婚約解消された第三王子は、魔女の呪いにかかって死ぬ運命だったが、逆に魔女と結婚して最強夫婦になってスローライフを楽しむ。
「アクシス様、お願いします。婚約を破棄してください」
婚約解消の言葉は、思った以上に胸に残るものだった。
第三王子アクシスは、自室のソファに深く沈み込み、天井をぼんやりと見つめていた。
「……はあ」
ため息が、やけに重い。
今日で十六歳。
本来なら祝われるはずの日に、侯爵令嬢ララティアから婚約解消を告げられた。
理由は言わなかったが、わかっている。
王家の呪い。
一年前、第一王子が婚約者とともに死んだ。
そして今日、第二王子もまた死んだ。
次は自分だと、誰もが知っている。
「そりゃあ、逃げるよな……」
ララティアを責める気にはなれなかった。
むしろ、当然の判断だ。
巻き込まれたくないに決まっている。
「まあ……もう、どうでもいいか」
ぽつりと呟く。
どうせ自分も、もうすぐ死ぬ。
婚約も、未来も、全部意味を失った。
そう思った、そのときだった。
――ぎぃ、と。
部屋の扉が、ひとりでに開いた。
「……誰だ?」
反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは――
ぼろ布のようなローブをまとった、一人の老婆だった。
白く長い髪、しわだらけの顔。
だが、その目だけが異様に鋭く光っている。
「ほほ……なんとも情けない顔じゃのう、王子様」
かすれた声で、老婆は笑った。
「……あんた、誰だよ」
「わしの名はアウル」
ゆっくりと一歩、部屋の中へ入ってくる。
「この国に呪いを与えた魔女、と言えばわかるかの?」
一瞬、空気が凍りついた。
「……魔女、か」
だがアクシスは、驚くでもなく呟いた。
どうせ死ぬのだ。いまさら何が起きても、大差はない。
「ほほ、怖くはないのか?」
アウルは楽しそうに首を傾げる。
「死ぬのが、怖いじゃろう?」
「……別に」
アクシスは肩をすくめた。
「婚約者にも振られたしな。どうせ死ぬなら、もうどうでもいい」
投げやりな言葉。
それを聞いた魔女は、くつくつと笑った。
「なるほどのう。よい、実に良い」
「は?」
「そういう者の方が、話が早い」
アウルはすっと近づき、アクシスの左手を取った。
じわりと、熱が広がる。
そこにはすでに、黒い紋章が浮かび上がっていた。
「あと三日。放っておけば、おぬしも兄たちと同じように死ぬ」
「だろうな」
「じゃが――助かる方法があるとしたら?」
その言葉に、アクシスは少しだけ目を細めた。
「……あるのか?」
「あるとも」
魔女はにやりと笑う。
そして、耳元で囁いた。
「わしと結婚せよ」
「……は?」
一瞬、思考が止まる。
「結婚?」
「そうじゃ」
アウルは当然のように頷く。
「わしと契りを交わし、共に生きる。逃げることは許さぬ。永遠の番となるのじゃ」
それが呪いを解く条件。
あまりにも突飛で、あまりにも重い。
普通なら、躊躇うだろう。
だが――
「……いいぞ」
アクシスは、あっさりと答えた。
「なに?」
さすがの魔女も、わずかに目を見開く。
「いいって言ってるんだ」
アクシスは立ち上がる。
「どうせ死ぬくらいなら、そっちの方がマシだ」
それに、と心の中で付け加える。
――俺は、もう一度くらい結婚してもいい。
ふと、懐かしい記憶がよみがえる。
前世の記憶。
八十二歳まで生きた、別の人生。
共に老いた妻。
しわだらけになっても、穏やかに笑っていたあの人。
あの温もりを思い出すと、不思議と恐怖は消えていた。
「……ほほ」
魔女は再び笑う。
「面白い男じゃな。では――誓いのキスを」
すっと、顔を近づけてくる。
しわだらけの老婆の顔。
普通の少年なら、恐怖で逃げ出すだろう。
「ちなみにの」
アウルがくすりと笑った。
