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婚約解消された第三王子は、魔女の呪いにかかって死ぬ運命だったが、逆に魔女と結婚して最強夫婦になってスローライフを楽しむ。

作者: 山田 バルス
掲載日:2026/03/20

 

「アクシス様、お願いします。婚約を破棄してください」


 婚約解消の言葉は、思った以上に胸に残るものだった。

 第三王子アクシスは、自室のソファに深く沈み込み、天井をぼんやりと見つめていた。


「……はあ」


 ため息が、やけに重い。

 今日で十六歳。

 本来なら祝われるはずの日に、侯爵令嬢ララティアから婚約解消を告げられた。

 理由は言わなかったが、わかっている。

 王家の呪い。

 一年前、第一王子が婚約者とともに死んだ。

 そして今日、第二王子もまた死んだ。

 次は自分だと、誰もが知っている。


「そりゃあ、逃げるよな……」


 ララティアを責める気にはなれなかった。

 むしろ、当然の判断だ。

 巻き込まれたくないに決まっている。


「まあ……もう、どうでもいいか」


 ぽつりと呟く。

 どうせ自分も、もうすぐ死ぬ。

 婚約も、未来も、全部意味を失った。

 そう思った、そのときだった。


 ――ぎぃ、と。

 部屋の扉が、ひとりでに開いた。


「……誰だ?」


 反射的に顔を上げる。

 そこに立っていたのは――

 ぼろ布のようなローブをまとった、一人の老婆だった。

 白く長い髪、しわだらけの顔。

 だが、その目だけが異様に鋭く光っている。


「ほほ……なんとも情けない顔じゃのう、王子様」


 かすれた声で、老婆は笑った。


「……あんた、誰だよ」

「わしの名はアウル」


 ゆっくりと一歩、部屋の中へ入ってくる。


「この国に呪いを与えた魔女、と言えばわかるかの?」


 一瞬、空気が凍りついた。


「……魔女、か」


 だがアクシスは、驚くでもなく呟いた。

 どうせ死ぬのだ。いまさら何が起きても、大差はない。


「ほほ、怖くはないのか?」


 アウルは楽しそうに首を傾げる。


「死ぬのが、怖いじゃろう?」

「……別に」


 アクシスは肩をすくめた。


「婚約者にも振られたしな。どうせ死ぬなら、もうどうでもいい」


 投げやりな言葉。

 それを聞いた魔女は、くつくつと笑った。


「なるほどのう。よい、実に良い」

「は?」

「そういう者の方が、話が早い」


 アウルはすっと近づき、アクシスの左手を取った。

 じわりと、熱が広がる。

 そこにはすでに、黒い紋章が浮かび上がっていた。


「あと三日。放っておけば、おぬしも兄たちと同じように死ぬ」

「だろうな」

「じゃが――助かる方法があるとしたら?」


 その言葉に、アクシスは少しだけ目を細めた。


「……あるのか?」

「あるとも」


 魔女はにやりと笑う。

 そして、耳元で囁いた。


「わしと結婚せよ」

「……は?」


 一瞬、思考が止まる。


「結婚?」

「そうじゃ」


 アウルは当然のように頷く。


「わしと契りを交わし、共に生きる。逃げることは許さぬ。永遠の番となるのじゃ」


 それが呪いを解く条件。

 あまりにも突飛で、あまりにも重い。

 普通なら、躊躇うだろう。

 だが――


「……いいぞ」


 アクシスは、あっさりと答えた。


「なに?」


 さすがの魔女も、わずかに目を見開く。


「いいって言ってるんだ」


 アクシスは立ち上がる。


「どうせ死ぬくらいなら、そっちの方がマシだ」


 それに、と心の中で付け加える。

 ――俺は、もう一度くらい結婚してもいい。

 ふと、懐かしい記憶がよみがえる。

 前世の記憶。

 八十二歳まで生きた、別の人生。

 共に老いた妻。

 しわだらけになっても、穏やかに笑っていたあの人。

 あの温もりを思い出すと、不思議と恐怖は消えていた。


「……ほほ」


 魔女は再び笑う。


「面白い男じゃな。では――誓いのキスを」


 すっと、顔を近づけてくる。

 しわだらけの老婆の顔。

 普通の少年なら、恐怖で逃げ出すだろう。


「ちなみにの」


 アウルがくすりと笑った。


