一章:魔女の森の侵入者
深き夜、闇の世界に可憐な少女がひとり。
簡素な服をまとうその少女は、武器を持つわけでもなく護衛をつけるわけでもなく、その森、不可侵の存在である魔女が住まうアヴェカの森に踏み入った。
親が子に語る寝物語――悪い子は魔女がさらうよ。人が恐れる魔女の森は魔物の棲家。少女ひとりで入るには危険、というには危険すぎる森だった。
けれど少女は、体中に擦り傷を作りながら、汗を拭って進んでいた。
なぜ少女がひとり、魔女の森を進んでいるのか――
闇の気配に獣の荒い息が混じる。少女は気づかない。少女のあげる草木を踏み分ける音、それを聞き分けた闇の生き物が、少女に今また近づいている。
一歩。また、一歩。進む少女と、背後に近寄る獣。
そして少女が気づく――
「!?」
悲鳴をあげることすらできず、息を飲み込み身構える少女と、
今まさに飛び掛かろうと四肢を踏みしめた獣の、
その中間に突如として現れた銀色の雷光。
突然の雷光は怯んだ獣にそのまま襲い掛かる。
バチバチと痙攣する獣を唖然と見やる少女は、そのまま腰を抜かしたように地面に座り込んだ。
「なんでこんな場所に、こんな可愛い子がいるのかしら?」
呆然としたままの少女が声のした方を見やればそこには、緩やかな髪を無造作に流した妖艶な美女。
想像に難くない。この美女が今の雷光と何らかの関わりがあるのだと。
この魔女の森において、という前提を考えたとき容易く導かれる想像は、
「あ、あなたが……この森の主の、魔女、でいらっしゃいますか?」
ひとつしかなかった。少女がなんとか呟いた。
問われた美女はふっと笑う。
「そうだとしたら? あなた、取って食われてしまうかもしれないわよ?」
美女の返答に少女は立ち上がろうとする、が、うまく立ち上がれず手足を地面につくこととなる。だがそのまま勢いこんで顔をあげ叫んだ。
「魔女様にお伺いしたいことがあり、参りました! 教えていただきたいのです! セラスヴァーノの、失踪した王子のことを、魔女様ならご存知かもしれないと聞いたのです」
美女は面白そうに、ふ、と息を吐いた。
****
森の中には驚くほど生活感のある一軒の家屋。ごく普通の一軒家に連れてこられた少女は、戸惑いながらその扉をくぐる。
生活感のある室内。
「ようこそ、魔女の家に」
美女が、にやにやと少女に微笑みかける。
魔女であるとも、そうでないとも言われなかった少女は満面の喜色を浮かべる。
「やはり、あなたさまは魔女様」
「いいえ、違うわ、王女様」
「え」
その少女は粗末な服をまとっている。しかしその服は、古びたためにそう見えるだけで、簡易だが細かな縫製を施された絹だ。
今や傷だらけだが真っ白の肌を持つ少女がまとう銀の髪は糸のようにしなやかに真っ直ぐで、目鼻立ちは甘く整っており――朝焼けのような紫の瞳はセラスヴァーノ王族に多く見られる神秘的な色合いをしており、なによりセラスヴァーノ王族の証である雪の精霊の聖痕を額に持っている。
彼女は誰よりもセラスヴァーノ王族を体現する――第一王女、リラメイアであった。第一王女の符号を知る者が見れば、一目で分かるのだ。
第一王女の符号は広く知られているわけではないが、魔女であれば知っていてもおかしくはないのだろう。
だが――
「魔女様ではないのですか」
「ええ。肯定していないもの」
知られていることに動揺する以上に、魔女だと思った女性が魔女ではないということの方が、少女――リラメイアにとっては問題だった。
それではここはどこなのだ。彼女は誰なのだろう。
「あなた様は何なのでしょう。あの力はいったい? どうして助けてくださったのですか?」
リラメイアの矢継ぎ早の質問に、美女は苦笑して答える。
「落ち着いて。ね? まずあなたは、リラメイア第一王女で間違いないのね?」
「……はい」
「ここは魔女の森。すべてに答えるのは、すべて聞いてからにするわ」
魔女の森だと、なぜ、すべて説明してから答えなければならないのか。
分からなかったけれど、リラメイアは信じるしかなかった。
「……わたくしは、セラスヴァーノ王国、第一王女リラメイアと申します。魔女様……ではないとの仰せですが、あなたさまはご存知なのでしょうが……」
リラメイアは小さく、区切りながら答える。
語りだしたのは、十五年前の悲劇だ。
****
セラスヴァーノ王、ダンガズには三人の王子がいた。
第一王子、シュリウス。王位継承第一位を持つ、文武に優れた少年。当時、齢十一だった。