「おぬしの兄、第二王子はここで逃げた」
「……ああ」
「キスができず、そのまま死んだのじゃ」
試されている。
覚悟を。
それでも――
「別にいいさ」
アクシスは迷わなかった。
そっと、魔女の肩に手を置く。
「夫婦になるんだろ」
そして、そのまま――
口づけた。
瞬間。
眩い光が弾けた。
魔力の奔流が部屋を満たし、空気が震える。
「……これは」
アクシスは思わず目を細める。
やがて光が収まると――
そこにいたのは、もはや老婆ではなかった。
長い黒髪。
透き通るような白い肌。
妖しくも美しい、若い娘の姿。
「……成功、じゃな」
少女――いや、魔女アウルが微笑む。
「わしにかけられておった呪いも、これで解けた」
「お前……」
アクシスは目を瞬かせる。
「最初から、その姿だったのか?」
「さての」
アウルはいたずらっぽく笑う。
「どちらでもよいではないか。これからは――」
すっと、彼の腕に絡みつく。
「夫婦なのじゃから」
その言葉に、アクシスは苦笑した。
「……まあ、いいか」
どうせ失うはずだった命だ。
それが、少し変わっただけ。
「よろしく頼むよ、アウル」
「うむ。任せておけ」
魔女は満足そうに頷いた。
こうして――
第三王子アクシスは死の運命を逃れ。
代わりに、魔女との奇妙な結婚生活を手に入れたのだった。
それが甘いものになるのか。
それとも破滅への道なのか。
まだ、誰にもわからない。
◇
魔女との結婚生活は、思っていたよりもずっと――奇妙で、そして妙に穏やかに始まった。
翌朝。
アクシスが目を覚ますと、見慣れた王城の天井ではなく、木目の美しい梁が目に入った。
「……どこだ、ここ」
身体を起こすと、そこは小ぢんまりとした家の寝室だった。
窓からは柔らかな朝日が差し込み、外では鳥のさえずりが聞こえる。
王城の喧騒とは無縁の、静かな場所だ。
「起きたかの、夫よ」
ふいに、扉の向こうから声がした。
入ってきたのは――昨日の魔女、アウル。
いや、今はもう老婆ではない。
長い黒髪を後ろで束ね、簡素な白いワンピースを身にまとった少女の姿だ。
その手には、湯気の立つスープの入った器があった。
「……本当に、その姿なんだな」
アクシスは思わず呟く。
「何じゃ、不満か?」
「いや。むしろ助かる」
正直な感想だった。
あの老婆のままだったら、さすがに新婚生活はきつい。
いつ倒れるのかと、心配でおろおろしてしまう。
アウルはくすりと笑い、ベッドの横に腰掛けた。
「ほれ、食べよ。体力が要るじゃろう」
「……なんでそんなに普通なんだよ」
器を受け取りながら、アクシスは苦笑する。
「もっとこう、呪いだの契約だの、重い雰囲気になるもんじゃないのか?」
「十分重い契約じゃが?」
アウルはあっさりと言う。
「おぬしはもう、わしから逃げられぬ。どこへ行こうと、どんなことをしようと、必ずわしと共に在る」
さらりと言われたその言葉に、背筋がわずかに冷える。
だが――
「……まあ、いいか」
アクシスはスープを口にした。
優しい味だった。
不思議と、懐かしさを感じる。
「うまいな」
「そうじゃろう。昔、作ってやったことがあるからの」
「……誰に?」
何気なく聞くと、アウルは少しだけ目を細めた。
「さての。忘れてしもうたわ」
そう言いながらも、その声にはどこか含みがあった。
◇
食事を終えた後、アクシスは外へ出た。
家は森の中にあった。
木々に囲まれ、小さな畑と井戸があるだけの、質素な暮らし。
「ここで暮らすのか?」
「そうじゃ」
アウルは隣に立つ。
「王城には戻らぬ」
「……まあ、そうなるか」
王城に戻れば、騒ぎになる。
死ぬはずだった第三王子が生きているのだ。
しかも魔女と結婚して、などと知れたらどうなるか。
「未練はあるか?」
アウルが静かに問う。
アクシスは少しだけ考えた。
王族としての責務。
