第一章 ―11-
次の日から、朔耶は訓練の合間を縫って、定期的に私の部屋に訪れるようになった。毎回手土産を持参して。
それでも、どこまで話せばいいのか。それはまだ、きちんと整理がついていなかった。両親についてはその殆どを話し終えてしまっても。
話す度に朔耶は真剣に話を聞いてくれた。嫌悪の目線を向けることはなかった。それが少なくとも私を安堵させる。
とはいえ、この話の最も重要な部分は彼に話すことはできない。それは、私個人の問題ではなくなるからだ。勿論私自身の問題でもあるが、私が勝手に話すことはできなかった。
朔耶とそんな話をずっとしているうちに数日が過ぎた。朔耶は訓練のない時間にしかこないし、こない日だって当然あったから、話自体がそれほど長いという訳でもない。
しかし、その間ずっと、常和には会えない日々が続いていた。なんでも件の妖はまだ城下に出現しているようだった。だから羽織はいつまでも私の手元にある。
困るかもしれないし、もう理紗に頼んで返したほうがと思い頼んでみたが、どうやら城にすら帰っていないらしい。余程忙しいのだろう。同じ理由で煉華にも暫く会えていなかった。こうなると、不謹慎だとわかっていても少し寂しくなる。刺さる視線も悪口も、ずっと心にのしかかってくる。
対照的に朔耶との時間が増えた。妖浄士がいないと、基礎訓練位しかすることがないのだと彼は言った。
そうしているうちに、彼に、全てとは言えないまでも両親のことを話してしまっていた。さすがにこれはというようなことを話した後でさえ、彼は私を否定しなかった。
唖然として、それから、私のあの言葉と態度もしょうがない、と言ってくれただけだ。
納得してくれるなんてことは思ってもいなかったから、私は素直に驚いた。
世界がそもそも別のものなのだから、全てをわかったとはいえないと、彼は言った。それでも、辛い思いをしてきたのですね、といわれた時、思わず泣きそうになってしまった。そういう言葉をくれる人間は、いままでいなかったから。
本当のことをいってしまえば、少し後悔していた。
親という存在は、彼にとって良いものであり続けたほうがいいような気がした。
でも彼は、聞けてよかったと、一言言った。そして、私に感謝の言葉を述べたのだ。
「夕澄様、いい干菓子が手に入ったんです。一緒にどうですか」
「ほんと? 楽しみだなぁ」
両親の話をしてから、朔耶は良く話をしに来るようになり、そのたび何かお菓子を持って来た。
話す話題は重い話題から、他愛ない話に変わった。そして、少ししてから帰る。
常和や煉華がいない時間を有意義に過ごせて、私は退屈しないでいられた。
そんな他愛ない話の中で、朔耶には一人妹がいることを教えてもらった。彼の三つ下だという。城下にある孤児を育てる施設にいるらしく、言葉の端々から、彼が妹を本当に大事に思っているのだ、ということが良くわかった。
必ず妖浄士になって、妹を守ってみせると朔耶は照れながら、でも真剣に言った。
「あ、俺そろそろいかないと」
「今日は随分早いんだね。何か用事があるの?」
「仕事で城下に行かなきゃならなくて。じゃあ、またきますね」
にっこりと彼が笑ってくれたので、待ってるよと伝えて見送った。
朔耶とのそんな毎日を過ごしていく中、城の中には不穏な雰囲気が漂うようになった。
皆そわそわと落ち着かない様子で、どこか怯えているようにも見えた。
それと同じくらいに、こんな噂話を耳にした。
――城下の孤児院が一つ妖に襲われたらしい。
初め聞いた時には背筋が凍るような気分だったが、怪我人はでていない、と聞いて安堵した。しかし、どうも人を怯えさせるのには十分すぎるような話だったらしい。
「あの子が来てから、よね」
「あの子がきたせいじゃない……?」
悪口の内容にそんな内容が含まれるようになった。
勿論意図的だ。そもそも、この噂も悪口から知ったものだった。
まるで疫病神だとでもいうような噂で、おまけに頻度も増えていて、流石に私も部屋に籠りきりになるようになった。私は妖なのではないかというものすらある。
