第十六話 帰還
長期任務を終え、ようやく王都の城壁が見えた時。やっと――小さく息がつけた。
石造りの巨大な門。
行き交う商人たち。
遠くから聞こえる市場の喧騒。
その、見慣れた光景が目に入った時、露骨なほど強張っていた肩の力が、抜けていく。
「ダール様! 本当にありがとうございました!」
背後から騎士の声が飛ぶ。
振り返れば、今回帯同した騎士たちが頭を下げていた。
「負傷者ゼロで帰還できたのは、ダール様のおかげです」
「防御壁、本当に助かりました」
「……みんなが頑張ったから」
少しだけ首を横に振りながら、それだけ返して、軽く手を振る。
騎士たちは笑顔で去っていった。先に王宮へ上がらなければ行けない彼らは、いつも一足先に入門手続きをするのだ。団体で入門手続きをするのは時間がかかるので、むしろ私に対する気遣いとも言える。
当然、私に対する護衛など必要ないから。――だって、私以上の防御魔法を使える者はいない。
場に慣れてない若い兵なんかは、私に向かって護衛を申し出たりもすることはあるが、むしろ彼らの上司が慌てて止める。護衛なんて、スフィア・ダールにとっては庇護対象が増えるだけのお荷物にしかならないのだ、と。
いつも通り団体が去っていく。その背中を見送った後、喉の奥が痒くなる。
すぐに背を丸め、咳を押し殺した。息を飲み込むように無理やり胸を押さえる。
幸い誰も見ていない。
王都へ向き直り、スフィアは歩き出した。
(帰ったら、エルネスティに会おう)
きっと不機嫌だ。いや、不機嫌どころではないかもしれない。
ここ最近、単独任務ばかり続いていたから。最後に別れた時ですら、エルネスティはあからさまに機嫌が悪かったのだ。思い出すだけで少し苦笑いが漏れる。
けれど、その笑みは長く続かなかった。
王都へ入った瞬間から、妙な違和感があったからだ。
◇
体を整えながらゆっくり向かった騎士団詰所は慌ただしかった。
報告書を抱えて走る者。
伝令。
討伐依頼の確認。
地図を広げて何かを話し合う騎士たち。
いつもより明らかに空気が張り詰めている。
「西部でも出たらしいぞ」
「北側もだ」
「群生地関係なくなってきてるな……」
そんな会話が廊下を歩いているだけでも耳に入った。
立ち止まりはしないが、聞こえる会話に確信だけが強くなる。
スタンピードという言葉は、騎士団や王宮の中では重苦しいワードとなっている。誰もが恐れて、逆にその言葉を口にできない。
けれど皆が同じものを感じ始めている。
異常発生。
異常拡大。
何かがおかしい。
何かが起きている。
思わず眉根を寄せて、その会話に息を吐き出す。
その時だった。
ふいに背筋へ、よく知る気配が刺さり、振り返る。
そして。
「あ」
思わず声が漏れる。
エルネスティだった。
壁にもたれ、腕を組んで立っている。
こちらを見ている目は、あからさまに不機嫌だった。
少しだけ目を逸らしたくなるほどに。
「……ただいま」
行ってみたものの、エルネスティは返事をしない。
代わりに大股で近付いてきた。
そして無遠慮に、顎を掴まれる。
ぐい、と顔を上げさせられ、逸らした目を無理やり合わせられた。
息を呑む間に、まじまじと目を覗き込まれる。
次に肩。腕。手首。
まるで負傷確認をするみたいに視線が落ちていく。
無言だけれど何を言いたいのか分かる。
「元気だよ」
思わず苦笑いしながら小さな声で言えば、即座に首を横に振られた。全然信じていない。
むしろその顔はどんどん顰められていく。
エルネスティは一枚の紙を取り出し、乱暴に文字を書く。
『何隠してる』
たった一行、それだけが書かれたものだから、思わず笑いそうになる。
そんなスフィアに、エルネスティは更に書き足す。
『咳』
『魔力循環』
『討伐数』
『全部悪化してる』
犯人を追い詰めるように、エルネスティの文字が私を追い詰めていく。逃げ道がなかった。
会ってはいなかったというのに、彼は私の動向を逐一追っていたのだろう。どの騎士や同行者に聞いていたのか――あとで当たりをつけなくては。
強い視線から逃れることなく目を合わせ、返す言葉を探して、それから諦める。
「……少しだけ、だよ。問題ない」
エルネスティの目が冷えた。
けれど予想はしていたのだろう。彼は乱暴に紙を丸めて懐に仕舞う。それでも、何も付け足さない私の様子から、諦めたようだ。
