第七話 魔法使い飼いの魔女
そして話を戻し、現在。
……エルネスティに空中で捕獲されている現状である。
「首輪、外れちまったなご主人様」
「あ、えっ、と。首、出して……」
ぎゅうと私を抱き締めるエルネスティは、喉でくつくつ笑いながら「やだ」といって、私の肩口にぐりぐりとじゃれるように顔をひっつける。
……ひ、肩口から見上げてくる顔がとんでもなく綺麗だ。心臓に悪い。
顔の赤みが引かず、冗談じゃなく溶けるんじゃないかと危惧する。けれど腰を引こうとすれば、逆にエルネスティの腕が私の腰に巻き付いて引き寄せられてしまう。
もうどうしたらいいか分からず、エルネスティの胸元の服を握る。そうすると、エルネスティがピクリと反応した。
エルネスティの顔が少し持ち上がった、と思ったらそのまま私の首筋に唇を寄せてきたので、体がビョンと伸び上がる。私の様子に彼が低く笑う。
その、笑った吐息が首筋に振動して、またびくりと揺れてしまう。彼の顔が這うように上がっていき、チュ、チュ、とわざとらしく小さなリップ音を立てて唇を落としていく。硬直するどころじゃない。
ど、どうしたらいいかわからない……。
擽ったくて、変な声が漏れそうになるのを堪えるので精一杯だ。恥ずかしすぎて、訳もわからず涙が滲んできた。
しかし私の動揺なんてどうでもいいと言うふうに、エルネスティの唇が私の耳まで到達して、耳を――舐めた!
「ひゃっ、っふ……!」
さすがに、予想外すぎて変な声が漏れる。
エルネスティはいつものように笑うかと思いきや、一瞬息を詰めたようだった。
こちらを向く。獰猛な、本当の獣のような目だった。射抜くように私を見て、そのまま唇に噛みついてこようと――
「だ、だめ!」
ばちん、とそんなエルネスティの唇を両手で止めた。途端、エルネスティは不満そうな顔をする。顰めた顔は色気があるが、……!いや!この人、人の押さえてる手!舐めた!また!
私は慌てて手を引いた。そうすると、エルネスティはフンと笑ってから、コツンと額と額を合わせた。
「だめってなんだよ」
エルネスティは少しだけ、拗ねたようにいう。う、ぐ……。その顔もなかなか心臓に悪いな、と思いながら、私は負けずに口を開く。
「え、エルネスティの気持ち、聞いてない……」
そう、蚊の鳴くような声で言えば、エルネスティが虚をつかれたように目を大きく開いた。
それから、一回息を吐き、口を開く。
「スフィア、俺は、」
「ッ隙あり!」
しかし、言葉なんて言わせるものか!
私は無防備だった首目掛けて、いつも掛けている声の制限魔法を掛ける。ギュイン、と大きな光の輪ができる。いつもより、強固で光が強い。
「……今までで一番丹精込めた、声の制限魔法………」
作った沈黙が、重い。
珍しくまともに驚いた顔をして固まるエルネスティに、絞り出す様言ってみる。
あの時以来の火事場の馬鹿力であり、私自身にも信じられないくらいの完璧な制限魔法だ。
さすがにエルネスティにも予想外の展開だったらしい。
ぽかんとした顔をして、それから……エルネスティは壮絶な顔をして笑った。今まで見た中で一番綺麗で……一番魔王のような顔だった。
エルネスティは全てを理解したように自身の喉を摩る。目は、据わっている。
エルネスティが何も言わない、もとい何も言えないので、私はカラカラと喉が乾いていく。
先ほどの体の熱は、今や氷点下にまで落ちていた。
「い、いつものと違って、一時的解除を前提としたやつじゃない、から。……それで、しばらく過ごしなよ。エルネスティ、無詠唱魔法だから戦闘力には影響ないし」
「………」
「……で、あの……エルネスティの気持ちを、聞かないことには……、変なことしちゃ、だめだから」
「…………………」
目を逸らしながら、それでもなんとか喋り続ける。
ダラダラと冷や汗が落ちる私に、何か深い考えがあったわけではない。ただ、今この場を切り抜けなければ、どうにかなってしまうと思ったのだ。
あと多分、やられっぱなしだったからちょっとやり返したかった、のだと思う。深層心理としては、多分。
しかしこうなってしまうと、自分がなぜこんな暴挙に出たのかわからなかった。
重要な選択肢を間違えた気がしてならない。
(で、でも切り抜け方としては、合ってるのでは? 制限魔法使ってる時はエルネスティが私に手出しできないってことだし)
自分を慰める様、そろそろと顔を上げる。
ちょっとやそっとじゃ、エルネスティでもこの制限魔法は破れない。
エルネスティはしばし口を閉じてから、大きく息をついた。
そして、私の顎を掴み無理やり目線を合わせた。