私は何もしていない。そういっても、届くことはないのがわかっていたから、食事の時間以外は部屋に籠っていた。
同時期に朔耶も顔を出さなくなって、話し相手がいなくなったことで余計に心が荒んでいくようだった。
そんな時、煉華と常和が帰ってきている、という話が耳に入った。
「ごめんね、夕澄。長いことほったらかしにしちゃって」
「仕事なんだししょうがないよ。それよりずっと休みなく仕事してたんだから、疲れてるんじゃないの? 私は大丈夫だから、休んで来たら?」
そう口ではいっていたが、本当は話したかった。でも子供じゃないのだからそんな我儘は言えるはずもないし、疲れている煉華に無理はさせられない。
「大丈夫。私が夕澄と話したいんだよ。もう、話すことに飢えてるよ、本当に!」
煉華は、女の子っていいよねー、なんていいながら(どうも妖浄士は男ばかりらしい)、私をぎゅーっと抱きしめてから、後で常和と一緒に昼食に行こう、と言った。
「昼食……?」
「……どうかした?」
一瞬声が強張ってしまった。煉華もわかったのだろう。不安そうに私と目を合わせる。
「ううん、なんでもない。ごめんね、私ちょっとお腹すいてなくて、昼食はちょっと」
「え、そうなの? ……何か、隠してる訳じゃないよね」
鋭いと思った。煉華の声は私を心配するものだ。
否定すると、煉華は暫くこちらを窺うように見ていたが、何も言われなかった。
「わかった。でも何も口に入れないのは流石にまずいし、後で軽いものを何か持っていくよ」
「うん。有難う、煉華」
お礼なんていいよ、と煉華は言って、じゃあまた後でね、といってしまった。
彼女は全く平気そうにしていたが、どこか疲れているようにも見えた。
――この状況で手間を掛けさせる訳にはいかない。常和にも、気付かれないようにしないと。
はぁ、と溜息をつく。どの世界にも、くだらない人間はいるものだ。
昼食に行かないのは、煉華に言ったことが真実ではない。食欲がないというのは本当だったが、それは、食欲を失くさせる理由が食堂にあるからだ。
簡単に言ってしまえば、悪口が酷くなってから、細かい嫌がらせが増えていた。
この前は水を掛けられた。幸い少量だったため、着物が濡れたが大事はなかった。飲み水は貴重なんじゃないのかな、という言葉は頭を掠めたし、理紗に手間を掛けさせるのも申し訳なかったが。
その少し後、足を掛けられて転ばされた。派手に転倒したため、今も青痣が膝に残っている。結構痛かったが、弱音は吐けなかった。
私はこの世界に迷子になってしまっただけなのに、どうしてこんな目に、とは思う。でも、妖が発生している今、恐怖のはけ口が欲しいのだとわかっていた。それは彼女達の都合であって許せることではない。ただ、タイミングが悪かったのだとは思う。
とにかく、常和と煉華には知られないようにしないといけない。今、この大事な時に私のことで手間をかけさせたら、只でさえ忙しい二人の仕事が増えてしまう。
だから、二人が部屋に来たときも、何とかごまかした。
「あ、常和、これ。ずっと借りちゃっててごめんね」
「ああ。どういたしまして」
羽織も無事、常和に手渡すことができた。
煉華がどうして常和の羽織を私が持っていたのか気にしたので説明すると、煉華にも、夜中に出歩くのは危ないよ、と諭された。理紗さんにも同じことを言われている。
煉華は羊羹をもってきてくれた。甘いものは食べやすいだろうと思ってくれたらしい。お茶と一緒に食べたそれは、とても美味しかった。少し前に食べた味のそれは、恐らく朔耶がこの前持ってきてくれたものと同じだろう。
「というかお前、顔色悪くないか?」
常和が顔を覗き込んでくるのにびくりとしてしまう。
「食欲もないんだろう? 医者に診てもらったらどうだ?」
「平気だよ。少し休めば良くなるよ」
最近ストレスのせいかあまり眠れていないのだ。それが顔色が悪い原因だろう。何とかごまかしてはみるが常和は納得はしていないようだった。煉華も心配してくれているようだった。