ぎゅうっと抱きしめられる。その様子に、周囲の人間が少し騒めいたけれど、細かく震えるエルネスティの様子よりも気になるものではなかった。
彼の震えは、誤魔化す私への怒りか。それとも告げられないことに対しての悲しみか。
どっちなんだろうなと思いながらも、それ以上は追求してこないエルネスティの背を撫でる。ごめんね、と口に出せない思いを伝えるみたいに。
久々のエルネスティの体温と、香り。
それらは確かに私へ安心を齎すのに、――それでも、私はまだ確信が得られないことを、エルネスティに伝えることはできないのだ。
◇
その日の夕刻。
エルネスティと共に王城へ呼び出された。
応接室には、デリックがいた。そして、傍には護衛騎士、側近。
相変わらず整った笑顔。
けれど今日は少しだけ疲れて見える。
「おかえり」
「ただいま」
「早速だけど本題に入るね」
デリックはそう言って資料を机へ置いた。
「調査が進んだ」
空気が変わる。
「異変の原因らしきものが見つかった。その根本を解決する方法も」
エルネスティが同時に顔を上げた。
デリックは続ける。
「辺境に一人の研究者がいるんだ。世界の異変を長年追い続けている人物で、賢者と呼ばれている。……君たちには、その人物に会ってきて欲しい」
賢者。
初めて聞く役割の人間だ。
「それと、今回は同行者を一人つける」
その言葉に嫌な予感がしたけれど、対してデリックが少しだけ笑うだけだ。
眉を寄せる間にも、デリックはパンパンと手を叩く。
そして――勢いよく扉が開いた。
「久しぶりー!」
聞き覚えのある声。場違いなほど明るく、そして空気をぶち壊す勢い。
反射的に肩が跳ねる。
「私も行くから!」
そこに立っていたのは、ユウナ・キリュウだった。
以前より装備が増えている。
杖も新調されていた。
雰囲気も少し違う。
以前よりずっと戦う人間の顔になっている。
しかし、口を開けばやはり変わらない。
「ヒーラー枠取りに来たわ!」
胸を張るキリュウに、思わず頭を押さえた。
エルネスティは露骨に嫌そうな顔をし、デリックだけが楽しそうに笑っていた。
「本気で言ってる?」
「もちろん、彼女もだいぶ修行を頑張ってね。実践経験は君たちほどではないかもしれないけど、立派なヒーラー枠として活躍できるだろうと、王宮の白魔道士たちのお墨付きだよ」
「めーっちゃ修行で扱かれたからね!あんたらのサポート、してあげるわよ!借りは返す!」
そう聞いたのは、彼女に対してではなく、最早デリックに対しての問いだった。デリックは笑みを崩すことなく澱みない台詞を口にする。キリュウは……まあ、……何も変わっておらず、自身の胸をドン!と叩く。
重苦しい空気を彼女が霧散させるようではあった。エルネティは小さく息をついて、そっぽを向く。
元からデリックからの依頼となれば、王宮からの依頼だ。拒否は難しい。
私も、キリュウ含めて本気で拒否をすることはない。
――ただ。
……ちらりと、側近と護衛の姿を見る。
以前はいなかった配置。整えられた応接室。畏まった、場。
もうそれは、学園内で友として過ごし、友としてお願い事を受けたあの日とは違う重みを持っている。線を、引かれていた。
デリックの顔を、もう一度見る。
彼は相変わらず、綺麗な笑みを崩しはしなかった。
だから、「体調は大丈夫?」と聞く隙はなかったのだ。
◇
一週間後にはすぐに準備を整え、出立してほしいと言われ、追われるように過ごした一週間。
その、出発前夜。
静かな自室の中で、灯りを消してただぼんやりと窓辺に腰掛けた。窓の外には細い月が浮かんでいる。
星は、見えない。
指の先が冷えるほど、夜風に当たっていると、不意に咳が漏れる。
咄嗟に口元を押さえる。ごほごほ、と重い咳が二、三回続き、背を丸める。ひゅーひゅーと穴が空いたような息が漏れた。なんとか整えて、それからそっと手を開く。
そこに残った色を見て、静かに目を伏せた。
黒に近い赤。
今までで、一番濃い。
今までで、一番多い。
無感情に洗浄魔法を使う。
光が瞬き、血は消えた。
証拠も、痕跡も、何も残らない。
誰にも見られていない。
だから大丈夫。
そう思いながら。
窓の外を見上げる。
夜空は静かだった。
「……まだ、大丈夫」
小さく呟く。
――明日から、旅が始まる。
とても久々の投稿になってしまいました……!申し訳ないです。
不定期になりますが、完結を目指しまた書いていきたいと思っています。




