第二話 ヒーラー
学園の中庭は、昼下がりになるとひどく穏やかだ。
魔物の脅威から完全に切り離された結界の内側で、噴水の水音と生徒たちのざわめきだけが漂っている。
討伐から戻って数日。
エルネスティは今日は訓練棟に呼ばれていて、珍しく一人で昼食を取っていた。
討伐依頼は、今週はもうない。束の間の休息。
学生のモットーとして学園に通うのは義務だと分かっている一方、ただ勉学に身を落とすだけの時間は少し苦手だ。
勉強が嫌いだとか、授業が嫌だとかそういった理由ではなく、自分たちが討伐していない間、何か大型魔獣が暴れていないか気になってしまうのだ。最近は特に発生率が異様に高いから。
……なんて。
この国では優秀な討伐者はそれこそ沢山いる。焦る必要なんてどこにもないのだ。
座学も大切な知識だ。この時間も大切にして、実践に繋げなければいけない。
頬を軽く叩いて、午後も頑張ろうと気合を入れ直す。
――その時だった。
「ねえ!」
高く、よく通る若さの残る声。
一瞬反応が遅れたのは、それが自分に掛けられた声だと分からなかったからだ。学園生活で、私に声をかけてくる生徒はあまりに少ない。
ましてや、女生徒となると。
しかし最近、学園で妙に視線を感じることもあった。その正体かもしれない。
振り向くと、こちらを挑戦的に見る目と視線が絡んだ。
まず見るのは、何より相手に攻撃意思があるかないか。
最早癖になっているのだ。
「あなたが、スフィア・ダールよね?」
噴水越しに立っていたのは、見慣れない制服の少女だった。
黒髪を高い位置で結び、妙に自信満々な笑みを浮かべている。
攻撃意思は、今の所なさそうではある。
「……そうだけど」
しかし警戒を隠さずに答えると、彼女はぱっと顔を輝かせた。
それは、私に対する友好の証での笑顔というより、正解を得られたことによる笑い方だ。
嫌な予感がぷんぷんする。
「やっぱり! あなたが例の、防御の魔女!」
――ああ。やはり。
もう面倒だ。
この呼び方をする女子たちはこぞって私へ敵愾心を向けてくる。防御の魔女、とくればその対象にいるのは攻撃の魔法使いだからだ。
つまりエルネスティを意識してるということになる。
知らず、体がそるが、そんなことお構いなしに少女は身を乗り出すよう私へ近づいてくる。
念のため、気取られない程度の僅かなシールド魔法を薄く貼る。モーション無しの魔法程度だったら、弾ける程度の護身魔法だ。
「ユウナ・キリュウよ!」
名乗りながら、こちらの返事も待たずに距離をさらに詰めてくる。
その距離感のなさに一歩引きながら、私は眉をひそめた。
ユウナ・キリュウ。
あまり学園にいない私でも、聞いたことはある。
最近の学園で一等目立った存在だ。彼女は、異世界の落とし子であるから。
確か数十年ぶりの落とし子で、ギフトは聖女の祈り……、平たく言えばヒーラー系の上位魔法だ。
どの程度のレベルかは彼女の鍛錬次第ではあるが、魔法自体はかなりの希少魔法だ。私も相対するのは初めてなほど。
ちらりと周辺の気配探知をする。彼女の仲間らしき気配は……今の所はない。
「……何か用?」
「もちろん! エルネスティ・ライゼンのこと!」
即答だった。
思わずため息が出る。
キリュウと名乗った少女は、私の反応に構わず続けた。
「ねえ、あなた本当にひどいわよね。あんな才能の塊みたいな人を、首輪みたいな魔法で縛って。捨てキャラのメンヘラ女のくせに!」
ステキャラノメンヘラオンナ?
何語? 異世界人だから異世界語だろうか?
それとも私が流行りに疎いせいでわからない、若者語?
しかしなんにせよ、私とは話が通じない類だ、と直感した。仲良くなれそうな気配はない。
周りに人もいないし、キリュウはこちらに物理攻撃をする気配もない。少し肩の力を抜きながら、息をつく。
あまり人を刺激しないように、と意識しながら口を開いた。
何か、私の言い方は他所から聞くとどうにも冷たく聞こえがちになるそうなのだ。そんなつもりはないのだけど、多分人見知りゆえに緊張が出てしまっている。
慣れればまだマシなのだけど。
「キリュウ、だったよね。あなたの言ってることは全部的外れ」
「え?」
「論外」
なるべく簡潔にと思って告げると、ユウナは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐにそれをむっとしたものに変える。
まずい、言葉が足りなかったようだ。
以前、女生徒たちに囲まれた時にはなるべく懇切丁寧に説明を重ねたら、逆上させてしまい最終的には教師が駆けつける騒ぎになったのだ。
攻撃魔法を先に使った彼女たちこそ責められるべきだったと思うのに、私の防御魔法が硬過ぎたせいで返り討ちのような状況になってしまった。手が怪我しただなんだの彼女らが涙目訴えたせいで、教師には微妙な顔で「もうちょっと柔らかくしてあげなさい」だなんて理不尽な怒られ方されたし。
今思い返しても納得はできないが、しかし私の対人スキルに問題があるのは確かだ。
人間との交流は難しい……。
そんな風に現実逃避のように思い返してたら、ユウナはユウナで何事かをぶつぶつと呟いては勝手に納得したようである。
「ホント、ゲーム通りに高飛車でむかつくわ……でも、まあ……それはいいわ。今は一章だし」
また、よく分からない単語が出てきた。
ゲーム? イッショウ?