しかし二人ともあまり時間があるわけでもなく、今日はもう少ししたらまた仕事に戻らなければならないらしい。明日にはもう城下に戻らなければいけないという。
会えないのは寂しいし、こうも忙しいと二人が心配にもなるが、色々なことを隠すのには都合がよかった。
医務室にいった方がいいと言う二人を、今日はとりあえず休んで様子を見ることを伝えて何とかやり過ごす。その後、二人は私に少しでも調子が悪くなったら必ず医務室にいくように、と言い残して仕事に向かった。
原因はわかっているし、今の状態で医務室に行くことが安全だとは私には思えない。日に日に疑心暗鬼になっているとは思うが、心が荒んでいくのはどうしようもないと思う。
だけどまだ、私は大丈夫だ。常和と煉華の二人は信用出来るが、心配をかけて仕事に支障がでても困る。これは私が乗り越えなければいけないことだ、と思った。
そして、煉華と常和と久しぶりにあった、その翌日のこと。
「夕澄様、今いいですか?」
もうとっくに日も暮れてしまったような珍しく遅い時間に朔耶が尋ねてきたので、私は少し不思議に思いながらも扉を開ける。朔耶は不安そうな顔をしてそこに立っていて、悩みがある、と言った。
どこかおどおどとした彼の雰囲気に、よっぽどのことなのだろうと、私は彼を部屋に招き入れて話を聞こうとしたが、彼は首を振った。
人目のある所では話せない、という彼に私は困惑して、それでも、どこなら大丈夫なのかを尋ねると、ついてきて欲しいと朔耶は言った。
彼に連れてこられたのは、私の部屋から随分と離れた所だった。
近くに部屋などがあまりないしんとした場所。朔耶は、あまり使われていない一角なのだといった。高い城門が目の前にあり、夜の闇の雰囲気があるからか、威圧感を感じた。
今まで夜はずっと部屋にいたから、夜、明かりのない空間というものの恐怖感は感じたことがなかったが、気を許せば飲み込まれそうな闇に、体がぞわぞわとしてくる。
「すみません、こんな時間に」
朔耶は申し訳なさそうに言う。気にしないでといったが、彼の表情は晴れなかった。
「それで、悩みってなんなの?」
「夕澄様には、弟がいらっしゃるんですよね」
朔耶はおどおどと周りを気にしながら、ためらうような仕草を見せつつそう言った。
うん、と頷いてみせる。
「夕澄様は、その弟さんを大切に思っていらっしゃるのですか?」
「うん。大切だよ、凄く。特別なんだ、あいつは、誰よりも」
「それなら…弟さんのためなら、なんでもできますか? 例えば…誰かを傷つけることがわかっていたとして、それでも弟さんのために行動できますか」
朔耶が何を意図して聞いているのかわからず困惑する。
何も言えずにいる私に、朔耶は言葉を続ける。
「俺は…出来ます。妹のためなら何でも」
いままでおどおどしていたのも、ためらっていたのも嘘のようにはっきりとした声で、朔耶は私の目を見て断言した。
「朔耶君…?」
「夕澄様ごめんなさい…妹のためなんです」
そういって俯いた朔耶に声を掛けようとした時だった。
ぞわっとした感覚が体を襲う。途端に、体の自由が聞かなくなる。立ったまま金縛りにあったような感覚とともに、足元から何かが這い上がってくるような気持ちの悪い感触がした。振り返ることも出来ず、何が起こったのかもわからず、先程まで感じていた恐怖感が一気に爆発するように思考を支配して、それでも、声を出すことさえ出来なかった。
ごめんなさい、と何度も朔耶は続ける。彼は地面に膝をついて泣いていた。
その彼の足元に、猫の影のようなものが私のほうから伸びているのが見えた。
影は一直線にどんどん伸びていった。猫の形を保つことすらせずに伸び続けて、みるみるうちに、形を別のものに変える。
首筋を、すぅ、と指で撫でる嫌な感覚が襲った。
「案外、結界ってのもたいしたことがないものよねぇ。おかげで狩りも楽だったわ」
耳元でそんな声が聞こえて、私は意識を手放した。




