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龍痣の少女と断罪の双子― IYK物語 ―  作者: ヤニコチンタール人
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23話 「それぞれの決着」

大武会の熱狂は、最高潮に達しようとしていた。


アイクの放った一撃は、グエンを吹き飛ばすだけに留まらなかった。

待機所の頑強な石壁に穿たれた巨大な風穴は、本来「隔離」されていたはずの参加者たちと舞台を、物理的に繋いでしまったのだ。


遮る壁は消失した。

アイクが壊したその巨大な穴の向こう側から、すべての参加者の、そして観客の視線が、次戦を控えたヤマトへと一斉に注がれる。


今や、誰がどのような戦いを見せるのかを、会場にいる全員が遮るものなく目撃できる状態になっていた。


(……これじゃ、隠し通すことも、独り静かに備えることもできないな)


ヤマトは淡々とそう思考を整理すると、粉塵の舞う風穴を通り抜け、舞台へと歩み出た。


その傍らを、肩で荒い息をつくアイクが通り過ぎる。

スキルという補助を一切使わず、己の肉体だけで物理限界を超えた代償は重く、アイクの右腕は微かに震え、その瞳にはどす黒い疲労の色が滲んでいた。


アイクはかろうじて舞台を降り、瓦礫の山となった待機所へと戻っていった。


アイクが去り、どよめきが残る舞台。

立会人である剣神けんじんカゲツが、静かに右手を挙げた。


「――次なる戦いを。影神えいしんヌイ、前へ」


“スッ……”と。


そこに初めから存在していたかのように、舞台中央に影神ヌイが立っていた。

予兆なきその出現に、観客は息を呑むことさえ忘れた。


その身は漆黒の衣に包まれ、顔立ちは影に沈んで判然としない。

だが、その存在感は確かだった。

舞台に立つだけで、闘技場全体の空気が一段階低い温度へと引きずり込まれるかのような、冷徹なる圧力。


カゲツは鋭く手魄を打つ。


「――始めいッ!」


合図と同時に、ヤマトの全神経はヌイという存在へと向けられた。


ヌイの動きには一切の予備動作がない。

地面を蹴る音も、衣擦れの音すらもなく、気づいた時にはヌイがヤマトの死角に滑り込んでいた。


「……っ!」


ヤマトは背筋を走る悪寒を頼りに、即座に身を沈めた。

頭上を鋭い風が通り抜ける。

ヌイの手にした、取り回しを優先した短剣が空気を切り裂いた音だ。


ヌイの敏捷性はグエンを遥かに源流で凌駕し、その斬撃は針の穴を通すような精密さでヤマトの急所を狙い澄ましていた。


(この人……本気で殺しに来ている。技でも流派でもない、“生き方”そのものが刃だ)


スキルによる解析は封じられている。

今のヤマトにできるのは、相手の四肢の動き、視線の先、筋肉のわずかな強張りを“観察”し、反射的に肉体を対応させることだけだった。


(重心の移動を消しているんだ。……なら、一挙手一投足を見逃すな。この人の『リズム』を盗み取るんだ……!)



ヌイは黒い衣を翻し、舞台上の夕陽がつくる“影”に紛れるようにして、矢のような刺突を繰り返す。


それは律に依存する行動やスキルではなく、極限まで磨き上げられた敏捷性と、無駄を削ぎ落とした装備による、超人的な身のこなしだった。


対するヤマトは、水月流すいげつりゅうの「柔」をその身で体現しようとしていた。

ヌイの矢のような刺突に対し、ヤマトは最小限の体捌きで回避を繰り返す。


一撃目。二撃目。三撃目――。


ヤマトは確実に、ヌイの攻撃をかわしていた。

だが、それは明らかに限界の戦いだ。

額から流れる汗が、どれほど追い詰められているかを物語っていた。


ヌイの刺突は一段階跳ね上がり、ヤマトの頬に赤い線が走る。


(……避けるだけじゃダメだ。この速度を『殺さなきゃ』勝機はない!)


ヤマトの脳は高速回転する。


ヌイの動きを分析する。

一つ。ヌイは常に“影”に身を隠している。舞台上の夕陽による影の濃淡を完璧に読み、自身の輪郭を背景に溶け込ませている。

二つ。その身のこなしは、一瞬も停滞していない。攻撃と移動が一連の流れとなり、反撃の隙がない。

三つ。刺突と切り上げの組み合わせが計算し尽くされ、どう動いても次の一撃に引っかかるわなが仕掛けられている。


(物理的な速度では勝てない。なら、ルールそのものを変えるしかない)


ヤマトは意識的に、回避の軌跡を変えた。

これまでの「後退」ではなく、敢えて「前進」を交える。


ヌイの攻撃を避けるのではなく、「避けながら距離を詰める」という矛盾した動作を、ヤマトは体現し始めたのだ。


四撃目。五撃目。六撃目――。


ヌイの刺突の間隔が、わずかに広がっていく。

それはヌイが弱ったのではなく、ヤマトの予測が正確になり始めたからだ。


(……見えた。この人の『リズム』が。呼吸の周期。足を踏ん張る間隔。目の動き。すべてが一つの『流れ』を形作っている)


ヤマトはついに、ヌイの攻撃に対して「受け」を入れ始めた。

短剣の側面でヌイの刃を受け止め、その勢いを逸らすという行為。

それは小さな反撃の第一歩だった。


ガツッ!