聞き返して何を言っているか聞いてもいいんだろうか。
けどこの前、若者言葉を乱発されてうまく聞き取れない上に、意味もよくわからなかったから聞き返しまくったら、相手を怒らせたしな……。
あの時は横にいたエルネスティに、後日「人を煽るのが上手いな」なんてケラケラ笑われながら言われたし。
「とにかく! エルはもっと自由であるべきなのよ! あなたみたいな魔女に縛られてる場合じゃないの! 私みたいな癒し系ヒーラーが彼には必要なの!」
確かに制限魔法で縛ってはいる。それが自由でないと言えばそうかもしれないけれど。
でも、……それ以外はむしろエルネスティってわりとやりたい放題な気がするんだけど。
と、反論したい気持ちはあったけれど、上手く伝えられる気がせず、口を開けては閉じた。
そうしている内に、言いたいことは言って満足したのか、キリュウはフンと鼻息を鳴らして去っていく。
嵐のような子だった。
(でも……ヒーラーか)
エルネスティの顔が脳裏をよぎる。
討伐の後、ヒーラーの話題を出した時の、あの静かな怒り。
(ヒーラーは、必要だと思う)
キリュウは論外。
私が一目見て合わないと思った子を、エルネスティが気に入るはずがないからだ。
パーティーで相性の良さは必須条件である。
でも、エルネスティとこの先も討伐を続けるなら、第三者――回復役は、やはり必要だ。
「……ねえ」
考え込んでいる私に、別の声がかかった。
今度は知ってる、落ち着いた低い声だ。おかげで慌てずに済む。
「大変そうだね、スフィア」
いつの間にいたのか、噴水の縁に腰掛けていたのは、学園でも一目置かれる存在――王太子、デリック・アルヴァーンだった。
金髪碧眼、見るからに王子様っぽい容姿で、事実王子なのだから意外性のかけらもない、とはエルネスティの談だ。
また、キリュウの時同様に辺りを見渡す。見えるところに護衛がニ人……木陰にもう一人。そして遠隔に探知魔法を掛けている魔法使いが一人。
いつも通りだ。その他に気配はない。
少し肩の力を抜くことができた。
ちなみにこの場合の警戒は、デリックによる攻撃の警戒じゃなく、学園人気のあるデリックの親衛隊を警戒しているのだ。
エルネスティといい、デリックといい、数少ない友人枠がやたらと顔が良いせいで無駄な苦労が多い。
咳払いをして、デリックに向き直る。
「聞こえてた?」
「だいたいは」
苦笑しながら肩をすくめる。
「また厄介な異世界案件かな。彼女の異世界知識、役に立つこともたまーにあるんだけど、知識に偏りあるし、思い込みも激しいタイプみたいで話してるとだんだん暴走し始めるんだよね」
「……なんか、……あんま会話になんなかった気がする」
「だろうね」
デリックはちらりとユウナが去っていった方を見て、すぐに興味を失ったように視線を外した。
「それより」
声を落として、私にだけ聞こえるように続ける。
「ヒーラーの件、考えてるんだろ?」
「……」
図星だった。
しかし、何故こんなにも情報が早いのだろうか。口に出したのはこの前の討伐の時だけだし、そもそもエルネスティは反対していたようだから話はまだ何も進めていない。
もしかしてなにか尾けられている? と勘繰る視線を向けるも、綺麗な笑みで流されてしまう。
「僕自身はヒーラーをパーティーに加えることは悪くないと思うんだけど、エルネスティ、相当スフィアに依存してるからね。正論でも、刺激すると面倒なことになる」
その言葉に、首を傾げる。
「……刺激?」
「自覚ないんだもんなぁ……」
デリックは小さく笑った。
「とにかく、話を切り出すにしても少しずつにした方がいい。あんまりエルネスティを刺激しないようにね」
「……うん?」
正直、半分も理解できていない。
けれど、デリックが冗談で言っていないことだけは分かった。
「……わかった、気をつける」
そう答えたにも関わらず、デリックは困ったように首を傾げさせた。
「本当に? わかってる? 僕はエルネスティの友人でもあるし、スフィアの友人でもあるから、あまりどちらかに肩入れはしないようにしてるんだけど、スフィア結構鈍感なところあるから心配してるんだよ?」
「わかってるもん」
「……絶対?」
「絶対」
小さな子供に言い聞かせるよう、デリックが言ってくるものだから思わず意地になって繰り返す。
デリックはほとほと困った顔になりながら、私の顔を覗き込んでくる。
押し問答のようにデリックと分かっただの分かってないなどと言い合っている内に、エルネスティがやってきた。
私たちの距離感にぴくりと眉を寄せてから、すぐに引き裂くように離される。
声は封じられたまま、デリックに口パクで何事かを伝える。
エルネスティに肩を抱かれた私は、何を言ってるか今ひとつ測ることはできなかったけれど、デリックには伝わったらしい。
苦笑いして肩をすくめ「わかったわかった」と両手をあげて引き下がった。
そして、そのやり取りを、少し離れた場所で見ていたキリュウが、何か言いたげに口を開いたまま固まっていることに、私は気づかなかった。
――この時は、まだ。




