第十五話 悪化
エルネスティ不在の討伐命令が続く。
帰還したら、真っ先にエルネスティのところ向かわなければ。きっと首を長くしているだころではないだろう。
今日もわざわざ私のスケジュールを見ながら、舌打ちしていたし。
そんな短い回想をしながら、防御壁を展開する。
最近の討伐内容、王命は様々だ。
僻地の魔獣除けの結界を張り直すものから、大型魔獣の討伐。群れになった小型魔獣の討伐。魔植物の採取。生け捕りから殲滅まで。
組まれる部隊も大きいものから少数精鋭までと様々だ。
意識を戻し戦場を見渡すと同時、ミノタウロスが大地を蹴った。
巨体が動いた瞬間、空気が震える。
角に絡め取られた魔力が、赤熱した火球となって解き放たれた。
その速度は、早い。
視線の先に、若い兵の背中が見えた。
まだ陣形を覚えきれていない。盾の構えが半拍、遅れている。怖がる表情さえ作れず、呆然と火球を眺めるしかできていない。
当然、火球を避けれる余裕はないだろう。
そう判断した瞬間、身体が先に動いた。
杖を振る。詠唱は省略。防御壁を一点集中で展開する。
火球が防御壁に衝突し、爆ぜる。
衝撃音と共に、空気が弾けた。
新人兵は咄嗟に身を縮めただけで済んだ。それは反射の動きでしかない。まだ、身に起こりかけた事象を飲み込むこともできていない未熟さだ。
防御壁の向こうで、呆然としたままこちらを振り返る。
「……下がって」
声は小さく、しかし届く。
新人兵は我に返ったように頷き、後方へ駆けた。それを見届けてから隊列を組み直す残った陣に向け、また防壁を組む。
――その瞬間。
胸の奥が、ぎしりと軋んだ。
(……っ)
防御壁の維持に、いつもより力を取られる。
魔力を流す速度が、微妙に噛み合わない。
壁は割れない。けれど、完璧でもない。ほんの一瞬、魔力の循環が遅れた。
喉の奥に、鉄の味が広がる。
無理やり飲み込んで、表情を変えずに次の防御を展開した。
「……すげぇ……」
誰かが、小さく呟いた。聞こえないふりをして、防御壁を再展開する。
防御の魔女。
そう呼ばれる理由を、今さら説明する気はない。
彼らが見ているのは、完璧に張られた壁と、一切揺るがない術者の背中だけだ。
防御壁の内側で、息が詰まっていることも。
胸の奥で、何かが削れていることも。
誰も知らない。
知らなくていい。
――それが、仕事だから。
更に前衛の剣士が身構えるのに合わせ、その前に更にシールドを貼る。
完璧にタイミングは分かっていた。杖を振るうのには寸分の狂いもなかった。
が。
「……遅い」
自分の口から漏れた声に、思わず小さく眉を寄せる。
追撃するように二頭目の魔獣の突進をする。それらを受け止めるために展開した防御壁は、確かに間に合う。次いで、放たれた火球も弾いた。
しかし、体感として確実に、一拍遅れた。
致命的ではない。
騎士団の誰かが気づくほどでもない。誰を守れなかったわけでもない。
それでも、自分自身は誤魔化せなかった。
(今の……一瞬)
防御壁に走った微細な歪み。
修復は即座にできたが、胸の奥に残る違和感は消えない。
魔獣を弾き返し、間合いを取る。杖を握る指に、微かな震えが走った。
「……っ」
息を吸う。
吸ったはずの空気が、肺の奥まで届かない。
以前なら、防御壁を張り直す間に三度深呼吸すれば、魔力循環は整った。
今日は、五度息を整えても、胸の奥の重さが残っている。
毒素だ。
この戦場には、目に見えるほど濃い毒素は漂っていない。
それでも、確実にある。そして、吸っている。
吸い込む感覚は、もうはっきり分かるようになっていた。魔力に混じって流れ込んでくる、ざらついた異物。
以前なら、吸引後にすぐ回復していたはずの身体が、今日は鈍い。魔力循環が一拍遅れ、肺が軋むように痛む。
(回復が……遅れてる)
咳を堪えきれず、喉の奥がひくりと鳴る。
口元を押さえ、背を丸める。
――だめだ、今は。
騎士団は戦いに身を投じている、もしくは離れた位置で戦況を確認している。
単独任務だからこそ、防御に対し余計な心配をかけるわけにはいかない。これは私の仕事だ。
防御壁を再展開しながら、視線だけで周囲をなぞる。
魔獣の動きが、どこかおかしい。
攻撃は荒いが、無秩序ではない。
むしろ――逃げ場を探すように、森の縁をなぞっている。それを魔力の輪で追跡しながら、追う。捕獲できるものは、順に捕獲する。
そうしている内に確信を持つ。
(……逃げてる?)
いや、違う。逃げ場を“探している”というより――
(吐き出したい……?)
ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。
毒素を吐く個体が増えている。
それは、ここ最近の討伐で確実に感じていたことだ。
偶然ではない。
個体差でもない。
魔獣たちは、何かを溜め込み、それを処理しきれずに、動きが歪んでいる。
無意識のうちに防御壁の範囲を広げていた。
必要以上に、厚く。
必要以上に、広く。
魔獣だけでなく、地面に、木々に、空気に――戦闘に関わる一人一人を必要以上に包み込むように。
現段階で人間側でこの毒素を感じているのは私一人のようだ。みんな、戦闘に夢中で気付きもしていない。だからこの息苦しさに気付いたのは私一人。
そして、それに誰かが気付く前に防御壁を展開できた。だから、この違和感はおそらく王家の影にさえ共有されない。
王家の影が共有できることと言えば、精々私の身のうちに起きた苦しみを、書き記すくらいだろう。
書き記されるのは、私が苦しんだ事実ではなく、それでも倒れなかった、という結果だけだ。
そして、それでいい。それが今の私の役目なのだから。
胸が苦しい。
眩暈が視界を揺らす。
咳が、また一つ。
見張られるように、おそらくその僅かな咳も記録されている。
(……時間が)
ここまで来て、ようやく自覚する。
これは一時的な不調じゃない。
耐えれば済む段階は、もう過ぎている。
魔獣の増加。
毒素の偏在。
そして、自分の身体。
点だったものが、線になり始めている。
確信には、まだ届かない。
だが――
(考える時間は、もう多くない)
防御壁を維持したまま、静かに息を整えた。
まだ倒れるわけにはいかない。
エルネスティがいたら、唯一、私のその体の異変以外にも防御壁の展開が遅れていること、過剰な防衛魔法を張ったことに気付いただろう。
けれど、ここにエルネスティはいないから、誰も私の魔法がブレたことには気付かない。
確実に私の魔法は完璧ではなくなっている、けれど、まだ使える範囲内だ。討伐に役立つ。
エルネスティと次の合同任務になる時までには、一層注意しなくては。
彼は、私の一拍の遅れに気付く魔法使いなのだから。
ストック調整のため、次回以降は不定期更新になります。
完結までは責任をもって書き切りますので、どうぞ見守ってください。