「おぬしの兄、第二王子はここで逃げた」

「……ああ」

「キスができず、そのまま死んだのじゃ」


 試されている。

 覚悟を。

 それでも――


「別にいいさ」


 アクシスは迷わなかった。

 そっと、魔女の肩に手を置く。


「夫婦になるんだろ」


 そして、そのまま――

 口づけた。

 瞬間。

 眩い光が弾けた。

 魔力の奔流が部屋を満たし、空気が震える。


「……これは」


 アクシスは思わず目を細める。

 やがて光が収まると――

 そこにいたのは、もはや老婆ではなかった。

 長い黒髪。

 透き通るような白い肌。

 妖しくも美しい、若い娘の姿。


「……成功、じゃな」


 少女――いや、魔女アウルが微笑む。


「わしにかけられておった呪いも、これで解けた」

「お前……」


 アクシスは目を瞬かせる。


「最初から、その姿だったのか?」

「さての」


 アウルはいたずらっぽく笑う。


「どちらでもよいではないか。これからは――」


 すっと、彼の腕に絡みつく。


「夫婦なのじゃから」


 その言葉に、アクシスは苦笑した。


「……まあ、いいか」


 どうせ失うはずだった命だ。

 それが、少し変わっただけ。


「よろしく頼むよ、アウル」


「うむ。任せておけ」


 魔女は満足そうに頷いた。

 こうして――

 第三王子アクシスは死の運命を逃れ。

 代わりに、魔女との奇妙な結婚生活を手に入れたのだった。

 それが甘いものになるのか。

 それとも破滅への道なのか。

 まだ、誰にもわからない。


 ◇


  魔女との結婚生活は、思っていたよりもずっと――奇妙で、そして妙に穏やかに始まった。

 翌朝。

 アクシスが目を覚ますと、見慣れた王城の天井ではなく、木目の美しい梁が目に入った。


「……どこだ、ここ」


 身体を起こすと、そこは小ぢんまりとした家の寝室だった。

 窓からは柔らかな朝日が差し込み、外では鳥のさえずりが聞こえる。

 王城の喧騒とは無縁の、静かな場所だ。


「起きたかの、夫よ」


 ふいに、扉の向こうから声がした。

 入ってきたのは――昨日の魔女、アウル。

 いや、今はもう老婆ではない。

 長い黒髪を後ろで束ね、簡素な白いワンピースを身にまとった少女の姿だ。

 その手には、湯気の立つスープの入った器があった。


「……本当に、その姿なんだな」


 アクシスは思わず呟く。


「何じゃ、不満か?」

「いや。むしろ助かる」


 正直な感想だった。

 あの老婆のままだったら、さすがに新婚生活はきつい。

 いつ倒れるのかと、心配でおろおろしてしまう。

 アウルはくすりと笑い、ベッドの横に腰掛けた。


「ほれ、食べよ。体力が要るじゃろう」

「……なんでそんなに普通なんだよ」


 器を受け取りながら、アクシスは苦笑する。


「もっとこう、呪いだの契約だの、重い雰囲気になるもんじゃないのか?」

「十分重い契約じゃが?」


 アウルはあっさりと言う。


「おぬしはもう、わしから逃げられぬ。どこへ行こうと、どんなことをしようと、必ずわしと共に在る」


 さらりと言われたその言葉に、背筋がわずかに冷える。

 だが――


「……まあ、いいか」


 アクシスはスープを口にした。


 優しい味だった。

 不思議と、懐かしさを感じる。


「うまいな」

「そうじゃろう。昔、作ってやったことがあるからの」

「……誰に?」


 何気なく聞くと、アウルは少しだけ目を細めた。


「さての。忘れてしもうたわ」


 そう言いながらも、その声にはどこか含みがあった。


 ◇


 食事を終えた後、アクシスは外へ出た。

 家は森の中にあった。

 木々に囲まれ、小さな畑と井戸があるだけの、質素な暮らし。


「ここで暮らすのか?」

「そうじゃ」


 アウルは隣に立つ。


「王城には戻らぬ」

「……まあ、そうなるか」


 王城に戻れば、騒ぎになる。

 死ぬはずだった第三王子が生きているのだ。

 しかも魔女と結婚して、などと知れたらどうなるか。


「未練はあるか?」


 アウルが静かに問う。

 アクシスは少しだけ考えた。

 王族としての責務。

 家族。