口パクで分かりやすく伝えてくる。
『上等だ』
――あ、違う。間違えたなこれ。
私は瞬時に自分のミスを悟る。
こんなに綺麗に笑いながらキレる人、初めてみた、と、私はさながら氷魔法を直で食らったかのように凍りつきながら思った。
◆◇
「空中のラブロマンスって初めて見たなぁ」
そう、とぼけていってみたスフィアとエルネスティと普段から親交がある学友――王太子デリックは上空をオペラグラス片手に見上げていた。
さっきから堂々と上空でのロマンスが繰り広げられているが、その下は正しく阿鼻叫喚の地獄絵図である。
降り止まない狂気的な氷魔法は、最早エルネスティの八つ当たりまで追加されて酷いことになっていた。
そろそろ助けをやらないと、半殺しどころか十分の九殺しになりそうだ。それは困る、先ほど彼ら自身が言った通り一応期待されてる若手の新規討伐隊のパーティーなのだ。これでも。
氷魔法から死に物狂いで抜け出したユウナは、息も絶え絶えになりながらも頭上を見上げた。未だ浮かび続けるスフィアとエルネスティを。
こんな目にあってもスフィアに反抗的な目を向けられるのは、なかなか根性がある異世界人だなと、デリックは少しだけ彼女を見直した。
「な、なんなのよあいつら……!? こんなの【聖女と七人の勇者】と全然違う! こんなシナリオじゃなかった! ……スフィアは悪役魔女で、エルは悲劇の魔法使いのはずなのに! スフィアをここで倒してエルはパーティーに加わるのに!」
ぎゃーぎゃー喚くユウナを少し引いた目でみた。
よくわからない単語のオンパレードだ、さすが異世界人。
そもそもこの決闘騒動を割と早い段階から見ていたデリックとしては、スフィア一人相手に堂々と七人がかりで倒しに行こうとしていたユウナという女の人間性を疑っていた。
が、止めなかったのはそれくらいの卑劣さがないとこれから先、過酷になるであろう旅も切り抜けられないだろうという心からだ。戦争に綺麗事は必要ない。
あとは……彼なりにエルネスティのことを考え、ガス抜きさせてやろうかななんて思ったからなのだが。
ここ最近のエルネスティはいよいよ行き詰まっていた。何をと言えばスフィアへの思いを、である。
エルネスティは長年(彼なりに、とつくが)大事に抱え込んでスフィアを慈しんでいたのだが、そろそろ限界に近かった。
彼にしては殊勝にも、スフィアの気持ちが育つのを辛抱強く待っていたのだ。
当のスフィアもエルネスティを憎からずは思っているようだが、彼が抱えるおどろおどろしいほどの執着と比べると、まるで種類が違う。
綺麗で温かく、陽だまりのような好意だ。
エルネスティは多いに悩み、困っていた。俗物的に言えば、スフィアのその思いは……情欲を孕むものなのか?
真剣に分からなかったのだ。元より彼女は感情も薄いし、言葉も得意じゃない。
無欲な好意など、エルネスティからしたら一番タチが悪かった。下手に裏切れないではないか。エルネスティの生殺し期間は長かった。
加えてここ数年で密かにスフィアの人気が上がっていることも彼の不機嫌に拍車をかけた。
スフィア自身は思い違いをしているようだが、スフィアの評判は全体からしたら悪くはない。むしろ尊敬されているレベルだ。
子供が多い学園内ならいざしれず、一般の評価としては学生の身分で討伐指令を受け、鉄壁の防御を見せてほぼ全ての指令が無傷帰還。加えて、彼女単独としては国境付近の防御結界を請け負っている。
防御のみだ、と彼女は謙遜するが防御魔法がこんなにも卓越している魔法使いは他にいない。
彼女は自分をエルネスティのおまけ程度に考えてるようだが、そもそも彼のパートナーということも彼女の人気に繋がるのだ。
二人は凹凸のように互いの欠点を補い合って討伐を完璧にこなす……というかあのエルネスティに着いていけるのがまず信じられない、そんな風に。
ちなみにデリックの個人的な見解としては、エルネスティが防御魔法関連を学ばないのは分かりやすいにしても、スフィアが攻撃魔法が得意ではないというのも疑っている。
裏でエルネスティが操っているのではないだろうか。「このくらいの攻撃魔法じゃまだ前線には立てない」だなんだと吹き込まれている、だとか。
素直なスフィアが攻撃魔法の天才にそんな風に言われてしまえば、自分は攻撃魔法ができないと思い込むのは道理である。
そう、無口無表情、人への興味がない割にどこかあどけなく素直なのだ、スフィアは。
そもそもスフィアはあまり派手ではないが美人な部類だ。アーモンドのような綺麗な形をした目は大きく、シュッとした猫を思い浮かばせる。誰にもツンとして、懐かないような。