金属同士が噛み合う音。


ヌイの動きに、初めて――わずかな停滞が生じた。


(……やった。このわずかな隙こそが、勝機だ!)


だが、ここが敵の甘さではなく、陥穽かんせいだった。


ヌイは意図的にその「隙」を作っていたのだ。

ヤマトが反撃に転じたその瞬間、ヌイは身体全体を回転させ、逆方向から致命的な刺突を放ってきた。


「……っ!」


ヤマトは反射的に身を引いた。

短剣は肋骨の脇を掠め、衣を裂く。

肉体をかすめた冷たい刃の感覚に、ヤマトは戦慄する。


(……甘かった。あの停滞は、本当の隙じゃない。罠だ。観察だけで対応できる相手じゃない)


ヤマトはあえて自分から一歩深く、ヌイの間合いへと踏み込んだ。

その動きを見たヌイの刃が、より一層凶悪に加速する。


だが、ヤマトの狙いは違う場所にあった。


戦闘の最中、ヤマトは待機所の壊れた壁際を掠めていた。

足元に転がる石灰質の瓦礫を、一瞬の隙をついて掴み上げると、掌の中で握り潰し、さらに微細な粉末へと変えていたのだ。


(アイク、お前が壊したこの壁……ありがとう。利用させてもらうよ!)


「そこだ……!」


ヤマトは己の身体を盾にするようにしてヌイを引き寄せ、掌に隠し持っていた“白い塵”を、至近距離からヌイの足元へ叩きつけた。


パッ、と舞台に舞った微細な石粉が、ヌイの黒い装束に付着し、その輪郭を物理的に浮き彫りにする。


背景の夕陽の影に溶け込む隠密術を、単純だが有効な物理的手段で無効化されたことで、ヌイの動きに初めて顕著な停滞が生じた。


それは、長年の修行の中で初めて経験する「予想外」だった。


ヤマトは最短距離で短剣を突き出した。


ガギィィン!!


金属同士が噛み合う重い衝撃。


ヤマトはヌイの神速の斬撃を、初めてその正面で真っ向から止めてみせたのだ。


「おおおおおおっ!!」


静まり返っていた会場から、割れんばかりの歓声が巻き起こった。


誰もがこの信じがたい少年ヤマトによる影神ヌイの攻撃阻止に熱狂し、少年アイク VS 鬼神きしんグエン戦の結果の再来を予感し、視線を舞台の中央へと釘付けにした。


――その瞬間だった。


極限の盛り上がりを見せる会場の、誰の目も届かない“死角”から、不吉な影が躍り出た。


標的は、戦っているヤマトでも、見守るアイクでもない。


観覧席の中央に座す、将軍だった。


ヌイの一番弟子、ルエット。

その手には、暗器が握られていた。


歓声に紛れ、暗殺者の刃が将軍の喉元へと迫る。


「――終わりだ。この国の歪んだ静寂と共に、消えろ」


「……っ!」


壁の穴からそれを見ていたアイクが、反射的に駆け出そうとする。


だが、限界を超えて酷使された肉体は思うように動かない。

一歩目を踏み出そうとした瞬間、右足の筋肉が激しく痙攣けいれんし、アイクはその場に膝をついた。


(動け……!動けよ、俺の身体……!)


刃が将軍を裂く寸前、一閃の白光が闇を薙いだ。


ガギィィン!!


