四章:隣国の王子
ノズヴァーノ王国に仕える騎士エメラダは、逸る心臓を抑えながら木々を分け入っている。
彼女が進むは魔女の森。その中でもまだ人に近いというアヴェカの森ではあるが、常人とはその性質において一線を画すという魔女を目指している以上、緊張をせざるを得ない。
しかも分かってはいたものの、一人での道程である。ここに至るまでは主君とその護衛とともにいたが、魔女の森に入れるのは女だけである。ノズヴァーノ王国において数少ない女騎士であり、なおかつ王都にあるのはエメラダのみだった。それゆえの抜擢であったが、まさか、一人で魔女に会いに行くことになるとは思ってもいなかった。
『セラスヴァーノの侵攻を抑えるためにも、魔女殿の協力、もしくは最低でも不干渉は確約したい。そのためにも騎士エメラダにはなんとか頑張ってもらいたい』
そう、悲しげに目を伏せる我が主君。
隣国セラスヴァーノの狂王、ダンガズ。その凶行はもう何年も続いていたが、ついに一年前より武力行使に出始めた。かの国との境にある町がみっつ、襲撃された。最初の町は存ぜぬで通し、次の町は魔物の侵攻だのと主張したが、数ヶ月前のみっつめの町・イェーグは、王太子ソルラインがその防衛に間に合ったことで、宣戦布告なしの堂々たる開き直りを見せた。国境に位置するみっつの町は襲われた。
残るは国境には魔女の森、アヴェカ。優れていたわけではないが、おろかでもなかったはずのダンガズがここまで堕ちた原因には魔女が関わっているのではないかという噂がある。国境にあるアヴェカの森の魔女にその嫌疑がかかるのは仕方のないことだが――そもそも魔女は国に干渉しない。時に協力を仰ぐこと、助力を願うことはあっても、魔女から国に接触することはまずないといっていい。その古きからの魔女の盟約は魔女によって保たれている。国に干渉する魔女は他の魔女に粛清されるという。
今回エメラダがアヴェカの森の魔女に会いに行くのは、魔女がセラスヴァーノに干渉していないかの確認と、ノズヴァーノにへの助力、もしくはそれら一切を行わない不干渉の嘆願をするためであった。
途中魔物を切り捨て、肩で息をしながら進むエメラダはそして、泉を見つけた。水の匂いにほっとし、なんとかそこまで足を進めた彼女は――
「……なんと」
泉のたもとで水をすくう、妖精の姿を見た。
妖精か、女神か――エメラダの辞書の中に、あの存在を表現する言葉はろくにない。
肩より上に切り揃えられたその髪は太陽、泉の光を受けてきらきらとしている。柔らかそうな白い肌、たおやかな細い腕と白い指。なんと儚く夢のような光景であろうか。
「さすが、魔女の森。惑わしの森だ……」
あまりにも現実離れした光景にエメラダの心はひとときの安息を感じてしまった。緊張の糸が切れた彼女の体は傾ぎ、「あ」と呟いた後に地面との抱擁を果たしてしまったのだった。
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「あたしはセラスヴァーノの愚王に力なんか貸してないよ」
魔女は淡々と答えた。あまりにも普通の容貌をした中年の女だった。
その後ろには黒髪の美女と、先ほどエメラダが見かけた銀髪の美少女が控えている。
黒髪の美女はしかめつらしい顔で腕を組み、あさっての方向を見ている。
銀髪の美少女は、眉をひそめてエメラダの話に聞き入っていた。
「そしてノズヴァーノに協力するつもりもない」
「では魔女はセラスヴァーノに力を及ぼしてはいないのですね」
「あたしはね」
「というと、他の魔女の可能性はあるのですか」
「さあ、どうだろうね」
「なぜはぐらかすのですか。判っているのではないのですか」
「魔女は万能なわけじゃないよ。あたしはセラスヴァーノにもノズヴァーノにも協力はしない。冷静におまえたちの中間にいよう」
「もし他の魔女がいたらどうするのですか」
「そのときはもちろん出て行くよ。魔女は国には関わらない。その掟は守ろう」
これだけでも収穫なのだ。
エメラダは、それでも肩を落としながら魔女の家を後にした。
死ぬ思いをして魔女の家に行き、死なずに介抱され、帰れるのだ。それだけでも自分は英雄だ。これから戦争が起こればそんな活躍はちっぽけなものだけれど……
それでも任務は果たした。あとは生き残るだけだった。
そんな彼女のあとを追う、小さな影がある――
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<協力しないのですか?>