しかしそんな彼女はエルネスティの前ではやや表情が豊かになる。目を潤ませたり、困ったように眉を寄せたり、何よりも顔色がよく変わり、隙を見せるように真っ赤に染まった照れた顔を見せられると男女問わず胸を押さえたくなるのだ。
あまり見すぎると隣の男から射殺さんばかりの視線が送られてくるので、大っぴらにはできないのだが。
ちなみに友人のカテゴリーにいるデリックに対しては、言葉は僅かに多くなるし控えめな笑顔もくれたりする。こんな妹いたらいいのになぁとデリックは常々思いながら、癒されていた。
と、そういう長い長い前置きがあり。
――エルネスティは行き詰まっていた、ということである。
そろそろ齧り付きそうだ、と魔物討伐中にスフィアをまっすぐ見据えながら低い声で呟いていたという旨を、青い顔をした部下からデリックは報告されたのだ。
だから今回の馬鹿騒ぎ、もとい学内の決闘というのを黙認して、派手に暴れさせてやろうと思った、友として。
エルネスティは仕事として魔物を狩るが、趣味としては人間の悲鳴の方が好きなので。
しかし何やら友人への気遣いは失敗だった気がした。ガス抜きさせるどころか、今が一番暗黒面に落ちている。
そしてスフィアの方も完全に自業自得ながら、地獄への一歩を踏み出していた。
頭はいいはずなのに、スフィアはたまに選択肢を絶望的に間違えることがある。
なんでわざわざ、腹を空かせた狼に待てをさせるんだろう。待てを解いた時にどうなるかなんて想像に容易いだろうに。
デリックは今後のことに少しだけ身震いしながら、切り替えるようにユウナを振り返る。
「よくわからないですけど、まあパーティーなんて一人足りなくても大丈夫でしょう?」
「だめよ!エルの魔力がないと火力切れでこの先のボス戦勝てっこない!」
「それはあと六人の方にも頑張ってもらって……。と言うかそもそもですけど、エルを旅に同行なんて王宮が許可しません。エルが不在の間、この国が魔獣に攻め入れられたらひとたまりもないし。そもそもそうなるとスフィアもいなくなる事になる。スフィアは国境付近の結界番もやってもらってるので困ります」
「スフィアなんかいらないわよ!欲しいのはエルだけ!」
「………いや、だからエルが欲しいならばスフィアがセットになるでしょう?」
何を言っているんだ異世界人。
一足す一が二だというような簡単なこともわからないのか? 本気で訝しがるデリックに、ヒステリックにユウナが吠える。
スフィアとエルネスティが二人で一人みたいな扱いすることのほうがおかしいでしょ! と、……そう言った瞬間に見事なコントロールで氷塊がユウナの頭に落下した。
今度こそユウナは気絶する。
おお怖、よくもまあこっちの話まで聞いているな。
そういえばこの異世界人、さっき仔グリフォンを逃したとか言っていたな。
魔獣を故意に逃すのは立派な罰金刑だ。昔同じように甘い気持ちで仔の魔獣を秘密裏に民間で飼い、成獣になった頃に村が半壊した事例がある。あとで聴取をとらねば。
そんな明後日の心配をしながらも、もう一度デリックは数少ない心許した友人らを見上げた。
まあしかし、見ていて飽きない二人だ。
一番は勿論国のためではあるが、そもそも友人として彼ら二人に旅立たれてしまったら日常がつまらなくなってしょうがない。
異世界人の要望なんて当然却下だ。あと一人どうしてもパーティーが欲しいなら、どこかそこらへんの美形を捕まえてどうとでもしてくれ。六人もたらし込んでいると言うことは、おそらく得意なのだろうから。
「最強の矛と最強の盾の対決ですねぇ。どっちが勝つのやら」
攻撃は最大の防御なり。では、防御は最大の攻撃になりえるのだろうか?
今回のスフィアの行動は、エルネスティにとってみたら、最高のカウンターだったろう。
けれど、結局スフィアのそういうところがエルネスティは好きなのだ。素直でまっすぐなのに、一筋縄ではいかないところが。
デリックはいつスフィアのことを好きになったのか聞いたことがある。そうしたら意外にもエルネスティははっきりと答えてくれた。
『魔力暴走起こした俺に、プルプル震えながら魔法で対抗してきた時。あいつ、自分が思ってるより根っからの魔法使いなんだよ』
そういって、常ならず穏やかに笑った友人。結局、ああ見えて一目惚れかと驚いたのは、昨日のことのように思い出せる。
妙にエルネスティのことを気に入ってしまった日だ。
今も昔も、傍迷惑な最強魔法使いペアを眺めながら、デリックは苦笑した。