「……させないっ!」


間に割って入ったのは、ミヅキだった。


水月流すいげつりゅう瞬月しゅんげつ》を極限まで引き絞り、彼女は自身の肉体を盾にするようにしてルエットの刃を弾き飛ばした。


衝撃でミヅキの肩口から血が噴き出すが、彼女はその激痛を意志でねじ伏せ、眼前の敵を睨み据える。


「ミヅキ……!」


膝をついたまま、アイクがその名を叫ぶ。


会場は一転して混沌の渦に叩き落とされた。

将軍の警護兵たちが一斉に動き出し、観客の悲鳴が闘技場を揺らす。



舞台上で、ヤマトはその悲鳴の声に振り返った。


「……興が削がれたな」


ヌイの低く冷徹な声が、ヤマトの耳を打つ。


ヌイは背後のヤマトを振り返ることすらなく、視線をルエットへと向けた。

その瞳には、深い怒りと、師弟に対する何か別の感情が宿っていた。


「ルエット。我が影を汚した報いは、奈落で受けよ」


ヌイの体が墨汁に溶けるように地面へと沈み込む。

その動作に伴って、闘技場全体を支配していた影が、一気に深くなっていく。


舞台上の光がすべて吸収され、そこは瞬く間に真っ暗な闇へと変貌した。


試合は強制的に「中止」となった。


ヌイはそのまま、逃走を図るルエットを追って、影の底へと消えていった。


あとに残されたのは、混乱と、そして一つの圧倒的な事実だった。


静寂が戻った舞台の上で、ヤマトは真っ先に駆け出した。

向かう先は、血を流して膝をつくミヅキのもとだ。


「ミヅキ!大丈夫か!?」


「あ……ヤマト。ええ、なんとか。少し、掠めただけ……っ」


強がるミヅキの肩口からは、痛々しく鮮血が滲んでいる。


遅れて、激痛に顔を歪めたアイクも瓦礫の穴から走るようにして二人のもとへ辿り着いた。

アイクはまともに動かない足を引きずり、ミヅキの無事を確認すると、安堵からその場に崩れ落ちた。


「……申し訳ない、ミヅキ。俺が、動けなかったから……」


「なんてことはありません、アイク様。……むしろアイク様があの壁を壊してくれたから、私はここから全部見て、間に合わせることができました」


ミヅキは力なく笑い、ヤマトの手を借りて立ち上がる。


その時、周囲を固めていた警護兵たちが左右に分かれた。

現れたのは、暗殺の刃を突きつけられた直後とは思えぬほど、泰然自若とした佇まいの将軍だった。


「……見事な連携であった。皆の者よ、其方の壊した壁が、結果としてミヅキの視界を拓き、ヤマトよ、其方の執念が会場の目を引きつけ、ルエットの焦りを生んだ。そしてミヅキ、其方の剣が、不忠の刃を遮った」


将軍は三人の若者を等しく見据え、深く、重みのある声で告げる。


「局方たちの奔放な『武』、しかと見届けた。後日、城へ参れ。特別賞として、其方たちを改めて饗応しよう。それまでの間、その傷を癒やしておくが良い」


観客席からは、将軍に認められた三人の英雄を称える、地鳴りのような歓声が沸き起こった。


アイクとミヅキは照れくさそうに、あるいは誇らしげにその声を受け止めている。


だが、その輪の中にいながら、ヤマトの心だけは別の場所にあった。


その夜。城での拝謁を行う前。


ヤマトは一人、部屋に帰ると、静かに窓を開け、港へと続く夜道を見つめていた。


会場では英雄として讃えられた。

アイクの全力の一撃に続き、ヤマトもまた、影神ヌイという絶対的な敵に対して「対等に戦った」と評価された。


だが、その評価がすべてではなかった。


ヤマトは、ヌイを「止めた」のではなく、「試合を中止させられた」のだ。


ルエットの介入がなければ、恐らく数秒以内に自分の敗北は確定していただろう。


石粉という補助手段を使わなければ、一度も相手の攻撃を止められなかった。


それは、アイクのような「次元の違う圧倒的な力」ではなく、「工夫と僥倖ぎょうこうによる一時的な対抗」に過ぎない。


(……城での拝謁。そこに行けば、カレンを連れ去った者たちの正体や、彼女の現在地、 tender 組織の構造が少しずつ見えてくるだろう)


ヤマトの瞳が、月に照らされた黒い海へと向けられる。


(だけどそれだけでは足りない。知識と観察だけで、あの『影』に追いつくことはできない。俺は……俺たちは、個々の力では限界だ。なら、この国の秘密を握る『システム』を利用する必要がある)


その思考は、かつての無邪気なヤマトには決してなかったもの。


知略の刃を研ぎ澄ませることで、アイクの「武」に並ぼうとしていた彼は、今、別の道を選ぼうとしていた。


「権力」という名の秘密の階段を、一段また一段と、上っていく道を。


数日後。城での拝謁を行う前夜。


ヤマトは一人、港に立ち、大陸へと続く黒い海を見つめていた。


一人は、武の極地を往く、銀白の剣。

一人は、理の支配を狙う、深緑の知。

そして一人は、影を追う、朱紅の誠。


その三人は、それぞれに別の方向へ向かっていく。


だが、その先に待つ「カレン」という一つの点が、三本の線をいずれ交錯させるだろう。


ヤマトの瞳には、もはや迷いはない。


彼は静かに背を向け、港の門をくぐり、大陸への船乗りに声をかけた。


「大陸への航路。一人分の荷物をお願いします」


「了解しました。明朝の出航でよろしいですか?」


「ええ。明朝で構いません」


返事を聞きながら、ヤマトは夜の海を見つめ続ける。


一人は、孤独な高みへと至る“最強”の道を。

もう一人は、その背中を捕らえんと、人知れず深淵へと足を踏み入れる道を。

そして最後の一人は、光と影の狭間で、真実という名の鎖を辿る道を。


双子の絆が、そして三人の絆が、互いを想いながらも少しずつ、しかし違う方向へと向き始めた。


その先に待つカレンとの再会が、三人をどんな形で対峙させるのか。


また、その向こう側で、どんな運命の転輪を回すのか。


今はまだ誰も知らない。


ただ、一つ確かなのは――


三人の物語は、この地では完結しないということだけだった。

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