達にわからないはずがない。それは俺と煉華の共通の認識だった。
仮に隠密だったとしても、陛下や燈樺様がそれを見逃すことなどありえない。そして彼女がそれを出来るはずがない。彼女はあまり隠し事が得意そうではなかった。
一緒に陛下の所に向かう煉華は、いつもなら鋭い視線をする俺を諌めるのが常だが、今日に限っては何もいわず、それどころか周りの会話が耳に入ってすらいないように、黙々と足を進めるのみだった。
俺も煉華も、妖浄士として働いている以上動揺を表に出すなんてヘマはしない。しかし煉華が確実に動揺しているのは、召集の知らせを持ってきた時に彼女がわずかに見せた焦りの色ではっきりわかっている。彼女はどうも、信用している人間を前にした時には気が緩むらしい。ただそれは、俺も同じことだ。煉華がもってきた知らせを聞いた時に俺に走った動揺も、今焦っていることも、彼女は確実にわかっているだろう。
軍議室につくと、いつも緊急事態の時に感じる張り詰めた空気が室内を支配していた。陛下と燈樺様に礼をして足を踏み入れる。そこで、部屋の中央に捕えられている少年が目に入った。腕を抱えられ、身体の動きを同僚の兵士に封じられてはいたが、彼は抵抗する気力すらない、というようにぐったりとしていた。そして思い出す。
彼は、夕澄と俺が喧嘩をする切っ掛けの会話をしていた少年だった。
「常和、煉華、取り敢えず座れ」
一瞬その光景に気をとられてしまっていた俺と煉華に、いつになく厳しい声色で陛下がそう告げる。慌てて決められている席につけば、こちらをちら、と見た少年と目があった。
その虚ろな瞳にまた驚く。彼はすぐに俺から目をそらし、床をじっと見ていた。
「……さて、朔耶といったな」
「はい」
陛下の問いに、
少年は暗い声で、しかしはっきりとした声でそう告げる。朔耶。そう、そういう名前だった。最近は忙しかったが、久しぶりに夕澄と話した時に彼女が教えてくれたのだ。俺と煉華がいない間、夕澄の話し相手になっていてくれたらしい。それを聞いて、俺も煉華も安心していた。いくら妖浄士の仕事があるとはいえ、彼女を、彼女を悪く言う人間が沢山いるこんな悪環境に一人いさせることを躊躇していたのだ。だからこそ、この状況には少し混乱していた。ほぼ目の前に座る煉華がじっと彼を見ているのも、俺と同じことを考えているからだろうか。夕澄が楽しそうに話していた彼がどうしてこんなことになっているのか。
しかし、今はとにかく状況を把握しなければいけないと、意識を軍議に集中させる。
「お前の同僚の証言では、お前が夕澄をつれて、結界が薄くなっている一角に連れて行くのを見たそうだが、事実か」
「……事実です」
「お前は一人で帰ってきたそうだな」
そこまではっきりと陛下に答えていた朔耶がそこで沈黙する。陛下はそうかと一言告げる。
「夕澄を攫っていったのはどの妖だ?」
「化け猫と名乗っていました。しかし、人型をしていました」
少年の返答に空気がざわついた。動揺を口に出している声がちらほらと聞こえたが、静まれ、という陛下の一言で静かになる。しかし、一度切れてしまった緊張はそう簡単に戻ることはない。そして、口にしないまでも、俺もまた動揺していた。
まず、夕澄が妖に攫われたという事実。そしてそれが人型だったという事実。
「まずいな。まさか、そこまでの妖が出てくるとは」
志輝様が若干顔色を悪くしてそう呟いた。
人妖。それは、本来の姿を人の姿に変えることが出来る妖の頂点といってもいい存在。元々人型をしているものとは違い、元の形態にもよるが、その力は普通の妖の何十倍とも、何百倍ともいわれている。元の姿の名残が人型になったときに残るとされているが、その姿を一生のうちにみる人間など殆どいない。それは、見て生き残っている可能性がほぼないことと妖が生まれる原因に起因する、と武術を教わった人に聞いた。
妖は人の感情が形となったものだ。故に、その感情が膨大であればあるほど、強い妖が生まれる。それがいい感情ならば問題はないが、戦争のような事態で生まれる妖は、一番最悪だ。あれほど、人の悪意やらを生み出す原因は他にはない。期間が長くなればなるほど、その妖は強くなる。そして最悪なことに、数年前まであった戦争は、近年ではあまりなかった、10年間という長期戦だった。