 そして――ララティア。


「……少しはある」


 正直に答える。


「けど、もういい」


 振られたのだ。

 それに、彼女は自分も呪いで死ぬと思っていたのだろう。

 誰だって呪いの巻き添えで死ぬのは嫌だと思う。

 だから、彼女を責める気にはなれなかった。


「それよりも――」


 アクシスはアウルを見た。


「これからどうするんだ?」

「決まっておろう」


 アウルは微笑む。


「夫婦として、生きるのじゃ」


 あまりにもシンプルな答え。

 だが、その裏には重い意味がある。


「……それだけか?」

「それだけで十分じゃろう?」


 アウルは首をかしげる。


「人はな、意外とそれができぬ」


 その言葉に、アクシスは少しだけ考え込む。

 前世の記憶。

 忙しく働き、気づけば老いていた日々。

 妻と過ごす時間は、確かに大切だったが――


「……そうかもな」


 ぽつりと呟く。

 今度は、違う生き方をしてもいいのかもしれない。


 ◇


 その日の午後。

 アクシスは薪割りをしていた。


「はっ……!」


 斧を振り下ろす。

 乾いた音とともに、木が真っ二つに割れた。


「ほう、なかなかやるではないか」


 アウルが感心したように言う。


「王子だからって、何もできないわけじゃない」

「前世の経験、というやつかの?」


 ぴたりと手が止まった。


「……なんで知ってる」

「魔女じゃぞ?」


 当然のように言う。


「魂の気配くらい、わかる」


 アクシスは苦笑した。


「隠せないか」

「隠す必要もあるまい」


 アウルは近づいてくる。


「長く生きた者同士、話は合いそうじゃ」

「……お前、何歳だ?」

「さあの。千は超えておるかもしれん」

「……桁が違うな」


 思わず笑ってしまう。

 だが、不思議と嫌ではなかった。

 むしろ、気が楽だ。

 相手は人間ではない。

 常識も価値観も違う。

 だからこそ、変に気を使わなくていい。


「のう、アクシス」


 ふいに、アウルが真面目な声で呼ぶ。


「なんだ?」

「おぬしは、後悔しておらぬか?」


 その問いに、アクシスは少しだけ空を見上げた。

 青い空。

 静かな森。

 そして、隣には魔女。


「……してないな」


 きっぱりと答える。


「どうせ死ぬはずだった命だ」


 それが続いているだけでも、十分だ。


「それに――」


 アクシスは笑う。


「スローライフも悪くない」


 その言葉に、アウルは少しだけ驚いた顔をした。

 だがすぐに、柔らかく微笑む。


「そうか」


 短い一言。

 だがそこには、確かな安堵があった。


 ◇


 その夜。

 二人は並んで食卓についた。

 簡素だが温かい食事。

 静かな時間。


「……なあ、アウル」

「なんじゃ?」

「お前にかかってた呪いって、何だったんだ?」


 気になっていたことを、アクシスは口にした。

 魔女にも呪いがある。

 それを解くために、自分との結婚を条件にした。


「ふむ」


 アウルは少しだけ考える。


「簡単に言えば、孤独の呪いじゃな」

「孤独?」

「誰とも真に結ばれることができぬ呪い」


 静かな声。


「どれだけ契約を結ぼうと、どれだけ人と関わろうと、最後には必ず独りになる」


 その言葉に、アクシスは息を呑んだ。


「じゃあ……」

「うむ」


 アウルは頷く。


「おぬしと結ばれることで、それを破った」


 つまり――

 この結婚は、彼女にとっても救いだったのだ。


「……そうか」


 アクシスはゆっくりと息を吐く。


「お互い様、ってわけだな」

「そうじゃな」


 二人は、静かに笑い合った。

 呪いから逃れるための結婚。

 だがそれは、ただの契約では終わらなかった。

 少しずつ、確かに。

 二人の距離は近づいていく。

 森の中の小さな家で。

 王子と魔女の、奇妙で穏やかな日々が続いていく。

 ――だがその裏で。

 王城では、新たな動きが始まっていることを。

 このときの二人は、まだ知らなかった。

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