第二王子、オルス。幼いうちより聡明で、日がな書庫にこもるような少年。齢八歳。
第三王子、ナリアル。当時五歳だったが、部屋にこもるよりも外を飛び回る力の溢れる少年だった。
雪の精霊女王に愛されるセラスヴァーノの王族において続く男児。女児が生まれれば継承位は変動するであろう。
『狂王』ダンガズは女児を欲していた。三人の王子を冷遇し、四人目の子供を孕んだ王妃を監視した。ダンガズは王妃に告げた。次に生まれるのが女児であれば、三人の王子は不要であると。
王の狂気に触れた王妃は、その言葉が文字通りであることが分かっていた。このままでは三人の王子は殺される。四人目の子供が女児でなくとも、おそらく母親が変わるだけで五人目、六人目とその危険は続くのだ。
いったいどうして王が狂ってしまったのか王妃には分からなかった。対処法も分からなかったが、どうにかしなければ王子たちが殺されてしまう、それだけは避けなければならなかった。
産み月が来たところで、王妃は王子たちを逃がすことにした。南にある、自分の信用できる数少ない人間である乳母に王子たちを預けた。そして生まれた子供が男児であれば、王城の南の塔に白い布を。女児であれば赤い布を掲げる。白であれば戻ってくるように、赤であれば逃げるようにと。
――そうして、掲げられた布は赤であったのだ。
王子たちは逃げ出した。だが、逃げ出したのが魔女の森だということを、知らなかったのだ。
王城から出たことのなかった王妃の乳母もそれを知らなかったのだ。それを知った王妃は泣きくれた。魔女の森に男が入って生き延びることはほぼ無い。
****
「……十五年も前の話です。生きているかも分からない。この森で死んだかも知れず、万が一抜けられたとしても、わずか十一歳の子供が保護者もなく、五歳の子供をつれて、生き残れるはずが無い……このセラスヴァーノで。それでもわたくしは、万が一の可能性をかけてお兄様たちを探しているのです」
「なぜ探すの?」
「父を……王を、殺すためです」
「父親殺しをさせるため?」
「殺すのは、わたくしです。ですが、そのあとセラスヴァーノの血脈が途絶えては、雪の女王の加護を失った民が死んでしまう。もしお兄様たちが生きていらっしゃるのであれば、生きてくださっているだけでいいのです。それだけでこの国は加護を失わず在ることができるのですから!」
話すうちに昂ぶり、叫ぶリラメイアを、じっと見つめている美女。彼女は面白そうに笑うと、ちらりと後ろの扉に目をやった。
「だそうよ、母さん。これで事情は分かったわね」
かあさん、とリラメイアは鸚鵡返しに呟く。その扉から出てきたのは妙齢の女性だった。美しいわけでも醜いわけでもない、ごく普通の女性……
「フィーチェ、お帰り。リラメイア殿下、ようこそ、魔女の家へ。あたしが魔女だよ」
魔女と名乗った女性は、美女を後ろに下がらせた。
「あたしは殿下の望む答えを持っているよ」
まるで歌うように魔女は告げる。リラメイアは身を乗り出した。
「では!」
「魔女にただで教えを請おうと思っているわけではないだろ? 殿下はその答えのために、あたしに何をくれるんだい?」
「わ、わたくしにできることであれば。財も、可能な限り……!」
「では命をくれるかい?」
硬直するリラメイアに魔女は続けた。
「雪の精霊に、さらには女王にまで愛されるセラスヴァーノの血脈、その血や肉体。それを使えばさぞかし良質の研究ができるだろうね」
「わ……」
リラメイアは唇を青くし、わななかせる。
だがおもむろに表情を引き締めると、
「わたくしが王を殺したあとでよろしければ、何なりと」
そう告げた少女の言葉の強さに、魔女は、微笑んだ。
突然の柔らかな微笑みに戸惑うリラメイアを尻目に、魔女は美女に何かを指示した。美女は心得たとうなづき、扉の奥に消えてゆく。
「これも長い話になるよ。それを殿下には聞いてもらわなければならないだろう。でもその前に、殿下には会ってもらおう」
「会う……」
扉が開く。先頭に先の美女。そして、
「ああ……」
リラメイアは、泣かないと決めていた。王を、父を殺さなければならないのだと決意し、涙はもう流さないと決めた。十五歳にしてその決断をしなければならなかった少女の、心は今完全に揺らいでしまったのだ。
美女に続いて入ってきた三人の男性。紫の瞳と、雪の精霊の加護痕を持つ三人の青年を見て、こんなに良いことが起こるはずがないと思えばこそ、溢れるものを抑え切れなかったのだ。