「しかしどうして夕澄なんだ? 異世界の人間だからか」
「化け猫は彼女のことを蒼龍姫だといっていました」
朔耶が落とした言葉に、もう一度室内がざわつく。今度は、陛下も燈樺様も唖然とした表情をしていた。
「まさか! そんなことがあるわけがない、蒼龍姫はあくまで伝説上の存在のはずだ!」
一人の妖浄士が机を勢いよく叩いてそう喚く。それに賛同する声があちこちからあがるが、俺は黙ったまま、朔耶をみていた。
彼が嘘を言っているような様子は見られない。何かを話す以外は俯いているが、明らかに自分のしたことに罪悪感を感じている様子だった。
ただ、彼の言葉はすぐに信じられるようなことではない。
現に陛下は戸惑っているような様子を見せていた。隣にいる燈樺様を指示を仰ぐように見ると、一瞬唖然とした表情をした後は冷静な表情をしている燈樺様は、静かにするように指示を出した。
「真偽よりも今重要なのは、夕澄様がさらわれたことです。その理由が蒼龍姫だからというのならば、事は一刻を争う」
「彼女の命が危ないのですね」
それまでずっと黙っていた煉華が口を開く。その表情は少し青褪めているようにも見えた。
燈樺様は静かに頷いてさらに続ける。
「その上、仮に本当に彼女が蒼龍姫だとすれば、神の血を取り込まれることは非常に都合が悪い。妖浄士にさえ手が出せないほど強大な力を持つことになります」
騒がしかった室内が嘘のようにしんと静まり返る。燈樺様の言葉がどういう事態を意味しているのか、この場にいるものでわからない人間などいない。
皆顔を青褪めさせ震えている。人妖はただでさえ人間にとって脅威なのに、それがさらに力を得るという事実に、俺も背筋が冷えていくのを感じていた。
「幸い、最近城下をうろついてくれていたおかげで住処の大体の場所は予想がついています。しかしすぐに行動をおこさなければいけません。夕澄様の救出には、」
「俺が行きます」
少しも迷わずにそう言うと、視線が集中したが、気になどしていられなかった。
「私も行きます。私も常和も夕澄様の護衛ですから。彼女は私達が守ります」
そう言った後、煉華は何かを考えるように少しの間目を閉じた。唇をかみ締めているのが見える。彼女は護衛に任命されたにも関わらず夕澄を守れなかったことが悔しいのだろう、俺も、俺自身を情けないとさえ思っていた。彼女を守れなかったという事実が重くのしかかっている。何のための護衛だというのだ。対象を守れなければ意味がない。城下の結界が薄れていたというのに、城は大丈夫だと安心しきっていた。本来彼女を守れるのは、俺と煉華しかいなかったというのに。
俺はまた守れないのだろうか。……いや、絶対に彼女の命を守ってみせる。そう決意して燈樺さんを見ると、彼は静かに頷いた。
「他に行きたいという人間もいないようですし、二人に任せます。詳細ですが……」
「燈樺、待て」
燈樺さんの言葉を陛下が遮る。陛下はじっと朔耶を見ていた。
いつのまにか、朔耶は涙を流していた。しゃくりあげる声が聞こえる。
「作戦会議に入る前に聞きたい。何故お前は、夕澄を化け猫に渡した?」
視線が朔耶に集中する。
朔耶は泣きながらも、陛下をしっかりと見て口を開いた。
「城下の孤児施設にいる妹が、人質に」
「城下の孤児施設? まさか、この前襲われたあの? しかし、そんな報告は入ってきていないぞ!」
「猫又が施設を襲った時に口止めをしたのでしょう。最初から目的は夕澄様で、孤児院は囮にすぎなかった。黙っていれば殺さないとでもいわれたのでしょうね」
陛下が声を荒げ、燈樺様がそれを諌めつつそう説明をする。行動の理由を説明してしまうと、朔耶は今度は声をあげて泣き始めた。
「陛下、私はどんな罰をも受ける覚悟です、ですが」
「……取り敢えず暫くの間謹慎とする」
陛下がそう言うと、朔耶を抑えていた兵士が彼を立ち上がらせて部屋の外へと連れて行く。扉が閉まる直前に、陛下は朔耶をしっかりとみていった。
「夕澄のためにも、お前の妹のためにも、最大限の努力をする」
有難う御座います、という嗚咽交じりの声と共に扉が閉じられる。それを確認して、燈樺様が今度こそ作戦について話し始めた。