家族。
そして――ララティア。
「……少しはある」
正直に答える。
「けど、もういい」
振られたのだ。
それに、彼女は自分も呪いで死ぬと思っていたのだろう。
誰だって呪いの巻き添えで死ぬのは嫌だと思う。
だから、彼女を責める気にはなれなかった。
「それよりも――」
アクシスはアウルを見た。
「これからどうするんだ?」
「決まっておろう」
アウルは微笑む。
「夫婦として、生きるのじゃ」
あまりにもシンプルな答え。
だが、その裏には重い意味がある。
「……それだけか?」
「それだけで十分じゃろう?」
アウルは首をかしげる。
「人はな、意外とそれができぬ」
その言葉に、アクシスは少しだけ考え込む。
前世の記憶。
忙しく働き、気づけば老いていた日々。
妻と過ごす時間は、確かに大切だったが――
「……そうかもな」
ぽつりと呟く。
今度は、違う生き方をしてもいいのかもしれない。
◇
その日の午後。
アクシスは薪割りをしていた。
「はっ……!」
斧を振り下ろす。
乾いた音とともに、木が真っ二つに割れた。
「ほう、なかなかやるではないか」
アウルが感心したように言う。
「王子だからって、何もできないわけじゃない」
「前世の経験、というやつかの?」
ぴたりと手が止まった。
「……なんで知ってる」
「魔女じゃぞ?」
当然のように言う。
「魂の気配くらい、わかる」
アクシスは苦笑した。
「隠せないか」
「隠す必要もあるまい」
アウルは近づいてくる。
「長く生きた者同士、話は合いそうじゃ」
「……お前、何歳だ?」
「さあの。千は超えておるかもしれん」
「……桁が違うな」
思わず笑ってしまう。
だが、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、気が楽だ。
相手は人間ではない。
常識も価値観も違う。
だからこそ、変に気を使わなくていい。
「のう、アクシス」
ふいに、アウルが真面目な声で呼ぶ。
「なんだ?」
「おぬしは、後悔しておらぬか?」
その問いに、アクシスは少しだけ空を見上げた。
青い空。
静かな森。
そして、隣には魔女。
「……してないな」
きっぱりと答える。
「どうせ死ぬはずだった命だ」
それが続いているだけでも、十分だ。
「それに――」
アクシスは笑う。
「スローライフも悪くない」
その言葉に、アウルは少しだけ驚いた顔をした。
だがすぐに、柔らかく微笑む。
「そうか」
短い一言。
だがそこには、確かな安堵があった。
◇
その夜。
二人は並んで食卓についた。
簡素だが温かい食事。
静かな時間。
「……なあ、アウル」
「なんじゃ?」
「お前にかかってた呪いって、何だったんだ?」
気になっていたことを、アクシスは口にした。
魔女にも呪いがある。
それを解くために、自分との結婚を条件にした。
「ふむ」
アウルは少しだけ考える。
「簡単に言えば、孤独の呪いじゃな」
「孤独?」
「誰とも真に結ばれることができぬ呪い」
静かな声。
「どれだけ契約を結ぼうと、どれだけ人と関わろうと、最後には必ず独りになる」
その言葉に、アクシスは息を呑んだ。
「じゃあ……」
「うむ」
アウルは頷く。
「おぬしと結ばれることで、それを破った」
つまり――
この結婚は、彼女にとっても救いだったのだ。
「……そうか」
アクシスはゆっくりと息を吐く。
「お互い様、ってわけだな」
「そうじゃな」
二人は、静かに笑い合った。
呪いから逃れるための結婚。
だがそれは、ただの契約では終わらなかった。
少しずつ、確かに。
二人の距離は近づいていく。
森の中の小さな家で。
王子と魔女の、奇妙で穏やかな日々が続いていく。
――だがその裏で。
王城では、新たな動きが始まっていることを。
このときの二人は、まだ知らなかった。




