五章:成就する
血の味と体中の痛み。
あれだけ狂ってると思っていたのに、それでもまだ信じていたようだ。
『あれだけ女児を欲しがっていたのだから』
『私を殺そうとするはずがない』
なんて、もはや正気を失った男に、通用するはずもないのだ。
イェーグの町を襲ったセラスヴァーノの指揮官は、王とともに正気を失いつつある騎士団長、その人だった。彼は逃げるリラメイアの姿を見つけ、捕らえたのだった。
それでも丁重な扱いだった――それがなんだか気色悪かった。
一年ぶりの王城だった。陰気な雰囲気はさらにいや増し、諸官の顔は暗い。
そうして顔を合わせた実の父ダンガズは、もはや言葉の通じる状態ではなかった。
リラメイアの顔を見るなり殴りつける。叫ぶ言葉の端々には、「また生ませればいい」と言った内容が聞き取れた。
女児が欲しいのだ。異常なまでに女児が欲しいのだろう。そしてそれが自分の思うとおりにならないのであれば、殺しても構わないと思ったのだ。
言葉すら通じない。リラメイアの絶望はもはや、いずれどうにかなるという物ですらなくなったのだと、痛感させた。
父は体力の尽きたところでリラメイアを牢獄に入れた。泣きながら手当てをしてくれるメイドもいたが、すぐに引き離された。
――このまま、死んでしまうのか。
国を、国民を悲しませたまま。
兄たちを人に戻すこともできずに。
優しいあの人たちに報いることもできずに。
父親に再会するまでは、襲い掛かって殺すこともできるのではと思っていた。けれど、会ってみればその思いは霧散した。
顔を見るなり殴られて、殴られて、殴られて、体は動かなくなってしまった。
絶望の一晩が明けて。
引きずり出されたリラメイアの前には、鈍く光る、一振りの剣。
ああ、殺されるのか。何も成し得ず。
「また、生めばいい。女は産めばいい。どうにかなる。生めばいい。殺す」
ぶつぶつと呟く父親の姿はもはや正気の沙汰ではない。この、哀れな男を、自分も、周りの人々もなぜ誰も何もできないんだろう。
それは自分たちに今まさに染み込んだ諦念ゆえだと、リラメイアは知っていたけれど――
父親が剣を持ち、リラメイアに振りかざす。
朝日を反射した、その光が人々の視界を遮る、その瞬間。
悲鳴をあげる周囲の人間と、
雄たけびをあげる父王と――窓から飛び込む三羽のカラス。
カラスはリラメイアを守るように少女の目の前に舞い降りると、瞬きの間に三人の人間に姿を変える。
リラメイアが大量の自分の髪を利用して己の身にかけた、兄の呪いを解く呪いがまさに今この瞬間に成就し、解かれたのだ。
「衛兵! 今すぐに彼を、ダンガズを捕らえよ!」
そう高らかに声をあげたのは、リラメイアが一年ぶりにみる第一王子、シュリウスだった。真っ先に自分に駆け寄り体を支えてくれたのは第二王子オルス。第三王子はといえば、その場に立ち尽くしていたが。
周囲の人間は動けない。ダンガズを捕らえるべく身じろぎするものの、目の前に現れたその人が「誰」なのかすぐさま理解できず、動けないでいる。
当然だろう。この国で加護痕を持つ王族と言えばもはや、王であるダンガズと、第一王女であるリラメイアしかいなかったのだ。そこに現れた加護痕を持つ青年が果たして誰なのか。――失踪した王子たちなのだと思っていいのかと、思ってしまっているのだ。
「分からぬか。この瞳と、額にある雪の女王の加護痕を見ても、私がわからぬのか、この国の人間はそこまでダンガズに怯える腰抜けとなってしまったのか!」
「リラメイア、大丈夫か? ずっと見てたよ、もっと早く戻りたかった、そうすれば痛い思いをさせなかったのに!」
「シュリウス、にいさま……オルスにいさま!」
遠くから「やはり、シュリウス様」「失踪した王子がなぜ」と困惑した声が響く。
「衛兵!」
シュリウスの、怒号が室内に満ちる。その瞬間衛兵は、操られたようにダンガズに殺到した。貴族や文官たちはともかく、衛兵はずっと、その言葉を待っていたのだ。従うべき人の、その言葉を。
ダンガズの絶叫が響いた。
その声を聞いてシュリウスはリラメイアに駆け寄る。オルスとともにリラメイアの傷を検分し、彼女を優しく抱きしめた。
「リラ、よくがんばったね。君は本当に悪くないのに、私たちを助けるために犠牲にしてくれたこの一年、私たちはずっと君のそばにいた。本当によくがんばったね」
「おにいさま」
シュリウスはそしてリラメイアをオルスに任せると所在無く立ち尽くすナリアルに近寄り、
「この、大うつけが!」
の言葉とともに、彼を殴り飛ばす。ナリアルは吹き飛ばされるが、何の抵抗もないし、文句も言わない。
当然だろう。
ナリアルは白百合の呪いのことをほとんど知らなかった。魔女や兄たちが大事にするその白百合をリラメイアが手折ることで困ればいいと考えたのだ。
その結果、あらゆる人の計画を壊し、無用の血を流すこととなり、自身もカラスとなり、リラメイアが父親に暴行されると言う顛末となったのだから。
「シュリウス、その愚か者の制裁はまたあとにして、今はこの場を収めましょう」
混乱するその場に響く凛とした声。
「フィーチェ!」
オルスが名を呼んだ。魔女の娘、妖艶の美女フィーチェがそこにいた。
フィーチェはオルスを見るとまるで生娘のような笑みを一瞬浮かべ、その後周囲を見回した。
「時は満ちた!」
先ほどのシュリウスのように声を張り上げるわけでもないのに、彼女の声は誰の脳裏にも深く刻み込まれる。
「王子が生き延び、ここに戻るための呪いは成就し、また王にかけられた呪縛は、王女の決死の抵抗により綻びを見せている。我がアヴェカの森を脅かした魔女、ランカレッチェ! 彼女の呪いを今こそ解いてみせよう!」
「我が名はフィーチェ。アヴェカの名を告ぐ新たなる魔女。この国に降りかかるランカレッチェの呪いは、今!」
フィーチェの唱える呪文は文字となり、王の体を締め付けた。またそれは騎士団長や宰相。他にも何人かの貴族や文官に絡みついていく。
光がはじける。視界を奪われた人々が、視力を取り戻し見たものは――
「父上」
シュリウスがダンガズの顔を覗き込んでいる。ダンガズの顔からはすっかり生気が失せていた。もううめくことも、叫ぶこともしていない。
「……妻は、どこだ」
ダンガズはただ呟いていた。
「パメラはどこだ? 子はどこにいった。シュリウスは……オルスとナリアルは? リラメイアも……みな、久しく見ていない……」
「父上、シュリウスは……ここにおります」
「パメラは……子たちはみな、どこだ」
「……」
もはや何も見えていないのだ。
これが末路か。目を硬くつぶり、シュリウスは立ち上がった。
セラスヴァーノ王国の霧はこうして晴れた。
勇敢な王女の、勇気ある行動がなければ、おそらく国は外から、中からと崩壊していただろう――