「あんたたちは国を出た王子と王女で、個だった。だから、受け入れてあげた。でもあの騎士は国を背負っている。あたしはね、魔女だ。莫大な魔力と、狂った脳みそを持つ魔女だ。人とは係わり合いにはなりたくないんだ。あんたたちを受け入れたのは、あたしにとってそれが都合がいいからという魔女の理屈さ。それに当てはまらなければ、あんたを一年もここに養ってもいないよ」
<でも、父がもしノズヴァーノだけではなく、ここにも攻め入るようなことをしたらどうするのですか?>
「殺すよ? そこにあんたの意思もない。魔女は魔女の領域を侵すものは許さない」
それでも何かを言いたげなリラメイアに、フィーチェが声をかける。
「気になるなら、行きたいなら後を追いかけてみればいい。あなたがこの森の中にいなくとも呪いは消えないよ。髪とあの白百合さえここにあれば、媒介になるからね。その代わり、あなたが死ねば全てはそれまでだけど」
フィーチェの言葉は優しい。内容は冷たいけれど、それでもそれはリラメイアが欲しい言葉だった。
魔女の娘であるフィーチェはそれでも人の心も持っている女性だったから。
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騎士エメラダの後を追ったリラメイアはすぐにエメラダに保護され、彼女の主君である王太子ソルラインが待つ国境の町イエーグまで連れてこられた。
魔女の元にいた彼女はしばしの休憩の後、すぐさま王太子に引き合わされた。
<わたくしは、兄を人間に戻すために声を捧げております。しゃべらない無礼をお許しくださいませ>
「無理を強いるつもりはないのです。心優しき魔女の隣人」
<いいえ、わたくしは罪深き者。殿下に気をお使いいただく必要などございません。わたくしは己の罪のためにも、自分の知ることをお伝えしなければならぬと思い、騎士エメラダに無理を言いました>
「エメラダからも、あなたがそう仰っていることは聞きましたが、それはこのセラスヴァーノに関わることなのですか?」
<はい。これは魔女が意図的に隠したこと。ですが私を引き止めぬことであなたさまにお伝えしても良いと判断したこと。セラスヴァーノは、アヴェカの森の魔女ではないほかの魔女により干渉を受けております>
「やはり、そうなのですね」
<狂王は魔女の魔術によりその凶暴性を増し、その洗脳は王だけではなく周囲の有力者にもにじみ始めているといいます>
「王だけではなく、他にもいるのですか」
<おそらくは。私が知るに、騎士団長や、宰相はもう>
「……リラメイア殿下」
「――!」
「どんなに髪を短くし、深くフードを被ろうと、その髪の色と瞳を見れば判ります。そしてあなたの語る内容。あなたはリラメイア殿下ですね? 兄とは、失踪した三人の王子たちのことなのでしょう」
< 仰るとおりです。 なんと、申し開きをしたらよいのか 罪もないあなたがたノズヴァーノの方々には >
「きっと辛い年月を過ごしてこられたのでしょうね。あなたがただ何もせずにいたのだとは思っておりません。一年前に殿下が失踪したことも知っております。国を思っての行動なのでしょう? そしてこの一年、三人の王子を助けるためになにかをしてこられたのでしょう」
<わたくしは>
「もちろんセラスヴァーノを憎いと思いますが、私は、正しく物事が正されれば良い。そのためにリラメイア殿下ができることを尽力されてきたのだと思っております」
ソルラインは、震えるリラメイアのフードを取る。
額には雪の精霊痕。かつて美しく長く伸びていた、今は肩で切り揃えられている銀糸――
「美しい、長い銀髪だったと聞いています。セラスヴァーノでは髪は女性の象徴。悲しかったことでしょう」
潤む瞳ではっと見上げれば、初めてまともに見るソルラインと目が合う。
鮮やかな金髪と、深い森の色をした瞳。
精悍な顔つきの青年だった。
リラメイアは自分の頬が熱くなるのを感じた。
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その数日後。
国境の町、イエーグは、セラスヴァーノ王国の二度目の襲撃を受ける。
偶然滞在していた王太子ソルラインによって再度防衛を成功するが、
その町に滞在していた銀髪の少女が一人、セラスヴァーノ王国軍によって連れ去られたことに気づいたのは、王太子周辺の人間だけであった。




